十数年ぶりのスプリングボクス

「春菊や今豆腐屋の声す也」(子規)

夏井いつきさんは『子規365日』でこの句に寄せて、子供の頃に硬貨と凹んだボールを渡され近所の豆腐屋へおつかいに行っていたと思い出を語っている。一九五七年生まれだから東京オリンピック前後の頃だろう。一九五0年生まれのわたしも豆腐を切り分けてもらって買った記憶がある。なつかしい昭和の思い出だ。

昭和に生まれて就職し、家庭を持ち、平成で退職して、いま令和で余生を送っている。

この四月に六十代半ばの知り合いが亡くなった。特段の病気はなく、就寝し、朝になったら亡くなっていたそうだ。五月には令和を控えていたから、せめて新元号になってからであれば三つの元号を生きたことになるのにと思ったことだった。

元号は史上初めて国書(万葉集)に典拠をもつと聞く。ただ音読みだから唐風は否めない。令和を寿ぐとともに、将来は選択肢を豊かにするために、かなを用いることも含めて、より和風を強めていくのもよいのではないかな。やんごとない方面に失礼を顧みず、とりあえず漢字で「青丹」「春曙」「梅匂」が浮かんだ。

時代はさかのぼって元号を嘉禄とする時代があった。前に元仁、後に安貞、西暦では一二二五年から一二二八年の短いあいだだった。改元のいきさつは元仁二年に悪疫が流行し、天下の病が「軽く」(かろく)なるようにと願って「嘉禄」とされたのだった。

藤原定家『明月記』には「年号毎日改ムト雖モ、乱世ヲ改メザレバ、何ノ益カアラン」とある。おっしゃる通りで、それにしてもえらく軽いノリの改元もあったもので、似たような例はほかにあるのだろうか。

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知らない町を歩いてみたい、どこか遠くへ行きたい。

旅は夢とあこがれをもたらし、冒険心を刺激する。

日常の生活空間からしばし離れてほかの土地へ行くだけが旅ではない。文字や写真などで興味のある町をたどってみるのもたのしいひとときであり、モンテーニュはよくそうした旅に出かけた。行き先は古代ローマの諸都市、「わたしは、彼ら(古代ローマの人々)の顔つきや、ふるまいや、衣服のことを考えるのが好きだ。そして、あれらの偉大な名前を、幾度も口のなかで繰り返しては、わが耳に響かせてみる」「古代ローマの人々が閑談し、ぶらぶら歩き、食事するといった姿を、是非ともこの目で見たいと思う」と述べている。

千里の遠くへ行き、わが家の近くを散策し、本や写真であこがれの町をのんびりと散歩する。それらがたがいに糧となり、刺激となればよろこびは二倍にも三倍にもなる。

かなめとなるのが丈夫な足と旺盛な好奇心だ。

その足について、ほぼ毎朝ジョギングをしていて、この夏の暑さほど身体への負担を覚えたことはなかった。とりわけ梅雨が明けてからの一週間はひどく、走ったあとシャワーを浴びてもしばらくは汗が止まらず、体重は落ちてフィットネスの状態が心配になり、めずらしく体重を増やそうと努めた。熱中症の数歩手前の状態にあったかもしれない。

暑さは晩酌にも影響した。お店では「とりあえずビール」派だが、家では焼酎かウィスキーをロックで飲むわたしが家でもビールを飲みたくてたまらず、さらに一瞬の爽やかさを求めて焼酎、ウィスキーの炭酸割りの缶をコンビニで買ってくるようになった。

ハイボールは酒に弱くなったあらわれかもしれない。そのうち元に戻るかどうかはなりゆきに任せるが、酒との辛いつきあいに甘みが増すのは望まない。まあ、七十にして心の欲するところに従い矩を踰えずというから、無理は禁物である。

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NHK BSで放送のあった「日の名残り」をみて、あらためて名作の感を深くした。

第二次大戦直前から戦後の五十年代にかけてのイギリスの風俗と大英帝国の黄昏をこれほど滋味深く描いた作品はほかに知らない。映画、原作ともに素晴らしく、日本とご縁のある作者がこんなにイギリスを体感させる作品を書いたのは不思議な気がする。

