雷門

はじめて上京したのは一九六八年の春、高校の修学旅行だった。本郷の旅館に投宿し、東大を見に行くと立て看板が林立していて学生運動に触れた。これで気合いが入ったのか、当時俗悪番組のトップに挙げられていた、じゃんけんで負けたほうが一枚ずつ脱ぐコント55号の野球拳をやらんかと女の子に声をかけた豪の者がいて、断られ、仕方がないので男だけでやった。
翌日の観光のはじまりは浅草だった。すでに後ろ向きの人間で戦前の歌謡曲に興味があったりしたものだから雷門をくぐると東海林太郎「すみだ川」の二番「娘ごころの仲見世あるく/春を待つ夜の歳の市」が思い出された。
この頃おぼえた歌はいまでもそらんじていていて、「すみだ川」も大丈夫だが、さすがに「ああそうだったわねぇ、あなたが二十あたしが十七の時よ」という田中絹代のナレーションはやりません。