2019旅順、大連、錦州(其ノ二)

東鶏冠山北堡塁は帝政ロシアが日本軍の攻撃を防御するため東鶏冠山に建設した堡塁で、日露戦争の激戦地のひとつとなった。日本軍はこの堡塁を奪い、突破するために一九0四年の八月から十二月にかけておよそ四か月を要し、死者は八千人に及んだ。壁面の銃弾痕が生々しい。

なお戦跡保存の塔の正面には次のように刻まれている。(旧字体新字体に直した)

「明治三十七年八月以来第十一師団ノ諸隊及後備歩兵第四旅団ノ一部隊之ヲ攻撃シ同年十二月十八日占領ス

陸軍大将男爵鮫島重雄碑銘ヲ書ス

大正五年十月

満鉄戦跡保存会」

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関東軍司令部ははじめ旅順にあった。関東軍の関東は、万里の長城の東の端、山海関の東側、つまり満洲全体を意味する。日露戦争でロシアから獲得した関東州と南満洲鉄道の付属地の守備を担っていたのが関東都督府陸軍部で、一九一九年(大正八年)に関東都督府が関東庁に改組され、陸軍部は関東軍となった。司令部ははじめ旅順に置かれたが一九三一年(昭和六年)の満洲事変のあと「満洲国」の首都新京(いまの長春市)に移転した。

写真は旅順の司令部跡で。

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石碑の簡体字を直すと「粛親王府旧址」つまり粛親王の公館址です。粛親王清朝皇統の縁戚として辛亥革命に反対し、清朝を存続するための活動に従事し、それが失敗してからは宣統帝復辟の企てを続けた人で、その政治的立場から日本の満蒙侵略と結びついた。そしてこの人の娘が「東洋のマタ・ハリ」「男装の麗人」こと川島芳子(志那浪人川島浪速の養女だった)である。実父とおなじく清朝の再興を期し,陸軍特務機関の意を受けて諜報活動に従事したとして戦後漢奸として処刑された。一時期、李香蘭とも交友があった。

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日露戦争の激戦地のひとつ二0三高地。現地に、中国語、英語、日本語の紹介文があったので、日本語の部分を紹介しておこう。

203高地は1904年の日露戦争の主要戦場の一つである。日露両軍はこの高地を争奪するため、激しい、強い争いをし、結果、ロシア軍側では死傷者は5000名余り、日本軍側では死傷者は10000名余りに達した。戦後、日本第三軍司令官である乃木希典は戦争で命をなくした兵士たちを記念するため、砲弾の残片でこの高さ10.3メートルの砲弾状の慰霊塔を建て、爾霊山という三文字を揮毫した。今は、この爾霊山はすでに日本軍国主義による対外侵略の罪の証拠と恥の柱となった」

なお爾霊山(にれいさん、あなたの霊の山の意)は二0三(に・れい・さん)の当て字。

大連の小学校の遠足ではよく日露戦争の戦跡めぐりがおこなわれたそうだ。

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大連大学附属中山医院。かつての満鉄大連病院で、地下一階、地上四階で、延べ面積九万平米は大連における最大規模の歴史建築で、竣工は一九二五年、当時は「東洋一の総合病院」と評されていた。

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2019旅順、大連、錦州(其ノ一)

二0一九年六月十四日、成田空港から大連へ向かった。所要時間三時間余り。一九七六年三月にはじめて訪れて以来中国へは何度か来ているが東北地方は今回がはじめてだ。

大連市は日中関係の要衝となった都市で、南満洲鉄道株式会社(満鉄)の本社や関東軍の司令部があったところ。日本の前にはロシアが租借していてパリのような都市の建設をめざしていたが日露戦争の敗北により挫折し、日本の租借地となった。

写真はかつての日本人街で、満鉄社宅はこの地域にあった。

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わたしは大連を「だいれん」と呼んできたが「たいれん」という人も多くいたそうで、安岡章太郎阿部昭との対談で「当時の内地では『たいれん』といってたんだ。満州に行った人だけが『だいれん』というんだよ。特に大連に住んでいる人は『だいれん』という。だから、ぼくらにとっては、大連から来た連中が『だいれん』というのを聞くと、非常に奇異な感じがした」と語っている。

