新しいライフスタイルの発見

外出自粛という籠居だが医療スタッフ、スーパー、コンビニ等生活必需品のお店の方々、物流従事者、清掃局の職員といった方々を思うとなにほどのこともない。それにジョギング、散歩が禁止されていないのはありがたい。先日、山中伸弥先生がYouTubeでジョギングのときもマスクやバフをつけるようにとおっしゃっていたのでさっそくそうするようにした。

本は喫茶店で読み、映画が好きでよく映画館に足を運び、テレビの前にいるのが苦手でじっとしていられないタイプだけれど、いざ外出自粛に突入してみると塞ぎも閉口もなく門外不出(大げさ)を続けている。わたしは『徒然草』『方丈記』など隠者文学のファンだからな、とみょうな自己肯定感が湧いてくる。

いちばんの難は、一日おきの晩酌が恋しくて、待ち遠しくてしかたがない。今晩のつまみを思ったりすると心がときめくほどだから精神的には依存症だろう。自粛生活で晩酌の楽しみは増すばかりだ。いまは健康とマラソン大会を勘案して一日おきとしているが、さいわい生き延びたとしてあと五年先には後期高齢者となり、そのときフルマラソンは走れないかもしれず、そうなるとタガは外れて毎日心おきなく晩酌するような気がする。それに七十五歳ともなれば、あとはどうなとなれとの思いも強まるのではないかな。

長年親しんできた本と酒と映画、それにこれまでよりいっそうテレビと親しくなった。

朝のジョギングと夕方の散歩のよろこびもひとしおだ。楽しみや愛のためでなく、生きるために生きるのはいやだなと考えていた。いま緊急事態宣言のもとにあって、生きるために生きている感があるが、まったく嫌気はない。むやみに刺激を追い求めたり、振り回されたりしないいまは人生の深呼吸のとき、もしくは刺激の度合を少なくした新しいライフスタイルを発見しているときだ。

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いまは世界各国の首脳、リーダーが新型コロナ感染症というおなじテーマに取り組んでいてそれぞれの政策とともに個性や特質がよくみえる。

危機のなかにあって指導者が果たすべき大きな役割として人々を勇気づけることがある。その点でチャーチルド・ゴールの評価は高かった。ヒトラーも卓越した演説力で国民を鼓舞したのは認めざるをえない。

全米各州のうちもっとも被害が大きいニューヨーク州のクオモ知事をみていると人々を勇気づけようと努力している感じを受ける。いささか蛮勇気味だがトランプ大統領もそこのところは意識しているみたいだ。ドイツのメルケル首相と台湾の蔡英文総統、ニュージーランドのアーダーン首相からは的確な判断力と政策実現に向けた推進力をもつ指導者との印象を受けた。

旧聞に属するが東京五輪大会組織委員会森喜朗会長が日本ラグビー協会会長だった当時、来日したオーストラリア代表ワラビーズが表敬訪問をした、そのとき森氏は、日本はワラビーズと百年対戦しても勝てそうにないと挨拶した、お世辞のつもりだったかもしれないが、これではジャパンの選手、ファンはしらけるだけで、人々を勇気づけられないのは指導者の資質を決定的に欠いている。

安倍首相はどうか。率直にいっていまの危機にたいし指導力を発揮しようとしてもこの人については、森友、加計学園東京高等検察庁検事長の定年延長問題などこれまでの曖昧と虚偽の蓄積が大きく、三密の回避や対人接触の八割減の訴えはよいとしても、この首相を信頼して問題に立ち向かおうという気にはなれない、というのがわたしの判断である。これまでいろいろあってもいまは首相の舵取りに期待しようとはならず、それだけいろいろの問題がわだかまっている。

公文書の改竄や廃棄について百歩下がって首相の指示はなかったとしても、そうした問題に誠実かつ毅然たる対応をしてこなかったのは否定できない。その首相が新型コロナについては真摯に取り組んでまいりたいといっても冷ややかな視線を送るほかない。

それはおまえがはじめから色眼鏡をかけて安倍内閣を見ているからだ、はなから信頼する気がないのだといわれるかもしれない。たしかにわたしはときの政権にたいし批判的態度が強いタイプではある。しかし文句垂れるにも心の片隅に日本の議会制デモクラシーに寄りかかる気持はあったがその気持がいまはほとんど蒸発状態にある。

もちろんそこには首相個人の資質以上に日本の政治構造の問題がある。政策決定過程における内閣および与党内でどれほど突き詰めた議論がされたのか。なんだか思いつきのように飛び出た全国一斉の学校休校、マスクの全戸配布、くわえて特定の世帯への三十万円給付から全国民一人当たり十万円への変更などに議論のありようがみてとれるだろう。

党内において切磋琢磨する批判勢力の不在が議論の質の低さをもたらし、これにだらしない野党といった事情がくわわり、安倍内閣は何をやっても大丈夫という傲慢をもつにいたった。得票数と信頼度がリンクしないのは日本の政治の不幸だと思う。

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外出自粛の賜物で何十年ぶりかに「チャップリンの殺人狂時代」(NHKBS)をみた。すっかり忘れていたが原案はオーソン・ウェルズです。

「一人を殺せば悪党、百万人を殺せば英雄。数が罪を正当化する」はこの映画のよく知られたせりふだが、そういえば「第三の男」でオーソン・ウエルズ演じたハリー・ライムが口にした「だれかがいっていた。イタリアではボルジア家三十年の圧政のもと、ミケランジェロレオナルド・ダ・ヴィンチルネッサンス文化を生んだ。スイスでは五百年にわたる同胞愛、民主主義と平和が何を生んだか。鳩時計だとさ」と皮肉と逆説の点で通じている。

ついでながら先日スーパーのレジの方が、お札を出す前に指につばをつける方がいて困る、感染が怖いといっていて、この映画でチャップリンがお札を数える、電話帳を繰るときそれをしていた。感染症が意識になければさほど気にとめなかったシーンで、大げさだけれどこのシーンに注目したのは現在の問題意識による。歴史学や文学においてもおなじ事情があり、いま多くの人々が歴史のなかの感染症感染症を扱った文学に着眼しているはずだ。わたしもいずれカミュ『ペスト』を読んでみよう。

チャップリンのあとは珈琲の時間。これまで三時か四時には喫茶店へ行っていたが外出自粛のいまは自分で淹れる。きょうは珈琲受けとしてヨーグルトに、昨年十二月にマルタ島で買った蜂蜜を垂らし、バルネ・ウィランを聴いた。

近ごろは五時を目途に散歩に出る。不忍通りを上野公園へ向かうか、本郷通りへ出て東大の前を通り上野公園へ行く。とちゅうコンビニでつまみを物色したり、百均で何かを買ったりして二三百円でたのしむ。私的には贅沢な自粛、謹慎である。

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(写真は上野公園の夕景)

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一日延ばしにしていたのだがどうにもならず、緊急事態宣言が出されてはじめて床屋へ行った。理美容店を営業自粛の対象にするかどうかで国と都で議論があったから緊張するのは当然で、短時間の客でこれだからお店の方は大変だろう。家族は、客の少なそうな時間帯を選んで行けというが、そんなことわかるかっ!

