「ある男」~ミステリーとアイデンティティ

上映が終わるとともに拍手をしたくなり、次にはそんなに興奮しちゃだめ、もっと心を落ち着けてじっくり考えなきゃいけないと思ったり、よい意味で穏やかな気持ではありませんでした。

また、わたしのなかでは「伽倻子のために」「Go」「パッチギ」などの系譜にもうひとつ素敵な作品が加わりました。

弁護士の城戸(妻夫木聡)が、亡くなった夫の身元調査という奇妙な依頼を受けます。依頼人の里枝(安藤サクラ)は離婚を機に幼い息子の悠人を連れて故郷へ帰り、やがて出会った谷口大祐(窪田正孝)と再婚して女児、花が誕生、悠人も新しい父親になつき円満な家庭生活を営んでいました。ところが結婚四年目に夫が不慮の事故に遭います。そこへ長年疎遠だった大祐の兄が、遺影は大祐ではないと話したことから、愛した夫が全くの別人だったと判明します。

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城戸弁護士の調査がはじまります。男=Xは何者で、いかなる人生の軌跡をたどったのか、どうして、どうやって他人になりすましたのかといった謎の提出にワクワクしていると、「どうして」のところでXの出自が関わってきます。「自分が自分であること」に耐えられない心性と、他人の名を騙って自分以外の人物のふりをすることとのつながりが微かに見えてきたのです。こうしてXの謎を探るミステリーに、アイデンティティ、出自、差別の問題が重なります。これはまた調査する城戸弁護士もかねてから心に懐いていた問題でもありました。

継父Xの謎が明らかになったとき、息子悠人は中学生になっていて、母の里枝に、妹が理解できるようになれば「僕から話すよ」と語ります。生まれたときの姓は両親の離婚により母の姓に変わり、母の再婚とともに継父の姓である谷口となり、しかしXは谷口姓ではなかった。ずいぶん戸惑っていた息子のいまの言葉でした。そう、この作品は一面で子供の成長の物語でもあります。

これらのテーマが融合する物語を脚本向井康介、監督石川慶は巧みに、的確に描いていて、その手捌きはたいしたものと見ました。そして「万引き家族」「海炭市叙景」の近藤龍人キャメラが妻夫木、安藤、窪田の、またでんでんをはじめとする助演陣の好演、柄本明の怪演をときに雨や鏡を添えて強い印象をもたらします。

余談ながら、帰宅し、晩酌しながら大相撲の録画を見ていると、アナウンサーが、平戸海は長崎県出身、サッカー日本代表の森保監督も長崎県出身、といっていて映画の余韻がここにも及んできました。うーん「教えてください、私が私であることを」。さっそく平野啓一郎の原作を読んでみよう。

(十一月二十二日TOHOシネマズ日本橋

百年の不作

人間がまちがいをしたとき、どんな事態がもちあがるか。

弁護士がまちがいをすれば控訴を引き受けるまで、理髪師のばあいは髪の毛をもっと短く刈り込めばよい、医者だったらお葬いをすれば済む。ならばひとり者はどうか。

薄田泣菫の答はこうだ。

「独身者が間違ひをした時には、死ぬるまでその間違ひと一緖に暮らさなければならぬ」(『茶話』所収「間違ひ」より)

だったら別れるとよいのにとお節介を焼くのは野暮で、離婚未満のところでなんとかいっしょに暮らしているわけだ。

ひとり者が伴侶の選択をまちがった。しかし破局にまでは至らず、渋々ながらともに生活する、つまり不作である。悪妻を持った失敗を「百年の不作」という。「自分のことは棚に上げ、理想像とは程遠い細君を不覚にももらった、と結婚後しばらくたってから漏らす愚痴(する批評)」である。

もちろんこれは男の得手勝手で、男女平等の世のなかで不作の嘆きは夫に限らない。というより女が碌でもないない男と結婚した後悔の不作が多数のような気がする。

なお、うえの「自分のことは棚に上げ」云々の語釈は「新明解国語辞典」のもので「広辞苑」の「一般に、できの悪いこと。失敗作。」「明鏡国語辞典」の「よい人材や作品があらわれないこと」と比較して新解さんがどれほど優れものかがよくわかる。

