十数年ぶりのスプリングボクス

「春菊や今豆腐屋の声す也」(子規)

夏井いつきさんは『子規365日』でこの句に寄せて、子供の頃に硬貨と凹んだボールを渡され近所の豆腐屋へおつかいに行っていたと思い出を語っている。一九五七年生まれだから東京オリンピック前後の頃だろう。一九五0年生まれのわたしも豆腐を切り分けてもらって買った記憶がある。なつかしい昭和の思い出だ。

昭和に生まれて就職し、家庭を持ち、平成で退職して、いま令和で余生を送っている。

この四月に六十代半ばの知り合いが亡くなった。特段の病気はなく、就寝し、朝になったら亡くなっていたそうだ。五月には令和を控えていたから、せめて新元号になってからであれば三つの元号を生きたことになるのにと思ったことだった。

元号は史上初めて国書(万葉集)に典拠をもつと聞く。ただ音読みだから唐風は否めない。令和を寿ぐとともに、将来は選択肢を豊かにするために、かなを用いることも含めて、より和風を強めていくのもよいのではないかな。やんごとない方面に失礼を顧みず、とりあえず漢字で「青丹」「春曙」「梅匂」が浮かんだ。

時代はさかのぼって元号を嘉禄とする時代があった。前に元仁、後に安貞、西暦では一二二五年から一二二八年の短いあいだだった。改元のいきさつは元仁二年に悪疫が流行し、天下の病が「軽く」(かろく)なるようにと願って「嘉禄」とされたのだった。

藤原定家『明月記』には「年号毎日改ムト雖モ、乱世ヲ改メザレバ、何ノ益カアラン」とある。おっしゃる通りで、それにしてもえらく軽いノリの改元もあったもので、似たような例はほかにあるのだろうか。

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知らない町を歩いてみたい、どこか遠くへ行きたい。

旅は夢とあこがれをもたらし、冒険心を刺激する。

日常の生活空間からしばし離れてほかの土地へ行くだけが旅ではない。文字や写真などで興味のある町をたどってみるのもたのしいひとときであり、モンテーニュはよくそうした旅に出かけた。行き先は古代ローマの諸都市、「わたしは、彼ら(古代ローマの人々)の顔つきや、ふるまいや、衣服のことを考えるのが好きだ。そして、あれらの偉大な名前を、幾度も口のなかで繰り返しては、わが耳に響かせてみる」「古代ローマの人々が閑談し、ぶらぶら歩き、食事するといった姿を、是非ともこの目で見たいと思う」と述べている。

千里の遠くへ行き、わが家の近くを散策し、本や写真であこがれの町をのんびりと散歩する。それらがたがいに糧となり、刺激となればよろこびは二倍にも三倍にもなる。

かなめとなるのが丈夫な足と旺盛な好奇心だ。

その足について、ほぼ毎朝ジョギングをしていて、この夏の暑さほど身体への負担を覚えたことはなかった。とりわけ梅雨が明けてからの一週間はひどく、走ったあとシャワーを浴びてもしばらくは汗が止まらず、体重は落ちてフィットネスの状態が心配になり、めずらしく体重を増やそうと努めた。熱中症の数歩手前の状態にあったかもしれない。

暑さは晩酌にも影響した。お店では「とりあえずビール」派だが、家では焼酎かウィスキーをロックで飲むわたしが家でもビールを飲みたくてたまらず、さらに一瞬の爽やかさを求めて焼酎、ウィスキーの炭酸割りの缶をコンビニで買ってくるようになった。

ハイボールは酒に弱くなったあらわれかもしれない。そのうち元に戻るかどうかはなりゆきに任せるが、酒との辛いつきあいに甘みが増すのは望まない。まあ、七十にして心の欲するところに従い矩を踰えずというから、無理は禁物である。

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NHK BSで放送のあった「日の名残り」をみて、あらためて名作の感を深くした。

第二次大戦直前から戦後の五十年代にかけてのイギリスの風俗と大英帝国の黄昏をこれほど滋味深く描いた作品はほかに知らない。映画、原作ともに素晴らしく、日本とご縁のある作者がこんなにイギリスを体感させる作品を書いたのは不思議な気がする。

十年ぶり、あるいはそれ以上の時間を経ての「日の名残り」のラスト近く、アンソニー・ホプキンスエマ・トンプソンの雨中の別れのシーンをわたしはもっと長かったように記憶していたが、実際は思っていたよりだいぶん短かった。おそらく「マディソン郡の橋」のクリント・イーストウッドメリル・ストリープの雨の別れのシーンが影響していたのだろう。これも映画の楽しみではある。

幸か不幸か歳とともに前へ進むより後ろに向けて歩いてみたい気持が強くなる。さいわい書架にはこれまで読んだカズオ・イシグロ日の名残り』をはじめとする諸作品が並んでいる。

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『エセー』を読み終え、つぎはモンテーニュのさらなる追求か、『エセー』に導いてくれた堀田善衛の作品群に手を伸ばすか迷っているうちに、たまたまどんなものかと堀田の『ゴヤ』を試し読みしたところ離れられなくなり、先年、スペインを旅したご縁もあり、まずは『ゴヤ』に決めた。