ただし戦前の辞書、事典には「だいれん」「たいれん」ともに立項されていて安岡章太郎の証言によれば内地では「たいれん」が一般的だった。

大連とアカシヤとの結びつきを知ったのは清岡卓行アカシヤの大連』だった。清岡は一九二二年(大正十一年)に大連で生まれ、そのかん一高、東大への内地留学の時期を含め、敗戦による本土への引き揚げまで二十数年間を大連で過ごした。

アカシヤの大連』は一九六九年度芥川賞受賞作だからずいぶんと古い話だが、わたしはこの作品を未読のまま、大連と聞けばアカシヤを連想していたから、この書名は半世紀にわたり鮮烈なイメージをもたらしていた。

アカシヤは中国のイメージを喚起するものではなく、ヨーロッパを連想させた。「それは、かつての日本の植民地の都会で、ふしぎにヨーロッパふうの感じがする町並みであった」とは大連を扱った連作小説集『アカシヤの大連』所収の「朝の悲しみ」の一節である。

今回の旅から帰ってから半世紀のあいだ保留してきた宿題を果たすような気持で『アカシヤの大連』を読んだ。

「五月の半ばを過ぎた頃、南山麓の歩道のあちこちに沢山植えられている並木のアカシヤは、一斉に花を開いた。すると、町全体に、あの悩ましく甘美な匂い、あの、純潔のうちに疼く欲望のような、あるいは、逸楽のうちに回想される清らかな夢のような、どこかしら寂しげな匂いが、いっぱいに溢れたのだった」

明晰で美しい文章だ。

ちなみに『国民百科大辞典』(冨山房1934年~1937年)の「だいれんし」の説明には「邦人ノ建設シタ最初ノ近代的都市デ、市街ノ壮麗ナコト《東洋ノ巴里》ノ称ガアル」とあった。(清岡卓行『大連港で』福武文庫の解説参照、武藤康史執筆)

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大連中心部の中山広場には高層ビルが立ち並ぶが、なかで歴史文物としてよく知られるのがかつての大連ヤマトホテル、いまの大連賓館だ。

ヤマトホテルは南満州鉄道株式会社(満鉄)が経営する高級ホテルブランドで一九0七年から一九四五年まで満鉄線沿線の主要都市を中心にホテル網を展開しており大連ヤマトホテルはその旗艦店だった。

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広場は帝政ロシアが統治する時期に建設されていて、そのときはニコライェフスカヤ広場と呼ばれた。日本の統治時代は大広場の名称となり、近代的なビル群が建てられた。広場の変遷にも国際政治のありようが反映している。

大連にはヤマトホテルチェーンの経営母体だった満鉄の本社もあり、現在は鉄道事務所となっていて、一部が満鉄旧跡陳列館として開放されている。展示物の撮影はほとんど許可されていないが、一部許可されたなかに、本社ホールで行われた結婚披露宴の模様の写真があり、列席者のなかに佐藤栄作首相の若き日の姿が見えていた。

かつてのヤマトホテル、満鉄本社ともに中国人にとって不都合な歴史であり、痛みの残る歴史文物なのだが、しっかり整備され参観できるようになっていて、あらためて日中友好の大切さを思ったことだった。

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時代は前後するが、夏目漱石が友人の満鉄総裁中村是公に誘われて「満韓ところどころ」の旅に出発したのは一九0九年九月二日、大連港に着いたのは九月六日だった。夕刻、漱石中村是好を満鉄総裁邸に訪ねたが不在で、ヤマトホテルに投宿し、入浴しているところへ是好がやってきた。漱石が、どこへ行っていたんだと聞くと是好はベースボールをみて、それから船を漕いでいたと答えた。

アメリカ軍艦が大連港に停泊していて、この日と前日の五日に乗組員チームと満鉄チームが野球の試合をしていたのだった。

日露戦争から四年後、大連における野球を通じた日米友好という時代の雰囲気を垣間見せてくれる漱石旅行記で、野球を見ていた中国人の視線や日本の前に大連を租借していた帝政ロシアの事情を考えあわせると、その後の国際政治の重大要素が凝縮されている感のある大連なのだった。

「満韓ところどころ」で漱石が、「谷村君」という、中国人と組んで豆の商売を営んでいる人に案内されて商売仲間たちの旅籠、集会所、娯楽所を兼ねた家を訪ねるくだりがある。いわば大連の商人倶楽部で漱石盤上遊戯に興じている中国人の姿を見て「四人で博奕を打っていた。博奕の道具はすこぶる雅なものであった。厚みも大きさも将棋の飛車角ぐらいに当る札を五六十枚ほど四人で分けて、それをいろいろに並べかえて勝負を決していた。その札は磨いた竹と薄い象牙とを背中合せに接いだもので、その象牙の方にはいろいろの模様が彫刻してあった」と書いている。