「百年の不作」と関連することわざに「好き連れは泣き連れ」がある。

「ことわざ選集」というブログには「好いた同士は泣いても連れる、に同じ。恋愛の末に結ばれた夫婦は、お互いに恋人時代の夢が破れて、欠点だけが目につき、家庭生活は不幸になる事が多いが、今更親や世間に苦情をもって行くわけにもゆかず、泣く泣く一緒に暮らすものが多い」と説明があった。

生涯の伴侶と思い定めて夫婦となったのに「好き連れは泣き連れ」で涙の一生となったカップルには同情するほかないけれど、あれこれ比較し、選択するのは人間の宿命であり、厄介は尽きない。総理大臣、議員、社長、学長などで選択にまちがいがあれば不作を通り越して飢饉になるかもしれない。

「人間が、自分自身で、しかも、賢く、選べるものならば、『好き連れは泣き連れ』という問題はない。しかし、ひとが賢くなるには、自分の失敗とその反省が必要である。そして、少々賢くなった時、もう余命がないのが、人間お互いである」(京極純一『文明の作法』)。加えて死んでも反省しないやつがいる。

「アムステルダム」

ナチス絡みの素材をおしゃれに仕上げたエンターテイメント作品です。

第一次世界大戦直後から一九三0年代にかけてのアムステルダムやニューヨークのノスタルジックな映像、「ダイナ」「ピーナッツベンダー」など当時のヒット曲、あの時代に似合いの役づくりをした演技陣、そして米国におけるナチズムの台頭が絡む緊迫したストーリー。

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第一次世界大戦で米国から参戦し、戦地で知り合ったバート(クリスチャン・ベール)とハロルド(ジョン・デビッド・ワシントン)という二人の兵士と看護師のヴァレリーマーゴット・ロビー)は戦後もアムステルダムにとどまり傷病者の治療と看護に当たっていました。白人で医師のバート、看護にあたる黒人兵士のハロルド、白人女性の看護師ヴァレリーという当時にあっては稀有なトリオは時間をともにするなかで親友となりましたが、妻への思いが募るバートの帰国で共同生活は終わります。

そして一九三0年代のニューヨーク。医師を続けるバート、弁護士となったハロルド、しかしヴァレリーは行方不明で、再会は叶っていません。

ある日、バートは戦時中の上官の娘から、父の死が不審だと、死体解剖を依頼されます。解剖結果は彼女の推察通り毒殺で、そのことをバートとハロルドが伝えた瞬間彼女は何者かに車道に突き飛ばされ、車に撥ねられて死亡、二人の男は容疑者として追われる身となってしまいます。

濡れ衣を着せられた二人は疑いを晴らすほかなく、ここのところは追跡される「相棒」といった雰囲気で、やがて二人はナチスの関わる世界的な陰謀のなかにいることに気づきます。そこに奇妙なかたちで陰謀集団と接点を持ったヴァレリーが再登場、また殺された上官の盟友で元将軍ギル(ロバート・デ・ニーロ)がアムステルダムのトリオを吹き飛ばすほどの儲け役で出現します。

ストーリーはけっこうシリアス、心身にもたらされた戦争の傷痕も深い(バートは片目を失っています)、けれどアムステルダムの三人は軽いノリで飄々と陰謀集団と対峙します。シリアスと軽いノリの塩梅をどうみるかで評価は割れるでしょうが、わたしはよい味を出していると思いました。

監督は「アメリカン・ハッスル」「世界にひとつのプレイブック」のデビッド・O・ラッセル。豪華キャストを配し、ある巨大な陰謀に巻き込まれた三人の男女の行く末を史実とフィクションを巧みに交えて描いています。

(十一月三日 TOHOシネマズ日比谷)

東京レガシーハーフマラソン2022

十月三日、第二百十国会(臨時会)の開会式が、天皇陛下御臨席のもとに行われた。これをよい機会ととらえたか、岸田首相は政権発足時からの政務秘書官を代え、自身の長男を就かせたと公表した。批判的な論調はけっこう多いが「適材適所」で余人を以て代え難かったのだろう。

