アクセルとブレーキ

ことし四月、東京、池袋で旧通産省工業技術院の元院長、八十七歳が運転する乗用車が暴走し、母子が死亡、十人が負傷した痛ましい事故があった。車を分析した結果ではアクセルを踏み込んだ形跡はあったがブレーキを踏んだ跡は残っていなかった。アクセルをブレーキと思いこみ強く踏んでしまうケースでは、かなりのスピードが出ているため、他の交通事故に比べて死亡率は高くなる。

警察庁の統計によると、二0一五年日本国内でブレーキとアクセルを取り違えたことによる死亡事故は五十八件、うち六十五歳以上の高齢ドライバーが五十件を占めている。もとより踏みまちがいは高齢者だけの問題ではないけれど、長寿社会になると、アクセルとブレーキを認知する能力は低減し、咄嗟の判断力の衰えた高齢者が多くなるのは否定できない。

暴走族が意図してアクセルを踏み込むのにたいし、高齢者は認知能力の衰えから踏み込んでしまう。暴走族に、人生経験を積んでかつての行為を反省し、安全運転に心がける余地はあっても、高齢者はそういった段階にはない。そこで転ばぬ先の杖として運転免許を返納し、運転を止せばよいのだがそうはできない方は多い。

わたしは在職中はやむなく車を持ったがもともと運転は好きでなかったので退職を機に売り払った。いっぽうで多くの高齢者が仕事や生活のために(車がないと食料の確保に困難をきたす地域もある)車の運転をつづけていて、それだけアクセルとブレーキを踏みまちがえる可能性は高くなる。

自家用車とは別に、もうひとつ人生という車の運転がある。こちらはマイカーとちがって売却、下取り、譲渡はできない。日本のどんくさいわたしとしては車とおなじく早々に運転は止したいと思ってもこの車とは最期まで付き合うほかない。

そして人生という車の運転でもアクセルとブレーキの踏み加減は重要な問題で、行き先を定めハンドルを握ったあとで欲に目がくらんでアクセルを踏み込み過ぎて大損を発生させたり、感情のブレーキを踏まずに暴走したあげく人間関係を壊したり、反対に石橋を叩いて慎重を期しているうちにアクセルを踏むべきときを逃して貴重なチャンスを失ったり……まことに難儀なことである。