麻雀で間違いないと思われるが、ゲームの名は書かれておらず、念のためWikipediaを参照したところ、なんと、日本人で初めて麻雀に言及したのはおそらくこの文章だろう、ですって!日本文学史上のちょっといい話。

麻雀が日本に伝わったのは明治の末で、広く知られるようになったのは関東大震災の後だったが、文学史のうえでは漱石が大連の一室で見た光景に発していた。

新コロ漫筆~「客子暴言」を読む

永井荷風に「客子暴言」という随筆がある。 初出は大正五年(一九一六年)七月一日「文明」、いま『荷風全集』第十二巻(岩波書店新版)に収められていて、四頁ほどの短文ながら、このころの性風俗を俯瞰するのに有益また貴重な一文であり、また新型コロナ禍の現代を考えるにも裨益するところが大きい。

その冒頭「去月初め頃より東京市中を手始に日本全国津々浦々に至る迄淫売女転芸者湯女飯盛の類厳く御詮議」をうけて吉原、品川など官許の遊里が大繁盛したとある。

おそらく官許の遊里側が警察に私娼の取締りを働きかけたのだろう。この時点では公娼の店主側が権力との癒着が強いぶん力関係では私娼側を上回っていたと思われるが、圧力団体として取締りを要請しなければならないほど私娼側の追い上げがあった構図がみえてくる。それだけ既得権益は危うくなっていた。

お客にとって公娼と私娼の区別など関係なく、安くてたのしいひとときがあればそれでよし、廓に上がって昔ながらの作法、しきたりに煩わされるより、待合に芸者を呼び、ともに気楽な時間を過ごすのを好む男が多くなっていた。

「隠居(荷風自身のこと)の若かりし頃には書生にて芸者買に行くものは少し大抵は廓通ひなり(中略)近頃は書生も少し気のきいた事云ふやうなものは大抵待合へ行くやうなり」というふうに変化の波が及んでおり、しかも待合では自由な会話もたのしめるから女の側にも会話の素養が求められる、となれば「廓の中ばかりに居て芝居活動写真にも行つた事のない花魁では話が面白からずそれよりは外出自由の芸者何かと世間話もできて面白き訳なり」である。おなじく金を介した男と女の関係であっても公娼側は守勢に立たされていて、巻き返しのため「淫売女転芸者湯女飯盛の類厳く御詮議」となったのであろう。

荷風はこの事態をどうみていたか。

ひとことでいえば「女子操を売りたりとてさして今の世の害になるとも思はれぬ」「女子売春の如きはどつちにしても大事にはあらざる」ものであり、待合で枕営業をする芸者の取締りを行なっても社会がよくなるなんてことはなく、それよりも「日々新聞紙上の記事を御覧あれかし。大臣も議員も堂々たる男子千円か二千円の賄賂にて大事な節操を売買するにあらずや。芸者よりも劣りたるものなり」と断言したのだった。

性を売る女に、権力を持つ男の政治スキャンダルを対置した荷風の主張は承知していた。ただし「客子暴言」については記憶にない。『荷風全集』を通読した際に目を通していたはずなのだが、覚えていないのはそのとき切実さを感じていなかったためだろう。しかしコロナ禍のいまこれを読むと荷風の議論にはひしひしと迫ってくるものがあり、けして過去の話ではなく現代の問題でもあることに気づく。

安倍前首相はいわゆる「モリカケ桜」や河井克之・案里夫妻の公選法違反事件などの政治スキャンダルを抱えており、いずれにも誠実さを欠いたままの対応に終始し、辞任した。

森友学園の問題では一切の関わりはないと強弁し、そのため財務省は公文書の改竄まで行い、それをやらされた職員は自殺した。桜を見る会の問題ではホテルニューオータニでの会費五千円の前夜祭のパーティに補填はなかったと虚偽答弁を繰り返し、辞任後、秘書による政治資金収支報告書への不記載が明らかになったなどと陳謝した。河合夫妻に自民党本部から振り込まれた一億五千万円と選挙買収費用との関係は曖昧なままにされている。

