「HOKUSAI」

緊急事態宣言で営業を休止していた東京の映画館が制限つきながら六月一日から再開し、久しぶりに劇場で映画をみました。

「HOKUSAI」は葛飾北斎(1760-1849)の人生の四つのシーンを章立てとした、小説でいえば短篇連作の映画です。青壮年期を柳楽優弥、老年期を田中泯が演じていて、どちらも優れもの、そうして絵画への情熱とあくなき追求、また絵画は時代変えることができるという信念の持主という絵師像は一気通貫しています。

映画と史実とのあいだにどれほどの隔たりがあるのかはわたしにはわかりません。けれど橋本一監督、企画とシナリオを担当した河原れんたちスタッフが北斎ならびに喜多川歌麿東洲斎写楽を世に出し、北斎の版元ともなった蔦屋重三郎阿部寛)、北斎の盟友で「偐紫田舎源氏」で名高い戯作者柳亭種彦永山瑛太)たちをどのような人物として捉え、形作りたかったかという点はよくわかりました。

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かれらは優れたクリエイターであり、北斎と蔦屋は「世間と勝負する」気骨の人また海外事情をも視野に入れた広やかな精神の持主です。また種彦は武士身分のままに戯作や随筆を著し、その不屈の意思は北斎、蔦屋の気骨に通じていました。しかしながらこれらの事情はおのずと幕府の「風紀を乱す」を盾とする文化弾圧に対峙せざるをえなくなる要因となります。こうした人物像はぶれることなく描かれていて、メッセージもしっかり伝わってきました。ちなみに奢侈逸楽は厳禁、贅沢は敵の天保の改革がはじまったのは一八三0年ですから北斎は七十歳、水野忠邦が老中職を免ぜられたのは一八四五年でした。

ただし、気骨の人、不屈の人としてぶれることなく描かれたところにいささかの気がかりがあります。というのも、永井荷風が江戸の絵師や戯作者の心情に寄せて、御政道がどうあろうと下民のあずかり知ったことではない、とやかく申すのは畏れ多いと春本や春画の製作に打ち込んでいたと述べています。それは一面で「世の中から全く隠退し得たやうな悲しいあきらめの平和」でありました。

わたしが覚えた気がかりは「HOKUSAI」の北斎の胸中にこうした心情が忍び寄ることはなかったのだろうか、もしくは自身と異なる「あきらめの平和」の絵師や戯作者をかれはどんなふうに眺めていたのだろうという疑問です。北斎の生涯にこれらのことがらを絡めると、もっと陰影に富んだ人物像となったような気がしました。 

(六月七日TOHOシネマズ日比谷)