新コロ漫筆~「客子暴言」を読む

永井荷風に「客子暴言」という随筆がある。 初出は大正五年(一九一六年)七月一日「文明」、いま『荷風全集』第十二巻(岩波書店新版)に収められていて、四頁ほどの短文ながら、このころの性風俗を俯瞰するのに有益また貴重な一文であり、また新型コロナ禍の現代を考えるにも裨益するところが大きい。

その冒頭「去月初め頃より東京市中を手始に日本全国津々浦々に至る迄淫売女転芸者湯女飯盛の類厳く御詮議」をうけて吉原、品川など官許の遊里が大繁盛したとある。

おそらく官許の遊里側が警察に私娼の取締りを働きかけたのだろう。この時点では公娼の店主側が権力との癒着が強いぶん力関係では私娼側を上回っていたと思われるが、圧力団体として取締りを要請しなければならないほど私娼側の追い上げがあった構図がみえてくる。それだけ既得権益は危うくなっていた。

お客にとって公娼と私娼の区別など関係なく、安くてたのしいひとときがあればそれでよし、廓に上がって昔ながらの作法、しきたりに煩わされるより、待合に芸者を呼び、ともに気楽な時間を過ごすのを好む男が多くなっていた。

「隠居(荷風自身のこと)の若かりし頃には書生にて芸者買に行くものは少し大抵は廓通ひなり(中略)近頃は書生も少し気のきいた事云ふやうなものは大抵待合へ行くやうなり」というふうに変化の波が及んでおり、しかも待合では自由な会話もたのしめるから女の側にも会話の素養が求められる、となれば「廓の中ばかりに居て芝居活動写真にも行つた事のない花魁では話が面白からずそれよりは外出自由の芸者何かと世間話もできて面白き訳なり」である。おなじく金を介した男と女の関係であっても公娼側は守勢に立たされていて、巻き返しのため「淫売女転芸者湯女飯盛の類厳く御詮議」となったのであろう。

荷風はこの事態をどうみていたか。

ひとことでいえば「女子操を売りたりとてさして今の世の害になるとも思はれぬ」「女子売春の如きはどつちにしても大事にはあらざる」ものであり、待合で枕営業をする芸者の取締りを行なっても社会がよくなるなんてことはなく、それよりも「日々新聞紙上の記事を御覧あれかし。大臣も議員も堂々たる男子千円か二千円の賄賂にて大事な節操を売買するにあらずや。芸者よりも劣りたるものなり」と断言したのだった。

性を売る女に、権力を持つ男の政治スキャンダルを対置した荷風の主張は承知していた。ただし「客子暴言」については記憶にない。『荷風全集』を通読した際に目を通していたはずなのだが、覚えていないのはそのとき切実さを感じていなかったためだろう。しかしコロナ禍のいまこれを読むと荷風の議論にはひしひしと迫ってくるものがあり、けして過去の話ではなく現代の問題でもあることに気づく。

安倍前首相はいわゆる「モリカケ桜」や河井克之・案里夫妻の公選法違反事件などの政治スキャンダルを抱えており、いずれにも誠実さを欠いたままの対応に終始し、辞任した。

森友学園の問題では一切の関わりはないと強弁し、そのため財務省は公文書の改竄まで行い、それをやらされた職員は自殺した。桜を見る会の問題ではホテルニューオータニでの会費五千円の前夜祭のパーティに補填はなかったと虚偽答弁を繰り返し、辞任後、秘書による政治資金収支報告書への不記載が明らかになったなどと陳謝した。河合夫妻に自民党本部から振り込まれた一億五千万円と選挙買収費用との関係は曖昧なままにされている。

そのいっぽうで、新型コロナウイルウス感染拡大に伴う持続化給付金の申請受付に先立ち、安倍内閣性風俗関連営業の事業者(ソープランド、キャバクラ、出会い系喫茶、ストリップ劇場など)は、新型コロナ対策の持続化給付金の対象から外されると発表したのである。のちに撤回したとはいえ税を課しながら支援を拒否するなどとんでもない話である。

こうした政府の体質は菅内閣においてもおなじで、歴代総務大臣とNTT幹部との、また総務省の官僚と首相の長男を交えた東北新社幹部との会食問題への木で鼻を括ったような対応をみれば明らかだろう。欲に目が眩んでいては感染症対策を誤る。 GoToキャンペーン ではアクセルとブレーキを踏みまちがえた。いまはコロナ対策をさしおいてオリンピックパラリンピックにうつつを抜かすことにならないよう願うばかりだ。

現代の社会を改造しようとするなら、まず「女子の身売の風習」を改めよ、吉原の公娼や新橋の芸妓はそのままに浅草の白首(売春婦)を退治するなど本末を誤っているという荷風にならっていえば 、ソープランド、キャバクラ、出会い系喫茶、ストリップ劇場などに勤める女性たちを追いやり、虐げるのは本末を誤るもの、まず正すべきは虚偽、不正、便宜供与などなど、詳しくは週刊誌、新聞紙などの報道を御覧あれかし。