そのいっぽうで、新型コロナウイルウス感染拡大に伴う持続化給付金の申請受付に先立ち、安倍内閣性風俗関連営業の事業者(ソープランド、キャバクラ、出会い系喫茶、ストリップ劇場など)は、新型コロナ対策の持続化給付金の対象から外されると発表したのである。のちに撤回したとはいえ税を課しながら支援を拒否するなどとんでもない話である。

こうした政府の体質は菅内閣においてもおなじで、歴代総務大臣とNTT幹部との、また総務省の官僚と首相の長男を交えた東北新社幹部との会食問題への木で鼻を括ったような対応をみれば明らかだろう。欲に目が眩んでいては感染症対策を誤る。 GoToキャンペーン ではアクセルとブレーキを踏みまちがえた。いまはコロナ対策をさしおいてオリンピックパラリンピックにうつつを抜かすことにならないよう願うばかりだ。

現代の社会を改造しようとするなら、まず「女子の身売の風習」を改めよ、吉原の公娼や新橋の芸妓はそのままに浅草の白首(売春婦)を退治するなど本末を誤っているという荷風にならっていえば 、ソープランド、キャバクラ、出会い系喫茶、ストリップ劇場などに勤める女性たちを追いやり、虐げるのは本末を誤るもの、まず正すべきは虚偽、不正、便宜供与などなど、詳しくは週刊誌、新聞紙などの報道を御覧あれかし。

 

「逃げた女」

女は結婚して五年、そのかん一度も離れたことのなかった夫がはじめて出張となり、彼女はソウル郊外にいる女ともだちを訪ねます。面倒見のよかった先輩は離婚していまは親しい女性といっしょに生活してい、もう一人の先輩は高収入で気楽な独身生活を楽しんでいます。そして彼女はたまたま旧友とも出会います。彼女と旧友の夫とは以前に揉めごとがあったようで、女は旧友に過去の過ちを謝っていました。

女はふたりの先輩と旧友に「愛する人とは何があっても一緒にいるべき」という夫のことばを繰り返します。けれど彼女が語りかける三人の女には「何があっても一緒にいるべき」男はおらず、それどころか喉に刺さる小骨のような男の存在が垣間見されます。夫のことばを繰り返す女のしあわせの確かな手ざわりもわたしはことばほどは感じませんでした。

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食事をし、お酒を飲み、適度に親しく何気ない会話を交わしながらともに過ごす時間、まったりとしたひととき。そのなかで、女たちは心の窓を開いたり、閉じたり、たわいない語らいに含みを持たせたりするうち微かな不安や孤独を含んだ日常がちょっぴり露わになります。

あとはすべてスクリーンを見つめ、思い出しながら想像するほかありません。ホン・サンス監督の仕掛ける想像への刺激に引き込まれる方もいれば、反対にあまりに少ない材料に不満を覚えた方もいらっしゃるでしょう。なにしろ上映時間は七十七分なのですから。わたしはといえば想像力は極めて乏しいくせに前者の立場にあるとしておきましょう。

ラストシーンの海ではさざ波が寄せては引いていました。大波とか台風のような事件はなく、あるのは暗喩として提示されたさざ波をめぐるさまざまなことがら。

「いたづらに過る月日もおもしろし花見てばかりくらされぬ世は」(大田南畝

花を見て暮らす日常に代わって、ここにはさざ波を想起させる「いたづらに過る月日」に潜むスリルとサスペンス、逃げることの冒険があります。それらをあえて総称すればおもしろさがあると思いました。

(六月十五日ヒューマントラストシネマ有楽町)

