「仁義なき戦い」雑記帖(其ノ三)~日下部五朗『シネマの極道』をめぐって

二0一三年「仁義なき戦い」四十周年に合わせるように日下部五朗『シネマの極道 映画プロデューサー一代』(新潮社)が刊行された。全五部作の企画製作は第一部のみ俊藤浩滋藤純子、現、富司純子の父君)、日下部五朗の連名で、あとは日下部五朗プロデュースであり、その人が語る「仁義なき戦い」だから興味津々で、じっさい面白くてグイグイ頁を繰った。

氏が早稲田を出て東映に入社したのが一九五七年(昭和三十二年)、その当時の撮影所の光景や社風は「満映の残党をはじめ、寄せ集めで、ごった煮で、混成部隊で、他社でレッドパージにあった共産党員もいれば右翼もいるオールカマーな会社」「そっちでアジ演説をぶっているかと思えば、こっちには倶利迦羅紋紋を背負った方々が花札を引いていた」「よく言えば清濁併せ呑む映画共和国であり、悪く言えば無思想で不定見ではちゃめちゃ、正直なところは『儲かりゃええ』という、ま、しごくアケスケな会社」というものだった。

この社風は「『共産党も何党もあるかい、わしらは大日本映画党や。ドロボーでも何でも、映画が好きなやつはわしンとこへ来い』とのたまう満映帰りのマキノ光雄専務に端を発し、のちに岡田茂へと受け継がれた」のだった。そのマキノは満場のパーティで原節子をつかまえ「節っちゃん、いつになったら、やらしてくれるんだよ」などとカマしていた。後継の岡田茂社長は広島出身で「仁義なき戦い」の広島弁はこの人が脚本にケチをつけるときの口調そのものだったそうだ。

以下、『シネマの極道』にある、わたしが着目した「仁義なき戦い」をめぐる二、三の事柄。

(1)小林旭が演じた武田明のモデルは服部武共政会二代目会長で、プロデューサーの日下部と脚本の笠原和夫の二人はじかに服部と会って話を聞いている。それが原作者で広能昌三のモデルだった美能幸三に伝わると、美能は「こんなは服部にも会うとるじゃろ。原作、服部に書いて貰え」といささか不機嫌だった。そのため第四部「頂上作戦」で武田と広能が「一年半と七年か・・・・・・間尺に合わん仕事をしたのう」「昌三、辛抱せいや」「おう、そっちもの」と交わすラストの名場面は何がなんでも服部、美能双方のメンツを立てなければならなかった。あのシークエンスの誕生にはそうした緊張が潜んでいた。

(2)笠原和夫は、はじめの予定では、広能昌三役は松方弘樹で、菅原文太は松方の演じた坂井哲也役だったがシリーズ化を視野に入れて文太を射殺される坂井役から移したと回想している。いっぽう日下部五朗プロデューサーにこの記憶はない。たとえば石田伸也編著『蘇る!仁義なき戦い公開40年目の真実』(徳間書店)ではこの配役交替を定説のように扱っているけれど、そこまでは断言できないようだ。

(3)第二部「広島死闘篇」では北大路欣也の山中正治千葉真一の大友勝利がクローズアップされ、広能昌三の比重が下がったために菅原文太が「こんなに小さい役になったんじゃ出ない」とゴネたこともあったとか。しかし広能を中心とする広島抗争は第三部以降に予定されていたから日下部プロデューサーは不思議でならず菅原文太のほうもすぐに発言を撤回したという。これには「あれは俊藤さんが文太に言わせたんだよ」と解説する向きもある。微妙な問題だから以下に日下部本から引用しておく。