ただ、首相はこの人事のリアクションを予想し、それでもなお押し切ったのか、あるいは予想もしなかった反応に驚いているのか、そこのところが気がかりである。

長男の人事にそれなりの批判はあると織り込み、あえて決然断行したのなら、政界における父と息子つまりはお世継ぎのあり方として疑問は残るが、しょせんは任命権者の権限というほかない。いっぽう首相やその取り巻き連中が、この人事への批判を予想していなかったとすれば、見通しと読みの浅さは政治家の資質に関わる。

内閣発足から一年を迎えた時期の長男をめぐる人事は、低落する支持率を考えるとタイミングがよくないといった忠告が周囲から発せられていれば多少はなぐさめになる。忠告を役立てるか否かは首相の問題であり、「人の話をよく聞く」を特技と述べた方であってもこの話は聞けなかったわけだ。

ラ・ロシュフコー箴言集』 に、他人からのよい忠告を役立てるのにも、自分の心に相談するときに劣らず、それなりの才覚が必要だとあった。首相にこの才覚、あるのかな?

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ラ・ロシュフコー箴言と考察』はこれまで内藤濯訳、ついで二宮フサ訳の岩波文庫で読み、さきごろ講談社学術文庫でも『箴言集』(武藤剛史訳)が刊行されているのを知り、いまその頁を開いている。

ほとんどご縁のないフランス文学だけれど、なかでラ・ロシュフコーモンテーニュは愛読している。フランスのモラリストといえばモンテーニュパスカルラ・ロシュフコーラ・ブリュイエールの名前が浮かぶ。河盛好蔵は「フランスのモラリスト Ⅰ」でモラリストの特質についてこう指摘している。

云く、その輝かしさと、それに劣らぬ多様さとを以て、人間の心を観察、描写したフランスの精髄を代表する人々、観念の人であるよりもむしろ真摯な生活者で、かれらの窃かな観察、低い声の閑談のうちにこそ、その特質が宿っている。

ここで連想するのは『徒然草』で、モラリストたちは兼好法師と相通じていて、わたしがかれらに親しみを覚えるのはこのためだ、というのがわが独断である。

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三田佳子の次男がまたまた覚醒剤を使用した疑いで警視庁に逮捕された。いまさら驚くほどのニュースではないが、そういえば現職時に覚醒剤についての研修会があった。講師はわたしとおなじ団塊の世代学生運動にのめり込み挫折した果てに覚醒剤を常用するようになり、そこから努力して立ち直った方で、覚醒剤に較べるとシンナーや大麻はクスリのうちに入らないなんておっしゃっていて、ひそかに笑ってしまった。

大沢在昌『毒猿 新宿鮫2』を読んでいると「覚醒剤は、押収すれば新聞記事になるし、功績として評価が高い。反面、トルエンやシンナーは、覚醒剤に比べれば、制服警官の領域であり、子供の遊び道具といった見方をされている。だが、中毒者以外に、被害者を生み出す点では、覚醒剤にひけをとらない」とあり、研修会の講師の話と併せこの世界にも人々の大好きな比較と競争、分類とランクづけがあるんだと納得した。

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ラ・ロシュフコーはいう「お追従は、われわれの虚栄心によってしか通用しない贋金である」。( 武藤剛史訳 )

こびへつらい、おべっかが贋金とは多くが知る。だからといって衷心からの忠告や助言が歓迎されたりはしない。あれこれご意見したため、いらぬお世話と相手に恨まれてはたまらない。贋金でご機嫌をとられたときは偉ぶらず謙虚、謙遜が大切である。しかしここにもラ・ロシュフコーの眼光は炯々として人間を射る。

「謙遜は、たいていの場合、他人を服従させるために、服従するふりをしているにすぎない。それは傲慢が考え出した演技であり、人のうえに立つために、へりくだるのである。傲慢は変幻自在とはいえ、謙遜の仮面をかぶったときほどに、うまく変装し、うまく人を騙すことはない」(同)

