2016-06-01から1ヶ月間の記事一覧

『北槎聞略』のことなど

五月末にサンクトペテルブルクとモスクワを旅した。写真はそのとき訪れたエカチェリーナ宮殿で、ロマノフ家が五月から八月末にかけて滞在した夏の宮殿として知られる。サンクトペテルブルク圏内のプーシキン地区にあり、大黒屋光太夫はここでエカチェリーナ…

トレドの広場で(西班牙と葡萄牙 其ノ二十)

トレドはタホ川に囲まれた岩の多い丘に築かれていて、要塞都市としてはこの上ない条件に恵まれていた。いまここは古い町並みと遺跡の残る観光都市で、ヴェネツィアとおなじく車では入れず、入り組んだ路地があり、狭い道をあちらこちらさまよっているうちに…

「64-ロクヨン-後編」

前編は時効が目前に迫る平成十四年の被害者家族および関係者の現在とこれまでの軌跡や警察内部の軋轢、警察と報道機関との捻じれた関係が眼目になっていたが後篇はいよいよ犯罪の解明に重心を移す。 前編以上にぐいぐいと引っ張られた。やはりミステリーの醍…

トレド大聖堂のなかで(西班牙と葡萄牙 其ノ十九)

トレド大聖堂は一二二六年フェルナンド三世の命により建築がはじめられ一四九三年に完成した。十三世紀フランス・ゴシック様式の影響が大きいとされる。サグラダ・ファミリアと同様にこちらも二百年以上かけて竣工しただけあって、見事なものだ。 美しい町並…

『裏切りの晩餐』

二0一二年に岩波書店がジョン・ル・カレ『われらが背きし者』を刊行したときは、学術書を中心としてきた出版社のスパイ・ストーリー分野への進出に、この書肆らしからぬという気持がしたのは致し方のないことだった。 この四月に出たオレン・スタインハウア…

トレド大聖堂(西班牙と葡萄牙 其ノ十八)

トルコとモロッコを旅行しているものだから、ときどきイスラム圏がお好きなんですかと訊ねられることがある。ほとんどなじみのないイスラムという異文化への興味がないわけではないが、それよりもわたしのばあいローマ帝国所領のあちらこちらを廻ってみたく…

「鈴懸の径」

「鈴懸の径」は昭和十七年(一九四二年)灰田勝彦の歌でヒットした。作曲は兄の灰田有紀彦、作詞は佐伯孝夫。レコードはこの年の九月に出ている。 灰田は昭和十一年立教大学の卒業で、いまキャンパスには〈友と語らん 鈴懸の径 通いなれたる 学舎の街/やさ…

トレド一望(西班牙と葡萄牙 其ノ十七)

「一日しかスペインにいられないのならトレドに行け」という名言があるそうだ。そこまで言われれば行かずにはすまない。当地はマドリードの南およそ71kmのところに位置するカスティーリヤ=ラ・マンチャ州の首都で、タホ川に面し、この川に囲まれた旧市街は…

「海よりもまだ深く」

良多(阿部寛)は十五年前にある文学賞を受賞したものの、その後はぱっとせず、いまは周囲にも自分にも小説の取材と言い訳しながら興信所に勤めている。出版社からマンガの原作を書くよう話があっても小説家としてのキャリアに傷がつくと袖にしてしまう。純…

ゴヤ(西班牙と葡萄牙 其ノ十六)

心にとめている作家でありながらまったくといってよいほど作品を読んだことのない人に堀田善衛がいる。東京大空襲のあと二十七歳の堀田は上海に渡り、ここで一年九か月ほどを暮した。そのかん祖国の敗戦を経験するとともに戦勝国中国の「惨勝」をつぶさに見…

「64-ロクヨン-前編」

誘拐された幼女は殺害されたうえに犯人は不明のまま。わずか七日間で平成となった昭和六十四年に起きたロクヨンと呼ばれる少女誘拐事件だ。事件発生から十四年、時効が迫る平成十四年にロクヨンを模倣したとおぼしい事件が起こる。 興味津々たる謎の提出だが…

ロシアへ(サンクトペテルブルクとモスクワ 其ノ一)

五月二十七日から五日間の日程でサンクトペテルブルクとモスクワを旅した。はじめてのロシアである。 成田空港からモスクワ空港へ、そして航空機を乗り継いでサンクトペテルブルクへ。ここでは宮殿広場、聖イサク寺院、聖堂の騎士象、血の上の教会などを観光…