東京レガシーハーフマラソン2022

十月三日、第二百十国会(臨時会)の開会式が、天皇陛下御臨席のもとに行われた。これをよい機会ととらえたか、岸田首相は政権発足時からの政務秘書官を代え、自身の長男を就かせたと公表した。批判的な論調はけっこう多いが「適材適所」で余人を以て代え難かったのだろう。

ただ、首相はこの人事のリアクションを予想し、それでもなお押し切ったのか、あるいは予想もしなかった反応に驚いているのか、そこのところが気がかりである。

長男の人事にそれなりの批判はあると織り込み、あえて決然断行したのなら、政界における父と息子つまりはお世継ぎのあり方として疑問は残るが、しょせんは任命権者の権限というほかない。いっぽう首相やその取り巻き連中が、この人事への批判を予想していなかったとすれば、見通しと読みの浅さは政治家の資質に関わる。

内閣発足から一年を迎えた時期の長男をめぐる人事は、低落する支持率を考えるとタイミングがよくないといった忠告が周囲から発せられていれば多少はなぐさめになる。忠告を役立てるか否かは首相の問題であり、「人の話をよく聞く」を特技と述べた方であってもこの話は聞けなかったわけだ。

ラ・ロシュフコー箴言集』 に、他人からのよい忠告を役立てるのにも、自分の心に相談するときに劣らず、それなりの才覚が必要だとあった。首相にこの才覚、あるのかな?

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ラ・ロシュフコー箴言と考察』はこれまで内藤濯訳、ついで二宮フサ訳の岩波文庫で読み、さきごろ講談社学術文庫でも『箴言集』(武藤剛史訳)が刊行されているのを知り、いまその頁を開いている。

ほとんどご縁のないフランス文学だけれど、なかでラ・ロシュフコーモンテーニュは愛読している。フランスのモラリストといえばモンテーニュパスカルラ・ロシュフコーラ・ブリュイエールの名前が浮かぶ。河盛好蔵は「フランスのモラリスト Ⅰ」でモラリストの特質についてこう指摘している。

云く、その輝かしさと、それに劣らぬ多様さとを以て、人間の心を観察、描写したフランスの精髄を代表する人々、観念の人であるよりもむしろ真摯な生活者で、かれらの窃かな観察、低い声の閑談のうちにこそ、その特質が宿っている。

ここで連想するのは『徒然草』で、モラリストたちは兼好法師と相通じていて、わたしがかれらに親しみを覚えるのはこのためだ、というのがわが独断である。

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三田佳子の次男がまたまた覚醒剤を使用した疑いで警視庁に逮捕された。いまさら驚くほどのニュースではないが、そういえば現職時に覚醒剤についての研修会があった。講師はわたしとおなじ団塊の世代学生運動にのめり込み挫折した果てに覚醒剤を常用するようになり、そこから努力して立ち直った方で、覚醒剤に較べるとシンナーや大麻はクスリのうちに入らないなんておっしゃっていて、ひそかに笑ってしまった。

大沢在昌『毒猿 新宿鮫2』を読んでいると「覚醒剤は、押収すれば新聞記事になるし、功績として評価が高い。反面、トルエンやシンナーは、覚醒剤に比べれば、制服警官の領域であり、子供の遊び道具といった見方をされている。だが、中毒者以外に、被害者を生み出す点では、覚醒剤にひけをとらない」とあり、研修会の講師の話と併せこの世界にも人々の大好きな比較と競争、分類とランクづけがあるんだと納得した。

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ラ・ロシュフコーはいう「お追従は、われわれの虚栄心によってしか通用しない贋金である」。( 武藤剛史訳 )

こびへつらい、おべっかが贋金とは多くが知る。だからといって衷心からの忠告や助言が歓迎されたりはしない。あれこれご意見したため、いらぬお世話と相手に恨まれてはたまらない。贋金でご機嫌をとられたときは偉ぶらず謙虚、謙遜が大切である。しかしここにもラ・ロシュフコーの眼光は炯々として人間を射る。

「謙遜は、たいていの場合、他人を服従させるために、服従するふりをしているにすぎない。それは傲慢が考え出した演技であり、人のうえに立つために、へりくだるのである。傲慢は変幻自在とはいえ、謙遜の仮面をかぶったときほどに、うまく変装し、うまく人を騙すことはない」(同)

人のうえに立つために、へりくだる、それは傲慢が考え出した演技だ。この心性がどこの国でも見られる現象かどうかは知らない。しかし日仏両国にあっては共通していてラ・ロシュフコーの指摘は日本語では「慇懃無礼」となる。へりくだる、頼まれもしない世話をやく、その下には何が隠されているかわからない。