人のうえに立つために、へりくだる、それは傲慢が考え出した演技だ。この心性がどこの国でも見られる現象かどうかは知らない。しかし日仏両国にあっては共通していてラ・ロシュフコーの指摘は日本語では「慇懃無礼」となる。へりくだる、頼まれもしない世話をやく、その下には何が隠されているかわからない。

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十月六日。冷たい雨のなか久しぶりにお気に入りの日本橋で買物をし、そのあとTOHOシネマズ日本橋で「ダウントンアビー 新たなる時代へ」を観た。この劇場第二作ではダウントンのお屋敷で映画の撮影をしたいとハリウッドのスタジオからオファーがあり、折しも広大な屋敷の屋根の修繕費の捻出に頭を悩ませていた長女メアリーは高額の謝礼が出ると知ると父の反対を押し切り、申し出を受ける。

撮影ははじめサイレントの予定だったのが、会社の方針変更でトーキーとなる。一九二0年代末、トーキーへの移行期で、お屋敷では「雨に唄えば」を彷彿させるてんやわんやの騒動がはじまった。

撮影のあいだ当主のロバート夫妻は南仏リヴィエラにいた。ロバートの母親が突如フランスの貴族から遺産としてここにある別荘の寄贈を受けたことの経緯を明らかにするためである。かつての恋模様が絡んでいるらしく、調査結果によってはロバートの出自に関わる。イングランドリヴィエラ二都物語である。

フランス滞在中、ロバート夫妻は一夜パーティーに招かれ、ここで黒人の女性歌手が歌ったのがBlues My Naughty Sweetie Gives To Me。よい曲を思い出させてくれました。歌いっぷりもよかった「お茶目なあの娘がくれたブルース」。

TVドラマ版、劇場第一作そしてこの第二作、いずれもイギリスの階級についてあれこれ考えたりしない限り、それぞれがしかるべきところに収まる予定調和の楽しく、魅力的なドラマ、そしてダウントンのお屋敷やその周辺の美しい映像がうれしい。

夜は晩酌しながら「お茶目なあの娘がくれたブルース」を数ヴァージョン聴いた。

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十月十六日の東京レガシーハーフマラソン2022に向けて先日からお酒を止している。ネットで指導を受けているコーチは、できればひと月、少なくても一週間は酒類を口にせず、アルコールを分解する内臓の力をも走るほうに振り向けるべきだとおっしゃっていた。ひと月は無理なので「少なくても」のほうをチョイスさせていただいた。

もちろんこれまでもレース前にはお酒は入れなかったけれど、せいぜい二、三日のことで一週間は最長である。家族は、ひと月とか一週間の禁酒は自己ベスト更新を目標にする方のためで、お父さんはどうしようとよいのでは、と言ってくれたが、わたしは指導はけっこう律儀に守るタイプなのだ。

晩酌の日はご飯をたべないから、ご飯を前にした夕食が装い新たな風景のようで、これならひと月の酒断ちだってできるかもしれないと思うようになった。そうなると今度は、スマホによる出走手続きは遺漏なくできているかとかPCR検査で引っかかったらどうしようといったことが気になってくる。浜の真砂は尽きるとも、わが憂いは尽きない。

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十月十四日。国立競技場で、明後日のレガシーハーフのエントリーをした。電子チケットは届いていたが、顔写真や健康チェックの記載など不備がないか心配だった。結果はミスなくエントリーができ、最終関門のPCR検査も陰性だった。

エントリーは混雑を避けるため時間が指定されており、それでも相当数が列を作っている。みなさん速そうで「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ」(石川啄木)といった気持になった。

ともあれ明後日のレースでわたしにできるのはタイムや順位など雑念を排し愚直に走ることだけだ。所定時間内にフィニッシュできるよう願っている。

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十月十六日。はじめて催される東京マラソンのハーフ版、東京レガシーハーフ2022を走った。主催する東京マラソン財団の速報値は2:11:43のフィニッシュだがアプリによる計測では2:08:20で、アシックスではこちらが登録された。もちろん後者を私的公式記録にしよう(笑)。