通販でバリカン買って、自分で散髪しようと思ったが「どんくさい、日本のわたし」と自他ともに認める当方にできるはずもなく、家族からは、どうか自分でやるのはやめてください、失敗しますと引導を渡された。

ためらいながら、いつもの店へ行くと、客が変わるたびにしっかり消毒してくれていて、マスクをしたまま散髪していただいた。それにしてもおちおち床屋へも行けないなんて、いざ行くのにこれほど緊張するなんて。

いまパチンコ店へ行く人たちはえらいものだな。床屋へ行くのなんか平気の平左だろう。

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「今日の道はよかつた、いや、うつくしかつた、げんげ、たんぽぽ、きんぽうげ、赤いの白いの黄ろいの、百花咲きみだれて、花園を逍遥するやうな気分だつた、山もよく水もよかつた(中略)朝靄がはれてゆくといつしよに歯のいたみもとれてきた」(山頭火日記昭和七年五月二日)。

「あざみあざやかにあさのあめあがり」「穂麦、おもひでのうごきやう」もおなじく山頭火の句で、いずれも自粛のなかでみた美しい五月だ。

その五月は緊急事態宣言の一か月程度延長とともにはじまった。政府の専門家会議は「外出や営業の自粛は当面維持することが望ましい」との提言を発している。また提言では、長丁場を覚悟する「自粛疲れ」を懸念し、ふたたび蔓延が生じないよう「新しい生活様式」の普及などに触れている。

茶店や映画館に足を運ばなくなってひと月あまりが経ったが、これまでのところ専門家会議の先生方が心配しておられる「自粛疲れ」はまったくなく「新しい生活様式」にハマりまくっている。感染症が収まってもう大丈夫となってもこのスタイルを続けてもよいほどだ。順応性が強いんだな。

人生の最大の幸福はよき食慾とよき睡眠にあるという説がある。わたしにはよき晩酌がこの二つを繋いでくれている。ありがたいことだ。

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エリオット・チェイズ『天使は黒い翼をもつ』(浜野アキオ訳)は『郵便配達は二度ベルを鳴らす』を思わせる一人称で書かれた犯罪小説、というかジェームズ・M・ケインの傑作の美味な二番煎じ、いやいや優れた変奏曲だった。一人称の犯罪小説やハードボイルドはよい意味で自分に酔って書いている気味があり、そこからスパイスの効いた警句めいた文章が放たれる。

「金持ちが死ぬときは、貧乏人が死ぬときよりも複雑だ。金持ちはただ生を終えるのではない。金持ちであることも終える。もちろん、貧乏人にしても、死ぬときには貧乏であることをやめる。だが、それは嘆き悲しむようなことではない」。

「現実のいろいろなことを試み、そのことごとくに失敗した結果、彼らはあんなふうにふるまおうと決意した。女で失敗した。憤然として立ち上がり、雄々しくふるまおうとして失敗した。それで紳士になった」。

自分では意識していないけれどわたしが紳士になったのにもこうした心理の綾があったのかな。

「人生の大半は食べることや寝ること、けっして訪れはしない何かを待つことに費やされる(中略)人生のほとんどは、真に生きる瞬間を待っているだけの時間にすぎない。どうでもいいこと、どうでもいい人々について思い煩うためにあまりにも多くの時間を費やしている」。

ならばよき食慾とよき睡眠を真に生きる瞬間とすればよいのだ。

そういえばレイモンド・チャンドラー『プレイバック』でフィリップ・マーロウエスメラルダという町の警察署長に「私は節を曲げない。たとえ相手が良心的な警官であったとしてもね」といっていて、一人称の犯罪小説やハードボイルドはよい意味で自分に酔って書いている気味というのはこの「節を曲げない」に通じている。よい意味の補足としておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二重の奇跡~フランクル『夜と霧』

そのうち読もうと思ったのがいつだったか思い出せないほど遠い昔のことに属するヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』(池田香代子訳、みすず書房)をようやく読んだ。

フランクル(1905-1997)はユダヤ人としてアウシュビッツ収容所に囚われ、奇蹟的に生還した。その体験にもとづいた本書(原題「強制収容所における一心理学者の体験」は初版が1946年、改訂版が1977年に刊行されていて、今回わたしが手にした池田訳は改訂版)は限界状況における人間と強制収容所についての貴重な記録また考察である。

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*写真は筆者がポーランドを旅行した際に撮ったものです。

強制収容所の被収容者は絶滅政策の対象であり、命を奪われるまえに肉体労働力として搾取し尽くされた。かれらはヒツジの群れのようにあっちへやられ、こっちへやられ、集められたり、散らされたりする状態に置かれ、群れのなかでは「わたし」という存在を支えるのに困難をきたした。

精神的兆候として感情の消滅や鈍磨、内面の冷淡さと無関心があらわれ、ほどなく毎日毎時殴られることにたいしてもなにも感じなくなった。こうして人間の生命や人格の尊厳などいかほどの価値もないという空気は当たり前のこととなる。

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生き延びる見込みのほとんどないとき人々を支えたのはなんだったか。

強制収容所の人間は、みずから抵抗して自尊心をふるいたたせないかぎり、自分はまだ主体性をもった存在なのだということを忘れてしまう」とフランクルはいう。つまり抵抗心、自尊心、主体性は生きのびるための必須事項である。しかし、これくらいのことは少しばかり目端のきく者なら言葉としてはいえるだろうが、じっさい極限状況のなかで抵抗心、自尊心、主体性をどれほど自分のものとできるかは別の次元の話であり、多くの人たちが自殺を思い、願った。

このなかにあって著者は精神的ケアに従事し、命を救うための活動、とくに自殺を思いとどまらせる役割を果たそうと努めた。精神医学者、医師としての責務、使命感に敬服するとともに、その強靭な精神に頭が下がった。

「わたしたちにとって生きる意味とは、死もまた含む全体としての生きることの意味であって、『生きること』の意味だけに限定されない、苦しむことと死ぬことの意味にも裏づけされた、総体的な生きることの意味だった。この意味を求めて、わたしたちはもがいていた」。

強制収容所という極限の状況のなかで人々は「苦しむことと死ぬことの意味にも裏づけされた、総体的な生きることの意味」を求めていた。そしてこのことは強制収容所という特異な環境のなかだけのものではなく、環境、条件の違いはあっても、人は生きる意味、人生の確証を求めようと願うから、おのずと『夜と霧』は強制収容所の外へと広がる。