モンテーニュについてはまえから関心があり、わずかながら知識もあったのにたいし、ゴヤのほうは予備知識すらなく、堀田善衛をガイドとする未知の世界ののぞき見となる。

堀田がとりあげた鴨長明藤原定家モンテーニュゴヤラ・ロシュフコーのうちゴヤを除くとかねてから気になる人たちだった。また堀田自身は第二次大戦末期一九四五年三月仕事で上海に渡り四七年十二月まで留用生活を送り、のちに『上海にて』や『時間』など中国にかんする作品を著した。こうした和漢洋に広がりを持つ作家に出会ったのはうれしい。

ゴヤ』には必要に応じて絵画が載せられているがモノクロ印刷なので難があるのはやむをえない。しかしありがたいことに電子本でゴヤの画集がありカラー写真が見られる。便利な世の中になったものだ。

先年プラド美術館を訪れゴヤの作品に接したが、記憶にあるのは「裸のマハ」「着衣のマハ」くらいで、この画家の評伝を読むとは思いもよらず、悔やんでも仕方ないけれど残念なことをしたものだ。それとプラド美術館はスケールの大きな美術館で、総じて大きな館は苦手で、鑑賞より疲れが先に立った。そして後悔は先に立たない。

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九月になった。旧暦とはおよそひと月のずれはあるけれど、何はともあれ長月である。語源は諸説あるが秋の夜長という意味の「夜長月(よるながつき)」が略されたという説が有力である。

スタンダードナンバーでは「セプテンバー・イン・ザ・レイン」「セプテンバーソング」「九月になれば」といった名曲が浮かぶ。九月の雨のなか、あなたがささやいた愛の言葉、降っていた雨のしずくがリフナンバーのようだった、というのは「セプテンバー・イン・ザ・レイン」の一節。ナンバーのリフレインはよいが八月の豪雨の繰り返しだけはありませんようにと願う。

陰暦九月は終わろうとする秋を惜しむ気持ちが強くなるが、太陽暦では秋を迎える月なので「なにがなしたのしきこころ九月来ぬ」(日野草城)、「今朝九月草樹みづから目覚めゐて」(中村草田男)といった句に実感や期待、爽やかさを覚える。

ちょっぴり淋しさを含む「初秋」はもう少しあとで登場していただこう。

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九月六日。ラグビーワールドカップの日本代表壮行試合、日本代表vs南アフリカスプリングボクスの観戦に熊谷へ出向いた。駅からスタジアムにかけてたくさんの幟や横断幕、ボードがあり、タクシーのドアは日本代表を激励する仕様で、WCに向けての盛り上がりを体で感じた。道筋では各所に立つ職員の方にスタジアムへの案内をしていただき、そのおもてなしに感謝だった。

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四年前のWCイングランド大会で優勝候補の南アに奇跡の大逆転で勝利した日本代表。それをうけてきょうは「逆襲の南ア」 vs「最強の日本」の試合となった。結果は41vs7で逆襲されたが、きょうの教訓を活かして大会本番に臨む日本代表に大いに期待しよう。

スタジアムでスプリングボクスを見るのはきょうが二度目。はじめは家族四人でニュージーランドを旅したときのオークランド、イーデンパークスタジアムでの対オールブラックス戦で、それから十数年ぶりのうれしい観戦の一夜だった。

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ときどき週刊誌で、この病気の治療にはこの医師、この病院がよい、といった医師、病院の評判記を見る。親切な都道府県別のリストがあったりもする。

生命に関わることだから徒や疎かにはできない。リストアップには実体のない評判ではなく、厳格な選考があったと信じたい。選考の基準は業界内の評価、手術成功数、治療内容といったところか。なかで重要なのは専門家による査定、すなわち業界内でのしっかりした評価であろう。患者の評判も考慮されるにしても選挙ではないからその道の専門家の意見が優先されなくてはならない。あくまで実績に基づく実像が重要で、人気や噂、根拠のない評判が生んだ虚像となると患者はたまったものではない。

医師の名声は専門家の査定の裏付けを必要とするが政治家の場合、まずは当選しなくてはならないから有権者の人気、評判は欠かせない。とはいえヒトラームッソリーニもある時期まで大変な人気を誇ったが結果として国民の幸福からは遠かった。

先日の内閣改造では、過日挙式した人気の政治家が若くして環境大臣に就任した。早くも将来の首相候補との呼び声もあるそうだから業界内の査定もよいのだろう。人気や噂、根拠のない評判の生んだ虚像でないことを願う。

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敬老の日、散歩をしていて上野動物園の前を通ると本日六十歳以上は無料とあり、運転免許証を提示して入れていただいた。ありがとうございます。

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上野動物園が開園したのは明治十五年(一八八二年)三月二十日。正岡子規が亡くなったのはその二十年後、明治三十五年の九月十九日で、同年五月五日から死ぬ二日前まで新聞「日本」に連載していた『墨汁一滴』の五月二十六日の記事に、自分が見たことのないものでちょっと見たいと思うものとして活動写真やビヤホールとともに「動物園の獅子及び駝鳥」をあげている。子規は自宅に近い上野動物園に遊んだことはあったと思うが、そのときはライオンもダチョウもいなかったのだろう。