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十月六日。冷たい雨のなか久しぶりにお気に入りの日本橋で買物をし、そのあとTOHOシネマズ日本橋で「ダウントンアビー 新たなる時代へ」を観た。この劇場第二作ではダウントンのお屋敷で映画の撮影をしたいとハリウッドのスタジオからオファーがあり、折しも広大な屋敷の屋根の修繕費の捻出に頭を悩ませていた長女メアリーは高額の謝礼が出ると知ると父の反対を押し切り、申し出を受ける。

撮影ははじめサイレントの予定だったのが、会社の方針変更でトーキーとなる。一九二0年代末、トーキーへの移行期で、お屋敷では「雨に唄えば」を彷彿させるてんやわんやの騒動がはじまった。

撮影のあいだ当主のロバート夫妻は南仏リヴィエラにいた。ロバートの母親が突如フランスの貴族から遺産としてここにある別荘の寄贈を受けたことの経緯を明らかにするためである。かつての恋模様が絡んでいるらしく、調査結果によってはロバートの出自に関わる。イングランドリヴィエラ二都物語である。

フランス滞在中、ロバート夫妻は一夜パーティーに招かれ、ここで黒人の女性歌手が歌ったのがBlues My Naughty Sweetie Gives To Me。よい曲を思い出させてくれました。歌いっぷりもよかった「お茶目なあの娘がくれたブルース」。

TVドラマ版、劇場第一作そしてこの第二作、いずれもイギリスの階級についてあれこれ考えたりしない限り、それぞれがしかるべきところに収まる予定調和の楽しく、魅力的なドラマ、そしてダウントンのお屋敷やその周辺の美しい映像がうれしい。

夜は晩酌しながら「お茶目なあの娘がくれたブルース」を数ヴァージョン聴いた。

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十月十六日の東京レガシーハーフマラソン2022に向けて先日からお酒を止している。ネットで指導を受けているコーチは、できればひと月、少なくても一週間は酒類を口にせず、アルコールを分解する内臓の力をも走るほうに振り向けるべきだとおっしゃっていた。ひと月は無理なので「少なくても」のほうをチョイスさせていただいた。

もちろんこれまでもレース前にはお酒は入れなかったけれど、せいぜい二、三日のことで一週間は最長である。家族は、ひと月とか一週間の禁酒は自己ベスト更新を目標にする方のためで、お父さんはどうしようとよいのでは、と言ってくれたが、わたしは指導はけっこう律儀に守るタイプなのだ。

晩酌の日はご飯をたべないから、ご飯を前にした夕食が装い新たな風景のようで、これならひと月の酒断ちだってできるかもしれないと思うようになった。そうなると今度は、スマホによる出走手続きは遺漏なくできているかとかPCR検査で引っかかったらどうしようといったことが気になってくる。浜の真砂は尽きるとも、わが憂いは尽きない。

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十月十四日。国立競技場で、明後日のレガシーハーフのエントリーをした。電子チケットは届いていたが、顔写真や健康チェックの記載など不備がないか心配だった。結果はミスなくエントリーができ、最終関門のPCR検査も陰性だった。

エントリーは混雑を避けるため時間が指定されており、それでも相当数が列を作っている。みなさん速そうで「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ」(石川啄木)といった気持になった。

ともあれ明後日のレースでわたしにできるのはタイムや順位など雑念を排し愚直に走ることだけだ。所定時間内にフィニッシュできるよう願っている。

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十月十六日。はじめて催される東京マラソンのハーフ版、東京レガシーハーフ2022を走った。主催する東京マラソン財団の速報値は2:11:43のフィニッシュだがアプリによる計測では2:08:20で、アシックスではこちらが登録された。もちろん後者を私的公式記録にしよう(笑)。

このレースは国立競技場のトラックでスタートし、またフィニッシュする。スタートは8:00と8:20に分れていて、わたしはあとの組。

この日は4:00起床、ストレッチのあとシャワー、朝食は六枚切りの食パン一枚にマヨネーズを塗りチーズを載せトースト、それとリンゴ1/2個、ドリンクはヨーグルトと蜂蜜を炭酸水で割った。

6:30国立競技場入場、荷物預けの前にバナナをひとつたべ、そうして整列。国立競技場のトラックを走るのは気持よく、完走者へのメダルにも国立発着が刻されているのもうれしい。

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帰宅後は昼食、NHKEテレでNHK杯囲碁を見たあと東京マラソン財団から支給されたチケットで千駄木の銭湯でいつもより長めに身体を癒した。

銭湯から帰ると、Jスポーツで大学ラグビー慶應対筑波を観戦。夕刻、神保町のお蕎麦屋さんで友人との酒席に臨んだ。

つぎは来年三月の東京マラソン(フルマラソン)だ。しっかりトレーニングしなくては。

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英語学習テキストOXFORD BOOKWORMSでディケンズ『大いなる遺産』を読んだ。テキスト難易度の六段階のうちいまレベル五にいて、残るはジェイン・オースティン『分別と多感』、エミリー・ブロンテ嵐が丘』の二作品、ともに映画でストーリーは知っているから順調に進むよう願っている。

