ミモザとアカシア

ご近所を散歩していたところ花屋さんの掲示板に、三月八日はミモザの日、イタリアで男性から女性にミモザの花が贈られるようになったことに由来していますといった旨のことが書かれてあった。帰宅してネットをみると三月八日の国際女性デーの日にもとづいてイタリアではこの日をミモザの日としたという事情がしるされていた。

ミモザを知ったのは奈良光江が歌ってヒットした「赤い靴のタンゴ」で、中学生のとき、テレビで彼女が「春はミモザの花も匂う」と歌っているのをみて、そのときはこの花の色も形も知らなかったけれど、微かに愁いを含んだ素敵な美人歌手に似合いなんだろうと想像した。ミモザそうしてマロニエ、リラの花の彼方にはおしゃれなヨーロッパがあった。

永井荷風の翻訳詩集『珊瑚集』に花々を拾ってみたところ「四月の白きリラの花、野ばらの花も」(ギュスタアヴ・カアン「四月」)、「夕立にうたれるダリヤの初花」「唐辛の紅色と黄橙の焔の色」「甘きタマリの一株」(伯爵夫人マチユウ・ド・ノアイユ「西班牙を望み見て」)などがあった。

ミモザと聞くとアカシアを思う。ミモザとアカシアについて簡単に整理しておくとアカシアはヨーロッパに持ち込まれたとき「ミモザ(オジギソウ)に似たアカシア」ということで「ミモザアカシア」と呼ばれたが、ミモザとは別物でミモザマメ科オジギソウ属、アカシアはマメ科アカシア属で異なる植物である。(Wikipedia

二0一九年の夏に大連、旅順、金州を廻り(下の写真はそのときのもの)帰国して名前のみ知る作家だった清岡卓行の『アカシヤの大連』を、ついでおなじ作者の大連にちなんだ作品を集成した『清岡卓行大連小説全集』を読んだ。旅がもたらしてくれた予期せぬ読書体験だった。

「それは、かつての日本の植民地の都会で、ふしぎにヨーロッパふうの感じがする町並みであった」

「五月の半ばを過ぎた頃、南山麓の歩道のあちこちに沢山植えられている並木のアカシヤは、一斉に花を開いた。すると、町全体に、あの悩ましく甘美な匂い、あの、純潔のうちに疼く欲望のような、あるいは、逸楽のうちに回想される清らかな夢のような、どこかしら寂しげな匂いが、いっぱいに溢れ…」

作者が伝える大連はこうした都会であり、戦前の『国民百科大辞典』には「邦人ノ建設シタ最初ノ近代的都市デ、市街ノ壮麗ナコト《東洋ノ巴里》ノ称ガアル」と記述されていた。

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《東洋ノ巴里》の歴史を簡単にみておこう。

ことは日清戦争にさかのぼる。戦勝国となった日本は遼東半島を獲得したが三国干渉により手放さざるをえず、そのあとロシアが清国と条約を結んで関東州を租借し、青泥窪(チンニーワ)をダルニーと名づけ、ここにパリを模範とする美しい町を建設しようとした。

ところが日露戦争により建設は頓挫した。

日露戦争後、日本は関東州を租借しダルニーを大連と名づけ、ロシアが近代文明の花を咲かせようとした都市計画を拡大的に受け継いだ。何個かの円形の広場を設け、そこから放射状にいくつかの街路が伸び、アカシヤとポプラが植えられプロムナードとなった。満鉄が経営する豪華なホテルがあり、ヨーロッパ人の客が多く、ほとんど砂浜だけで入江をなす星ヶ浦にならんでテニス・コートやゴルフ場や公園などがあった。

清岡卓行がいう「ふしぎにヨーロッパふうの感じがする町並み」は建設にあたったロシアにも日本にもない光景だった。そして建設はあくまで侵略を前提としていた。清岡卓行はその点を踏まえつつロシア側の建設の中心人物だったサハロフに呼びかける、大連という都会の独特な美しさをきみと同じように愛する、と。

清岡卓行の言葉からは、大連を恋うる詩人、作家の情感、植民地という翳りをともなう抒情が伝わって来る。と同時に「東洋ノ巴里」にはアカシアが、本家のパリにはミモザが似合いだったとすればアカシアはミモザの代替品、もしくは植民地に咲いた徒花だったのかと意地の悪いことも浮かんでみょうに複雑な気持になる。

辛夷

ご近所の根津神社の裏門坂に辛夷の木が何本か並んでいて、春の足音が近くなるいまの季節、白い花を咲かせる前の蕾を見せてくれている。名前の由来は、この蕾が子供の拳(こぶし)に似ているところから来ているとするいっぽう『滑稽雑談』(正徳三年)には「初出は筆の形なり。花開きて木蓮花に同じ。二三月に咲くなり」とあり、このばあいは木筆(こぶし)となる。

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「花籠に皆蕾なる辛夷かな」正岡子規

花籠にあった辛夷の蕾を子規は子供の拳と見たか、それとも筆の形と見たか。やがて咲く八重の花も浮かべていたかもしれない。

辛夷はまた開花を合図に農作業をはじめる慣習から「田打ち桜」「種まき桜」の名もあり、いかにも日本原産の花木にふさわしい。それに文学素材の桜、梅とくらべると生活密着型のようでもある。

ご存じのように、この木は秋になると赤いきれいな実をつける。寿いであげたい木なんですね。 これについては歳時記に赤い実の種が辛いことから、ヤマアララギ、コブシハジカミという名も生まれたとあった。