「当時の文太は、鶴さんや健さんと同じで俊藤さんが仕切っている俳優だった。そして、『仁義なき戦い』ではわたしと俊藤さんが二人で企画に名を連ねているが、第二部『広島死闘篇』からはわたし単独の企画になる。これは、そもそものきっかけから交渉、実現までわたしが完全に仕切っているのだから、俊藤さんにも文句はなかった。俊藤さんが絡まないやくざ映画の流れが生まれたのは事実だけれど、それで彼が嫉妬に駆られて文太に出演辞退を言わせたというのは、十八歳も年齢が違い、立場も違いすぎる当時のわたしには信じ難かった。文ちゃんにしても、いくら俊藤さんに言われたからって、俳優が自分を大スターに押し上げてくれた当り役を拒否し通すはずもなかった。」

この「事件」についてはすでに『映画脚本家笠原和夫 昭和の劇』(太田出版)のなかで笠原が「俊藤さんがこのシリーズを壊そうとした」と明言している。同書には笠原と文太との激しいやりとりもしるされている。深作欽二は文太抜きでやる決心までしていた。けっきょく菅原文太は出演し、俊藤のもとを去った。日下部プロデューサーに「あれは俊藤さんが文太に言わせたんだよ」と解説したのは笠原だったかもしれない。

 

「モガディシュ 脱出までの14日間」

実話をもとにした作品です。朝鮮半島でどれほど広く知られている話なのかはわかりませんが、こんな出来事があったなんて、わたしには驚きの現代史秘話でした。

一九九0年ソウルオリンピックを成功させた韓国は余勢を駆って国連参加を目途にアフリカ諸国との外交を活発化させています。対する北朝鮮は韓国に先んじてアフリカ諸国との外交活動を強化しており、こちらも国連加盟をめざしています。ちなみに韓国と北朝鮮の国連加盟が承認されたのは一九九一年九月十八日ニューヨークで開かれた第四十六回国連総会でした。

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アフリカは国が多く、したがって国連での票数も多いことから国連加盟を期する両国にとって重要な地域でした。南北はアフリカ諸国との外交をめぐり妨害工作や情報操作を繰り返していたのですが、九一年に入るとそれらを吹き飛ばす事態が勃発します。ソマリア内戦の激化です。以前から続く政府軍と反乱軍との対立がここへきてはなはだしいものとなり、首都で最大都市のモガディシュはたちまち荒廃するところと化しました。暴力、略奪、あちらこちらに転がる遺体、銃をまるでおもちゃのように振りかざす子供たち(少年兵)など、どんなふうに撮影したかはわかりませんが、痛ましい現実の再現はこの映画の大きな見どころとなっています。

まもなく各国大使館が焼討ちや略奪に遭うようになり、北朝鮮大使館では守備していた政府軍が逃亡し、反乱軍の襲撃がはじまりました。わずかの時間のずれで韓国大使館を守る政府軍も逃亡するのですが、この時点では韓国大使館には政府軍がいて、北朝鮮大使は悩んだ末に仇敵の韓国大使館へ助けを求める決断を下します。

韓国大使館へやって来た北朝鮮大使、大使館員とその家族。たとえ生き延びたとしてもあとでどのような扱いを受けるかわかりませんが、いまを生きるための禁じ手はやむをえない選択でした。韓国側も政治と人道のはざまで揺れ動きます。南北の折衝、南による北の受け入れはもちろん一筋縄ではいきません。しかし脱出には両国のチームワークが優先されなければならず、物語は大脱出劇の様相を帯びることとなります。

おそらく、関係者の悩みと葛藤をつぶさに描写してヒューマンドラマ仕立てにするほうがよかったとの意見もあると思います。でも本作は南北両大使館員とその家族の連合チームの手に汗握る大脱出劇に大きく舵を切ります。わたしはそこにリュ・スンワン監督をはじめとするスタッフのアクション全開の心意気を感じました。

(七月十二日 新宿ピカデリー

あじさい、ひまわり、ライラック

六時に起床しラジオのニュース、天気予報を聞き、洗顔、歯磨き、そうしてストレッチ、筋トレ、ジョギング、シャワーのあと食事をしながらNHKBS1の国際ニュースを見るのが朝の日課だが、ロシアによる侵攻で、ウクライナの惨状が気の毒なうえにプーチンやラブロフといった人品骨柄最悪の面々を見るのが不愉快なものだから国際ニュースは止すこととした。

