難聴の記

朝、ジョギングをしたあとシャワーを浴びていると、右耳に膜が張ったような感じがして水が入ったのだろうと出そうとしたが、水のせいではないらしい。綿棒で水分と耳垢を取っても症状は消えなかった。

テレビの前で右耳を、ついで左耳をふさいだところ明らかに左耳をふさいだときの、つまり右耳の聞こえが悪い。ウエブサイトで検索をかけると、耳管狭窄症やメヌエー病などが疑われるとあった。

すぐに耳鼻科へ行く勇気はなく、当日は気のせいだろうと希望的観測、二日目もおなじ症状だったが様子見と決め、しかし違和感は消えず、三日目にやむなく診療終了前の耳鼻科へ行った。

そのかん十代で聴覚を失ったベートーベンや四十代で失ったゴヤのことが思われ、堀田善衛ゴヤ』のなかの、画家が聴力を失った事情をしるした箇所を開いてみた。明確な原因はわかっておらず、そのため、ゴヤの看病と治療に当たった医師からはじまり、同時代の、また後世の世界各地にわたる数百人にのぼる医師が診断を下していて、発作、卒中、血栓症、耳炎、髄膜性脳炎、梅毒、不適当な毒物施薬による内耳神経麻痺症状などの説があり、堀田は梅毒、あるいはその治療のための水銀が局所的に内耳神経の麻痺を生じさせたというのが妥当との見解をとっている。

いずれにしてもここのところを読んだためにかえって心配の度合は増し、しかし、めまいはないから大きな病気のはずはない、梅毒では断じてない、それでも右耳の難聴化の指摘は避けられないだろう、いやだなあ、将来的には補聴器の助けを借りなければならないのかと心配しているうちに名前を呼ばれた。

診察室で病状を伝えると医師は首をかしげ、手に持つ、小さな金属の医療器具をわたしの耳にあてると、すぐさま、これは耳垢ですと診察を下した。耳奥に相当量の垢が溜まっているとのことで、見てごらんなさいと右耳から出た垢をガーゼに置き、ついで左耳の垢を取ってくれた。そのあと簡単な聴力検査をして、こちらも異常はなかった。やれやれ。

安堵して家に帰るうちに、なんだか似た話があったなあと気づいたのが『新約聖書』にあるパウロの故事だった。

キリスト教発展の基礎をつくったパウロヘブライ語ではサウロ)は熱心なユダヤ教徒の立場からはじめはキリスト教徒を迫害する立場にあった。

あるときパウロエルサレムを出てダマスコ(いまのダマスクス)へ向かっているとき、突然、天から光が射し、彼を包んだ。倒れたパウロは「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」とイエスの声を聞き、そのあと目が見えなくなった。

ダマスコの町にアナニヤというキリスト教徒がいて、イエスはこの男をパウロのもとに遣わした。アナニヤはイエスに命じられた通り、パウロのために祈るとその目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになった。「サウロの回心」といわれる出来事は紀元三十四年頃のこととされる。

畏れ多くもパウロ目から鱗(のようなもの)が落ち、わたしは耳の垢が取れたのである。見えなくなった目が見えるようになるのは、耳垢が取れて聞こえるようになったのとはずいぶん事情が異なるし、それに、わたしが回心や宗教的体験をしたわけではないけれど、自分としては一瞬の奇跡のごとき耳の復活であり、ひょっとするとパウロの故事も、耳垢が取れて聞こえるようになったのが原話で、それでは有難味がないからと目の話に改変されたのかもしれないなんて想像した。

家族からは、三日も置かずにすぐ耳鼻科へ行くべきだとお叱りを受けた。

思慮、叡智、勇気からたいへん遠くにいて、何かといえば動揺し、優柔不断のうちになんとかやり過ごそうとする態度は治療の遅れにつながりかねない。反省しながら、でもだからこそ人間としてまだまだ成長できる余地があるのだとわが身を慰め、晩酌におよんだ。