帰宅して動物園で撮った写真を見ながら子規にも見せてやりたかったと思う。この十九日は子規忌である。

無料の上野動物園はよかったが、そのいっぽうでなじみの床屋は十月一日の消費税上げを機に料金改定を行うとともに、これまでの六十五歳以上のシニア割引を廃止した。こちらは有り難くないね。

老後の家計がディフェンシブになるのはやむをえない。しかしそれでは長寿社会を生き抜くのはむつかしいなどと言われると、長生きできるかどうかはわからないままに心は沈んだり焦ったりする。煽り運転は困ったものだが、長生きと破産との関連も一種の煽りであればよいけれど、そうはゆかないのが厄介だ。

小泉内閣の頃からだろうか、貯蓄から投資へ、といったことが盛んに呼びかけられるようになった。それだけ貯蓄では資産形成が困難になったわけだ。調べてみると一九八0年当時、郵便局の貯金の金利は4.56%もあった。普通預金金利である。

政府はそんなこといつまでぐずぐず言ったって昔は昔と投資への勧めへと舵を切った。その意味するところは何か。わたしの解答は、貯蓄ほどの欲ではいけない、もっと欲を持てということにある。

ふつう無心無欲はほめられてよい徳目の一つだが、それでは老後はヤバイというわけだ。しかし無心無欲から離れるとそこには自惚れや見栄、思い込み、勘違いが待っている。それは心を曇らせ、百鬼夜行、魑魅魍魎の世界に近づく可能性を高める。欲を持ち、投資を通じて資産形成に当たれの呼び声は高いが、どうやらわたしのようなどんくさい者には難しく、認知力の衰えに欲ボケでは目も当てられない。

山車と神輿

自宅が近い根津神社はこの時期、例大祭で賑わう。山王祭神田祭とともに「江戸三大祭り」のひとつで、ことしは九月二十一、二十二の両日、町会では神輿を繰り出し、境内にはたくさんの露店が並んだ。

神社のホームページには、六代将軍家宣は幕制をもって当社の祭礼を定め、正徳四年江戸全町より山車を出し、俗に天下祭と呼ばれる壮大な祭礼を執行したとあるから、昔は神輿とともに山車も練り歩いていたわけだ。

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ついでながら、辞書に、神輿は神体を安置した輿、山車は祭礼のときに引き歩く装飾した車とあるが、双方の関係についてはよくわからない。

ともあれかつての江戸三大祭では神輿とともに山車も出ていたが、いまは山車を見ない。そのわけについて、小沢信男は『俳句世がたり』に「江戸三大祭山王祭神田祭も、氏子の町ごとの山車が延々とつらなり、江戸城内へも繰り込んだという。その山車が廃れたのは明治中期から。市内電車の発達につれて通りに架線が張りめぐらされ、もはやでるにでられない」と説いている。

市内電車の発達が山車を追いやったわけだが、氏はまた祇園祭の山鉾を引きあいに京都に比較して「新開地の東京は、文明開化に従順だった」という。どうやら、東京における山車の消長と文明開化の進展と江戸っ子の気風とは相関関係にあったらしい。

もうひとつ愚考するに山車が目出度さを彩るのにたいして神輿は神体を安置するという事情がある。神体はときに上役、親分となるから崇拝、尊敬とともに陰口、噂の対象、また対立の火種となる。こうして人事が絡むとドラマを生まない山車は手放しても神輿からは離れられなくなる。

小沢一郎氏はみずからが担ぐ首相について「神輿は軽くてパーがいい」と口にしたとか。

仁義なき戦い」では山守組若頭の坂井が山守親分に「おやじさん、云うとってあげるが、あんたは初めからわしらが担いどる神輿じゃないの。組がここまでなるのに、誰が血流しとるんや。神輿が勝手に歩けるいうんなら歩いてみないや。のう!」と言い放つ。

 

 

アクセルとブレーキ

ことし四月、東京、池袋で旧通産省工業技術院の元院長、八十七歳が運転する乗用車が暴走し、母子が死亡、十人が負傷した痛ましい事故があった。車を分析した結果ではアクセルを踏み込んだ形跡はあったがブレーキを踏んだ跡は残っていなかった。アクセルをブレーキと思いこみ強く踏んでしまうケースでは、かなりのスピードが出ているため、他の交通事故に比べて死亡率は高くなる。

警察庁の統計によると、二0一五年日本国内でブレーキとアクセルを取り違えたことによる死亡事故は五十八件、うち六十五歳以上の高齢ドライバーが五十件を占めている。もとより踏みまちがいは高齢者だけの問題ではないけれど、長寿社会になると、アクセルとブレーキを認知する能力は低減し、咄嗟の判断力の衰えた高齢者が多くなるのは否定できない。

