一日、一日を気持ちよく過ごそう

本屋さんで七月のちくま文庫新刊、大原扁理『年収90万円でハッピーライフ』を見ておもしろそうと思ったが、下流老人予備群が買っていてはハッピーライフにならないと判断して、図書館のホームページで調べてみると新刊文庫は予約待ちだったが、元版の『年収90万円で東京ハッピーライフ』(太田出版)があり、さっそく借りて読んだ。

消費税上げ対策の参考になればとの狙いはハズレだったが、生活の基本的な考え方には共感した。

本書の提言。

1まず物欲を減らす

2工夫して生活する

3「欲しいもの」でなく「必要なもの」だけを買う

4週に最低何日働けばいいか逆算&実践!

老爺に4は不要だから123に努めよう。

著者は二十代で隠居したそうだ。えらいなあ。

「週に最低何日働けばいいか逆算&実践!」といったライフスタイルは耐えられそうもなく、また「仁義なき戦い」の山守親分のような「ゼニじゃ、ゼニじゃ」の積極性もなかったわたしは若い頃から隠居生活に憧れながら二0一一年三月の定年退職を機にようやく隠居生活に駆け込んだ。

昔は隠居あるいは出家剃髪という優雅な老年対策のある日本だったが、いまは長く働きたい人、働かなければならない人は多く、政府はそこに乗っかり、働け!という号令を老年対策の切札としている。こうしたなかでの隠居生活は優雅どころか時流からの逃亡という気分は避けられない。

さいわいわたしは逃げるのが好きな男である。とはいっても米中の角逐、ロシアの不気味、消費税上げ、脆弱な年金制度、少子高齢化など浮雲の思いは強く、つぎに逃げ込む先は彼岸しかないけれど、あまり早く行くのもどうも……。

とりあえずは生活防衛の指針として「ものを欲しがらないのは、ひとつの財産である。ものを買いたいと思わないのは、ひとつの収入である」(キケロ)を肝に銘じておこう。

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自分の力を大きく超える重い荷物を背負ってはいけない。

ジョイスユリシーズ』、プルースト失われた時を求めて』など、せっかく購入したのにけっきょく手放した本は多い。不相応に重い荷物を背負いすぎたのだ。

それは認めるとして、はたして自分がどれほどの重さに耐えられるかを見定めるには荷物を担いでみなくてはわからない。それに、はじめは力不足でもトレーニングを積むうちに力がつくかもしれない。

早々に見極めをつけ撤退するのは悔しく、しかし年経てからのコース変更は負債が増した気がする。やってみて、やらせてみないとわからないのは世の難儀のひとつである。

ジョイスプルーストなどの重荷に耐えかねたわたしだが、モンテーニュ『エセー』は全七巻(白水社)を読破できた。モンテーニュジョイスプルーストに比較して軽い荷物だから背負えたのか。いや、おそらく荷物にも重量とともに質や手ざわりがあり、この点で自分に向いていたと思いたい。

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堀田善衛が、いざとなれば『エセー』は原書の第三巻を読めばよいと述べていて、訳書では全七巻のうちの六冊目と七冊目がそれにあたる。なかの「ウェルギリウスの詩句について」は不義密通と艶笑譚がいっぱい詰まったまさに巻を措く能わずの一章だった。

かつてある地域では結婚式当日に神官が新婦と寝る風習があった。「新郎が初夜を迎えて、はたして花嫁が処女のまま嫁いできたのか、あるいはだれか他の男の手が付いているのかを詮索して、疑惑にとらわれることを未然に防いだ」とモンテーニュはその効用?を説いていて、男の勝手な理屈の背後に、それだけ「お手付き」が怖かった心理が見てとれる。

「大変に厳しい義務を勝手に妻に押しつけて、目的とは裏腹な二つの結果を招かないように、われわれは気をつける必要がある。つまり、そうすることで、言い寄る男たちは、むしろ刺激されるし、妻たちもすぐに身を任せることになりかねないのだ」。

厳しい倫理道徳の強制がもたらす秘密の関係。ここには弟に妻を寝取られたモンテーニュの後悔、猜疑、虚栄心がうかがわれる。

閑話休題

モンテーニュは医師の勧める療養について「わたしがいやいや受け入たことは、なんでも害になるが、飢えたようにして、喜んですることは、どんなことであれ、害にはならない。自分に多くの喜びを与えてくれたような行為からは、一度も害を受けたことはない」としてあらゆる医学的な結論よりも快楽の言い分を優先させた。

ことは医学に止まらない。

ユリシーズ』も『失われた時を求めて』もいやいや読もうとしたのではないが、えらく世評の高い本だから読んでおこうとした教養主義の発想がもとになっていて、それだけ内発性は弱かった。ところが『エセー』については著者の評伝や抄録本をよむうちに読破への意欲がどんどん高まった。

