ゴヤ(西班牙と葡萄牙 其ノ十六)


心にとめている作家でありながらまったくといってよいほど作品を読んだことのない人に堀田善衛がいる。東京大空襲のあと二十七歳の堀田は上海に渡り、ここで一年九か月ほどを暮した。そのかん祖国の敗戦を経験するとともに戦勝国中国の「惨勝」をつぶさに見た。この経験は「戦後の生き方そのものに決定的なものをもたらし」たと『上海にて』に書いている。
かれはまたアジア・アフリカ作家会議の日本評議会の事務局長や「べ平連」発足の呼びかけ人でもあった。そして一九七四年から七七年にかけて『ゴヤ』を、九一年から九四年にかけてモンテーニュを見据えた『ミシェル 城館の人』という二つの大著を上梓した。『ゴヤ』を書き終えてからの堀田はスペインに居をかまえ、同国と日本とを往復するようになった。上海で自覚した「戦後の生き方」がどのようにしてゴヤに、スペインにたどり着いたのか、この国際的な視野をもつ文学者の軌跡が気になる。