このレースは国立競技場のトラックでスタートし、またフィニッシュする。スタートは8:00と8:20に分れていて、わたしはあとの組。

この日は4:00起床、ストレッチのあとシャワー、朝食は六枚切りの食パン一枚にマヨネーズを塗りチーズを載せトースト、それとリンゴ1/2個、ドリンクはヨーグルトと蜂蜜を炭酸水で割った。

6:30国立競技場入場、荷物預けの前にバナナをひとつたべ、そうして整列。国立競技場のトラックを走るのは気持よく、完走者へのメダルにも国立発着が刻されているのもうれしい。

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帰宅後は昼食、NHKEテレでNHK杯囲碁を見たあと東京マラソン財団から支給されたチケットで千駄木の銭湯でいつもより長めに身体を癒した。

銭湯から帰ると、Jスポーツで大学ラグビー慶應対筑波を観戦。夕刻、神保町のお蕎麦屋さんで友人との酒席に臨んだ。

つぎは来年三月の東京マラソン(フルマラソン)だ。しっかりトレーニングしなくては。

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英語学習テキストOXFORD BOOKWORMSでディケンズ『大いなる遺産』を読んだ。テキスト難易度の六段階のうちいまレベル五にいて、残るはジェイン・オースティン『分別と多感』、エミリー・ブロンテ嵐が丘』の二作品、ともに映画でストーリーは知っているから順調に進むよう願っている。

『大いなる遺産』はむかしデヴィッド・リーン監督の同名映画(1946年)を観てい、そのあとアルフォンソ・キュアロン監督版(1998年)とマイク・ニューウェル監督版(2012年)があり、二0一一年にはBBCがテレビドラマ化している。読み終えた記念に映像作品すべてを鑑賞しよう。

ちなみにレベル六には、ジョイス『ダブリン市民』、シャーロット・ブロンテジェイン・エア』、ディケンズオリバー・ツイスト』、ジェーン・オースティンプライドと偏見』、トーマス・ハーディ『テス』、サッカレー『虚栄の市』、ウィルキー・コリンズ『白衣の女』が収められている。お楽しみはこれからだ。

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エリザベス女王が亡くなったのを機に「ザ・クラウン」(Netflix)を視聴していて、いまのところ最終の第四シーズンまで来た。折よく「プリンセス・ダイアナ」が公開され、このドキュメンタリー作品も観た。そうしたところへ「スペンサー ダイアナの決意」という劇映画があるのを知り、ついでのことに日比谷の映画館へ行った。イギリスのロイヤルファミリーはエンターテイメントの供給元の資格十分だ。

映画は気に入った作品だけ言及するようにしている。それほどでもない作品については所感を述べないこともひとつの批評でわざわざ言挙げしなくても沈黙でやり過ごせばよい。しかし「スペンサー ダイアナの決意」には黙っていられなくなった。

劇映画だからどんなふうにダイアナ妃を描くかは作家に任されている。リアルのダイアナとは別にフィクションのダイアナがいる。両者を比較するのは馬鹿げているし、そのつもりもない。それにしてもこの映画のダイアナ妃は酷かった。

一九九一年のクリスマス休暇。王族たちがエリザベス女王の私邸サンドリンガム・ハウスに集まり、平穏で何事もなかったように過ごしている。ダイアナを除いて。このとき彼女はその後の人生を変える決断をしたといわれる、。チャールズ皇太子との夫婦関係は冷え切り、息子たちといっしょの時間を除いて彼女の居場所はなく、限界状況に追い込まれていた。

こうした環境は理解できても、この作品のダイアナがセルフコントロールを欠いたまま王室における生活の重苦しさと緊張をひたすら一方的、独善的に表現し続けたのには呆れてしまった。彼女の苦悩を描く意図はわからないでもないけれど、その押し売りに辟易し、嫌悪感を覚えた。

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子母澤寛『味覚極楽』にある実業家鈴木三郎助の話。

朝は麦めしに味噌汁と決めていて、味噌汁の味噌を日本国中の産地という産地から取り寄せてみたが、自分が、これだと満足するものがなくて、とうとう自分がこしらえて、仕込みから一年たったものを順に食べている。旅行の際は宿屋の味噌汁の実はそのままにして、汁は捨てて自分の味噌を入れ、熱い湯をさして食べている。