ワクチン接種一回目予約完了

「さつきの頃、家々にのぼりたつるをみて によきによきとたてる幟の子だからはげに家々の御珍宝かな」大田南畝

五月はかくありたいものだが、いまはオリンピックパラリンピックと新型コロナ感染症が合体し「によきによき」と不気味に迫ってきている感じがする。

おなじく大田南畝『俗耳鼓吹』にある笑い話をひとつ。

 浪速の一本亭芙蓉花という人が江戸に来て浅草観世音の堂に絵馬を捧げ、狂歌をよんだ。

「みがいたらみがいただけはひかるなりせうね玉でもなんの玉でも」

「せうね」は性根、心がまえ、根性です。

どなたかがこれに応じた。

「みがいてもみがいただけはひかるまじこんな狂歌の性根玉では」

もうひとつ 多稼翁当時(タカオキナ・ソノカミ?)という人の落首があり、こちらはさすがの南畝先生も本文に収めるのは憚られたのだろう、欄外に手書している。

「金玉はみがいてみてもひかりなしまして屁玉は手にもとられず」

巧みに風刺、皮肉、揶揄する狂歌のやりとりに江戸の社会の魅力をかいまみた気がした。

ついでながらレイモンド・チャンドラー『リトル・シスター』(村上春樹訳)でフレンチ警部補が「ベイ・シティの警官はどうしてそんなにタフになれるんだろうな、キンタマを塩水で漬けるとか、そういうことをしているのかい?」という箇所の清水俊二訳「ベイ・シティの警官はどうしてそう威しが好きなんだね。頭を塩漬けにでもしてるのか」。

原書がないからわからないが「頭」と「キンタマ」に互換性はないはずなのに。

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わいせつ行為で免職になった者がいつのまにかもう一度教壇に立っていたとニュースで知り、驚き、あきれた。そうした過去をもつ人は教壇ばかりでなく人前に立つのも避けたいと思わないのかなあ。それともふつうの神経からかけ離れている、というかもともと常人の神経ではないから淫らな行為に及んだのか。

チェックする側の杜撰さにもあいた口が塞がらない。安倍内閣のもとではじまった小中高の教員にたいする免許更新制度は、できるだけ教員に自由な時間を与えない、手足を縛って鞭を当て続けなければならないとの思いが政府与党の考え方のベースにあったとわたしは睨んでいるが、肝心なことが抜かっていたわけだ。

永井荷風が「二百十日」という随筆に「西洋にては上流の子弟は男女を問はず年頃になるまでは市中の学校には通学せしめず家庭教師について学ばしむといふ。わが国にても追々さうでもしなくては叶ふまじ。半玉でも抱えた気になつて月経を調べる先生出づる世の中大事な娘にもう学問はさせられず」と書いている。

大笑いしたあとで以下の二点につき疑問を覚えた。

西洋上流家庭において家庭教師を雇った一因に、教師のセクハラ、わいせつ行為を避けるためもあったのか、もうひとつ、大正時代には荷風のいうように、女学校の教師のなかに生徒を半玉(芸者の見習い)のようにみていた者もいたのだろうか。学校とは厄介なところである。

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紀州ドンファンと呼ばれた人の殺害事件から三年ほど経った四月二十八日、元妻が容疑者として逮捕された。

殺人事件の捜査に優先順位はあってはならない、公式には。しかしトリアージじゃないけれど、いずれを重要視するかという微妙な問題はあるような気がする。元妻はいま容疑者であり、いずれ真相が明らかにされるよう願っておくが、女に金を使いまくった大資産家の痴情のもつれに警察はどれほどの位置づけをしていたのだろう。

ウィキペディアに、二十世紀に活動した日本の政治活動家、ヤクザ、実業家、通称「歩く三億円」、えせ同和行為の黒幕、大物の同和事件屋として名を売ったと紹介のある某が一九八四年に入院中の病院で殺害されたときは、二三度みかけたことのある人物だっただけに驚きはしたが、他方で捜査の優先度、喫緊の度合はそれほどでもないだろう、暴力団とのいさかいと考えられる事件を担当する捜査陣のモチベーションも高くないだろうと想像した。

捜査は警視庁で殺人事件を担当する捜査一課にくわえマル暴担当の捜査四課や公安警察まで動員して行われたが、けっきょく迷宮入りとなった。一部には霞ヶ関から恨みを買っていたことから暴力団による犯行ではなく、公権力を背後に持つ特殊部隊の犯行と報じる向きもあった。こうしたいきさつから紀州ドンファンの事件にたいする捜査陣の胸の内を忖度したしだいである。

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月に一度、第二土曜日に行われている10キロレース(ヴァーチャル)に出走していて、先月の結果は 56:58 、440/1012、昨秋七十歳になってからではいちばんよい成績だった。うれしいことに今月五月八日のレースはそれを更新して、56:16、283/846だった。まことにめでたく、若干強化した筋トレの成果だと信じたい。

ときにかつてのタイムを思わぬではないけれど繰り言に過ぎない。すでに人さまとの闘いどころでなく、何よりも自分との闘いである。他の競技はわからないが長距離走のよいところは高齢になっても自分との闘いをバネにそれなりにプレーできることにある。新コロ禍のなか走れるのはありがたい。