「雉子一羽起ちてこぶしの夜明けかな」白雄 

「いづこへか辛夷の谷の朝鳥よ」佐藤鬼房

鳥に似合いの辛夷である。

英語の勉強

拗ね者として聞こえた金龍通人という人がいて、自宅の戸口に「貧乏なり、乞食物貰ひ入る可からず」「文盲なり、詩人墨客来る可からず」の聨を懸けていたという。

薄田泣菫『茶話』の「玄関」というコラムにあった話だが、残念ながら通人がいつの時代のどういった人だったかはしるされていない。

それで思い出したが、学生時代によく行った飲み屋さんの暖簾に「水っぽい酒、まずい焼き鳥」とあった。おいしくて、安くて、皮肉な暖簾のよいお店だった。こういう逆説フレーズが多数になるのはどうかと思うけれど。

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電子辞書に音楽をテーマにした英会話の練習があり、アニソンとかボカロとかの単語にとまどうばかりだった。ヒップホップ、ヘビーメタルは単語としては知っていたが具体を知らず調べてみたが聴く気にはなれない。はじめて聞く固有名詞にはバンプ・オブ・チキン、テイラー・スイフト、アデル、オアシスなどがあった。

スティーヴン・スピルバーグ版『ウェスト・サイド・ストーリー』を鑑賞するにあたり『ロミオとジュリエット』を読んだ。ほんとはシェークスピアの原文で読みたかったがわたしの学力ではあの時代の英語には歯が立たないだろうから語学学習用にリライトしたテキストを用いた。

田中小実昌が「さいしょの訳」というエッセイに、ジェイムズ・M・ケイン『郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす』を訳したとき、一九三四年に書かれたこの作品は語学面でのわかりにくさにくわえ時代の差によるわかりにくさがあったと述べている。おなじ二十世紀でこれだからシェークスピアについてはいうまでもない。

アニソンやボカロに慌てふためき、シェークスピアの古英語を敬遠し、低学力にため息をついた。

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三月六日に予定されている東京マラソンは落選だったが海外からの一般ランナーの参加が不可となったため補欠で当選となった。

健康状態を報告するアプリのインスツールなどエントリー手続きは粛々と進めていて、いよいよ距離を伸ばすトレーニングをしなければならないが、いまのオミクロン株の感染状況でほんとに一般ランナーも参加して実施できるのかと考えると疑問噴出で気合がはいらない。

おまけに、開催されたとしても高齢者が感染すると重症化しやすいので、七十二歳の参加は一度も二度も立ち止まって考えるべきだ、との家族のお言葉がある。息子からは、知り合いの医師に訊ねると「おすすめしません」とのお答えだったと電話があった。

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二月九日。ウクライナ情勢がますます緊迫の度を高めている。首脳外交ではフランスのマクロン大統領が二月七日にプーチン大統領と会談し、八日にはウクライナに移動してゼレンスキー大統領と二時間以上にわたる会談をおこない、そのなかで「きのうプーチン大統領と話しましたが『自ら緊張を高めることはない』と言っていました」と伝えた。

それに対しゼレンスキー大統領はプーチン氏について「言葉だけでは信用できない」と強調するいっぽうで近くロシア・ウクライナ・フランス・ドイツ四か国による協議が改めて開かれるだろうと述べた。いずれにせよ危機が回避されるよう願うばかりだ。

いま読んでいる芥川龍之介侏儒の言葉」に「『勤倹尚武』と言う成語位、無意味を極めているものはない。尚武は国際的奢侈である。現に列強は軍備の為に大金を費やしているではないか?若し『勤倹尚武』と言うことも痴人の談でないとすれば『勤倹遊蕩』と言うこともやはり通用すると言わなければならぬ」とある。

「勤倹尚武」は一面で各国こぞっての軍拡競争であり、ときに国際的奢侈、 「勤倹遊蕩」に通ずるというわけだ。絶対的な権力を掌握して「尚武」をそれなりに整えると次に待っているのは遊蕩で、習近平プーチンも傍迷惑な遊蕩をしたくなっていて、だったら酒池肉林に遊んだ皇帝がまだましではないか。

昨年イスラエル歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏がNHK道傳愛子氏のインタビューを受けて「一人の人物に強大な権力を与えるとその人物が間違ったときにもたらされる結果ははるかに重大なものとなります。独裁者は効率が良いし迅速に行動できます。誰とも相談する必要がないからです。しかし間違いを犯しても決して認めません。間違いを隠蔽します」と語っていた。

軍事大国における独裁者の遊蕩や間違いの隠蔽に国連をはじめとする国際機関は無力に近い状態にあり、こうした機関に拠出する金も遊蕩になるのかもしれない。

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NHKが放送したユヴァル・ノア・ハラリ氏へのインタビューのなかで考える素材として以下を文字に起こしてみた。

「一人の人物に強大な権力を与えるとその人物が間違ったときにもたらされる結果ははるかに重大なものとなります。独裁者は効率が良いし迅速に行動できます。誰とも相談する必要がないからです。しかし間違いを犯しても決して認めません。間違いを隠蔽します。メディアをコントロールしているので隠蔽するのが簡単だからです」

「そうやってますます権力を強化していきます。そしてさらに間違いを重ねていくのです。民主主義に大切なのは政府が間違いを犯したときに自らそれを正すこと。そして政府が間違いを正そうとしない時に政府を抑制する力を持つ別の権力が存在するということです」

「緊急措置が適用されるのは危機の間だけで危機が去ればいつも通りに戻ると思いがちですがそれは幻想です。緊急時だからこそチェック&バランスが維持されなければならない。政府を権力につながる人だけでなく国民すべてに奉仕させるために監視が必要なのです」

アメリカで交付金を受け取るのは誰でしょう。私がアメリカの市民権をもし持っていたらこうした金がどこへ行くのか、この金をもらえるのは誰でもらえないのは誰なのかを監視する力が欲しいと思うでしょう。ですから監視は両方向であるべきです。これが市民が持つべき力です。このような情報にアクセスできれば市民はより大きな力を持つというわけです」