フランクルは「生きていることにもうなんにも期待がもてない」人たちに「生きていれば、未来に彼らを待っているなにかがある」というメッセージを伝えることに成功した、すなわち自殺を思いとどまった二人の話をあげている。ひとりは愛する子供が外国で父親の帰りを待っていて、子供が生きる支えとなった。

もうひとりにはなんとしても完成させたい研究があった。プラトンと同時代の数学者、天文学者であるエウドスコスは、あっという間に焼け死んでもかまわないから、一度なりとも、太陽を近くで見て、その形、大きさ、美しさをわからせてくださいと神に祈りを捧げたという。研究心、探求心はときにこうした強さをもたらす。そして二十世紀の囚人は命を賭けるなら自死ではなく研究の完成を願ったのだった。

「自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が『なぜ』存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる『どのように』にも耐えられるのだ」。

子供、研究といったかけがえのないなにかが強制収容所で生き抜くことを可能にする大きな要因だった。

自然の美しさも人々を支えた。

「わたしたちは、暗く燃えあがる雲におおわれた西の空をながめ、地平線いっぱいに、鉄色から血のように輝く赤まで、この世のものとも思えない色合いでたえずさまざまに幻想的な形を変えていく雲をながめた」。「わたしたちは数分間、言葉もなく心を奪われていたが、誰かが言った。「世界はどうしてこんなに美しいんだ」。

空にはこの世のものと思われない黄昏時の幻想的な雲、その下にあるのはナチの苛政と収容所。このなかにあって被収容者が自然の美に心を寄せたのは宗教的体験、回心といいうるのではないか。

ユーモアも大切だ。

「ユーモアもじぶんを見失わないための魂の武器だ。ユーモアとは、知られているように、ほんの数秒間でも、周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために、人間にそなわっている何かなのだ」。

そしてなによりも被収容者自身の現実と向きあう精神がみずからを支えた。

「人間は苦しみと向きあい、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだ。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はある。わたしたちにとってこのように考えることは、たったひとつ残された頼みの綱だった。それは、生き延びる見込みなど皆無のときにわたしたちを絶望から踏みとどまらせる、唯一の考え方だった」。

苦しみを引き受けることが生存の可能性を高める。たとえガス室で殺されようとも「人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし、同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ」。そこに希望はある。

驚くべきことに被収容者を監視する側にもみずからの役割から逸脱して被収容者を力づけた人がいた。

親衛隊員だったある収容所の所長はポケットマネーからかなりの額を出して、被収容者のために近くの薬局から薬品を買ってこさせていた。収容所の医師だけはこれを知っていたが無言を通した。戦後、ユダヤ人被収容者たちはこの所長を米軍からかばい、その指揮官に、この男の安全が保障されない限り引き渡さないと申し入れ、指揮官もそれに従った。オスカー・シンドラーを想起させるエピソードはどんな状況にあっても人間の血は涸れずにあることを示して感動的だ。

たしかに所属、属性はその人のすべてを語るものではない。だが、所属、属性を超えて支え合う人間関係がナチの収容所にあったのは貴重であり、胸に響く。

しかしその逆もあった。収容所の親衛隊員からなる監視者のだれよりもきびしかったのは被収容者のなかから指名された、管理職として被収容者を監督する班長だった。先の所長はフランクルが知る限り被収容者に手を上げることはなかったが、こちらは見境なく殴った。魯迅は暴君治下の人民は暴君以上に暴だといった。このユダヤ人の班長の事例はその証である。

被収容者の班長と収容所長を指してフランクルは「品位を欠くこうした人間が被収容者を苦しめたことは、他方、監視者が示したほんの小さな人間らしさを、被収容者が深い感動をもって受けとめたことと同じように明らかだ」という。

「収容所監視者だということ、あるいは逆に被収容者だということだけでは、ひとりの人間についてなにも語ったことにはならない」「人間らしい善意はだれにもあり、全体として断罪される可能性の高い集団にも、善意の人はいる。境界線は集団を超えて引かれる」

この認識はフランクルが戦後社会を見る視線にも活かされた。

収容所から生還したあるユダヤ人が麦の植わっている畑を踏みつけながら歩いているのをフランクル咎めたところ、相手は謝罪の意を示さないどころか、反対に収容所体験に較べて麦畑を踏むくらいなんだっていうのか、と開き直った。

「なんだって?おれたちがこうむった損害はどうってことないのか?おれは女房と子どもをガス室で殺されたんだぞ。そのほかのことに目をつぶってもだ。なのに、ほんのちょっと麦を踏むのをいけないだなんて……」。

まさしく「収容所監視者だということ、あるいは逆に被収容者だということだけでは、ひとりの人間についてなにも語ったことにはならない」のであった。

ここでフランクルは被差別の立場にある者が陥りやすい陥穽と精神の弛緩を見た。苛酷な体験の絶対化はときに自身への甘やかしや免責、被差別者割引を生み、他者の批判を、さらには他者との対話を拒否するにいたる。

わたしは、部落解放運動の活動家が「障碍者はその人一代限りのこと、自分たちは先祖代々厳しい差別を受けてきた、その苦難は比較にならない」「何代にもわたり差別を受けてきた自分たちが職や住まいで多少の便宜を図ってもらうのがいけないのか」と口にしたのを思い出す。

過剰な自己正当化や差別較べは共感と連帯を基にした差別克服に向けての社会的努力を損なう。このフランクルの視点は現代の差別問題に通じている。

訳者の池田さんによると初版には「ユダヤ」という言葉は一度も使われておらず、新版で上記した収容所長のエピソードをしるした箇所に二度「ユダヤ人」が用いられた。初版に「ユダヤ」を用いなかったことについて池田さんは、フランクルはこの記録に普遍性をもたせたかった、一民族の悲劇であり、人類そのものの悲劇として、自己の体験を提示したかった、また収容所にはユダヤ人のほかにジプシー(ロマ)、同性愛者、社会主義者といったさまざまな人々がいたことを踏まえていたから、と述べている。

フランクルが、ユダヤ人にとって利益か不利益かといった発想をする人であれば、あるいは見据える対象と思考の範囲がユダヤ人にとどまっていれば見境なく被収容者を殴ったユダヤ人の班長や麦を踏んで咎められ、開き直った男のエピソードは記述されなかっただろう。しかしフランクルは訳者のいうようにこの記録に普遍性をもたせたかった。その結果として、差別の問題に限っていえば、はからずも「収容所体験に較べて麦畑を踏むくらいなんだっていうのか」は部落解放運動をも照らしていたのだった。

強制収容所から奇跡的に生還したフランクルはその体験を通して人間のあり方に迫る奇跡的な価値をもつ本書を著したのだった。

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*写真はいずれも筆者が2017年にアウシュビッツを訪れたときのものです。