暴走族が意図してアクセルを踏み込むのにたいし、高齢者は認知能力の衰えから踏み込んでしまう。暴走族に、人生経験を積んでかつての行為を反省し、安全運転に心がける余地はあっても、高齢者はそういった段階にはない。そこで転ばぬ先の杖として運転免許を返納し、運転を止せばよいのだがそうはできない方は多い。

わたしは在職中はやむなく車を持ったがもともと運転は好きでなかったので退職を機に売り払った。いっぽうで多くの高齢者が仕事や生活のために(車がないと食料の確保に困難をきたす地域もある)車の運転をつづけていて、それだけアクセルとブレーキを踏みまちがえる可能性は高くなる。

自家用車とは別に、もうひとつ人生という車の運転がある。こちらはマイカーとちがって売却、下取り、譲渡はできない。日本のどんくさいわたしとしては車とおなじく早々に運転は止したいと思ってもこの車とは最期まで付き合うほかない。

そして人生という車の運転でもアクセルとブレーキの踏み加減は重要な問題で、行き先を定めハンドルを握ったあとで欲に目がくらんでアクセルを踏み込み過ぎて大損を発生させたり、感情のブレーキを踏まずに暴走したあげく人間関係を壊したり、反対に石橋を叩いて慎重を期しているうちにアクセルを踏むべきときを逃して貴重なチャンスを失ったり……まことに難儀なことである。

日産動物園

日産自動車の西川広人社長(九月十六日付で辞任)は副社長だった二0一三年五月に株価があらかじめ決められた水準を超えたときに権利行使できる「ストック・アプリシエーション権(SAR)」という権利の行使日をズルして一週間遅らせ、およそ四七00万円多く利益を得ていたという。SARについては無縁の世界なのでよく分からないが要はジャンケンの後出しの類いであろう。

経済ジャーナリスト片山修氏は「もし事実であるとすれば、信じられない話だ。このような役員による初歩的な不正は、ほかの大手自動車メーカーではありえない」と語っていて、まあこれがふつう、というか健全な反応だと思われるが、日産側は不正利得行為が発覚した当初は「ゴーン体制時代の仕組みの一つ」と理窟にもならないカルロス・ゴーン前社長への責任転嫁を述べ、また経営を監視する社外取締役の一人は法律違反ではないと悪質性を否定し、上乗せ分の返納と処分で済ませる考えを示唆してすぐに進退の問題に発展する可能性は低いなどと語り、火消しに努めていた。

特別背任の罪などに問われたゴーン被告の事件で、同被告による会社の私物化を厳しく批判してきた西川社長だが、同社長もゴーン被告とおなじ報酬に絡む不正を行っていたわけで、しかしこちらは法律違反ではなく、悪質性はなかったというけれどほんとうにそうなのか。

わたしとて「事実の世界」と「法律の世界」が異なるのは承知しており、SARの悪用行為が「事実の世界」では世間の怒りを呼ぶものであっても、「法律の世界」で起訴されるかどうかは予想がつかない。しかし起訴不起訴にかかわらず不当な手法による利得のかさ上げは「事実の世界」における健全な市民常識とは著しくかけ離れているし、それに法律違反ではなく、悪質性はなかったといった発言は「法律の世界」の網の目を潜ろうとする粉飾された言い逃れでしかない。

西川氏は辞任表明の記者会見で「負の部分を全部取り去ることができなかった」「現在の日産の厳しい状況を招いたのはゴーン前会長。それなのに、全く謝罪をしていない」と語っていたが、ここへ来てなおご自身も「負の部分」の主役の一人であるという認識はないみたいだ。

オリンピックではないが、(報酬の)より高く!をめざすゴーン、西川両氏の欲の追求と技の競い合いはキツネと狸の化かし合いのようで、できることなら日産動物園で「狐七化け狸は八化け」の生態をじっくり見学したいものだ。

そうそう、西川社長の辞任は取締役会の全員一致の辞任要求を受けたもので、このなかには法律違反ではなく、悪質性はなかったと語った社外取締役も含まれているから、脇役の変化ぶりもなかなかのものである。

 

 

難聴の記

朝、ジョギングをしたあとシャワーを浴びていると、右耳に膜が張ったような感じがして水が入ったのだろうと出そうとしたが、水のせいではないらしい。綿棒で水分と耳垢を取っても症状は消えなかった。

テレビの前で右耳を、ついで左耳をふさいだところ明らかに左耳をふさいだときの、つまり右耳の聞こえが悪い。ウエブサイトで検索をかけると、耳管狭窄症やメヌエー病などが疑われるとあった。

すぐに耳鼻科へ行く勇気はなく、当日は気のせいだろうと希望的観測、二日目もおなじ症状だったが様子見と決め、しかし違和感は消えず、三日目にやむなく診療終了前の耳鼻科へ行った。

そのかん十代で聴覚を失ったベートーベンや四十代で失ったゴヤのことが思われ、堀田善衛ゴヤ』のなかの、画家が聴力を失った事情をしるした箇所を開いてみた。明確な原因はわかっておらず、そのため、ゴヤの看病と治療に当たった医師からはじまり、同時代の、また後世の世界各地にわたる数百人にのぼる医師が診断を下していて、発作、卒中、血栓症、耳炎、髄膜性脳炎、梅毒、不適当な毒物施薬による内耳神経麻痺症状などの説があり、堀田は梅毒、あるいはその治療のための水銀が局所的に内耳神経の麻痺を生じさせたというのが妥当との見解をとっている。