週刊朝日」連載「帯津良一のナイス・エイジングのすすめ」で先生が「八十六歳になって思うのは、もう余分な情報はいらないということです。放っておいても、必要な情報は耳に入ってきます。特に最近のウクライナ情勢など、不条理すぎて聞きたくもありません」(2022/5/6-13日号)と語っていて、お言葉どおりわたしも辛く、不快な気分を軽減するようにした。

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ヒューマントラストシネマ有楽町で「シング・ア・ソング 笑顔を咲かす歌声」を観た。二00九年、夫をアフガニスタンの戦線へ見送り、その帰りを待ちながらイギリス軍基地で暮らす女性たちが合唱団を結成する。なかには息子が戦死し、いま夫が戦場にいる母親=妻がいる。合唱団で活動しているさなか夫の訃報が届いた妻がいる。グループのメンバーは愛する人の戦死を意識せざるをえないなかで活動するタフな女性たちだ。

事実をもとにした作品で二十分も見れば物語の展開は読めるのだが、それでもなお軍人の妻たちの溌剌とした姿や可能性の追求に心が動いた。基地内のささやかな住居や周辺の町の風景も素敵だった。

クライマックスで合唱団は、第一次世界大戦以降の戦死者を追悼する式に招かれ、アルバートホールの舞台に出演する。その直前に、メンバーの一人が「出産とおなじ、あれこれ考えては潰れちゃいそう」と口にしていた。マラソンのスタート前のわたしの気持は出産のときとおなじだったのか!?

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この四月に、早稲田大学の「デジタル時代のマーケティング総合講座」 で講師の吉野家常務取締役(解任)が、マーケティングでは生娘をシャブ漬けにするような戦略が重要と講じていたのが発覚した。

講義内容のすべては承知していないけれど、チープな判断力から察すると、どれほどのレベルかの推測はつく。また二十五人の講師のうち女性は一人で、これだけでも「総合講座」の企画内容に疑問符がつく。

受講料は二十五人の講師一括で三十八万五千円、参加者は相当な資金力のある人たちだっただろう。会社や官庁の研修の一環として派遣された人もいたかもしれない。 早稲田大学は講座を受講料に見合う、効果のあるものにしなければいけない。

帯津先生の言葉を繰り返すと「八十六歳になって思うのは、もう余分な情報はいらないということです。放っておいても、必要な情報は耳に入ってきます。特に最近のウクライナ情勢など、不条理すぎて聞きたくもありません」。

ひょっとするとマーケティングについての必要な情報も講座なんか受講しなくても入ってくるかもしれず、それよりもゆったりとひまなときを過ごすほうがよい知恵も浮かぶのではないかな。

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六月十一日。10kmヴァーチャルマラソンを走った。目標タイムは55分、フィニッシュタイム 55:41は、いまのわたしとしては上出来で、総合ランキング 252/633、男女別ランキング 225/537だった。

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隠居のこごと。TOHOシネマズ日比谷で「トップ・ガン マーヴェリック」を観た日のこと。

時間はPM3:50〜6:20とあったから3:45に椅子に着いた。3:50までにどれほどコマーシャルをしようが文句はないし、定刻からしばし予告編があるのは織り込んでいる。しかしこの日は長かった。そのうえ定番のマナーについてと隠し撮りは犯罪ですのご注意がある。本編は131分だからおよそ20分の予告編とご注意で、さすがにうんざりだった。

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渡辺裕之氏六十六歳、上島竜兵氏六十一歳と芸能人の自死が続いた。それに寄せて「週刊文春」の記事「高齢者うつ」のサインを見逃すな」に、高齢者のばあい身近な人の死、とくに男性は退職後、女性は子供が独立したあとに目標や生きがいを失うケースがあるとあった。