「もし社会的距離をとることや手を洗うことの必要性を納得してもらいたいならば市民を適切に教育し、信頼できる情報を提供したうえで市民が自らの意思で正しく行動してくれると信頼するほうがずっと良いやり方です」

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アンソニーホロヴィッツ『ヨルガオ殺人事件』(山田蘭訳、創元推理文庫)の上巻を読み終えたのが今月九日、そしてきょう十三日はNHKEテレ毎日曜日の囲碁を楽しんだあと下巻の残り百二十頁を一気読みした。遅読のわたしを熱中させたミステリーのあとは晩酌。読んで、見て、飲んで、食べて、寝る。ささやかなしあわせの一日である。

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二月十八日。お昼のNHKのニュースで、東京マラソンは実施するが高齢者の出走は見合わせを要請すると報道があった。残念ではあるがやむをえない。

ところが夕刻、ネットで東京マラソン財団発出の文書を見ると、高齢者云々の文言はなく、何人かの方が高齢者を含む一般ランナーも参加して実施されるようになったとTwitterに投稿していた。

もちろん出場できるならそうしたい。いっぽうで、感染症の現状を考えるとおすすめしませんとの医師の言葉があり、走りたいと、おすすめしませんが同居して何事も考えられなくなった。

夜になってスマホをみると、東京マラソン財団からのメールがあり、六十五歳以上の方は参加を見合わせてほしい、次回は抽選なしで参加できるようにするとあった。

応じざるをえないけれど、そろそろ距離を伸ばそうと先日20キロ走ったばかりなのに残念だ。とりあえず結論は出たが来年はまたひとつ歳をとるので完走がおぼつかなくなる不安は高まる。

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二月二十三日。先日高橋克彦『浮世絵鑑賞事典』を読み、せっかくのご縁だからおなじ著者の『写楽殺人事件』を読みはじめた。そうなると写楽の画集も鑑賞したくなり、電子本で調べたところ『東洲斎写楽画集』が出ていて、本と画集とのコラボレーション環境が整った。写楽をめぐる謎解きを読みながら作品を目にするたのしさ。

そのいっぽうニュースはプーチン大統領が親ロシア派支配地域の独立を承認する大統領令と、ロシアと同地域の友好協力相互援助条約に署名、またこの地域への派兵を指示したと報じている。

匙を投げるということわざの語源は、医者がもう治療法はないとして、薬の調合のための匙を投げ出すことから来ている。海外渡来のことわざの訳語ではなく、日本発だそうで、和英辞書にはgiven up、abandoned all hopesとあるばかりで、ことわざはなかった。

プーチンのロシアにもう治療法はない、好転が見込めないので手を引いて匙を投げて済ませられたらどんなにか清々するだろうが、いまは事態を打開するよう自由主義諸国の首脳に期待するばかりだ。

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二月二十四日。とうとうロシアがウクライナへの侵攻を開始した。最悪の事態だ。

先日ニュースでプーチン大統領ベラルーシのルカシェンコ大統領がおなじテーブルに座っているのをみて、ヒトラームッソリーニが並んでいる姿と二重映しになった。こんなことを書いたりしていると、政治家をヒトラーになぞらえるのは国際的なマナーに反しているという日本維新の会に糾弾されそうだが、ヨーロッパの平和秩序を混乱させる悪の二人がヒトラームッソリーニに見えたのは否定できない。

なお映画評論家の町山智弘氏が、国際的に「ご法度」なのは、ヒトラーやナチを賛美することで、何かを批判する際にヒトラーやナチと比較することじゃないですよ、とツイートしていた。

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大学を卒業したのは一九七三年(昭和四十八年)三月で、このころわが国の大学進学率は三割を超えた。当時執筆された鈴木孝夫「日本の外国語教育について」に、これほど多くの若者が中学、高校、大学で英語に接しながら、英語教育の成果が思わしくない、英語を身につけて大学を出る者が少なすぎるとある。わたしもそのひとりで、ただし大学では専門の関係で中国語に接することが多く、中文は少しは読めるようにはなったものの、話す、聞くはさっぱりだった。卒業してから何度か訪中して多少は話す、聞くにも努めたがさほどの成果はなかった。

手許の電子辞書にたくさんの英文テキストが収められていて、長いあいだご無沙汰だった英語を読んでみようという気になった。

まずは電子辞書にある英語の受験参考書を二冊通読し、OXFORD BOOKWORMSに収められているテキストを読んでみた。まだレベルの低い段階だが、思っていたよりスムーズに読める。英会話はさっぱりだが読むのはまあまあ身についているのが意外だった。大甘にいえば、読むだけなら使い物にならないことはない。

英語の読書の最大のコツは、決して辞書を引かないことにあるという説がある。丸谷才一「英語勉強法」は、えーとこの単語は、とか、これは文法的にはなんてことは頭から払いのけて読書に専念し、純粋な態度で読むことこそ本当の読書だという。問題はテキストで、丸谷氏のおすすめはポルノだが、枯れたわたしにはポルノよりミステリーがよい。

いずれにしてもこれは「解読的外国語がサッカーの試合を見物することだとすると、覚えた外国語の語彙をすぐ使ってみるという態度は、みずからグラウンドに立ってボールを蹴ったりヘディングをしたりすることに似ている。言語の運動感を身体で覚えること、と言っていいだろうか」(辻邦生「遠い外国語 近い外国語」)に照らせばサッカーの試合見物にすぎない。

だいじなのは、覚えた外国語の語彙をすぐ使ってみる、試合観戦ではなく、ボールを蹴ったりヘディングしたりすることだ。たしかにその通りではあるが、海外であなたの英語はよくわからないといった雰囲気になると凹むなあ。そうなるとわたしは若いとき注力したのは中国語だからと開き直るようにしている。