いずれにしてもここのところを読んだためにかえって心配の度合は増し、しかし、めまいはないから大きな病気のはずはない、梅毒では断じてない、それでも右耳の難聴化の指摘は避けられないだろう、いやだなあ、将来的には補聴器の助けを借りなければならないのかと心配しているうちに名前を呼ばれた。

診察室で病状を伝えると医師は首をかしげ、手に持つ、小さな金属の医療器具をわたしの耳にあてると、すぐさま、これは耳垢ですと診察を下した。耳奥に相当量の垢が溜まっているとのことで、見てごらんなさいと右耳から出た垢をガーゼに置き、ついで左耳の垢を取ってくれた。そのあと簡単な聴力検査をして、こちらも異常はなかった。やれやれ。

安堵して家に帰るうちに、なんだか似た話があったなあと気づいたのが『新約聖書』にあるパウロの故事だった。

キリスト教発展の基礎をつくったパウロヘブライ語ではサウロ)は熱心なユダヤ教徒の立場からはじめはキリスト教徒を迫害する立場にあった。

あるときパウロエルサレムを出てダマスコ(いまのダマスクス)へ向かっているとき、突然、天から光が射し、彼を包んだ。倒れたパウロは「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」とイエスの声を聞き、そのあと目が見えなくなった。

ダマスコの町にアナニヤというキリスト教徒がいて、イエスはこの男をパウロのもとに遣わした。アナニヤはイエスに命じられた通り、パウロのために祈るとその目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになった。「サウロの回心」といわれる出来事は紀元三十四年頃のこととされる。

畏れ多くもパウロ目から鱗(のようなもの)が落ち、わたしは耳の垢が取れたのである。見えなくなった目が見えるようになるのは、耳垢が取れて聞こえるようになったのとはずいぶん事情が異なるし、それに、わたしが回心や宗教的体験をしたわけではないけれど、自分としては一瞬の奇跡のごとき耳の復活であり、ひょっとするとパウロの故事も、耳垢が取れて聞こえるようになったのが原話で、それでは有難味がないからと目の話に改変されたのかもしれないなんて想像した。

家族からは、三日も置かずにすぐ耳鼻科へ行くべきだとお叱りを受けた。

思慮、叡智、勇気からたいへん遠くにいて、何かといえば動揺し、優柔不断のうちになんとかやり過ごそうとする態度は治療の遅れにつながりかねない。反省しながら、でもだからこそ人間としてまだまだ成長できる余地があるのだとわが身を慰め、晩酌におよんだ。

「存在のない子供たち」

映画を評価するにあたって、現実をどれほどにとらえているかを重要な物差しとするならば「存在のない子供たち」は最高点を与えられてしかるべきだろう。その昔、「靴みがき」や「自転車泥棒」などイタリアのネオリアリズモ作品をみた人々のおどろきや感動が思いあわされた。

レバノンの貧民窟に暮らす十二歳のゼインは親にこき使われる毎日だ。かれは貧しい両親が出生届を提出しなかったためにI.D.を持たない、存在のない子供である。両親もおなじ境遇だったのかもしれない。

ある日、仲のよかった一歳下の妹が結婚を強制され、まもなく妊娠の経過が悪く亡くなってしまう。ゼインは悲しみと怒りから両親のもとを去るが、I.D.をもたない者は職に就くことはむつかしい。たまたまゼインはエチオピアからレバノンに不法移民としてやって来た女性ラヒルを知り、彼女が勤めに出ているあいだ赤ん坊のヨナスの世話をするようになる。不法移民の子供だからヨナスも存在のない子供である。

そうしているうちラヒルが移民取締にひっかかり収容されたためゼインとラヒル「誰も知らない」状態に置かれる。氷と砂糖をミルク代わりに与え、懸命にヨナスの世話をするゼインの姿に胸が痛んだ。

重苦しい現実のなかでゼインは自分を生んだことを罰するよう両親を告訴する。リアリティと意外な作劇がひとつになり、裁判を通して一層現実が露わになる。

ゼインを労働力としかみなさず、妹を売買婚の犠牲とした両親。育てられないなら産んでほしくないとゼインは思う。いっぽうにこの厳しい現実の国に命懸けでやって来ざるをえない不法難民がいる。

レバノンの女性監督ナディーン・ラバキーが「存在のない子供たち」の目線を通して中東の貧困と移民問題を抉り出した見事な作品だ。

ゼイン役のゼイン・アル=ハッジは、レバノンに逃れて来たシリア難民であり、多くの出演者も似たような境遇にあるという。そういえばイタリアのネオリアリズム作品もプロの役者ではない、戦後のイタリア社会の厳しい現実を生きる人たちが起用されていた。