わたしに退職は慶事だったからこの面からのうつはまぬがれたわけだ。隠居趣味があり、退職をお祝いごととしたほどだから、ときに自分は勤労意欲を欠いているのではないかと思ったこともあった。大甘な採点かもしれないが、外から見るとそれほどでもなかったのではないかな。ま、自分の背中は自分では見えないけれど。いずれにせよ退職が生きがいの喪失とならずさいわいだった。

女性は子供が独立したあとに目標や生きがいを失うケースがあるそうだが、子供にいつまでも家にいられては困るじゃないか。さっさと独立していただくのが何よりだ。

そのうえですこしでもたくさん遺してあげたいと願う。若いころは児孫に美田を遺すなど格好悪く、恥ずかしいと思っていたが、いまはそうでもない。いっぽうでお金は自分のたのしみを最大限にするよう使う、たのしみを削ってまで遺そうとは思わない。虫のよい話だが本音だから仕方がない。双方の均衡点としてまずは死ぬための経費を最小限に収めなければならない。むやみな延命措置などもってのほかである。

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ことしも不忍池のほとりにあじさいの季節がめぐってきた。

年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」(劉希夷「代悲白頭翁」)。

ロシアのウクライナ侵攻で人の世は激変しているのだが、そのなかにあって自然は花をプレゼントして、心をなごませてくれる。

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アンネの日記』に、隠れ家の窓から見あげると青空がある、葉の落ちたマロニエの木がある、その枝という枝には細かな雨のしずくがきらめいている、空を飛ぶカモメやその他の鳥の群れは日ざしを受けて銀色に輝いている、といった箇所があり、隠れ家でのきびしい生活のなかここでも自然が少女を慰めている。

あじさいにはアントシアニンという色素が含まれていて、土壌から吸い上げた成分の違いに反応して色が変わるそうだ。中性やアルカリ性の土なら赤くなり、アルミニウムを含んだ酸性の土壌では青く変化する。

あじさいの色の変化について「広辞苑」には青から赤紫色へと変化するから「七変化」というとあるが、青にも白っぽい青もあり、青みを帯びた赤紫色や淡紅色もある。言葉では表現しにくい複雑な色あいにこの花の魅力がある。

ウクライナはまもなくヒマワリの季節を迎える。人びとの心がすこしでも和らぐよう願っている。

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ロシアではいまライラック(リラ)の花が咲き誇っているだろう。二0一六年五月末にモスクワとサンクトペテルブルクを旅行した。ふたつの街ともあちらこちらにライラックの花が咲いていた。このころが美しく過ごしやすい季節、ひいては観光に適した季節で、赤の広場は世界各地からの観光客で賑わっていた。いま平和を求めるロシアの人たちはライラックに何を思っているだろう。

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あじさい余譚。

「その壁を砕け」「洲崎パラダイス 赤信号」「風船」「日本列島」。いずれもAmazonプライムビデオにある魅惑のモノクロ作品群にある、いわゆる日活アクションに先行する日活映画で、四本ともに芦川いづみが出演していてファンには堪えられない。

芦川いづみの芸能界での活動期間は一九五三年から一九六八年だから女優引退から半世紀以上が経つ。愛らしさとひたむきさが自然というか絶妙に溶けあっているところにその特質があり、「泥だらけの純情」で吉永小百合が演じた令嬢役の演技の原型は芦川いづみにあったような気がする。

あじさいの季節におなじくAmazon石原裕次郎と芦原いづみが共演した「あじさいの歌」(本作はカラー作品)を観た。なかで、長年赤線の売春宿の女将をしていた女性(轟夕紀子)に女子大生(中原早苗)が、「おばさまって男と女の関係を扱うのを仕事にされてきたんでしょう。その方面での学識経験者に質問があるんですけど」と面白い言い方をしていた。おそらく石坂洋次郎の原作にあるのだろう。その「男と女の関係を扱う」フーゾク方面では「いろ」(情人、パトロン)が変わると生活の不安定を招きやすいので、あじさいへの思いは複雑と聞く。