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二月十二日に走った10km走(ヴァーチャル)は59:27で、二か月続きの59分台となった。これまでは56分か57分台だったのに、なんということか。10km60分超という魔の手が追っかけて来ていて、必死に逃げている。ここから盛り返せるか、それとも高齢ランナーの宿命として甘受することになるのか。

タイムが悪くなるのがいやならレースに出場しなければよい。しかし若いときからレースをたのしみにしてきたからご縁がなくなるのは淋しい。ならばタイムへのこだわりを捨てればよく、じじつタイムにこだわりすぎてガタが来た人もいる。ま、文句垂れながら、走れる限りは走りたい。

飛鳥山花見の歌どもあまたあつめて一巻とせし中に、

咲つづく花はゆきかとちりしきて川なみふかくにほふ春かぜ

といふことをうけ給はりて

ちる花は雪とちりうく滝の河なみのあやをる浪の春風」(大田南畝

高齢者への自粛要請にやむなく断念した東京マラソン。でももうすぐ春風のなかを走る楽しみが待っている。

 

ロシアの侵略に思う

ウクライナが気の毒でときにTVニュースを見ていられない。映像を見るのが辛い。しかし情報は知っておきたいのでその際はラジオに頼っている。

二月二十三日プーチン大統領ウクライナ国内の親ロシア派支配地域の独立を承認する大統領令に加え、ロシアと両地域の友好協力相互援助条約に署名、そうしてたちまちのうちにウクライナに軍を進めた。

自分の面倒をみるのに精一杯で余裕はなく、世のなかから下りた隠居としてはできれば「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」(藤原定家)といってみたいところだがじっさいは怒りが噴きあがり、老爺にもまだこれほど憤怒する力があると知った。そんなこと知らなくてよかったのにとプーチンのロシアにまた怒る。するといつもの悪癖で、言わなくてもよいことや書かでものことを言いふらし、書き散らしたくなった。

 

衛星国という政治上の概念がある。いまはあまり用いられなくなったが冷戦の時代にはしばしば新聞や雑誌で見かけたものだった。

衛星国すなわち主権国家として独立しながら主要政策で大国の指示を受け、追随する国家、また地理的にも大国と接近していて盾の役割を担わされている国をいう。

冷戦の時代、ソ連ポーランドブルガリアチェコスロバキア東ドイツなど東欧共産圏諸国やモンゴルを衛星国としていた。もしも第二次世界大戦の戦後処理で北海道がソ連の占領地域となっていたらここも衛星国になっていただろう。なお第二次世界大戦前ではナチスドイツとハンガリーブルガリアルーマニアなどがそうした関係にあった。

ソ連は衛星国を前提に外交防衛政策を組み立てており、プーチン大統領にはその思考が牢固としてある、というかこびりついて離れないのではないか。ロシアのウクライナへの執着をわたしはそんなふうに見ている。これは社会主義の残滓というよりロシア人の政治地理観、大きくは世界観に関わっている。あるいはロシア人の政治意識の「古層」(丸山眞男)といってよいかもしれない。

ロシアがいまウクライナとの関係を見直すのであれば衛星国方式ではない外交テーマとして話合いの余地はあるだろう。しかし現実は武力による侵略に踏み切った。論外というほかない。

 

「民主主義は最悪の政治形態である。これまで試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば」(ウィンストン・チャーチル)。

コミュニズム連邦国家から独立して民主主義という「最悪の政治形態」の道をあゆんでいる国が最悪の事態に陥っている。腹立たしく、また早急に救う手立てがなく戦闘状態にはいっており怒りは二乗である。

冷戦時代の社会主義国は実態はともかく理念としては自由主義諸国に対抗し、世界に平等を標榜していた。プーチンのロシアにそうした理念はなく、あるのは独裁者による軍事大国の野望である。

今回の侵略により世界は民主主義国家vs一党独裁制国家の様相を帯びるのかもしれない。 前者はよくもわるくも多様であり、利害が絡んでいてなかなか一枚岩になれない恐れがある。それにホワイトハウスへの乱入事件が示したように民主主義の劣化も気がかりだ。

ここは民主主義国家が踏ん張り、しっかり協調して事態に対処するよう期待したい。

国連による実効ある停戦、平和活動を望みはするが実現の可能性は小さく、あれやこれやでペシミズムに陥るとニュースを見る気がしなくなる。

 

レーニン日露戦争での日本の勝利はロシア革命を結果的に後押ししてくれたと論じたが、スターリンは日ソ中立条約を事実上破棄して対日参戦するにあたり、日露戦争の敗北に対する復讐と雪辱を訴えた。

林達夫は「旅順陥落」において、ソ連の庶民もマルクス・レーニン主義よりこうした「政治的子守唄」を必要としていたと述べている。いまプーチンは「ウクライナファシストからロシアを守っている」といった「政治的子守唄」を流していると聞く。

それはともかく、ロシアがウクライナではなく日本を攻撃してきたと仮定しよう。わが国はただちに北方領土問題解決の意思を示し、ソ連が対日参戦したときの満洲への雪崩れ込みや南樺太、千島列島での一連の戦闘を取り上げ、 国民を鼓舞しなければならない。スターリンは対日参戦を日露戦争への復讐と雪辱に見立てたが、今度は日本がソ連の対日参戦に復讐と雪辱を果たす番である。

ロシアの侵略と蛮行からこんな想像をしてしまった。

もちろん復讐と雪辱の連鎖は危うく、平和を愛する日本国民の合理的な政治思考ではない。しかしながら有事を仮定するとこうした想像が浮かんでくるのはどうしてだろう。わたしのなかで第二次世界大戦はまだ終わっていないのか、それともプーチンが呼び起こした悪夢なのか。