 

 

浮雲の思い

東日本大震災のときもそうだったが現在の新型コロナウイルス感染症禍においても、わたしがすぐに 手にしたのは『方丈記』だった。自身にとって天変地異について思い、考えるテキストとしてこれ以上の書はなく、今回何度目かの通読ではとりわけ「浮雲の思ひ」の一語にこだわった。

治承四年(1180年)六月、平清盛は突如京の都から天皇上皇を伴ってみずからの根拠地とする福原への遷都を強行した。ところがこのあと、延暦寺の衆徒の蜂起や平家一門から異論が出されるなど政権運営は困難をきたし、同年十一月、都は再び京都に遷された。平氏の威信の失墜を象徴する出来事だった。

遷都騒動のなかにおけるお役人たちの動向について鴨長明は遷都強行をうけ「官・位に思ひをかけ、主君のかげを頼むほどの人」、つまり官職や位階の昇進を望み、主君の引き立てを期待するような人は一日も早く新都へ駆けつけたが、そのいっぽうには「時を失ひ、世に余されて、期する所なきもの」、すなわち出世する時機をのがし、世間から取り残されて、前途にも希望が持てるとも思えない者がいたとしるしている。対位法の文章がいいなあ。

出世のために福原へ駆けつけた人、前途に希望が持てず京に残った人、いずれも平家の没落のために結果はおなじとなったが、これにくわえて福原遷都のリアクションとして長明は「古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず。ありとしある人は、みな浮雲の思ひをなせり」(古き都はもう荒れはて、新都はいまだにでき上がらない。だれも彼もが、みんなふわふわ浮き出た雲のような気持になっている)と世上の不安を述べている。なお「空に浮かぶ雲。落ち着きの無い不安定な身の上や生活の意にも用いられる」というのが浮雲の語釈である。(新明解国語辞典

貴族の世から武士の世への転換期のなかでの遷都騒動は、貴族が支配した古い都はすでに荒れてしまっているが、武家が支配する新しい都はいまだ出来上がっていないなかでの出来事だった。それは明日はどうなることやらわからない状態という点で、米国と中国との貿易摩擦さらには覇権争い、米露両国の新冷戦ともいわれる関係、難民問題やイギリスの離脱、一部にみられる独裁政治志向で動揺するEUなどに新型コロナウイルス禍が世界を襲っている現在と似ている。

明日の天気予報を参考に行動予定を決めるように、社会の天気予報も知っておいたほうがよいに決まっているけれど「古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず」状態に感染症がくわわって予報は困難を極める。けれど、新型コロナウイルスの感染が一応収束してもなお空に浮かぶ雲状態がつづくことはまちがいない。

とすれば嘆いてばかりいられない。その予報をもとに、何に備え、それぞれの生活を、社会をどんなふうにつくってゆくか、腕のみせどころである。

 

魅力の巻き込まれ型スリラー〜『魔女の組曲』

ベルナール・ミニエ『魔女の組曲』上下巻(坂田雪子訳、ハーパーBOOKS)を読み、久しぶりに巻き込まれ型スリラーを堪能した。

クリスマスイヴの夜、ラジオパーソナリティのクリスティーヌに差出人不明の、自殺を予告する手紙が届く。それを機に放送中の事故、ペット犬の虐待、家宅侵入などさまざまな災難が降りかかる。

クリスティーヌに迫り来る危機の謎を解いている時間はなく、なによりも生命と安全のためひたすら逃れるしかない。逃げ切れないと見極めたときはどうするか。方向転換して追って来るものに立ち向かい、みずから謎を究明する。ここで彼女の逃亡譚はにわかに冒険小説の色彩を帯びる。

いっぽう本書には休職中の刑事が自殺として処理された女性の死に不審を抱き、密かに捜査するという別筋が織り込まれていて、はじめは不可解だが、やがて両者は合体する。その過程もスリリングだ。

巻き込まれ型スリラーが好きになったきっかけはエリック・アンブラー『あるスパイへの墓碑銘』だった。逃亡譚に惹かれたのは丸谷才一『笹まくら』で、この作品はわたしが日本の現代文学に少しは関心を持つきっかけともなった。

いつの頃からか身近なこと、大事なことから逃れたい自分の困った性格には気づいていた。ほんとうは仕事からも早く逃れたかったが叶わず、定年まで勤めた。そんな逃避志向の強いわたしが二十代の後半になって、ドイツのスパイにまちがえられた無国籍の青年が、もがき、逃げながら嫌疑を晴らすアンブラーの物語に、また陸軍の応召を拒み、徴兵忌避して日本中を逃れて回った人物を主人公(モデルは英文学者の永川玲二)とした丸谷才一の物語に心惹かれたのは必然の道筋であり、その延長線上に『魔女の組曲』がある。

「流れ星いまもどこかを脱走兵」(暮尾淳)。

ベトナム戦争当時はベ平連ベトナムに平和を!市民連合)が米軍の脱走兵をお世話していた。現在も世界各地での戦争が脱走兵を生んでいるだろう。また難民という逃れの人たちもいる。いま急を要するのは新型コロナウイルスから逃れることだ。わたしはクリスティーヌのように途中で方向転換してウイルスに立ち向かうのは無理だから、せいぜい医療関係者の仕事を増やさぬよう、迷惑や邪魔にならぬよう外出自粛という逃れに努めている。でもこの逃れは感染症を克服する一助になるそうだからありがたい。なにかとエスケープという課題の多い世の中である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時代と訓辞

新型コロナ感染症が拡大するなか新しい年度がはじまった。本来なら企業、官庁では新たにくわわるメンバーが一堂に会し、トップから辞令が交付され、訓辞で新人としての心得が説かれるのが、この春はネットで訓辞が配信されたり、セクション別に辞令の交付だけが行われたりと例年とはずいぶん異なる光景がみられた。

異例のスタート、そこで訓辞のことが気になった。

学校を終えて社会人になれば、公的生活の場は職場に移る。職場にはそれぞれ社会的使命、役割とともに規則があり、慣行があり、人間関係がある。訓辞はこれらを踏まえて読まれるが、職場は時代とともに変化するから訓辞にもそれが反映する。

政治学者の京極純一先生が一九七六年(昭和五十一年)に発表した「実学と虚学」というエッセイがあり、いま読むと訓辞を通して当時の学校と社会との関係のありようが知れる。

大略すると〈訓辞の言葉はさまざまだが、医療や理工系、法曹関係は別として文科系のばあい、大学で勉強してきたことをしっかり活かして、といった内容はまれで、多くは大学で学んだことは一切忘れ、気分も新たに、仕事の進め方を第一歩から学んでほしい、というものだ。学校で学んだことは忘れろというのは諸君はいまや年功序列の秩序に組み込まれたのであって学校で教わった生半可な学問を振りまわしてこの秩序に刃向かったりすると痛い目にあうぞという意味である〉といった内容で、わたしたち団塊の世代にはおなじみだが、いまの若い人たちは意外に受けとめるかもしれない。