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アレキサンドラ・アンドリューズ『匿名作家は二人もいらない』( 大谷瑠璃子訳 、ハヤカワ・ミステリ文庫)を読んだ。このところ電子本が多かったのでお気に入りのブックカヴァーを着せられたのがうれしく、それに五百頁超の大冊を前にするとファイトが湧くのは電子本では覚えない感覚だ。

映画鑑賞の前に喫茶店に座り、三時間ほどぐいぐい頁を繰るたのしさにひたりながらラストおよそ二百頁を読んだ。その日の気分もあるが、総じて自宅より喫茶店のほうがはかどる。

優れた女性版ピカレスク作品の訳者あとがきに、著者はパトリシア・ハイスミスから大きな影響を受けたとあり、なるほどなと納得した。 ニューヨークとマラケシュという曾遊の街が舞台だったのがうれしく、グンと飛躍するストーリーテリングに「おっ!」と声をあげそうになった。

元版は二0二一年三月にアメリカで刊行されてい、ユニバーサル・ピクチャーズが映画化権を獲得している。あまり待たせないよう映画化してほしいな。期待してるぜ。

さあつぎはルーシー・フォーリー『ゲストリスト』(唐木田みゆき訳、ハヤカワポケットミステリ)だ。

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魚雷の攻撃を受けて退避命令が出たならば、救命ボートに乗り移る際できるだけ礼儀正しくせよ、さもないと「世界中の笑い物」になる。なにしろアメリカ人は記録映画を撮影し、ニューヨークで上映するのだから。世界にさらされる日本人の像が笑われたり、恥ずかしいものであってはならない。

日本は「恥の文化」 欧米は「罪の文化」 という比較文化論の図式のみ知っていたルース・ベネディクト菊と刀』(角田安正訳、光文社古典新訳文庫)だが、いざ手にしてみたところ文化論の図式より、明治このかた昭和二十年代あたりまでの日本のアルバムといった印象の本だった。ちょっとピンボケじゃないの、と思える写真を含め。

なかで面白いなと思った一枚。

「日本の映画では、若い娘になれなれしい態度を示す若者は『不良』と見なされる。日本人の言う『よい』青年は、アメリカ人の目から見ると、魅力的な女性に対して愛想がない。場合によっては粗野ですらある」。

戦前の松竹映画では佐分利信がこうした青年を演じていたから、アメリカ人の目には彼こそ日本的なスターと映っていたに違いない。

おなじく同書に「一九三0年代のこと、ある進歩的な人士が日本に帰国してどれほどうれしく思っているかをおおやけの席で述べ、うれしい理由として妻との再会を挙げた。それは世間で物議をかもした。この文化人は、自分の両親に再会できるとか、富士山をふたたび仰ぎ見ることができるとか、あるいは日本の国家的使命に尽力することができるとか言うべきだったのである。妻はそのようなレベルにはないのだから」

なるほど佐分利信が帰国して妻と再会したのがうれしいと朗らかな表情を浮かべるのはカットで、せいぜいはにかんでうつむくのが限度だっただろう。

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英語学習用の読み物集OXFORD BOOKWORMSが六段階のうち五段階まで来た。このレベルに収められているのはディケンズ『デイヴィッド・コパーフィールド』、トーマス・ハーディ『狂乱の群衆を遠く離れて』、『キャサリンマンスフィールド短篇集』、ジェイン・オースティン『分別と多感』ほか。いずれも英語学習用にリライトされている。

第四段階にはスティーブンスン『宝島』があり、いま光文社古典新訳文庫の『宝島』(村上博基訳)を読んでいる。この歳になってようやく『宝島』かと思わぬでもないが、さすが冒険小説の古典だけあっておもしろく、七十を過ぎても読書の幅が広がるのはうれしい。

いま読んでいる『デイヴィッド・コパーフィールド』を終えれば全編の日本語訳も読んでみたい。ただし岩波文庫石塚裕子訳全五巻は絶版、電子書籍はある。新潮文庫中野好夫訳全四巻は文庫は健在だが電子化はされていない。翻訳は新しもの好きだが、さてどうするか。なんだか在職時より忙しい隠居生活である。

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六月二十四日。十月十六日に行われる東京国立競技場発着「東京レガシーハーフマラソン2022」の当選通知があった。祝!