『ウディ・アレン追放』〜「事件」を知るためのまたとないノンフィクション

 日本で公開されたウディ・アレンの映画(監督作品、出演作品ともに)はずっと見てきた。出来不出来はあっても長年にわたるおつきあいだからなんだか生活習慣のようになっていて、書店で猿渡由紀『ウディ・アレン追放』(文藝春秋)という本が並んでいて、ひょっとしてもうこの人の映画は鑑賞できないのだろうかと不安になった。一九三五年十二月一日生まれだから高齢で映画が撮れなくなったのではなく「追放」なのだ。

原因はセックスが絡んでいると推測はつく。しかしハリウッドの有名人たちの私生活にさほど興味関心のないわたしは、ウディが恋人だったミア・ファローの養女スンニに手を出して、のちに結婚したくらいのことしか知らない。#MeTooと「追放」との関連もよくわからない。わたしが本書を手にしてのはひとえにここにかかっていると書きたいところだが、ほんとはこれにセレブリティ家族を覗き見する気持が加わってのことだった。

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一読、いやはや、なんと。ウディの私生活についてあまり知らなかった者には大きな衝撃で、内容はこの人の人生全般にわたるが、ここではわたしなりに「事件の核心」をまとめておこう。

一九九二年一月、ミア・ファローは自宅で偶然にパートナーのウディが撮った六枚のポラロイド写真が置かれてあるのを目にしてショックを受けた。そのすべてに女性の顔と性器が写っていて、女性は紛れもなくミアと夫だったアンドレ・プレヴィンとのあいだの養女スンニ・プレヴィンだったのである。

アンドレ・プレヴィン(1929-2019)は指揮者、クラシックとジャズのふたつのジャンルにわたり高い評価のあるピアニスト、また「キス・ミー・ケイト」「絹の靴下」「マイ・フェア・レディ」など多くの映画音楽にもたずさわった。

韓国出身のスンニが音楽家と女優の養女となったのは一九七八年、推定年齢七歳のときだった。

スンニとの関係が発覚したとき、ウディはミアに「私はスンニを愛しているんだ。結婚するつもりだ」と言ったかと思うと「いや、私が愛しているのは君だ。これをきっかけに、愛をより深めよう」と言ったりして支離滅裂に陥った。これを機にミアはウディへの燃える憎悪と、断ち切れない未練とのあいだで苦しむようになった。

同年六月。ミアは家政婦兼ベビーシッターの女子大生クリスティ・グロティキに「今後、ウディが来たら、必ず目を光らせてね。ウディのディランに対する行動に疑いを持ってるの」とウディの少女への性虐待を疑う言葉を告げた。

アメリカ生まれのディランがミアに養子として引き取られたのは一九八五年、乳児のときで、以後ディラン・ファローとなり、一九九一年にはウディと養子縁組をしてウディが父親となつたが、翌年にはミアは養父の養女へのセックスを疑うようになっていた。

運命の日は八月四日。ミアのコネティカットの家に彼女の親友ケイシー・パスカルと三人の子供、そのベビーシッターのアリソン・スティックランドが訪れ、ミアとプレヴィン、ミアとウディの子供たちと賑やかなときを過ごしていた。

ひととき、ミアとケイシーは買い物に出かけ留守にした。そのかん、テレビのある部屋でウディがディランの膝に顔を埋めているのを、ケイシーのベビーシッター、アリソンが目撃し、そのことをケイシーに告げ、ケイシーはミアに知らせた。ミアは、一家をよく知る心理カウンセラーのスーザン・コーテス医師に相談し、医師は責務としてニューヨークの警察に通報したのだった。

刑事捜査では信憑性のある証拠が見つからなかったことから事件性はないと判断されたが、他方で「虐待があった可能性はある」と発言した検事もいた。

ミアとアンドレ・プレヴィン、ミアとウディ・アレン、ふたつのカップルの実子と養子を合わせると死者を含め十三人を数える。ウディの性虐待疑惑による起訴はなかったが、これを機に子供たちはウディ側とミア側に分断され、公の場でお互いを嘘つき呼ばわりするようになる。さらに#MeTooが事件性を増幅するかたちで呼び起こされ、その結果、アマゾンと映画製作の契約を結んでいたウディに、アマゾンは「ウディ・アレンの虐待疑惑が再浮上し、多くの俳優がもうウディ・アレンとは仕事をしないと言っている中、この契約はもう現実的でない」と契約破棄を申し渡した、すなわち「追放」である。

一九九二年八月四日、事件が「起こった」というミアは、ウディを性犯罪者として告発し、ウディは事件が「起こったことにされた」と主張する。いまも続く両者の言い分を読者は本書を通じて判断することになる。

在米三十年、ハリウッドを見続けた著者の記述は公平で、信頼度は高く、それぞれの主張のもとになる典拠、傍証も的確に紹介されている。「事件」を知るにはまたとないノンフィクションである。

「ウエスト・サイド・ストーリー」

ウエスト・サイド物語」が日本で公開されたのは一九六一年十二月二十三日でした。そのころわたしは小学五年生で、映画をみたのは六年生のときだったと記憶していますが、あるいは五年生だったかもしれません。

どうしてこの映画に接したのかは思い出せません。親といっしょでなかったのは確かです。友達はどうだったかな。共働き家庭で親子そろって遊びに行く環境にはなかったためか、子供が一人で映画へ行ってもよかったから単独行の可能性が高い。おそらく評判につられて映画館へ足を運んだのでしょう。

ウエスト・サイド物語」が「ロミオとジュリエット」の枠組みに、移民や人種差別をめぐる社会問題を組み込んだミュージカルとはずっとのちに知りました。それらは情報に疎く、どんくさい小学生には理解の外、思いもよらないことがらでした。