就職とは学校から実社会への進出であり、その実社会を「新明解国語辞典」(三省堂)は「実際の社会。美化・様式化されたものとは違って複雑で、虚偽と欺瞞とが充満し、毎日が試練の連続であると言える、きびしい社会」と説明していて、一読、粛然として襟を正さなければという気になる。

学校で学んだことは忘れてしまいなさいといった訓辞は、企業としては学校で身につけたなまくら剣法は不要であり、あらためて実社会で通用する実践的剣法で鍛え直すとの宣言にほかならない。その背後には新社会人を一から鍛え直す企業の余力と終身雇用という制度があり、さらには学生のあいだは学問や理屈はさておいて多少やんちゃでも元気に青春しておればよろしいといった学生にたいする社会の許容度の高さという事情があった。

京極先生がこのエッセイを発表されてからはや四十余年が経つ。すでにこの種の訓辞は昔がたりとなった。このかん新人を一から鍛え直す余力は多くの企業で失せ、終身雇用、年功序列を柱とする日本型経営は揺らぎ、崩れ、国際化の進展、常勤と非常勤、正規雇用と非正規雇用、正社員と派遣社員などなど職場は大きく変化した。

時代をさかのぼると東大医学部の先生で夏目漱石の遺体解剖をした医師としても知られ、一九三四年(昭和九年)に東大総長となった長与又郎(作家の長与善郎は弟)は、学生時代にあまり世渡りの道を考えるようになってはいけないと述べていて、ここにも職業生活にシフトする手前では大いに若き日を謳歌すればよいといった考え方がうかがえる。

いまはどうだろうか。わたしは十年ほどまえに退職し「実社会」を引いた身だから確たることはいえないが、どうやら若い人には早くから「世渡りの道」を考え、学校にいるときから職業体験、職場体験をするよう求める声が高いようである。その原因としては産業経済の構造的変化、雇用の多様化と流動化、そこから生ずる格差、若い人の勤労観、職業観の変化などが考えられる。

「世渡りの道」を文部科学省ふうに申せば、一人ひとりが社会との適切な関係を構築し、将来の精神的,経済的自立を促していくための意識の涵養と豊かな人間性の育成となる。

おのずと訓辞も変わる。学校で学んだことは忘れてなどは遠い昔のはなしとならざるをえない。それどころか学校にいるときから「実社会」で通用する学力と生活態度、コミュニケーションやプレゼンテーションの能力などを身につけた即戦力としての新人が求められている。訓辞もその線に沿ったものとなる。

わたしは公立高校で入学式、卒業式の式辞を読んだ。そして多くに「きみたちはやがて否応なく進路の選択に迫られます。全国を相手の大学等の入試や、就職試験を突破しなければなりません。一年生の時から、目標やそれを実現しようとする意欲がなければその達成は困難になります」といった内容を入れた。いまの社会では、進学や就職という明日をいたずらに思いわずらうことなく若き日を謳歌しましょうといった式辞は読みにくい。訓辞や式辞にも時代相がみてとれる。

 

 

 

 

 

 

            

WHOを疑う

この四月に退職して十年目に入った。このかん、本を読むのは喫茶店がもっぱらだったが緊急事態宣言を機にお休みとなった。なじみの居酒屋さんもおなじく。

珈琲もお酒も家飲み専一になったけれど、外出を自粛するだけで感染拡大を抑える一助になるのだから何ほどのことはない。

これまでわたしは人生を楽しもう、だから生きるために生きるのは辛いだろうなと思っていた。いま緊急事態宣言下にあって生きるために生きている感は強いが、さほどのことはなく、人生の深呼吸のひとときを過ごしている気がしている。しかもありがたいことにジョギングと散歩は禁止事項となっていない。もちろん自宅での楽しみの充実は図らなければならない。まずはB級グルメのつまみについての研究である。

ジョギングはレースの前は別にして、平日は不忍池、上野公園で7キロほど、土日は本郷通りに出て気の向くままに10キロを走っているが、新型コロナウイルス禍のもと週末の10キロは休止して平日とおなじとした。疲れで免疫力が落ちるとヤバイとネットにあったので前期高齢者としては用心しておかなくてはいけない。

朝はジョギング。夕刻は散歩のついでにコンビニでつまみを買ったり、百均で買い物をしたり、二、三百円の楽しみである。

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三月二十七日に「無症状の人は石川県にお越しを」と観光を呼びかけた谷本正憲知事が四月十日に「局面が変わった」として「石川県に極力入っていただかないよう対応せねばならない」と真逆の発言をした。「峠を越えたかなと思ったのが間違いだった。気持ちを全面的に入れ替え、対応せねばいかん」と反省の弁である。

来県の呼びかけのときは、この知事さん、頭おかしいのでは、ああ、なんと!と思ったものだが、方針転換で反省の弁を口にしたのは好感がもてた。安倍首相、森喜朗東京五輪組織委員会会長、山下泰裕JOC会長などオリンピック通常開催をかたくなに主張していた方々が一転延期となった際の無反省、頬かぶり、開き直りにくらべるとはるかに誠実だ。

緊急事態下の事業所等への対応として、小池都知事の幅広い休業要請は支持も期待もしている。ただこの人も五輪通常開催の発言については頬かぶりのままだ。

いつまでしつこいこといっているといわれるかもしれないが、それぞれの段階で、深く考えられた言葉を発しているか、雰囲気、時流に乗じた言葉なのかの問題は残る。

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昨年八月に新潮社から刊行されたドナルド・L・マギン『スタン・ゲッツ 音楽に生きる』(村上春樹訳)をさきごろ知り、スタン・ゲッツのファンとしてはなんだか申し訳なく、あわてて手にした。

B 5版五百七十頁余、上下二段組には細かい活字がびっしりと並んでいて、はじめそのボリュームにおどろき、読破できるかなと不安を覚えたが、スタートすればたちまち解消しグイグイと進んで行った。村上春樹の翻訳は読みやすく、おかげで十日ほどで読み終えた。スタン・ゲッツを聴きながら彼の伝記を読む至福の体験だった。

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ノリのよい楽曲も、優しくロマンティックなものも、スタン・ゲッツは自家薬籠中にして提示してくれるミュージシャンだ。

本書に感染症が猛威を振るういまだからこそ書きとめておきたいエピソードがある。

スタンフォード大学でジャズ・ワークショップを創始し、スタン・ゲッツを大学へ招いたジム・ネイデルが友人でもあるゲストに「スタン、僕らが何をやっているか、君にはわかるかな。僕らはこのろくでもない世界を色づけしているんだ」と語った。芸術とは何かの問いに対する名答であり、とりわけいまの世界の状況と芸術との関係を思うとまことに説得力がある。