倍率の低い東京マラソンプレミアム会員枠、東京都民枠ではともに落選、高倍率の全国一般枠での当選だから皮肉なものだ。

翌日当選祝いに20kmを走った。高温を避けて朝に走ったがさすがにこの気候での一人旅はきつい。30℃超の五月二十九日にハーフの大会に出場しラスト5kmで失速した。今回はそれほどのことはなかったものの疲労はハンパなく、高齢者はあれこれ憂いがつのる。

先月のハーフマラソン、ラスト5kmのタイムの悪さを気温の影響と自分を慰めているが、ほんとにそうなのか。今回の20kmだってタイムはましだったが、ずいぶんな疲労だった。とすればコロナ事情改善を受けて久しぶりに走ったハーフマラソンでの失速は気温のせいではなく、根本は加齢による衰えだったかもしれない。

楽観的というかノー天気なタイプなのに長距離走のタイムだけはナーバスになるわたしである。

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英語学習テキストで『デイヴィッド・コパーフィールド』を読み、同書岩波文庫版(電子書籍)に進むこととした。本来ならディケンズの原文にあたるべきだが、やがてそんな日を迎えられるのだろうか。「日暮れて道遠し」だけれど老残の日々の遥かな希望にはなっている。

わたしの英語の勉強について、ある女性から、韓国に「晩学の泥棒 夜の明けゆくを知らず」ということわざがあります、言い得て妙ですよねとコメントをいただいた。調べてみると、歳をとってからはじめたことは、夜が明けるのも気がつかないほどにのめりこむという意味だった。過褒のお言葉としてありがたく頂戴した。

なお『デイヴィッド・コパーフィールド』について著者ディケンズは「本書が、小生の全著作の中で一番気に入っています」「子供に甘い多くの親の例に漏れず、小生にも心ひそかに可愛い子というものがあります。その子の名前はデイヴィッド・コパーフィールド」と述べている。(一八六七版への序文)

長いながい小説を中途で挫折することのないよう願いながら読みはじめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ベイビー・ブローカー」

「ベイビー・ブローカー」を観たあと、スタバでコーヒーを飲みながらソウルやプサンの街角を思ったり、「万引き家族」と本作を併せて是枝裕和監督の家族についての問題意識を考えたりしていました。

ひと段落したところで映画のあとのお酒とおつまみを想い、電子書籍を開いて料理本を眺めたところ、そこに『一汁一菜でよいという提案』の著者土井善晴氏が「血のつながった家族がいなくても、お料理して食べる、お料理してもらったものを食べる関係ができれば、そこに新しい家族が生まれているのです」と書いていました。(「おかずのクッキング」2022年3月号)。

読んだ瞬間、これは「ベイビー・ブローカー」を考える補助線だ、いや補助線は失礼かな、そうだ「ベイビー・ブローカー」に「一汁一菜」が加わりわたしのなかで化学反応が起きたんだと思い直しました。

血のつながった家族がいなくても料理が媒介となり新しい家族が生まれる、と土井氏がいえば、是枝監督は、事情あって親が育てられない新生児を預かる「ベイビー・ボックス」に託された一人の赤ちゃんをめぐり、赤ん坊の新しい両親を探し、特別な取引をする自称善意のブローカー(ソン・ガンホ)やおなじブローカー仲間(カン・ドンウォン)、二人のブローカーに合流する赤ちゃんの母親(イ・ジウン)、ブローカーを執拗に追いかける二人の女性刑事(ぺ・ドゥナイ・ジュヨン)などそれぞれ思惑を持った人たちを描いて、そこに「新しい家族」が生まれる可能性を提示しました。こうして日本料理の研究家と韓国を舞台とするドラマを撮った映画監督とは通じあっています。