惹かれたのはもっぱら踊りと歌。群舞はどのシーンもかっこよく、歌は素晴らしく、なかでも、ダンスパーティのあとリチャード・ベイマーのトニーが歌う、その夜出会ったナタリー・ウッドのマリアに愛を捧げる「マリア」、そうして彼女のいるアパートを訪ね、階段のところにいたトニーと、バルコニーに現れたマリアによるデュエット「トゥナイト」は脳裡に焼き付いたとして過言ではありません。

「トゥナイト」のシーン、はじめは「マリア」「トニー」とささやいていた二人でしたが、たちまち心は高まり、めくるめく恋の高揚をこれ以上ないほどにその曲は表現し、極みに達したところでふたたび静かになってトニーは家路につきました。このときの興奮をわたしはいまでも復元可能な気がしています。

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それから六十年あまり、 スティーブン・スピルバーグ監督によりリメイクされた「ウエスト・サイド・ストーリー」はこれまた極上の作品でした。

鑑賞しているうちに意識はおのずとオリジナル版にも向かい、このシーンはおなじ感じ、あそこは違えていたとかあれこれ思いながら至福のときを過ごしました。そのなかから二、三のことをしるしておきます。

撮影、録音技術の向上も作用しているのでしょう、新作におけるニューヨークの空間はオリジナル版に比べてずいぶん広やかで、そのぶん踊りや歌のシーンがダイナミックに、またエネルギッシュになっていました。

セピア感漂うニューヨークの光景も見事なものでした。

トニーとマリアの愛はどうして実を結ばなかったのか、なぜ愛は不可能だったのかという問いかけはオリジナルも新作もおなじなのですが、しかしスピルバーグ監督は過去の問いをなぞるのではなく、いま現在の地点から問いかけています。現代からセピア色のニューヨークを撮る、いっぽうでそのニューヨークからも現代の世界とアメリカの分断を見ているといえばよいでしょうか。

想像ですが、そうした意識と視線がリタ・モレノの役柄を生んだ気がしています。オリジナル版でプエルトリコストリート・ギャングのリーダーの恋人アニタを演じたリタ・モレノスピルバーグ版では酒場の店主バレンティーナを演じています。どんな役柄かって?ここでは敵対するプエルトリコ系移民の「シャークス」とポーランド系移民の「ジェッツ」とを繋ぎ、二つのウエスト・サイドの物語に橋を架けた役といっておきましょう。エグゼクティブ・プロデューサーでもある彼女の存在があって新しい「ウエスト・サイド・ストーリー」は輝きを増しました。

(二月十五日 TOHOシネマズ上野)

 

 

 

 

 

 

大相撲初場所

元旦。おめでたい和歌を三首。

「春毎に松のみどりの数そひて千代の末葉のかぎりしられず」(志賀随翁)

「たらちねのちとせのよはひ末高くかはらぬやどにきますたのしさ」

「万代のとしにもあまる君がやどにとも引つれてあそぶ老鶴」

大田南畝『一話一言』巻49より。

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歳末にNHKBS1スペシャルで「良心を束ねて河となす ~医師・中村哲 73年の軌跡~」をみた。二0二0年十二月に放送されたドキュメンタリーの再放送で、中村先生の人生の軌跡のなにほどかを知ることができた。なかで驚いたのが、母方の祖父母が玉井金五郎とマン夫妻だったこと、つまり火野葦平『花と龍』の主人公である。

玉井金五郎、マン夫妻の長男が火野葦平だから、中村哲先生は作家の甥にあたる。玉井は朝鮮人沖仲仕に雇い、面倒見もよかったそうだ。勝手な想像だが、玉井にはアジアはひとつ、といった思いというよりも気質に近いものがあり、その血が中村先生に流れ込んでいるような気がした。

玉井金五郎、マン夫妻を知ったのは一九六二年のお正月、小学校五年生のときにみた石原裕次郎浅丘ルリ子主演の「花と龍」で、吉永小百合浜田光夫高橋英樹たちが出演する「青い山脈」との豪華二本立てだった。「青い山脈」の鮮烈な印象でわたしにとって「花と龍」は二番手格だったが、それでも玉井金五郎の名前はしっかり記憶した。小学五年にしてサユリストとなったわたしはさっそく新潮文庫にあった石坂洋次郎青い山脈』を読んだ。映画をきっかけに手にしたはじめての文庫本が人生の読書はじめであり、やがておなじ新潮文庫の『花と龍』も読んだ。

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一月五日。 シネマート新宿での韓流作品「ただ悪より救いたまえ」をことしの映画はじめとした。拐かされた幼女の奪い合いを軸にした犯罪アクション作品で、ここに人身売買と臓器売買を絡ませて社会性を持たせ、韓国、タイ、日本にわたる黒社会を取り上げている。いささかエグいけれど、これもまた現実なのだろう。

タイで韓国人女性が惨死し、その幼女が誘拐される。父親は亡くなった女性の元恋人インナムで、彼は事件を機に彼女が別れたのちに出産したことを知り、娘の奪還に向かう。ところがインナムは元プロの殺し屋で、最後の仕事は東京のヤクザの大物コレエダの殺害だった。そのためインナムはコレエダの凶暴な弟のターゲットになっており、バンコクで娘の奪還にくわえ報復のため襲いかかってくる東京ヤクザの身内との対決も強いられる。人身売買と誘拐による臓器調達グループと幼女を救おうとするインナム、幼女を追うことでインナムの所在を探る男。定石通りと思いながらもむやみに興奮してしまった。