ニーチェモンテーニュについて「わたしが誠実という点でショーペンハウァーと同等に見ている、むしろ彼より高い位置を与えている著作家はただ一人しかいない。それはモンテーニュである」「人の心を晴れやかにする本物の明朗さがそれである。他人には明朗を、自身には智慧を」と評した。生きる楽しみと明朗さのミシェル・ド・モンテーニュ氏なのである。

終りに、現代の日本人に読みやすい訳文をと心がけ、提供してくださった訳者宮下志朗氏に謝意を表しておこう。そのうえで何箇所かで「生きざま」という無神経で下品な語を用いているのは不満だったことは言っておかなければならない。

いずれ岩波文庫の原二郎訳にも接してみたい。

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「医学の管轄のもとにある人々ほど、病気になるのが早くて、治るのが遅い人種はいない」

「食事療法という拘束のせいで、彼らの健康そのものがむしばまれ、そこなわれている」「医学の明らかな効果のほどを実証するぐらい、医者たちが、幸福に長生きしているとでもいうのだろうか?」

モンテーニュ『エセー』にある医学への疑問で、ここからさらにモンテーニュは死生観へと進む。

「ものすごく高齢まで生きて、老衰で死ぬことを期待したり、そこまでは生きるぞと目標を定めるなんていうのは、じつにおろかなことだ。そんな死に方はめったにないし、少しもふつうのことではない。ところがわれわれは、そうした死にかぎって自然な死に方と呼んでいる」。

「老衰で死ぬなどは、めったにない、ユニークで、異常ともいえる死に方なのであって、そのぶん、ほかの死に方よりも不自然なものなのだ」。

映画監督マキノ雅弘が老衰で亡くなったのは一九九三年十月二十九日、享年八十五歳だった。前日FIFAワールドカップアメリカ大会、アジア地区最終予選最終節の試合、日本代表対イラク代表の試合がカタールの首都ドーハのアルアリ・スタジアムで行われており、この試合、六十九分日本は2-1で勝ち越しに成功し、ワールドカップ初出場に近づいた。テレビ中継を見ていたマキノは、これで日本も安心だねと言った直後に意識を失い亡くなった。

ご承知のように終了間際のロスタイムで日本はイラクに同点とされ、予選敗退となった。いわゆるドーハの悲劇で、マキノはこれを知らないまま逝ったのだった。

うらやましく、あやかりたい死に方だが、モンテーニュからすると異常ともいえる不自然な事例となる。わたしを含め多くの人々がモンテーニュのいう不自然な死にざまを望んでいるがそうは問屋が卸さない。異例な運命にとらわれすぎてはならない。老衰で死ぬなどは、めったにない、ユニークで異常なことと知っておこう。

人生百年時代なんかに踊らされるより、こうしたモンテーニュの考え方をしっかり心に留めておきたい。

「わたしの腹づもりは、この残りの人生を、気持ちよく過ごすことにほかならず、苦労して過ごすことではない」。

不自然な死に方にあこがれるより、一日、一日を気持ちよく過ごすことが肝要なのだ。

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ジョン・グリシャムは映画化された『ザ・ファーム』や『依頼人』など何作か読んでいて題名を忘れたものもあるがどれも法曹世界を舞台にした粒ぞろいのエンターテイメントだった。

新作『危険な弁護士』(白石朗訳、新潮文庫)は弁護士セバスチャン・ラッドを主人公とするオムニバスふう長篇スリラーで、この作家のこうしたスタイルの作品は初めてで、それと弁護士を力技で扶ける補佐役の配置は懐かしくもロバート・B・パーカーのスペンサー・シリーズを想起させる。

以下は新作リーガル・サスペンスに感じた現在のアメリカの精神的雰囲気である。

セバスチャン・ラッド弁護士が扱う事件の起こった州では警察の特殊部隊が「いささか血気にはやりすぎて、撃つべきでない人間を撃ってしまっても、刑事責任の免責特権を与えられる」法律があり、他方で警官が一般住民の住居に立ち入った場合、正当性の有無に関わらず住民の発砲は禁じられているとある。

おそらく荒唐無稽の設定ではなく、同様の州法のあるところがあるのだろう。危険きわまりないが、こうした制度の背景にある世上の風潮として「残念なのは、昨今の社会で警察に異議をとなえる行為が愛国的ではないとみなされていることだ。9・11後の社会の雰囲気では、制服組を批判する声はーそれがどんな制服でもー抑えつけられる。また、犯罪に手ぬるいとか、テロに手ぬるいというレッテルを貼られることは政治家の悪夢だ」との指摘がある。