スタン・ゲッツはジム・ネイデルに「そうか」といって、ずっと忘れなかった。しかもやがてスタンはことあるごとに「いいかい、ネイト、いちばん重要なことはね、ぼくらがこの世界にこの手で色づけをしているということなんだよ」と語るようになっていた。ジム・ネイデル(ネイト)は演奏しているスタン・ゲッツを、大きな絵画を描いているようだったと述べている。音楽も絵画も世界を色づけしてくれている。

村上春樹は、彼の音楽の神髄はほとんど完璧な演奏技術に支えられた「リリシズム」「叙情精神」だという。そのディスクを聴きながら本書を読んだのは至福と書いたが、クスリとアルコール漬けの人だから正確にいうと至福ばかりではない。酒が入ったときの家庭内暴力は凄まじいばかりで読んでいて息ぐるしいときもあった。「リリシズム」と「叙情精神」の裏に残忍なデーモンが潜んでいる人だった。

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しぐれ(時雨)は、秋の末から冬の初めごろに、降ったりやんだりする小雨をいう。

「うしろすがたのしぐれてゆくか」という山頭火の句を知ったのは丸谷才一『横しぐれ』を通じてだった。しぐれは冬の季語、のちに一句は無季と解するのが一般的と知り、自由律俳句って難しいものだなと思った。

せみしぐれ(蝉時雨)を知ったのは藤沢周平の同名の小説で「文四郎さんのお子が私の子で、私の子供が文四郎さんのお子であるような道はなかったのでしょうか」には泣かされました。

はじめ、せみしぐれは一週間という蝉の成虫の短命から、ほんのわずかな時間に降るしぐれと思っていたが、のちに多くの蝉が一斉に鳴きたてる声を時雨の降る音に見立てた語と知った。寿命ではなく鳴声からきたことばだったんですね。だから夏の季語です。

先年、当時岡山県笠岡市の県立笠岡高校の三年生だった植松蒼くんの研究で、蝉の寿命は一週間より長く、ひと月ほどあると修正された。各種の最長はアブラゼミが三十二日間、ツクツクボウシが二十六日間、クマゼミが十五日間だったとの由。

せみしぐれの頃には感染症の拡大が収まっていますように。

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四月十七日。緊急事態宣言が全国に拡大して発出された。

このところ外出自粛もあって朝昼晩のニュースが欠かせなくなった。海外の放送局のニュースや検証番組も含めてずいぶん報道番組をみている。

スポーツや政局などと違い新型コロナウィルスは自身の健康、生命また家計に直結するから当然ではあるが、くわえてこの出来事は世界史の転回点になるかもしれないとの予感がある。暗いトンネルを抜けたとしても元のままの生活に戻るというわけにはいかないのではないか。国際政治では米中の力関係、影響力はどうなるだろう、日常生活では握手は控え、ソーシャルディスタンスを保つのが常態化するだろうなどなど、リーマンショックのときはこの感覚はなかった。すでに「コロナ前」before coronavirus、「コロナ後」after coronavirusという世界史の時代区分を述べている海外の識者がいた。

世界史というマクロ的視点とは別に私生活はどうか。発熱だからとすぐ病院へ行き診察を受けるのではなく、まずはネット診療となるだろう。これから先、海外旅行を楽しむ機会はやって来るだろうか。もう大丈夫といわれても二の足を踏むかもしれない。映画館は一席空けるのがふつうになるかもしれない、それとも完全防菌抗菌対応の防護服で鑑賞するようになるかな。

くわえて生き方の問題がある。わたしは人々が共に生き合える世界を願うが、他人に奉仕するために、自分個人の健全にして、愉快な生き方を捨ててしまうのは、自身の流儀ではなく、ましてや退職した隠居の身であればなおさらだと思っていた。しかしいま医療スタッフ、スーパー、コンビニ等生活必需品のお店の方々、物流事業従事者、清掃にあたってくださっている人たち等々を思うと忸怩たる気持にならざるをえない。

先日Twitterにあった医師の投稿に胸が熱くなった。

「私が1番感染するリスクが高いので子供と別居することになった。子供のために必要なこと。それは医師としてわかってる。でも次いつ会えるかわからない、特にまだ授乳してた10ヶ月の子はこれで強制的に卒乳決定だし1ヶ月も会わなかったら忘れられそうだしとか母親的な気持ちはついていけない。でも大切な家族を守るため。そう思って仕事がんばる」

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WHOのテドロス事務局長が事実の検証をしないまま台湾に難癖をつけている。テドロス氏は、自身がインターネット上で人種差別的な中傷にさらされていて、個人攻撃は台湾から来ていると訴えた。蔡英文総統はこれに強く抗議し、民間でも反論広告を米紙に掲載する有志の活動に多くの支持が集まった。

いくつか関連記事を読んで、テドロス氏は事実関係についてしっかりした検証を行っていないとわたしは判断した。とんでもないことだ。国会で八紘一宇を説かれた三原じゅん子先生、いまこそ八紘一宇を持ち出して、台湾を誹謗中傷するような組織は相手にしない、日本には国際連盟を脱退した輝かしい歴史がある、WHOの脱退も辞さない!とでも叫んでやって。

WHOは、人から人への感染はない、国際往来を止める必要はないなどと述べたうえに、中国に配慮してパンデミックの宣言を遅らせ、そうして中国のコロナ対策を絶賛し、習近平指導力を賛美したなどなど、そのズッコケぶりはあらためていうまでもない。

それでも人類がはじめて直面したウイルスだから試行錯誤もやむをえない、できるだけ寛容でいようと考えていたのだが、発せられる情報のお粗末にくわえ台湾に対するいいがかりで、これはとんでもない国際組織だと考えを変えた。

感染症をめぐるピントはずれのアナウンス、台湾への理由のない攻撃。本業の下手に、愚かな行為を重ねる困った組織であり、事務局長だ。WHOは中国におもねるばかりで国際機関としての役割を果たしていないというトランプ大統領の批判はまっとうで、今こそ安倍首相のお好きな日米の共同歩調が大切だ。

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四月三十日は荷風忌。永井荷風が亡くなったのは一九五九年(昭和三十四年)のこの日だった。同日の夕刊でその死を知った川端康成は「四月三十日のある夕刊に、荷風氏の死の部屋の乱雑貧陋の写真をながめていると、そのなかにうつぶせの死骸もあるのにやがて気づいて、私はぎょっとした」と書いている。(「遠く仰いで来た大詩人」)