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昨二0二一年十二月八日は真珠湾攻撃から八十年目にあたっていた。その年、一九四一年(昭和十六年)元旦、永井荷風は『断腸亭日乗』に「時雨ふる夕、古下駄のゆるみし鼻緒切れはせぬかと気遣いながら崖道づたい谷町の横町に行き葱醤油など買ふて帰る折など、何とも言へぬ思のすることあり。哀愁の美感に酔ふことあり。此の如き心の自由空想の自由のみはいかに暴悪なる政府の権力とても之を束縛すること能はず。人の命ある限り自由は滅びざるなり」と書いた。年末の日米開戦を思い合わせ、何度読んでも感銘深い。ちなみに荷風は自由に敵対する者を「定業なき暴漢と栄達の道なかりし不平軍人」「曾ては家賃を踏倒し飲酒空論に耽り居たる暴漢」「威嚇を業とする不良民愛国の志士」とした。

それから二年と数か月のち、昭和十八年十月三日の『日乗』には追い詰められた民衆の姿を映した落首が書きとめられている。

「世の中は星に錨に闇と顔馬鹿な人達立つて行列」

なお「星」は陸軍、「錨」(いかり)は海軍。予科練の歌の、七つボタンは桜に錨、のいかりである。荷風にとってカーキ色の軍服、国民服は「糞色服」なのだった。

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一月十六日。国技館で大相撲観戦。 昨年末、友人が一月場所中日の正面枡席を引き当ててくれたおかげでうれしい一日となった。昨秋はラグビー早慶戦のチケット抽選でも当たりを引いてくれていて、友とすべきは物くるる人、医師、知恵ある人とは『徒然草』にある名言だが、わたしはこれにくじ運よき人を加える。

願わくば枡席でお酒を呑みながら観戦したかったがいまは水分補給以外はNG。早く新コロナ禍が終わって、枡席でお酒が飲めるようになってほしいな。

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久しぶりの国技館だから相撲についてのエッセイを何篇か読んでだなかに、政治家で、横綱審議委員会初代委員長、相撲博物館初代館長を務めた酒井忠正「しこ名」があり、珍奇なしこ名があげられていた。曰く、器械舟、電気燈、猫又、唐辛、片福面、凸凹、次亜燐などなど。

このうち器械舟、電気燈は文明開化の流行を追ったものであろう。いずれも出世しそうにないしこ名で、初代横審委員長は凸凹(おうとつ、それともでこぼこ?)が横綱になれば面白いとは思うが、そうなると改名でもしなければ横綱土俵入はさせられないだろうと述べていた。

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録画してあったNHKBS1の「大相撲どすこい研」の何回分かをみた。「アノ技の意外な裏側や角界の不思議なしきたり、知って得する歴史などなど、これまでにない切り口とユニークな調査手法で深~く掘り下げます」をウリにしていて、なかなか薀蓄を傾けた番組だ。

寺田寅彦が「相撲」というエッセイで、囲碁能楽のように西洋人に先鞭をつけられないうちにだれか早く相撲の物理学や生理学に手をつけたらどうか、と述べていて、番組の相撲の決まり手を力学として追求したパートなどその要求に十分応える内容だった。ここからさらに深め、広げてゆくと物理学がたのしくなるだろう。

寅彦はまた、いつも虫食い本を通してみた縁起沿革ばかりでなく、世界各地方の過去から現在までに行われてきた類似の角力戯の比較などもおもしろいのではないかと提案している。早くからモンゴルや朝鮮の相撲に着目していて、寺田寅彦ってほんと自由闊達で柔軟な頭脳、精神の持ち主だとあらためて認識した。

ところで「どすこい研」を担当している司会者が快調で、愉快で「NHKにもノリのいいアナウンサーがいるねえ、BSではすこしハメを外し気味でもよいのかな」といったところ「お父さん、今田耕司NHKのアナウンサーじゃなくて、吉本興業のお笑いの人」とたしなめられ、嗤われた。

過日は「総務省事務次官だった人の息子が属しているグループがSMAP?」と訊ねたところ「櫻井翔くんは嵐です」といわれた。令和になる直前、故人となった某民放のディレクター氏から、SMAPを聞いたことのない人は東京で先生だけですよと揶揄されたわたしの面目躍如といったところか。

今田耕司は名前も顔もはじめての方だった。自慢じゃないがユーミンは名前も顔も知っている。ただし山口百恵が引退したころから先のうたをほとんど知らないわたしはユーミンのうたとは無縁と思っていた。ところがつい先日、愛聴する日野美歌の「海を見ていた午後」が荒井由実作詞・作曲と知った。名曲と名唱の傑作アルバム「横浜フォール・イン・ラブ」に収められている。歌詞にある、晴れた午後には遠く三浦岬も見える山手の静かなレストラン、ドルフィンへ行ってみたい。

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若月紫蘭『東京年中行事 』1(東洋文庫)によると春の本場所はそれまで三月(新暦の三月とすれば旧暦の一月)だったのが、明治になって一月(こちらは新暦)に興行されることとなった。たいていは一月十日初日、番付発表が八日、九日が触太鼓だった。新暦と旧暦の問題があり、括弧内はわたしが書き加えた。

初場所や青天十日江戸の春」( 松濤楼)

初場所の大番付や江戸の春」(烏堂)

朝倉治彦氏の註によると、明治時代の年二場所制は一月場所を春場所、五月場所を夏場所としていた。年六場所になってからは一月場所が初場所、三月場所が春場所となり春場所は元の三月に戻った。

江戸時代は十日目以外は婦女子の入場を禁じており、観戦が自由になったのは明治十年のことだった。明治維新のあと相撲人気が衰え、勧進元の回向院は元土佐藩主で粋人として知られた山内容堂にお伺いを立てたところ、女にも見せるようにしたほうがよかろうとのお答えで、女人禁制を解いて相撲人気は高まったのだった。

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Amazon prime Videoでこれまで名前を知るのみだった映画「摩天楼」(一九四九年)をみた。一点の妥協も許さない誇り高い建築家(ゲーリー・クーパー)のプロ根性に支えられた生き方と彼を信じて心を寄せる女性(パトリシア・ニール)の物語。自分が描いた設計図通りに建てられていないとビルに火を放ち無罪になるなど法律的には納得できなかったが、米国の一徹者の心意気はよく描かれていた。