聞き手の子母澤寛が、旅でなかなかよい味噌汁に出会えないというと、お気に入りの味噌へ葱を細かに切ったのと、いい鰹節を入れて小さな味噌玉をつくり、熱い湯をもらって注げばよいと説いている。どうです、この味噌へのこだわり。

土井善晴『一汁一菜でよいという提案』を読んで以来、味噌汁に関心を寄せているが、鈴木三郎助ほど一汁にこだわったエピソードはほかには知らない。土井善晴氏にはこだわりの味噌汁をめぐる随筆や小説、ちょっといい話のアンソロジーを期待したい。

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小春とは旧暦の十月をいうから、ことしは十月二十五日から十一月二十三日が小春である。『徒然草』百五十五段には「秋はすなはち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ」とあるから中世には用いられていた。ただし由来は中国で『荊楚歳時記』に、春に似る故に小春とある。

小春、小春日和。冬の寒さを迎える前にほっと一息つくような感じのする素敵な言葉だが、世界情勢はそうした気持とは裏腹なのが残念だ。ウクライナはまもなく厳寒の季節を迎えるが、そのまえに幾日かでも小春日和があってほしいと願っている。

「飴のごと伸びて猫跳ぶ小春かな」今瀬一博

英語ではIndian summerとされ、辞書には秋ないし初冬に晴天が続き、日中は高温、夜間は冷えこむ特異な期間をいう、北アメリカ東部のニューイングランド地方でひんぱんに使用されていた語だが,現在では英語を話す各国で用いられ,日本の小春日和にほぼ相当するとある。ほかに回春をいうとも。好きだねえ。

 

『茶話』のあとに

電子本『薄田泣菫茶話全集』を読み終えた。全八百十一篇のコラムの集成を廉価で提供していただき大いに感謝、また初出通り歴史的仮名遣いを用いているのもうれしい。四十代だったか、冨山房百科文庫版全三巻を読んで以来のめぐりあいで、かつてより今回は味わい深い読書ができたと自讃している。

茶話(ちゃばなし)すなわち茶飲み話のような気軽な世間話をいう。これを大阪毎日新聞の記者だった薄田泣菫が連載コラムの総題とした。有名、無名を問わず人々の逸話やゴシップを幅広く取り上げ、寸評を交えながら簡潔にして諧謔に富んだコラムは人気を博し、一九一五年(大正四年)から一九三0年(昭和五年)にかけて書き継がれた。

たとえば音楽批評家について「音楽は最高の芸術であるが、その音楽の批評家となるには、 二つの資格が要る。一つには音楽が解つてはならない事、 二つには解らない癖にお喋舌(しやべり)をしたい事、 この二つをさへ兼ねる事が出来たなら立派な音楽批評家になり得る 」。これを延長すれば政治評論家に行き着くのではないかな。

あるいは京大教授で歴史学者の内田銀蔵が、靴を小包にして東京へ送ろうとしていたところ、ひとりの学生が、先生なぜそんなことしてるんですと訊ねた。先生は、東京で買った靴の裏がずいぶん傷んだので、東京の靴屋へ送ると応えた。学生がわざわざ東京へ送らなくても靴の修繕なら京都でできますよというと先生ビックリ。

京大教授の歴史学者は、東京で買った靴の修理が京都でもできるんですかとあらためて学生に質問した。それへの学生の受け応えがいい。「京都の靴屋でも立派に手入れはできますよ。ちょうど学問の仕入れが京都大学でもできるようなものです」。そして先生は「そうでしたか、ちっとも知りませんでした」と驚いた。内田銀蔵の「ちょっといい話」である。

学校と世間の両方に通じているひとがいるいっぽうに学校、もしくは世間だけに通じているひとがいる。どうやら内田博士は世間のほうは苦手だったようだ。東京で買った靴でも修繕は京都でもできますと説いた学生はどうだっただろう。

薄田泣菫は一八七七年の生まれ、詩人としての集大成『白羊宮』を一九0六年に刊行したあと次第に活動の場を散文に移し、一九一二年に大阪毎日新聞に入社、三年後に「茶話」の連載をはじめたのだった。