トランプ政権のもとでの社会心理であり、礼讃だけで批判を受けることのない制服組の一糸乱れぬ行進を想像すると、その向こうに北朝鮮の軍事パレードが見えてくるのだった。

といった次第で、原作を読んだうえで、テレビドラマや映画をみる、わたしのアガサ・クリスティー攻略作戦は捗らず、やむなく霜月蒼『アガサ・クリスティー完全攻略』に、エルキュール・ポアロのシリーズのなかで、星の数は最低の一つ、つまりわたしはまず読まないであろう「アガサを愛する貴方向け」「つまらなさの研究」の作品があり、テレビドラマ化されていたので視聴した。

(こっそり作品名をお教えしますと、『ヒッコリー・ロードの殺人』。シナリオは昨年『カササギ殺人事件』で話題となったアンソニーホロヴィッツが担当しているのですが、やはりこの名手にして、もたついている感じでした。)

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わたしは来年七十歳を迎えるがこの半世紀NHK地上波で見たのはニュースとスポーツ番組がほとんどで紅白歌合戦大河ドラマ、朝の連続テレビ小説などとは無縁だった。NHKにはずいぶん気前よく視聴料を払い続けたものだが、やむなく徴収に応じているだけで、仮にご縁がなくなっても少し淋しい気はするだろうが、とくに痛痒は感じない。

先日たまたまテレビをつけたところ、「NHKから国民を守る党」(N国党)が参院選で一議席を獲得したうえ政党要件を満たしたことの余波だろう、NHKの某理事(名前は忘れた)が視聴料の納付のお願いをしていた。

N国党については、北方領土問題はロシアとの戦争で解決しようなんて主張するトンデモ議員を取り込む見識はいかがなものかと思うけれど、NHKのあり方を追及するというたったひとつのテーマしかもたない党の登場はユニークで、今後を注視したい。

N国党の問題提起について、与党はともかく、野党はどう考えるのか。早急な意見集約を求めたい。

政府に予算と人事という首根っこを掴まれているNHK。それでも危機対応の周知や国民的関心事の報道などの存在意義を認めるとしても地上波の放送まででBS放送の受信機器があるからと高額な受信料を徴収するのはおかしい。貧しい年金生活者にBS放送という贅沢品は不要で、それにこれから先、やれ4Kだ5Kだと騒いでテレビに受信機器が内蔵されるとまたまた視聴料が上乗せされかねない。

地上波は値下げ、BSはスクランブル制に、というのがわたしの立場だ。

(と書いたあとにN国党がマツコ・デラックスの発言をとりあげ「NHKをぶっ壊す。マツコ・デラックスをぶっ壊す」と騒いでいる姿を見てうんざりした。国会議員がテレビ局まで押しかけて圧力をかけるのは自由な社会として望ましくないし、見苦しい。マツコ・デラックスの発言に対する批判はテレビ局に押しかけなくてもお得意のYouTubeでいくらでもできるだろう。マツコ・デラックスNHKを同列に扱うのではなく、NHKという権力体に真剣に向きあっていただきたいと願う。)

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「カーライル ニューヨークが恋したホテル」(マシュー・ミーレー監督)はマンハッタンで一九三0年に創業し、一泊二百万円もするスイートルームを擁する超高級ホテルの魅力に迫るドキュメンタリーで、渋谷のBunkamuraル・シネマで熱中症の危険を忘れ、英国王室や歴代米大統領、映画スターなど世界中のセレブたちが御用達としてきたホテルの魅力やちょっといい話にひたった。

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正式の名前は「ザ・カーライル ア ローズウッド ホテル」。わたしにははじめて知るホテルである。常盤新平さんがニューヨークをめぐるエッセイでアルゴンキンホテルについて書いていた記憶があるが、カーライルにも触れていたかしら。

須賀敦子さんがイタリアには日本人が知らない「秘密」の高級ブランドがあると書いていて、カーライルはそんなホテルのような気がした。

そのシックでおしゃれなホテルを、ニューヨーク・タイムズは「秘密の宮殿」と呼んだとか。古き良きヨーロッパの雰囲気に憧れるアメリカのセレブたちには願ってもない「宮殿」なのだった。そうした「宮殿」と自宅のテレビとの取り合わせは似つかわしくない。ぜひ劇場でご鑑賞あれ。

「ホテルに入ったケネディ大統領を訪ねるマリリン・モンローのために秘密の地下通路を設けたとか」との質問に某従業員氏曰く。

「よくそうしたお話を聞くものですから、この何十年も探しているのですが、いまだに見つけておりません」