ゲーリー・クーパーパトリシア・ニールの不倫関係はハリウッドの大スキャンダルとして知られる。のちに女優が著した『真実 パトリシア・ニール自伝』(兼武進訳、新潮社)には「撮影が進むにつれて、ゲーリーとわたしは役の演技に託して自分の気持を相手に伝えるようになって行った。彼と一緒に出るシーンを、いつも新しい期待に胸を躍らせながら待った」、そして撮影が終ったとき「ゲーリーとわたしはほんとうに愛し合うようになっていた」とある。

このことが意識にあるからか、映画のラブシーンは演技と思われず、とりわけキスシーンのパトリシアの表情、姿態はホントうっとりしているようだった。 

やがて二人の関係は、家庭的な良い夫としてのイメージのあった大スター、 四十六歳のクーパーを誘惑した二十一歳の女優という構図で語られ、ニールはマスコミから袋叩きにあった。

ニールは妊娠したもののクーパーの妻はカトリック教徒で離婚に応じず、中絶のやむなきに至った。失意のニールは劇作家リリアン・ヘルマンに紹介されたロアルド・『あなたに似た人』・ダールと一九五三年に結婚し五人の子供をもうけたが一九八三年に離婚した。

二0一0年八十四歳で死去。

生涯クーパーを忘れえず『自伝』の結びで彼女はゲーリー・クーパーポートレートを指して「これこそ、わたしが情熱をもって愛した、ただひとりの男性だった。自分のものにしようと闘った、ただひとりの男性だった」と述べている。

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何年ぶりかでベニー・グッドマンオーケストラのカーネギーホールコンサートを初めから終わりまで一気通貫で聴いた。ビッグバンドジャズはあまり聴かないがこのアルバムは別格で、一九三八年一月十六日のスイングジャズの頂点を極めたコンサートにはジャズの魅力とたのしさがいっぱい詰まっている。

「シング・シング・シング」のジェス・ステイシーのピアノ、マーサ・ティルトンのボーカル「素敵なあなた」、「アイ・ガット・リズム」のライオネル・ハンプトンのヴァイブ、「シャイン」のハリー・ジェームズのトランペットなどのパフォーマンスは忘れがたい。

ビッグバンドとはご無沙汰気味だがスモールコンボのベニー・グッドマンはよく聴く。なかでもチャーリー・クリスチャンが参加したCDは愛聴する一枚で、ベニー・グッドマン・オーケストラはノスタルジーとともに振り返る感が強いのにたいし、コンボのほうはモダンな感覚がうれしい。

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増村保造監督「巨人と玩具」で、某お菓子メーカーのコマーシャル・ガールに起用された野添ひとみと、その会社の宣伝部員、川口浩とがこんなやりとりをしていた。

「和英辞典と英和辞典とどう違うの?」

「きみは中学で何してたんだ」

「だってカレーライスとライスカレーはおんなじじゃない」

ライスカレーとカレーライス、何度かその違いは聞いたことがあるがはっきりと覚えていないのでGoogleで調べたところ、ご飯にカレーが最初からかかって出てくるのがライスカレー」、ルーとご飯が別の皿で出てくるのがカレーライスとあった。いまはさほど厳密ではない。

明治の世にはじめてライスカレーを見て、猫の飯のようで変なものだなといった人がいて、それにたいし西洋のおじやだよ、といって普及に努めた人がいた。

新しいものに尻込みする人たちには何らかの手立てをしないと商売にならない。西洋のおじやもそのひとつだった。牛乳は健康によい、おくすりでもあるとされて普及したと聞いたことがある。

昭和二十四年当時、シャルル・ボワイエイングリッド・バーグマンが共演した「凱旋門」が公開され、カルヴァドスというノルマンディ産の林檎酒を二人で飲むシーンが評判になった。

大多数の日本人が飲んだのはもちろん見たことも聞いたこともなかったのに「凱旋門」の役者二人が紹介してくれたのだからカルヴァドスはしあわせなお酒だ。。

もっとも戦後の混乱期、種村季弘は映画に惹かれてやっとのこと新宿にカルヴァドスを置く店があると聞いて行き、飲んだところ、これがとんでもない偽物であとでひどい目に遭った。偽物が出廻るほど流行していたわけだ。

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<out of sight ,out of mind.>視野の外に出ると、心も外に出る、つまり去るものは日々に疎しである。

ことわざは囲碁の定石のようなものか。定石だってときに定石外しで打たれる。ことわざも似たようなものだ。人生も世間も定石通りにはゆかないから、相反することわざも生まれる。

善は急げ、のいっぽうに、急がば回れや、急いては事をし損じるがある。君子危うきに近寄らずの反対に、虎穴に入らずんば虎子を得ずがある。若いときの虎穴に入る気概も、歳がゆけば蒸発して、危うきを避ける君子となる方も多くいらっしゃるだろう。老生もまた。

鳶が鷹を生んで喜ぶ人のいっぽうに蛙の子は蛙の嘆きがある。

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一月の10km走。走ったのは一月八日。六日の大雪で凍った地面を警戒しながらの走りだったが、それでもこれじゃだめだ。来月は挽回できるだろうか、あるいはこれが常態化するか。

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1km4分台から5分台へ、五十代ではじめて1kmに5分を要したときはショックで寝込むほどだった。それがいま6分台が迫ってきている。

昨年末、厚生労働省は、介護の必要がなく健康的に日常生活が送れる期間を示す「健康寿命」について、男性は72.68歳、女性は75.38歳だったと発表した。わたしはことし六度目の年男の七十二歳、長距離を走れるだけでもありがたいとわかっていても、憂いと嘆きは止まない。