また室生犀星は「有楽町の或る映画館のニュースで、荷風さんの仰臥された遺体を見て、眼は細く年より若く見えるその白いお顔を私は黯然とながめた。これが同業先輩の死顔かと、そして斯様なニュースに死顔を晒していることが激怒と悲哀とを混ぜて、私に迫った」と述べている(「金ぴかの一日」)。いずれも多田蔵人『荷風追想』(岩波文庫)に収められている。

荷風の遺体について川端康成は「うつぶせの死骸」、室生犀星は「仰臥された遺体」という。わたしは前者の写真はみたことはあるが、後者は知らない。どちらも事実とすれば、うつぶせになった遺体を仰向きにして写真を撮った、もしくは撮らせた人がいたわけだ。逆はないだろうから。

おなじく『荷風追想』にある関根歌「日蔭の女の五年間」によると、荷風が亡くなった日、市川市にある自宅にテレビカメラが入っていて、荷風の愛妾だった歌はその日の夜のテレビにチーズクラッカーの散らばった部屋が映っていたと語っている。好きだったのかな。

 

東京オリンピックどころではない

自宅にプリンターがなく昨年度までは税務署へ行って確定申告をしていたが、今年度はマイナンバーカードを取得したのでパソコンで必要事項を記入し、ネットで税務署に送信するだけで済んだ。確定申告のためにマイナンバーカードというエサに喰いつくのはしゃくだったがたしかに簡単便利ではある。

よい機会だから税金を詠んだ句はないかなと歳時記を開いてみると「下萌の僅かな地にも贈与税」(竹中碧水史)があり、草の芽が萌え出る早春と贈与税との取り合わせにほろ苦さを感じた。また江國滋『微苦笑俳句コレクション』を開くと「坪壱阡萬圓也の茂りかな」(大野朱香)があり、わたしは高級住宅地の緑に囲まれた豪邸の一本の庭木の地だけでも一千万円と解して、わずかな地にかかる贈与税の句と対比して格差社会をみた気がした。

江國滋の著書は一九九四年(平成六年)、実業之日本社から刊行されていて、なかに「伸びるだけ伸びる寿命へ納税期」(有馬ひろこ)という時代相をよく示した一句があった。たしかこの頃から少子高齢化が広くいわれるようになったのではなかったかな。

寿命が伸びるのはありがたいが、少しは遺してやりたい身に税金を搾り取られのは辛い。「電卓打つ指に殺気や納税期」(長嶺千晶)。

確定申告は季語になる資格は十分だが、字余り、不粋で納税期のほうが用いやすいようだ。

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NHK BSで高倉健の最後の主演映画「あなたへ」をみた。

なかの印象的なシーン。元中学教師を自称する杉野(ビートたけし)が刑務官の倉島(高倉健)に「旅と放浪の違いってなんだと思いますか?」 とたずねる。突飛な問いかけにとまどう倉島に杉野が「目的地があるか、ないかです」 また「帰るところがあるかどうかです」と答えたうえで芭蕉は旅人だったが山頭火は放浪人だったという。

なるほど。ならば西行は旅人で、尾崎放哉は放浪人だっただろう。

「うしろすがたのしぐれてゆくか」しか知らないわたしはこの機会じゃないと山頭火、放哉ともご縁がないかもしれないと電子版で二人の作品集を求めた。

ジョージ・オーウェル「スペイン内戦回顧」にかすかな安心をもたらしてくれる生活として食料のほかに失業の恐怖からの解放、子どもに公平な機会を与えられるという安心、適切な頻度での清潔な下着やシーツの交換、雨漏りのない部屋などが挙げられていた。旅と放浪ではこれらを断念する度合が異なるだろう。

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東京オリンピック招致にあたり、福島原発は大丈夫、アンダーコントロールですと世界に大見栄を張った方がテレビで新型コロナウイルス対応について「欧米と異なり、ぎりぎり持ちこたえているが、気を緩めればいつ急拡大してもおかしくない」「かつてない強大な政策パッケージを練り上げる」とおっしゃっていた。ほんとかな。奥様もお花見に興じていたようだし。

永井荷風断腸亭日乗』昭和十五年五月十六日の記事に「余は日本の新聞の欧州戦争に関する報道は米仏側電報記事を読むのみにて、獨逸よりの報道又日本人の所論は一切之を目にせざるなり」とある。

そこでわたしも荷風先生にならい「余は現時日本の政権は福島原発、森友加計学園問題等の所論により虚言癖ありと断じをり、一連の感染拡大に関する記者会見もにわかには信じざるものなり」とした。

福島原発の大量汚染水があってもアンダーコントロールといい、情報公開には消極的、公文書の改竄や破棄には積極的な内閣のもとではこうした姿勢を保ち続けるほかない。

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開戦当時、秋本安雄上等兵(のちの春風亭柳昇)は東京赤坂の東部第六十二部隊で日常業務にくわえ初年兵の指導にあたっていた。そのため外出できない日曜日が続いたこともあった。そこで教官の少尉が「助手のおまえたちが、初年兵のために外出もできず、気の毒である」からと外へ連れ出してくれた。行先は日本劇場、四、五人で赤坂から市電に乗り有楽町へ向かった。

映画は何をやっていたか忘れたが、日劇ダンシングチームの踊りは美しくもまた、有毒であったと上等兵は回想している。

少尉「どうだ、この踊り、どう思うか」

秋本上等兵「ハア、キレイであります」

少尉「キレイだけではいかん。若い、しかも女が、あれだけの人数で少しの狂いもなく音楽に合わせて踊るということは、たいへんな努力の結果である。女でも訓練すれば、あれだけのことができるのだから、われわれ軍人は、もっとしっかりしなければいかん‼︎」

春風亭柳昇与太郎戦記』にあるやりとりで、むかしの日本人は遊びや休暇は世間体がわるいと思っていたからなんらかの大義名分を求めていて、この少尉も観劇に行っただけでは恰好がつかないと、無理矢理レビューの舞台を兵士の心得としたのだった。

在職中、夏季特別休暇制度というのがあり五日取得できたが、わたしの若い頃は休暇ではなく夏季鍛錬と呼んでいた。少尉の口ぶりをまねると、われわれ公務員は、もっとしっかりしなければいかん‼︎そのための鍛錬だった。

もうひとつ『与太郎戦記』の姉妹篇『陸軍落語兵』から柳昇師が軍隊で出会った運のいい人の話を。

その方は山野伍長。戦闘中に左の脇腹がかゆくなり、右手で掻こうとしたが小銃を握っていて、仕方がないので左手で掻こうとして指先を脇腹へ持っていったとたんに腕と脇腹とのあいだを弾丸が通り抜け、うしろにいた兵隊の肩に当たってしまった。

また、戦闘中むしょうに煙草が吸いたくなり左の物入れ(ポケット)からケースを取り出して一服つけて、ケースをもとのポケットに戻そうとしたら敵が急に激しく発砲してきたので、あわてて腰の皮帯(ベルト)のところに差し込んで応戦したところで敵の弾が腹に命中したが、そこに煙草のケースがあった。