十年ぶり、あるいはそれ以上の時間を経ての「日の名残り」のラスト近く、アンソニー・ホプキンスエマ・トンプソンの雨中の別れのシーンをわたしはもっと長かったように記憶していたが、実際は思っていたよりだいぶん短かった。おそらく「マディソン郡の橋」のクリント・イーストウッドメリル・ストリープの雨の別れのシーンが影響していたのだろう。これも映画の楽しみではある。

幸か不幸か歳とともに前へ進むより後ろに向けて歩いてみたい気持が強くなる。さいわい書架にはこれまで読んだカズオ・イシグロ日の名残り』をはじめとする諸作品が並んでいる。

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『エセー』を読み終え、つぎはモンテーニュのさらなる追求か、『エセー』に導いてくれた堀田善衛の作品群に手を伸ばすか迷っているうちに、たまたまどんなものかと堀田の『ゴヤ』を試し読みしたところ離れられなくなり、先年、スペインを旅したご縁もあり、まずは『ゴヤ』に決めた。

モンテーニュについてはまえから関心があり、わずかながら知識もあったのにたいし、ゴヤのほうは予備知識すらなく、堀田善衛をガイドとする未知の世界ののぞき見となる。

堀田がとりあげた鴨長明藤原定家モンテーニュゴヤラ・ロシュフコーのうちゴヤを除くとかねてから気になる人たちだった。また堀田自身は第二次大戦末期一九四五年三月仕事で上海に渡り四七年十二月まで留用生活を送り、のちに『上海にて』や『時間』など中国にかんする作品を著した。こうした和漢洋に広がりを持つ作家に出会ったのはうれしい。

ゴヤ』には必要に応じて絵画が載せられているがモノクロ印刷なので難があるのはやむをえない。しかしありがたいことに電子本でゴヤの画集がありカラー写真が見られる。便利な世の中になったものだ。

先年プラド美術館を訪れゴヤの作品に接したが、記憶にあるのは「裸のマハ」「着衣のマハ」くらいで、この画家の評伝を読むとは思いもよらず、悔やんでも仕方ないけれど残念なことをしたものだ。それとプラド美術館はスケールの大きな美術館で、総じて大きな館は苦手で、鑑賞より疲れが先に立った。そして後悔は先に立たない。

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九月になった。旧暦とはおよそひと月のずれはあるけれど、何はともあれ長月である。語源は諸説あるが秋の夜長という意味の「夜長月(よるながつき)」が略されたという説が有力である。

スタンダードナンバーでは「セプテンバー・イン・ザ・レイン」「セプテンバーソング」「九月になれば」といった名曲が浮かぶ。九月の雨のなか、あなたがささやいた愛の言葉、降っていた雨のしずくがリフナンバーのようだった、というのは「セプテンバー・イン・ザ・レイン」の一節。ナンバーのリフレインはよいが八月の豪雨の繰り返しだけはありませんようにと願う。

陰暦九月は終わろうとする秋を惜しむ気持ちが強くなるが、太陽暦では秋を迎える月なので「なにがなしたのしきこころ九月来ぬ」(日野草城)、「今朝九月草樹みづから目覚めゐて」(中村草田男)といった句に実感や期待、爽やかさを覚える。

ちょっぴり淋しさを含む「初秋」はもう少しあとで登場していただこう。

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九月六日。ラグビーワールドカップの日本代表壮行試合、日本代表vs南アフリカスプリングボクスの観戦に熊谷へ出向いた。駅からスタジアムにかけてたくさんの幟や横断幕、ボードがあり、タクシーのドアは日本代表を激励する仕様で、WCに向けての盛り上がりを体で感じた。道筋では各所に立つ職員の方にスタジアムへの案内をしていただき、そのおもてなしに感謝だった。

