「仁義なき戦い」雑記帖(其ノ一)~広島埠頭での思い出

仁義なき戦い」の公開は一九七三年(昭和四十八年)一月十三日だからはやいもので半世紀近くが過ぎた。

大学卒業を前にしたころ、ある友人が興奮気味に「詰めた小指の先がどこかへ飛んで、見るとニワトリが嘴で突っついて大笑い」と話すのを聞き、さっそく映画館へ駆けつけた。

さかのぼって昭和四十一年、高校一年生の夏休みにわたしは友人二人と高知から広島へサイクリング旅行をした。そのかんの一夜、広島埠頭を宿泊場所に決めて準備をしていると巡査がやって来て「ここは危ないからついてきなさい」といわれ、近くの交番と民家のあいだの狭い空き地に案内され、そこで一夜を過ごした。

ところで「仁義なき戦い 」の第三部「代理戦争」第四部「頂上作戦」は加藤武の打本をモデルとする人物が率いる団体と、小林旭の武田をトップとする組織がそれぞれ関西の暴力団をバックにした抗争が物語の軸となっている。戦いの果てに打本系の幹部、広能昌三(菅原文太)と敵対する組織の武田明(小林旭)は収監されるのだが、もとはおなじ山守組にいた間柄で、その二人が裁判所の廊下で出会い、互いの刑期を訊ねあう。広能は七年、武田は一年半である。

「一年半と七年か・・・・・・間尺に合わん仕事をしたのう」

「昌三、辛抱せいや

「おう、そっちもの」

この名場面は昭和三十八年のこととされていて、ここで映画における広島での抗争は一段落を告げた。

ところが現実の動きは、打本系と武田の組織とが手打ちを行ったのは昭和四十二年で、これを以て広島抗争は終結のはこびとなった。したがって昭和四十一年夏の広島は「仁義なき戦い」の渦中にあり、三人の高校生が一夜を過ごそうとしていた広島埠頭は危険なところだったと思われる。警察官がやって来てわたしたちを交番の脇の空き地へ連れて行ったのは抗争に巻き込まれるのを心配したためだったかもしれない。