家族からは、あまりタイムに熱中しない、タイムにこだわる高齢者で故障する人は多いと説教されている。わたしもあくまで完走第一、タイムは余徳であり、そのうえで適度な余徳の追求が完走のモチベーションを高めるという。

秋に行われる予定の東京マラソンは落選だった。早くフルマラソンを走る機会がやって来てくれないと完走は難しくなるのではと心配している。

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いま池田清彦『騙されない老後』(扶桑社)を読んでいて、なかに毎日3キロのジョギングをすると決めたら、真面目な人ほどそれを守る、若い人はそれで効果があるかもしれないが、老人のばあいはおなじ距離でも負荷は日々強くなってゆく、それなのに何がなんでも3キロを走り続けるなんて、体にいいわけがない、とあった。

現職のときは毎日は走れず、休日集中で長い距離を走ったが、退職後はほぼ毎日となり、3キロどころか、7キロほどを走っているから、池田先生がおっしゃるように身体によくないのはその通りだろう。早死にしてもよいから走りたいなどとは思っていないし、健康のためだったらウォーキングに転向したほうがよい。ならばどうして走るのか。

長年の長距離走が習慣化して、依存症もしくは生活習慣病化しているというのが自己診断で、一日二日の休みはまだしも三日走らないとなると身体の調子がおかしく、それ以上に精神的にイラっとしていけない。

中国北宋時代の書家、詩人だった黄庭堅は(1045~1105)三日も本を読まなかったら、面つきも言葉遣いも悪くなるといった。(士大夫三日書を読まざれば、則ち理義胸中に交らず。 便ち覚ゆ、面目憎むべく、語言味無きを)

わたしは三日のあいだ本を読まなくても大丈夫だが、走らないのはさびしい。

『騙されない老後』を読み進めると池田先生が「なかにはハードな運動が楽しいという人もいるけど、言っちゃあ悪いが、それは一種の中毒である。苦しい思いをして走ったりしたあとに爽快な気分になるのは、エンドルフィンという脳内麻薬が出るせいである」と書いていた。どうやらわたしは エンドルフィンに侵されているらしい。数十年の長きにわたるから麻薬の量は凄いぞ。

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イギリス人作家によるスパイ小説はグレアム・グリーンジョン・ル・カレをはじめそれなりに読んできたが、このほどはじめてわが国の外事警察を描いた月村了衛『東京輪舞』(小学館)を読んだ。 砂田という外事畑の警察官のあゆみを通してロッキード事件東芝COCOM違反事件、ソ連邦崩壊、オウム事件などを取り上げた公安外事警察ものであり、 広い意味での国産スパイ小説そして出色の作品である。

砂田はヒーローとは遠く、 狂言回し的役割を担っていて、そのやるせなさ感はジョン・ル・カレを思わせてよろしい。

読み終えたあと、未見の録画ドラマ群にずばり「外事警察」があり、いよいよ見ごろと視聴に臨んだ。遅ればせながら、こうして本と映像が交わりエンターテイメントの世界が広がるのはしあわせなひとときだ。

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図書館で借りて読むつもりだった平居紀一『甘美なる誘拐 』(宝島社文庫 )を変更して購入した。五月十一日付の日経、朝日、読売朝刊に掲載した「ワクチンもない。クスリもない。タケヤリで戦えというのか。このままじゃ、政治に殺される。」という政府の新コロ対策についての意見広告にエールを送りたくて。

ワクチンについては先日高齢者用接種券が届いたが区の予約サイトを開くたびにすべての接種会場が予約不可になっていて次は何日から予約できます、なんてある。機敏に動かない人はダメということだな。政府が設ける大規模接種会場は密になりそうだから行かない。それに区が接種するファイザーのほうが国のモデルナより評判がよさそう。

いっぽう子供からのメールには、急いではいけない、副反応をよく見極めてからで遅くはないと書かれてあった。やれやれ。

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TVドラマ「外事警察」全六話をみた。二00九年にNHKが放送した作品で、録画は日本映画専門チャンネルが再放送したときのもので、よくぞ録っておいたと思える出来栄えだった。 

