「ある男」~ミステリーとアイデンティティ

上映が終わるとともに拍手をしたくなり、次にはそんなに興奮しちゃだめ、もっと心を落ち着けてじっくり考えなきゃいけないと思ったり、よい意味で穏やかな気持ではありませんでした。

また、わたしのなかでは「伽倻子のために」「Go」「パッチギ」などの系譜にもうひとつ素敵な作品が加わりました。

弁護士の城戸(妻夫木聡)が、亡くなった夫の身元調査という奇妙な依頼を受けます。依頼人の里枝(安藤サクラ)は離婚を機に幼い息子の悠人を連れて故郷へ帰り、やがて出会った谷口大祐(窪田正孝)と再婚して女児、花が誕生、悠人も新しい父親になつき円満な家庭生活を営んでいました。ところが結婚四年目に夫が不慮の事故に遭います。そこへ長年疎遠だった大祐の兄が、遺影は大祐ではないと話したことから、愛した夫が全くの別人だったと判明します。

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城戸弁護士の調査がはじまります。男=Xは何者で、いかなる人生の軌跡をたどったのか、どうして、どうやって他人になりすましたのかといった謎の提出にワクワクしていると、「どうして」のところでXの出自が関わってきます。「自分が自分であること」に耐えられない心性と、他人の名を騙って自分以外の人物のふりをすることとのつながりが微かに見えてきたのです。こうしてXの謎を探るミステリーに、アイデンティティ、出自、差別の問題が重なります。これはまた調査する城戸弁護士もかねてから心に懐いていた問題でもありました。

継父Xの謎が明らかになったとき、息子悠人は中学生になっていて、母の里枝に、妹が理解できるようになれば「僕から話すよ」と語ります。生まれたときの姓は両親の離婚により母の姓に変わり、母の再婚とともに継父の姓である谷口となり、しかしXは谷口姓ではなかった。ずいぶん戸惑っていた息子のいまの言葉でした。そう、この作品は一面で子供の成長の物語でもあります。

これらのテーマが融合する物語を脚本向井康介、監督石川慶は巧みに、的確に描いていて、その手捌きはたいしたものと見ました。そして「万引き家族」「海炭市叙景」の近藤龍人キャメラが妻夫木、安藤、窪田の、またでんでんをはじめとする助演陣の好演、柄本明の怪演をときに雨や鏡を添えて強い印象をもたらします。

余談ながら、帰宅し、晩酌しながら大相撲の録画を見ていると、アナウンサーが、平戸海は長崎県出身、サッカー日本代表の森保監督も長崎県出身、といっていて映画の余韻がここにも及んできました。うーん「教えてください、私が私であることを」。さっそく平野啓一郎の原作を読んでみよう。

(十一月二十二日TOHOシネマズ日本橋