(七月二十二日シネスイッチ銀座

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以下、映画に刺激を受けての話です。

この映画をみて、仲正昌樹『100分で名著 ハンナ・アーレント全体主義の起源」』(NHKテキスト)を再読した。アーレントの名著を解説本で済ませているのは自分としては残念だが、それはともかく「存在のない子供たち」は「政府の保護を失い市民権を享受し得ず、従って生まれながらに持つはずの最低限の権利に頼るしかない人々が現れた瞬間に、彼らにこの権利を保障し得る者は全く存在せず、いかなる国家的もしくは国際的権威もそれを護る用意がないことが突然明らかになった」というアーレントの所説の完全映画化としてさしつかえない。

アーレントがこれを書いたときは第一次世界大戦ロシア革命による多数の亡命者の存在が意識されていたが、現在の世界はアーレントが直面した難民問題が拡大再生産されている事態のなかにある。

アーレントは「人間は、次第にアナーキーになっていく状況の中で、為す術もなく偶然に身を委ねたまま没落するか、あるいは一つのイデオロギーの硬直した、狂気を帯びた一貫性に己を捧げるかという前代未聞の二者択一の前に立たされ」たと述べており、ファシズムスターリニズムをその文脈に位置付けた。トランプ万歳!は、アナーキーや硬直したイデオロギーをベースにした狂気を帯びた一貫性が拡大再生産されるなかで現れた現象なのだろうか。

 

一日、一日を気持ちよく過ごそう

本屋さんで七月のちくま文庫新刊、大原扁理『年収90万円でハッピーライフ』を見ておもしろそうと思ったが、下流老人予備群が買っていてはハッピーライフにならないと判断して、図書館のホームページで調べてみると新刊文庫は予約待ちだったが、元版の『年収90万円で東京ハッピーライフ』(太田出版)があり、さっそく借りて読んだ。

消費税上げ対策の参考になればとの狙いはハズレだったが、生活の基本的な考え方には共感した。

本書の提言。

1まず物欲を減らす

2工夫して生活する

3「欲しいもの」でなく「必要なもの」だけを買う

4週に最低何日働けばいいか逆算&実践!

老爺に4は不要だから123に努めよう。

著者は二十代で隠居したそうだ。えらいなあ。

「週に最低何日働けばいいか逆算&実践!」といったライフスタイルは耐えられそうもなく、また「仁義なき戦い」の山守親分のような「ゼニじゃ、ゼニじゃ」の積極性もなかったわたしは若い頃から隠居生活に憧れながら二0一一年三月の定年退職を機にようやく隠居生活に駆け込んだ。

昔は隠居あるいは出家剃髪という優雅な老年対策のある日本だったが、いまは長く働きたい人、働かなければならない人は多く、政府はそこに乗っかり、働け!という号令を老年対策の切札としている。こうしたなかでの隠居生活は優雅どころか時流からの逃亡という気分は避けられない。

さいわいわたしは逃げるのが好きな男である。とはいっても米中の角逐、ロシアの不気味、消費税上げ、脆弱な年金制度、少子高齢化など浮雲の思いは強く、つぎに逃げ込む先は彼岸しかないけれど、あまり早く行くのもどうも……。

とりあえずは生活防衛の指針として「ものを欲しがらないのは、ひとつの財産である。ものを買いたいと思わないのは、ひとつの収入である」(キケロ)を肝に銘じておこう。

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自分の力を大きく超える重い荷物を背負ってはいけない。

ジョイスユリシーズ』、プルースト失われた時を求めて』など、せっかく購入したのにけっきょく手放した本は多い。不相応に重い荷物を背負いすぎたのだ。

それは認めるとして、はたして自分がどれほどの重さに耐えられるかを見定めるには荷物を担いでみなくてはわからない。それに、はじめは力不足でもトレーニングを積むうちに力がつくかもしれない。

早々に見極めをつけ撤退するのは悔しく、しかし年経てからのコース変更は負債が増した気がする。やってみて、やらせてみないとわからないのは世の難儀のひとつである。

ジョイスプルーストなどの重荷に耐えかねたわたしだが、モンテーニュ『エセー』は全七巻(白水社)を読破できた。モンテーニュジョイスプルーストに比較して軽い荷物だから背負えたのか。いや、おそらく荷物にも重量とともに質や手ざわりがあり、この点で自分に向いていたと思いたい。

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堀田善衛が、いざとなれば『エセー』は原書の第三巻を読めばよいと述べていて、訳書では全七巻のうちの六冊目と七冊目がそれにあたる。なかの「ウェルギリウスの詩句について」は不義密通と艶笑譚がいっぱい詰まったまさに巻を措く能わずの一章だった。

かつてある地域では結婚式当日に神官が新婦と寝る風習があった。「新郎が初夜を迎えて、はたして花嫁が処女のまま嫁いできたのか、あるいはだれか他の男の手が付いているのかを詮索して、疑惑にとらわれることを未然に防いだ」とモンテーニュはその効用?を説いていて、男の勝手な理屈の背後に、それだけ「お手付き」が怖かった心理が見てとれる。