NHKが放送したときは在職中でTVドラマとはまったく縁がなく、タイトルさえ知らなかったから、これも退職のおかげである。

外事警察」は エスピオナージュの味付けがされた警察もので、日本にもこれほどシリアスなスパイドラマがあったんだとうれしくなった。公安警察の外事課とテロリストとの壮絶な情報戦争、騙し合いを描いた作品だが官房長官や米国の軍事産業も登場して骨格は大きい。そのうち麻生幾の原作を読んでみたい。

ソ連と向き合ってきた外事警察官の辿った人生を描いた月村了衛『東京輪舞』のおかげでこのドラマにたどり着いた。TVドラマではジョン・ル・カレのスマイリー三部作を四十年ほど前にBBCアレック・ギネス主演で製作していて、日本での放送を切望している。

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平居紀一『甘美なる誘拐』読了。誘拐、やくざ、地上げ、詐欺、胡散臭い宗教団体などダークな世界を扱いながら、読み終えてみると爽快な青春小説の香りがする。よかったなあ。誘拐ミステリーに、騙し騙されのコンゲーム小説の要素が加わり、最後に小技を効かせたどんでん返し。そうだったのかとニヤリ。

『甘美なる誘拐』の主人公は市岡真二とその相棒の草塩悠人、それぞれ二十二歳と二十三歳、ともに零細暴力団の組員見習い、阿漕な組長からは盃をもらっていない。トホホな日常が組長の企てた誘拐を機に大きく変化する。ミステリー紹介の礼儀で着地点は示せないけれど、一種の人間成長小説の趣もある。

先日みた映画「ヤクザと家族」は暴対法の影響でかつての隆盛の影もなくなった組の姿がシリアスに描かれた名作だったが、「甘美なる誘拐」も斜陽産業と化したやくざの世界を背景としている。主人公の二人はやくざの見習い、いわばやくざ未満の若者の手探りの人生が本書の魅力のひとつとなっている。

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五月二十一日、IOC国際オリンピック委員会)のジョン・コーツ調整委員長が会見で「大会開催中に東京に緊急事態宣言が出されたら、開催するのか?」と問われ「その質問に対する答えはイエスだ」と発言した。「東京に緊急事態宣言が出ていようと出ていまいと、我々の対策によって安全な大会は可能だ」と述べたとの報道もあった。

これまでのところ政府はこの発言になんらコメントしていない、つまり容認している。いま日本は半植民地状態じゃないのか。

ともかくこの発言で 新型コロナ感染症がどのような状況であろうともオリンピックパラリンピックは開催されると見極めはついた。七月中旬の感染状況の予想はできないが、被害を避けるためにはどうすればよいか、感染状況によっては一時的に東京を離れる案も含めて考えておかなければならない。余計な心配増すばかり。

大田南畝『仮名世説』に荻生徂徠のエピソードがある。

 下谷の万年山祝言寺は徂徠と何かの縁があったそうで、徂徠の家に仕えていた老婆が、祝言寺の説教への参詣者は数多いのに、こちらの講義会読に来る者は少いというと徂徠先生、臭いものには多くの蝿がたかる、と語ったそうだ。そこですぐに IOC のバッハとかコーツとかの顔が浮かびこの組織の臭さを想像して辟易した。

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一回目のワクチン接種の予約がようやくできた。文京区での接種だからファイザーになる。五月二十一日に予約して、接種は七月一日。予約できてすぐに三つのことを思った。その日、気分が悪くなったりすると晩酌がヤバいのでそれはなんとしても避けたい、オリパラが強行されるとなると開会式までに二回目を済ませたいが、間に合わない可能性が高い、副反応の問題が頻発すればキャンセルしなくてはならない。

子供のころインフルエンザの予防接種をしたかどうかはわからないが成人してからは接種していない。毎年区から高齢者に向けた案内はあり、一応考えはするけれどこれまでインフルエンザに罹患したことがないので、突然異物が体内に入ってくるのが怖くて結局はパスしている。新コロ接種も嫌だな。

そうはいっても海外旅行は行きたいので接種しない選択はない。副反応のトラブルを注視しよう。

「HOKUSAI」

緊急事態宣言で営業を休止していた東京の映画館が制限つきながら六月一日から再開し、久しぶりに劇場で映画をみました。

「HOKUSAI」は葛飾北斎(1760-1849)の人生の四つのシーンを章立てとした、小説でいえば短篇連作の映画です。青壮年期を柳楽優弥、老年期を田中泯が演じていて、どちらも優れもの、そうして絵画への情熱とあくなき追求、また絵画は時代変えることができるという信念の持主という絵師像は一気通貫しています。