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わたしには血筋ベースの家族のほかはありません。しかし、必ずしも血のつながりを基としなくても家族はありうるとは考えています。血統を根拠とする家族だけがまっとうな家族という観念に固執するのはいかがなものか、とも。

日本人は、家族は血がつながっていて自然とそこにあるものという意識が強く、そのぶん血縁とは関係なく自分たちで家族を創るという意識が稀薄なような気がします。 性や家族のありようは子育てや教育、福祉などと大きく関わりますから、特定の観念への過度の固執はそれらを柔軟性を欠いた、いびつなものにする危険性を孕んでいます。是枝監督はそのことを韓国においても観察していたのでしょう。

帰宅してTwitterを開くと、松岡宗嗣という方がこの六月に開かれた「神道政治連盟国会議員懇談会」で配布された文書に「LGBTはさまざまな面で葛藤を持っていることが多く、それが悩みとなり自殺につながることが考えられる」「性的少数者の性的ライフスタイルが正当化されるべきでないのは、家庭と社会を崩壊させる社会問題となるから」などと記されていた、とツイートされていました。

(六月二十八日 TOHOシネマズ日比谷)

 

 

 

 

 

 

 

「仁義なき戦い」雑記帖(其ノ二)~NHKへの疑問

映画の公開四十年を期して二0一三年に発売された「仁義なき戦い Blu-ray Box」が手許にある。これには本篇全五部作にくわえ特典として「総集編」と「“仁義なき戦い”を作った男たち」が収められている。後者は深作欣二笠原和夫両氏の没後二00三年五月三日にNHK・ETVスペシャルで放送されたドキュメンタリーで、関係者の貴重な証言が多く収録されている。

撮影段階で早くも大ヒットまちがいなしと目され、シリーズ化された「仁義なき戦い」だが、第二部「広島死闘篇」の封切り後、広島市の防犯協会が中心となり同市でのロケはすべて不許可となった。脚本を執筆した笠原和夫は「なんでも、ありもしない暴力沙汰を描いて広島市が暴力の町のような印象を与える、というのが理由であったようだが、ありもしない暴力沙汰は一件も描いていない。実際はまだまだ多過ぎて割愛した程である。第一、こういう映画が堂々と広島ロケをして作るとなれば、現在の広島市がいかに平和な町であるかという立証になるのではないか」と反論したがとりあってもらえず江田島でのロケなどずいぶん苦労をしなければならなかった。そうした作品のドキュメンタリー番組がNHK・ETVスペシャルで放送されるようになったのだから世の中ずいぶん変わった。

けれど記憶する限りNHKは映画「仁義なき戦い」を放送したことはない。する気があるとも思われない。想像するに公序良俗やら視聴者からの批判を考慮して判断しているのだろう。仮にそうだとすればNHKは脇筋のドキュメンタリーのまえにまずは本篇の放送に取り組まなければならないのではないか。「ゴッドファーザー」は放送しても「仁義なき戦い」はしないのである。

いつだったかおなじNHKの「アナザーストーリー」で「時代と闘った男 日活監督たちの秘めた思い」という日活ロマンポルノのドキュメンタリー番組があった。そのときも、アナザーには本篇がなければならず、ロマンポルノ本篇の放送があってアナザーが成立するのであり、それもないのになにがアナザーかと思った。

仁義なき戦いを作った男たち」は優れた番組ではある、しかしわたしはもとの作品を放映していない、あるいはできないNHKがこうした番組を製作することに釈然としない。

アナザーを作りたければまず本篇を放送したうえで、それができないようならアナザーに手をつけるべきではない。

 

「三姉妹」

第一感、脚本が光っていました。特筆すべきは姉妹三人のキャラクター造形で、次女役のムン・ソリが脚本に感銘を受け、共同プロデュースを買って出たというのも納得です。三人の人物像を具体化したキム・ソニョン(長女)、ムン・ソリ、チャン・ユンジュ(三女)の演技もお見事でした。

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細々と花屋を営んでいる長女。別れた夫との因縁が尾を引いていまなおその借金を返済中、さらには反抗期の娘から疎まれてばかりです。