『大いなる遺産』はむかしデヴィッド・リーン監督の同名映画(1946年)を観てい、そのあとアルフォンソ・キュアロン監督版(1998年)とマイク・ニューウェル監督版(2012年)があり、二0一一年にはBBCがテレビドラマ化している。読み終えた記念に映像作品すべてを鑑賞しよう。

ちなみにレベル六には、ジョイス『ダブリン市民』、シャーロット・ブロンテジェイン・エア』、ディケンズオリバー・ツイスト』、ジェーン・オースティンプライドと偏見』、トーマス・ハーディ『テス』、サッカレー『虚栄の市』、ウィルキー・コリンズ『白衣の女』が収められている。お楽しみはこれからだ。

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エリザベス女王が亡くなったのを機に「ザ・クラウン」(Netflix)を視聴していて、いまのところ最終の第四シーズンまで来た。折よく「プリンセス・ダイアナ」が公開され、このドキュメンタリー作品も観た。そうしたところへ「スペンサー ダイアナの決意」という劇映画があるのを知り、ついでのことに日比谷の映画館へ行った。イギリスのロイヤルファミリーはエンターテイメントの供給元の資格十分だ。

映画は気に入った作品だけ言及するようにしている。それほどでもない作品については所感を述べないこともひとつの批評でわざわざ言挙げしなくても沈黙でやり過ごせばよい。しかし「スペンサー ダイアナの決意」には黙っていられなくなった。

劇映画だからどんなふうにダイアナ妃を描くかは作家に任されている。リアルのダイアナとは別にフィクションのダイアナがいる。両者を比較するのは馬鹿げているし、そのつもりもない。それにしてもこの映画のダイアナ妃は酷かった。

一九九一年のクリスマス休暇。王族たちがエリザベス女王の私邸サンドリンガム・ハウスに集まり、平穏で何事もなかったように過ごしている。ダイアナを除いて。このとき彼女はその後の人生を変える決断をしたといわれる、。チャールズ皇太子との夫婦関係は冷え切り、息子たちといっしょの時間を除いて彼女の居場所はなく、限界状況に追い込まれていた。

こうした環境は理解できても、この作品のダイアナがセルフコントロールを欠いたまま王室における生活の重苦しさと緊張をひたすら一方的、独善的に表現し続けたのには呆れてしまった。彼女の苦悩を描く意図はわからないでもないけれど、その押し売りに辟易し、嫌悪感を覚えた。

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子母澤寛『味覚極楽』にある実業家鈴木三郎助の話。

朝は麦めしに味噌汁と決めていて、味噌汁の味噌を日本国中の産地という産地から取り寄せてみたが、自分が、これだと満足するものがなくて、とうとう自分がこしらえて、仕込みから一年たったものを順に食べている。旅行の際は宿屋の味噌汁の実はそのままにして、汁は捨てて自分の味噌を入れ、熱い湯をさして食べている。

聞き手の子母澤寛が、旅でなかなかよい味噌汁に出会えないというと、お気に入りの味噌へ葱を細かに切ったのと、いい鰹節を入れて小さな味噌玉をつくり、熱い湯をもらって注げばよいと説いている。どうです、この味噌へのこだわり。

土井善晴『一汁一菜でよいという提案』を読んで以来、味噌汁に関心を寄せているが、鈴木三郎助ほど一汁にこだわったエピソードはほかには知らない。土井善晴氏にはこだわりの味噌汁をめぐる随筆や小説、ちょっといい話のアンソロジーを期待したい。

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小春とは旧暦の十月をいうから、ことしは十月二十五日から十一月二十三日が小春である。『徒然草』百五十五段には「秋はすなはち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ」とあるから中世には用いられていた。ただし由来は中国で『荊楚歳時記』に、春に似る故に小春とある。

小春、小春日和。冬の寒さを迎える前にほっと一息つくような感じのする素敵な言葉だが、世界情勢はそうした気持とは裏腹なのが残念だ。ウクライナはまもなく厳寒の季節を迎えるが、そのまえに幾日かでも小春日和があってほしいと願っている。

「飴のごと伸びて猫跳ぶ小春かな」今瀬一博

英語ではIndian summerとされ、辞書には秋ないし初冬に晴天が続き、日中は高温、夜間は冷えこむ特異な期間をいう、北アメリカ東部のニューイングランド地方でひんぱんに使用されていた語だが,現在では英語を話す各国で用いられ,日本の小春日和にほぼ相当するとある。ほかに回春をいうとも。好きだねえ。