『私の随想選』全七巻のなかの一巻を『私の茶話』としたフランス文学者の河盛好蔵は泣菫のコラムに寄せて「時の人についての面白い逸話やゴシップで話を始め、それをパン種にして卓抜な社会時評や人物論にふくらませてゆくというのがそのパターンで、エスプリのよく利いた名文と、大読書家としての深い教養によって、その各篇が小傑作といってよい面白い読物であった。当時中学生だった私はこの『茶話』に夢中になり、自分もいつかこんな読物を書けるようになりたいと念願していた」と思い出話を披露している。

なお泣菫は 一九一七年にパーキンソン病に罹ったが「茶話」は続き、ほかにも随筆集が刊行されている。歿したのは 一九四五年十月九日、六十八歳だった。

          

 

『キャッチ・アンド・キル』~ #Me Tooの起爆となったノンフィクション

ローナン・ファロー『キャッチ・アンド・キル』(関美和訳、文藝春秋)は映画プロダクション「ミラマックス」の設立者で、数多くの名作を手がけてきたハーヴェイ・ワインスタイン(わたしの大好きな「パルプ・フィクション」や「シカゴ」もこの男のプロデュース)が性犯罪の常習者であることを明るみにし、また#Me Too運動の起爆のひとつとなったノンフィクションだ。闇の奥にある事実を掘り起こす筆致は息詰まるほどサスペンスに満ち、同時に怒りを呼ぶ。

キャッチ・アンド・キルは、スキャンダルを捕えて抹殺すること、すなわち性犯罪を闇に葬る手法をいう。権力者が犯したセクハラ、レイプの被害者から当の権力者を守るための組織が、多額の示談金と引き換えに被害者に秘密保持契約を結ばせ、もしも口を開けば損害賠償を請求する、そうした脅迫が繰り返されていた。

名乗り出て告発した女性は傘下のジャーナリズムが信用をズタズタにし、貶めて追い詰める。犠牲者が略奪者に仕立て上げられてしまう。 怖くて何も言えなくなってしまうと示談に応じるほかなくなる。

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ニューヨークタイムズ紙がハーヴェイ・ワインスタインの数十年におよぶ性暴力と虐待の実態を告発する記事を掲載したのは二0一七年十月、記事によると、かれは一九九0年代から社内の女性スタッフや自社作品に出演する女優、若い女優志願者などに暴行と虐待を繰り返していた。

そうした実態があることを知る人はいたが多くは恐れて口を閉ざしていた。あるベテラン女性記者は、ワインスタインの性犯罪の噂は「いにしえの昔から」しょっちゅう聞いて、一度だけ詰め寄ったこともあったが報道までは至らなかった。もう少しのところで掲載が見送られた事例もあったがニュースとするところまでは誰もたどり着けなかった。( ここでわたしは思わず掲載不可となった記事を集めた文書館があればよいのにと夢想した。)

それでも本書が示すように、米国にはあきらめず、メスを入れるジャーナリズムの存在があるのは頼もしい。

ある女性ジャーナリストはワインスタインの事件は「報道界の白鯨」「絶対に捕らえられない事件」と語った。その比喩を借りると著者ローナン・ファローは実名で事実を告白した勇気ある女性とともに「白鯨」を捕らえたのである。

もとより事件は突然の出来事ではない。ワインスタインのセックス・スキャンダルは「ハリウッドでは全員が、本当に一人残らず、何が起きているかわかっていた」という人もいるほどだ。どうしてわかっていたか、おそらく映画の歴史のはじめから映画業界がそういうところだったからだろう。

ずいぶん前に読んだダリル・フランシス・ザナックの伝記に、午後の決まった時間はどんな者であれお出入り禁止、この時間帯が『わが谷は緑なりき』『イヴの総て』などを手がけた名プロデューサーのセックスタイム、お相手は撮影所の女性たちとあったのを憶えている。ワインスタインの事件はいまにはじまったことではない。

「金と権力がものを言うんです。法制度がそれを許しているんですよ。ハーヴェイ・ワインスタインがずっと同じことをやり続けられたのは、それが許されたからだし、それは私たちのせいなんです。そういう文化を作った私たちの責任です」という証言は痛切に響く。