映画と史実とのあいだにどれほどの隔たりがあるのかはわたしにはわかりません。けれど橋本一監督、企画とシナリオを担当した河原れんたちスタッフが北斎ならびに喜多川歌麿東洲斎写楽を世に出し、北斎の版元ともなった蔦屋重三郎阿部寛)、北斎の盟友で「偐紫田舎源氏」で名高い戯作者柳亭種彦永山瑛太)たちをどのような人物として捉え、形作りたかったかという点はよくわかりました。

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かれらは優れたクリエイターであり、北斎と蔦屋は「世間と勝負する」気骨の人また海外事情をも視野に入れた広やかな精神の持主です。また種彦は武士身分のままに戯作や随筆を著し、その不屈の意思は北斎、蔦屋の気骨に通じていました。しかしながらこれらの事情はおのずと幕府の「風紀を乱す」を盾とする文化弾圧に対峙せざるをえなくなる要因となります。こうした人物像はぶれることなく描かれていて、メッセージもしっかり伝わってきました。ちなみに奢侈逸楽は厳禁、贅沢は敵の天保の改革がはじまったのは一八三0年ですから北斎は七十歳、水野忠邦が老中職を免ぜられたのは一八四五年でした。

ただし、気骨の人、不屈の人としてぶれることなく描かれたところにいささかの気がかりがあります。というのも、永井荷風が江戸の絵師や戯作者の心情に寄せて、御政道がどうあろうと下民のあずかり知ったことではない、とやかく申すのは畏れ多いと春本や春画の製作に打ち込んでいたと述べています。それは一面で「世の中から全く隠退し得たやうな悲しいあきらめの平和」でありました。

わたしが覚えた気がかりは「HOKUSAI」の北斎の胸中にこうした心情が忍び寄ることはなかったのだろうか、もしくは自身と異なる「あきらめの平和」の絵師や戯作者をかれはどんなふうに眺めていたのだろうという疑問です。北斎の生涯にこれらのことがらを絡めると、もっと陰影に富んだ人物像となったような気がしました。 

(六月七日TOHOシネマズ日比谷)

 

 

 

「デンジャラス・ライ」

緊急事態宣言のなか、つれづれなるままに「デンジャラス・ライ」(Netflix)という聞いたことのない(もちろん見たこともね)映画をみました。デンゼル・ワシントンの「デンジャラス・ラン」じゃないですよ、念のため。

チョイスしたのは、貧困にあえぐ介護人に舞い込んだ裕福な患者の全財産、という簡単な紹介から、大好きな巻き込まれ型の物語らしいと推測できたからでした。結果をいえば正解で、マイケル・スコット監督、二0二0年の作品は昔なつかしいB級ピクチャーの匂いを濃厚に漂わせながら進行します。

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犯罪、陰謀、暴力いずれとも関わりのない素人というか堅気の人が思わぬ事情からそれらと関わることになるというのが巻き込まれ型の基本で、ここでは家計のやりくりに悩むケイティ(カミラ・メンデス)が裕福な一人住まいの高齢男性レナード(エリオット・グールド)の介護に従事するうち、彼の死に遭い、しかも彼女に邸宅を含む全財産を譲るという遺言が存在するというのです。

そこで現れたのが邸宅売却を強要する自称不動産屋、ケイティをレナードのもとに派遣した派遣会社の役員、老人の死に100%納得はしていない刑事、そうして葬儀には遺言書を携えた弁護士がやって来ます。お金持ちの男の家には犯罪がらみの秘密がありそうです。

じつはお金持ちの老人レナードはケイティの窮状を知り、彼女の夫(婚約者かな?)で大学院生のアダム(ジェシー・T・アッシャー)を庭師として雇ってあげていたのですが、彼女に大金が遺されたことから彼の行動も怪しくなります。相続税を逃れる方法を探るなど完全に彼女のカネはおれのカネ状態で、ケイティはこれまで思ってもみなかったアダムの強欲さや抜け目なさを知ることとなります。苦々しく思っていたそんな折、アダムにレナード殺害の疑惑が持ち上がります。

逃れの道を探そうとするケイティ、しかしその道は事態の解決なしに開くことはありません。巻き込まれ型の方程式をふまえながら、お宝争奪戦のテイストを加えた、煩わしさ皆無のお手軽な娯楽作品です。