あるとき敵状の監視を大隊長から命ぜられて異常ないかと問われ、視力が弱くてはっきりわかりませんと答えたところ、大隊長は、どけっ!と伍長の身体を引っ張り、自分が入れ替わって身を乗り出したとたん胸に一発受け、その場で戦死した。

運のいいのはけっこうだが、この人のうしろにいて被弾したり、代わりに身を乗り出して戦死したりとまわりにいるとけっこうヤバイ。戦場でなくてもおなじかもしれないと友人、知人のなかに幸運の人を探してみた。あまりよい性格じゃないな。

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四月四日はあんぱんの日。一八七五年( 明治八年)のこの日、明治天皇に仕えていた山岡鉄舟が、木村屋のあんぱんを明治天皇に献上したことに由来している。

「あんぱんの葡萄の臍や春惜しむ 」三好達治

いいなあ。あんぱんの臍といえば桜の花の塩漬けを用いた「桜あんぱん」が有名だが、この句の葡萄の臍はレーズンだろう。ほかにも白ごま、黒ごまなどあんぱんの臍には気をつけておこう。

あんぱんと俳人といえば坪内稔典氏で、その著『季語集』(二00六年、岩波新書)には「ほぼ毎朝、あんパンを一個か二個食べる。あんパン。コーヒー。果物か野菜サラダ。ヨーグルト。これが近年の私の朝食だ」、しかもあんパンを食べるようになっておよそ二十年になるというからハンパない。

氏は、いつ食べてもうまいが桜の時期にはことに美味という感じがするという。春の気温や空気があんパンをしっとりさせるからだろうか、とも。

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「あちらからどつと来ました渡り鳥」土肥あき子句集『夜のぶらんこ』より。

渡り鳥の秋を詠んだ作者の思いとは別に、新型コロナウイルス禍のいまにあっては渡り鳥には申し訳ないが不気味な気がする。現状がさほど改善されないまま七月二十四日の開会式に「どつと来る」何かを考えると恐ろしい。

新型コロナウイルスの危機は対策を誤り、怠れば「あちらからどつと来ました」状態を招来する。ヒト、モノ、カネが世界規模で動く国際化社会の試練に、何がいちばん適切な施策かは専門家におまかせするほかないが、条件も整わないのに「あちらからどつと来ました」オリンピックが困るのはわたしでもわかる。と、思っていたら三月二十四日、急遽一年の延期と決まった。

一九六四年の東京オリンピックのときわたしは中学三年生だった。体操ニッポン、東洋の魔女、チャスラフスカ、マラソンアベベなどいずれもなつかしい思い出だ。

生きてもう一度五輪自国開催にめぐりあえるなんて思ってもいなかったところ、はからずも2020東京五輪の開催が決まり、できれば開会式をみたくてチケットを求めたが叶わなかった。

ところが新型コロナウイルス感染拡大によりオリンピック、パラリンピックは三月二十四日に一年延期が決まり、三月三十日にオリンピックは二0二一年七月二十三日から八月八日、パラリンピックは八月二十四日から九月五日の日程での開催が決まった。

しかしそのニュースを知っても新国立競技場に足を運ぼうという気持はすでに萎えてしまっている。オリンピックどころではない。選手の気持は別にして、感染症禍の現実を思えば、そんなこともうどうでもよくなった。。延期による追加費用もできるだけ国民生活の安定に振り向けるほうがよい。

東日本大震災福島原発の崩壊以来、日本の社会の空気が、どこかしら変わったと感じる。いま感染症の収束を願いながら、そのとき世界の空気はずいぶん変わっているような気がする。

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 四月七日。

「わがままきままな旅の雨にはぬれてゆく」

「はれたりふつたり青田になつた」

「笠をぬぎしみじみとぬれ」

「行乞流転のはかなさであり独善孤調のわびしさである。私はあてもなく果もなくさまよひあるいてゐたが、ひとつひに孤ならず、欲しがってゐた寝床にはめぐまれた」なかで詠まれたうえの山頭火の句は家をもたない、家族と別れた人の「雨に唄えば」であり、雨との接し方にしみじみした爽やかさがある。わたしは雨に唄うより傘をさすほうだけれど。

山のあなたに住むというさいわいを見ようとした詩人がいた。山頭火は「山のあなたへお日さまを見おくり御飯にする」と詠んだ。個人の資質を超えて、詩と俳句の感性の違いを感じた。

茶店山頭火の句集、文集を開いているとスマートフォンにニュースがはいり緊急事態宣言が発せられたと知った。このお店も明日からお休みとなる。

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四月七日夜。改正新型インフルエンザ等対策特別措置法にもとづき緊急事態宣言が発令された。

この日の記者会見で、安倍首相は、緊急事態宣言を発令しても新型コロナウイルスの感染拡大が抑えられなかった際の自身の責任について「最悪の事態になった場合、私が責任を取ればいいというものではない」と辞任を否定したうえで、質問したイタリア人の記者に「私たちがとっている対策。これが他の国と違うではないかということでありますが、それは他の国々、例えばお国(イタリア)と比べても感染者の方の数も死者の数も桁が違う状況であります」と語った。

さあ、緊急事態下で新型コロナウイルスと戦おうというときに、こういう質問をするのは愚かで嫌味であるが、首相としても、身命を賭した政治決断だ、くらいはいってほしかった。こんなやりとりをされては、東京都民の一人として三密の回避、外出自粛に努める気合がいささか削がれてしまう。

対して、アンドリュー・クオモニューヨーク州知事は、知事の権限で生活に不可欠な業種以外の州内の全労働者に自宅待機を義務づける発表にあたって「私が全責任を取る。不満や他人を非難したい気持ち、苦情があれば、私を非難してほしい。私以外にこの決定に責任がある人物はいない」と述べた。

今回の措置が失敗すれば、専門家の助力を得て、別の方法で新型コロナウイルスと戦うほかない。首相の人事で感染症は収まりはしない。

会見ではまた「正しい情報に基づき冷静な行動を」と訴えていて、しばしば丁寧な説明を、と口にはするが、さほど「正しい情報」を発しているとは思われない人の訴えは皮肉であった。

先にも引用した「スペイン内戦回顧」でジョージ・オーウェルは、ささやかな希望として「数年間飢えない程度の食料、四六時中失業の恐怖に襲われる状態からの解放、子どもに公平な機会を与えられるという安心、一日一度の入浴、適切な頻度で清潔な下着やシーツに取り換えられること、雨漏りがしない屋根、そして一日の仕事が終わった後に多少の余力を残してくれる程度の長さの労働」をあげた。世界規模で政治がこれに努め、医学が治療薬、ワクチンを開発する。そうして世界は感染症に克つ。