次女は大学教授の夫、子供二人の四人家族で高級マンション住まい。キリスト教の信仰厚く、協会の活動にも熱心で、外から見れば人の羨む家庭なのですが……。

商売人の夫とその連れ子と暮らす三女は脚本家ながらスランプ状態にあって酒びたりと暴走の日々が続いています。

長女は揉めごとのたび、謝る必要もないのに謝罪の言葉が口をついて出ます。

エリートの家庭を営む次女は夫の浮気を知るとたちまち相手の顔が腫れ上がるまでブン殴る。夫と子供たちへの信仰の強要もハンパないものです。

自暴自棄の三女は夫にからみ、保護者面談日など関係なくとつじょ連れ子の中学校(高校かな?)の保護者面談に現れて、息子の生みの母と鉢合わせして大騒ぎをやらかします。

こうしてベクトルは異なっても否応なく浮かび上がるのは暴力です。それをイ・スンウォン監督(脚本も)はときにおかしく、ときにシリアスに、そしてなぜ暴力なのかを、姉妹の生い立ちにさかのぼって掘り下げてゆきます。薄皮を一枚ごとに剥ぐなんてものじゃない、瘡蓋をごっそり取り除くように、姉妹の両親、弟も登場させて。

そうすることで特別な家庭の、殊更な事情が暴力と関係しているのではない、韓国社会の家庭と女性のありようが見えてきます。それはまた世界の女性の普遍的な問題に通じています。

声をあげることはよいことです。でも、安易に大声で怒鳴り、わめき、感情を露出させる作品は困ったもので、感情の高ぶりを声の大きさで表現するのはチープな人間観だと思えてならないのです。

でも本作での三姉妹が声をあげ、感情を露わにするのはまるごと理解できましたし、そこに希望も感じました。

(六月二十三日 ヒューマントラストシネマ有楽町)

「仁義なき戦い」雑記帖(其ノ一)~広島埠頭での思い出

仁義なき戦い」の公開は一九七三年(昭和四十八年)一月十三日だからはやいもので半世紀近くが過ぎた。

大学卒業を前にしたころ、ある友人が興奮気味に「詰めた小指の先がどこかへ飛んで、見るとニワトリが嘴で突っついて大笑い」と話すのを聞き、さっそく映画館へ駆けつけた。

さかのぼって昭和四十一年、高校一年生の夏休みにわたしは友人二人と高知から広島へサイクリング旅行をした。そのかんの一夜、広島埠頭を宿泊場所に決めて準備をしていると巡査がやって来て「ここは危ないからついてきなさい」といわれ、近くの交番と民家のあいだの狭い空き地に案内され、そこで一夜を過ごした。

ところで「仁義なき戦い 」の第三部「代理戦争」第四部「頂上作戦」は加藤武の打本をモデルとする人物が率いる団体と、小林旭の武田をトップとする組織がそれぞれ関西の暴力団をバックにした抗争が物語の軸となっている。戦いの果てに打本系の幹部、広能昌三(菅原文太)と敵対する組織の武田明(小林旭)は収監されるのだが、もとはおなじ山守組にいた間柄で、その二人が裁判所の廊下で出会い、互いの刑期を訊ねあう。広能は七年、武田は一年半である。

「一年半と七年か・・・・・・間尺に合わん仕事をしたのう」

「昌三、辛抱せいや

「おう、そっちもの」

この名場面は昭和三十八年のこととされていて、ここで映画における広島での抗争は一段落を告げた。

ところが現実の動きは、打本系と武田の組織とが手打ちを行ったのは昭和四十二年で、これを以て広島抗争は終結のはこびとなった。したがって昭和四十一年夏の広島は「仁義なき戦い」の渦中にあり、三人の高校生が一夜を過ごそうとしていた広島埠頭は危険なところだったと思われる。警察官がやって来てわたしたちを交番の脇の空き地へ連れて行ったのは抗争に巻き込まれるのを心配したためだったかもしれない。