「大変に厳しい義務を勝手に妻に押しつけて、目的とは裏腹な二つの結果を招かないように、われわれは気をつける必要がある。つまり、そうすることで、言い寄る男たちは、むしろ刺激されるし、妻たちもすぐに身を任せることになりかねないのだ」。

厳しい倫理道徳の強制がもたらす秘密の関係。ここには弟に妻を寝取られたモンテーニュの後悔、猜疑、虚栄心がうかがわれる。

閑話休題

モンテーニュは医師の勧める療養について「わたしがいやいや受け入たことは、なんでも害になるが、飢えたようにして、喜んですることは、どんなことであれ、害にはならない。自分に多くの喜びを与えてくれたような行為からは、一度も害を受けたことはない」としてあらゆる医学的な結論よりも快楽の言い分を優先させた。

ことは医学に止まらない。

ユリシーズ』も『失われた時を求めて』もいやいや読もうとしたのではないが、えらく世評の高い本だから読んでおこうとした教養主義の発想がもとになっていて、それだけ内発性は弱かった。ところが『エセー』については著者の評伝や抄録本をよむうちに読破への意欲がどんどん高まった。

ニーチェモンテーニュについて「わたしが誠実という点でショーペンハウァーと同等に見ている、むしろ彼より高い位置を与えている著作家はただ一人しかいない。それはモンテーニュである」「人の心を晴れやかにする本物の明朗さがそれである。他人には明朗を、自身には智慧を」と評した。生きる楽しみと明朗さのミシェル・ド・モンテーニュ氏なのである。

終りに、現代の日本人に読みやすい訳文をと心がけ、提供してくださった訳者宮下志朗氏に謝意を表しておこう。そのうえで何箇所かで「生きざま」という無神経で下品な語を用いているのは不満だったことは言っておかなければならない。

いずれ岩波文庫の原二郎訳にも接してみたい。

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「医学の管轄のもとにある人々ほど、病気になるのが早くて、治るのが遅い人種はいない」

「食事療法という拘束のせいで、彼らの健康そのものがむしばまれ、そこなわれている」「医学の明らかな効果のほどを実証するぐらい、医者たちが、幸福に長生きしているとでもいうのだろうか?」

モンテーニュ『エセー』にある医学への疑問で、ここからさらにモンテーニュは死生観へと進む。

「ものすごく高齢まで生きて、老衰で死ぬことを期待したり、そこまでは生きるぞと目標を定めるなんていうのは、じつにおろかなことだ。そんな死に方はめったにないし、少しもふつうのことではない。ところがわれわれは、そうした死にかぎって自然な死に方と呼んでいる」。

「老衰で死ぬなどは、めったにない、ユニークで、異常ともいえる死に方なのであって、そのぶん、ほかの死に方よりも不自然なものなのだ」。

映画監督マキノ雅弘が老衰で亡くなったのは一九九三年十月二十九日、享年八十五歳だった。前日FIFAワールドカップアメリカ大会、アジア地区最終予選最終節の試合、日本代表対イラク代表の試合がカタールの首都ドーハのアルアリ・スタジアムで行われており、この試合、六十九分日本は2-1で勝ち越しに成功し、ワールドカップ初出場に近づいた。テレビ中継を見ていたマキノは、これで日本も安心だねと言った直後に意識を失い亡くなった。

ご承知のように終了間際のロスタイムで日本はイラクに同点とされ、予選敗退となった。いわゆるドーハの悲劇で、マキノはこれを知らないまま逝ったのだった。

うらやましく、あやかりたい死に方だが、モンテーニュからすると異常ともいえる不自然な事例となる。わたしを含め多くの人々がモンテーニュのいう不自然な死にざまを望んでいるがそうは問屋が卸さない。異例な運命にとらわれすぎてはならない。老衰で死ぬなどは、めったにない、ユニークで異常なことと知っておこう。

人生百年時代なんかに踊らされるより、こうしたモンテーニュの考え方をしっかり心に留めておきたい。

「わたしの腹づもりは、この残りの人生を、気持ちよく過ごすことにほかならず、苦労して過ごすことではない」。

不自然な死に方にあこがれるより、一日、一日を気持ちよく過ごすことが肝要なのだ。

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ジョン・グリシャムは映画化された『ザ・ファーム』や『依頼人』など何作か読んでいて題名を忘れたものもあるがどれも法曹世界を舞台にした粒ぞろいのエンターテイメントだった。

新作『危険な弁護士』(白石朗訳、新潮文庫)は弁護士セバスチャン・ラッドを主人公とするオムニバスふう長篇スリラーで、この作家のこうしたスタイルの作品は初めてで、それと弁護士を力技で扶ける補佐役の配置は懐かしくもロバート・B・パーカーのスペンサー・シリーズを想起させる。

以下は新作リーガル・サスペンスに感じた現在のアメリカの精神的雰囲気である。

セバスチャン・ラッド弁護士が扱う事件の起こった州では警察の特殊部隊が「いささか血気にはやりすぎて、撃つべきでない人間を撃ってしまっても、刑事責任の免責特権を与えられる」法律があり、他方で警官が一般住民の住居に立ち入った場合、正当性の有無に関わらず住民の発砲は禁じられているとある。