ワインスタインの被害者のひとりロザンナ・アークエット(出演作に『グラン・ブルー』『パルプ・フィクション』など、監督作品に『デブラ・ウィンガーを探して』)は「映画業界は権力を持った男たちのクラブなの。ハリウッドマフィアのね。彼らはお互いにかばいあっている」と語る。もちろんこのクラブの歴史は長い。

海の向こうだけの話ではない。性被害の疑惑で逮捕寸前の人物に対し当時の警視庁刑事部長(のち警察庁長官、安倍元首相の殺害事件で引責辞任)が逮捕状執行の取り消しを命じたのは記憶に新しい。仮に安倍内閣は関係していないとしても首相として事実の究明を怠ったことは否定できない。自民党はこうしたところも「思いを受け継ぐ」と考えているのだろうか?

なお著者ローナン・ファローの母はミア・ファロー。すなわち父親はウディ・アレン。本書でもミアの目を盗んでウディ・アレンがローナンの義姉ディラン・ファローに性暴力に及んだとされる出来事は影を落としている。

(これについては本ブログhttps://nmh470530.hatenablog.com/entry/2022/02/25/000000を参照してみてください。)

ロシアを憎む

ロナルド・レーガン大統領がソ連を公然と「悪の帝国」と断じたのを思えば現職のアメリカ大統領はいささか迫力に欠ける。

失礼ながらバイデン大統領を優れた政治家とは評価しない。就任早々、アフガニスタンからの自国民の引き上げや現地協力者の脱出で大チョンボをやらかしたり、ロシアのウクライナ侵攻を前にわざわざアメリカは派兵しないと言ってみたり。せめて核や原発に波及するなら重大な決意で臨むくらいのことは言明すべきではなかったか。

それはともかくロシアのウクライナ侵略で、自分にこれほど憎しみのエネルギーが残っていたかと驚いている。人格円満になり、市井でつつましく暮らす老爺が久しく覚えなかった感情のたかぶり、そしてこれからの人生、憎しみの感情はプーチンのロシアに傾注させて生きようと決めた。一部は中国が台湾に侵攻したときと北朝鮮がわが国に戦争を仕掛けてきた際に残しておかなければならないが、ま、そうなればそのときで、いまを生きよう。

と、考えていたところ九月三十日未明ニューヨークにあるロシア領事館の壁に赤い塗料が撒かれているのが見つかった。ウクライナ侵攻への抗議とおぼしい。そんなことせず、言論で闘うべきだと頭は言っているけど、心はその気持よくわかると囁いていて、ロシアが不愉快になるのならよいじゃないかとアナーキーな気分が覆っている。

今後の人生、憎しみの感情はプーチンのロシアに向けると決めた途端の赤い塗料事件であった。

また先日はニュースで、ロシアのバレー団が来日して公演を行ったと知り、この時期にわざわざロシアからバレー団を呼ぶ興行屋がいるかと驚き、呆れた。

政治、軍事と文化、芸術とは異なるという議論があるのは知っているけれどいくら何でも許容範囲がある。わたしの感覚ではいまロシアが行っている蛮行と、日本国内でのロシアバレー団の興行は相容れない。

ならば許容範囲はどこらあたりをいうか。現在ロシアはウクライナの民間人を殺し、発電所をはじめ多くの生活インフラを破壊している。少くともこうした蛮行がなければロシアのバレー団もありかとは思うが、現状で心の赴くままをいえばロシア人の入国禁止を望みたい。バレー団を経由して敵を利することがあってはならない。

子供のころ、上杉謙信武田信玄に塩を送った故事を知った。信玄の領土、甲斐の国は海から隔たり、そのため塩の供給を東海道の北条氏に頼っていた。ところが北条氏が信玄の勢力の弱体化を図り、塩の供給を中止した。信玄の窮状を知った敵方の謙信は「我、公と争う所は弓箭にありて、米塩にあらず。請う、いまより以て塩を我が国に取られ候へ」と書状を送った。この真逆にプーチンがいる。