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四年前のWCイングランド大会で優勝候補の南アに奇跡の大逆転で勝利した日本代表。それをうけてきょうは「逆襲の南ア」 vs「最強の日本」の試合となった。結果は41vs7で逆襲されたが、きょうの教訓を活かして大会本番に臨む日本代表に大いに期待しよう。

スタジアムでスプリングボクスを見るのはきょうが二度目。はじめは家族四人でニュージーランドを旅したときのオークランド、イーデンパークスタジアムでの対オールブラックス戦で、それから十数年ぶりのうれしい観戦の一夜だった。

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ときどき週刊誌で、この病気の治療にはこの医師、この病院がよい、といった医師、病院の評判記を見る。親切な都道府県別のリストがあったりもする。

生命に関わることだから徒や疎かにはできない。リストアップには実体のない評判ではなく、厳格な選考があったと信じたい。選考の基準は業界内の評価、手術成功数、治療内容といったところか。なかで重要なのは専門家による査定、すなわち業界内でのしっかりした評価であろう。患者の評判も考慮されるにしても選挙ではないからその道の専門家の意見が優先されなくてはならない。あくまで実績に基づく実像が重要で、人気や噂、根拠のない評判が生んだ虚像となると患者はたまったものではない。

医師の名声は専門家の査定の裏付けを必要とするが政治家の場合、まずは当選しなくてはならないから有権者の人気、評判は欠かせない。とはいえヒトラームッソリーニもある時期まで大変な人気を誇ったが結果として国民の幸福からは遠かった。

先日の内閣改造では、過日挙式した人気の政治家が若くして環境大臣に就任した。早くも将来の首相候補との呼び声もあるそうだから業界内の査定もよいのだろう。人気や噂、根拠のない評判の生んだ虚像でないことを願う。

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敬老の日、散歩をしていて上野動物園の前を通ると本日六十歳以上は無料とあり、運転免許証を提示して入れていただいた。ありがとうございます。

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上野動物園が開園したのは明治十五年(一八八二年)三月二十日。正岡子規が亡くなったのはその二十年後、明治三十五年の九月十九日で、同年五月五日から死ぬ二日前まで新聞「日本」に連載していた『墨汁一滴』の五月二十六日の記事に、自分が見たことのないものでちょっと見たいと思うものとして活動写真やビヤホールとともに「動物園の獅子及び駝鳥」をあげている。子規は自宅に近い上野動物園に遊んだことはあったと思うが、そのときはライオンもダチョウもいなかったのだろう。

帰宅して動物園で撮った写真を見ながら子規にも見せてやりたかったと思う。この十九日は子規忌である。

無料の上野動物園はよかったが、そのいっぽうでなじみの床屋は十月一日の消費税上げを機に料金改定を行うとともに、これまでの六十五歳以上のシニア割引を廃止した。こちらは有り難くないね。

老後の家計がディフェンシブになるのはやむをえない。しかしそれでは長寿社会を生き抜くのはむつかしいなどと言われると、長生きできるかどうかはわからないままに心は沈んだり焦ったりする。煽り運転は困ったものだが、長生きと破産との関連も一種の煽りであればよいけれど、そうはゆかないのが厄介だ。

小泉内閣の頃からだろうか、貯蓄から投資へ、といったことが盛んに呼びかけられるようになった。それだけ貯蓄では資産形成が困難になったわけだ。調べてみると一九八0年当時、郵便局の貯金の金利は4.56%もあった。普通預金金利である。

政府はそんなこといつまでぐずぐず言ったって昔は昔と投資への勧めへと舵を切った。その意味するところは何か。わたしの解答は、貯蓄ほどの欲ではいけない、もっと欲を持てということにある。

ふつう無心無欲はほめられてよい徳目の一つだが、それでは老後はヤバイというわけだ。しかし無心無欲から離れるとそこには自惚れや見栄、思い込み、勘違いが待っている。それは心を曇らせ、百鬼夜行、魑魅魍魎の世界に近づく可能性を高める。欲を持ち、投資を通じて資産形成に当たれの呼び声は高いが、どうやらわたしのようなどんくさい者には難しく、認知力の衰えに欲ボケでは目も当てられない。