おそらく荒唐無稽の設定ではなく、同様の州法のあるところがあるのだろう。危険きわまりないが、こうした制度の背景にある世上の風潮として「残念なのは、昨今の社会で警察に異議をとなえる行為が愛国的ではないとみなされていることだ。9・11後の社会の雰囲気では、制服組を批判する声はーそれがどんな制服でもー抑えつけられる。また、犯罪に手ぬるいとか、テロに手ぬるいというレッテルを貼られることは政治家の悪夢だ」との指摘がある。

トランプ政権のもとでの社会心理であり、礼讃だけで批判を受けることのない制服組の一糸乱れぬ行進を想像すると、その向こうに北朝鮮の軍事パレードが見えてくるのだった。

といった次第で、原作を読んだうえで、テレビドラマや映画をみる、わたしのアガサ・クリスティー攻略作戦は捗らず、やむなく霜月蒼『アガサ・クリスティー完全攻略』に、エルキュール・ポアロのシリーズのなかで、星の数は最低の一つ、つまりわたしはまず読まないであろう「アガサを愛する貴方向け」「つまらなさの研究」の作品があり、テレビドラマ化されていたので視聴した。

(こっそり作品名をお教えしますと、『ヒッコリー・ロードの殺人』。シナリオは昨年『カササギ殺人事件』で話題となったアンソニーホロヴィッツが担当しているのですが、やはりこの名手にして、もたついている感じでした。)

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わたしは来年七十歳を迎えるがこの半世紀NHK地上波で見たのはニュースとスポーツ番組がほとんどで紅白歌合戦大河ドラマ、朝の連続テレビ小説などとは無縁だった。NHKにはずいぶん気前よく視聴料を払い続けたものだが、やむなく徴収に応じているだけで、仮にご縁がなくなっても少し淋しい気はするだろうが、とくに痛痒は感じない。

先日たまたまテレビをつけたところ、「NHKから国民を守る党」(N国党)が参院選で一議席を獲得したうえ政党要件を満たしたことの余波だろう、NHKの某理事(名前は忘れた)が視聴料の納付のお願いをしていた。

N国党については、北方領土問題はロシアとの戦争で解決しようなんて主張するトンデモ議員を取り込む見識はいかがなものかと思うけれど、NHKのあり方を追及するというたったひとつのテーマしかもたない党の登場はユニークで、今後を注視したい。

N国党の問題提起について、与党はともかく、野党はどう考えるのか。早急な意見集約を求めたい。

政府に予算と人事という首根っこを掴まれているNHK。それでも危機対応の周知や国民的関心事の報道などの存在意義を認めるとしても地上波の放送まででBS放送の受信機器があるからと高額な受信料を徴収するのはおかしい。貧しい年金生活者にBS放送という贅沢品は不要で、それにこれから先、やれ4Kだ5Kだと騒いでテレビに受信機器が内蔵されるとまたまた視聴料が上乗せされかねない。

地上波は値下げ、BSはスクランブル制に、というのがわたしの立場だ。

(と書いたあとにN国党がマツコ・デラックスの発言をとりあげ「NHKをぶっ壊す。マツコ・デラックスをぶっ壊す」と騒いでいる姿を見てうんざりした。国会議員がテレビ局まで押しかけて圧力をかけるのは自由な社会として望ましくないし、見苦しい。マツコ・デラックスの発言に対する批判はテレビ局に押しかけなくてもお得意のYouTubeでいくらでもできるだろう。マツコ・デラックスNHKを同列に扱うのではなく、NHKという権力体に真剣に向きあっていただきたいと願う。)

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「カーライル ニューヨークが恋したホテル」(マシュー・ミーレー監督)はマンハッタンで一九三0年に創業し、一泊二百万円もするスイートルームを擁する超高級ホテルの魅力に迫るドキュメンタリーで、渋谷のBunkamuraル・シネマで熱中症の危険を忘れ、英国王室や歴代米大統領、映画スターなど世界中のセレブたちが御用達としてきたホテルの魅力やちょっといい話にひたった。

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正式の名前は「ザ・カーライル ア ローズウッド ホテル」。わたしにははじめて知るホテルである。常盤新平さんがニューヨークをめぐるエッセイでアルゴンキンホテルについて書いていた記憶があるが、カーライルにも触れていたかしら。

須賀敦子さんがイタリアには日本人が知らない「秘密」の高級ブランドがあると書いていて、カーライルはそんなホテルのような気がした。

そのシックでおしゃれなホテルを、ニューヨーク・タイムズは「秘密の宮殿」と呼んだとか。古き良きヨーロッパの雰囲気に憧れるアメリカのセレブたちには願ってもない「宮殿」なのだった。そうした「宮殿」と自宅のテレビとの取り合わせは似つかわしくない。ぜひ劇場でご鑑賞あれ。

「ホテルに入ったケネディ大統領を訪ねるマリリン・モンローのために秘密の地下通路を設けたとか」との質問に某従業員氏曰く。

「よくそうしたお話を聞くものですから、この何十年も探しているのですが、いまだに見つけておりません」