七十年目の敗戦の日に 9「日本のいちばん長い日」

昭和史のコンパクトな史料集として重宝している半藤一利編『昭和史探索』の第一巻に一九二八年(昭和三年)六月四日の張作霖爆殺事件の処理の過程で西園寺公望牧野伸顕とが天皇と皇室のありかたについて見解の相違を生じさせた興味深い議論がある。
はじめ「満洲某重大事件」として詳細不明だった出来事はまもなく関東軍参謀河本大作大佐を中心とする軍の一部による謀略だったことが明らかになる。
軍紀の乱れを憂慮する天皇に対し、田中義一首相は当初中国には遺憾の意を表し、責任者を軍法会議にかけて処罰すると言っておきながら、処罰は国の威信にかかわり、ひいては天皇の体面を傷つけるとする閣議と処罰に反対する陸軍の意向に押され、年が明けるとうやむやに済ましてしまおうとする立場をとるようになった。結果的に天皇をはじめ西園寺公望元老、牧野伸顕内大臣鈴木貫太郎侍従長に二枚舌を使ったのである。天皇と側近の田中に対する不信感は高まり、最終局面では「お前の最初に言ったことと違うではないか。説明を聞く必要はない」「辞表を出してはどうか」の「お言葉」が発せられ七月二日田中内閣は総辞職した。
天皇の「お言葉」が内閣を倒した。異例の事態であったが天皇の側近たちはそれを織り込んだ献策をしていた。ところが「この事件だけは西園寺の生きている間はあやふやに済まさせないぞ」と言っていた西園寺が土壇場で態度を豹変させた。
田中首相に対する天皇の応答について最終確認に赴いた牧野に西園寺は、明治天皇の時代よりこれまで天皇が総理大臣の進退に直接関係する発言をしたことはないと反対を告げた。西園寺はぎりぎりのところで「君臨すれども統治せず」という立憲君主制の原理原則にこだわったのである。牧野は日記に心変わりの理由として西園寺は「自分が臆病なり」と口にしたと記している。原理原則を踏み越える断を下さない、下せない自身を指して「臆病」と言ったと考えられる。
牧野は西園寺の心事に一理を認め、参考とすべき事柄としながらも「明治御時代とは時勢の変遷同日の論にあらず、先例等の有無を詮索する場合にあらず、愈々の時機に聖慮の顕るる事も止むを得ざることと思考する次第なり」との立場を崩さず、その日の日記を「兎に角今日は結局の帰着を見ずして公爵邸を辞去したり。三十余年の交際なるが今日の如き不調を演じたるは未曽有の事なり」と結んだ。
最後の最後で西園寺は法に拠り、牧野は政治で判断した。
西園寺の意向は承知しながらも、牧野内大臣と鈴木侍従長はこれまでの経緯をふまえ天皇の御意思に基づく「お言葉」をさしつかえないとした。いわば西園寺抜きの倒閣劇が演じられたのである。
ここからは半藤氏の推論。事後、西園寺は天皇に意見をして、閣議決定を重んじ、内閣一致の上奏には拒否をしない立場を守らせた。こうして十二月八日の開戦を含め政府の決定に不可を言わない天皇制がつづいた。それが破られたのが鈴木貫太郎首相から聖断をもとめられた「日本のいちばん長い日」だった。

ノンフィクション『日本のいちばん長い日』はいま半藤一利氏の著書として知られるが、一九六五年(昭和四十年)に刊行された際には文藝春秋の営業上の観点から大宅壮一名義とされていた。これを東宝岡本喜八監督で映画化したのが二年後の六七年で、戦後七十年、また初版刊行から半世紀にあたることし松竹配給、原田眞人監督により再度映画化された。
ポツダム宣言受諾を決定した八月十四日昼の御前会議から十五日正午の玉音放送までの一日、陸軍の若手将校を中心とする本土決戦派は巻き返しの最後の試みとして近衛師団と東部方面軍を動かし天皇の吹き込んだ音盤を争奪したうえ、ラジオで徹底抗戦を呼びかけようとする行動に出た。かれらは天皇には翻意をしていただき、鈴木貫太郎首相は殺害、阿南惟幾陸相は本土決戦の指導者と見なしていた。
オリジナルの六七年版が玉音放送の音盤争奪をめぐる宮城事件をきめ細かく描いていたのに対し、リメイク版は宮城事件を背景とする天皇本木雅弘)、鈴木貫太郎首相(山崎努)、阿南惟幾陸相役所広司)の人物描写と三者が織りなした戦争終結劇の色彩が濃い。とくに本土決戦派が頼みの綱として心を寄せていた陸相はその期待に応じる如く振る舞いながらポツダム宣言受諾の聖断を現実のものとするべく着地を図る。
阿南陸相の真意は、本土決戦派の暴発を阻止するため、自身は強硬な言動をとって継戦を主張しながら終戦のゴールを考えていたとするいっぽうに閣議における発言のとおり戦争の継続と本土決戦を望んでいたとする説がある。
六七年版の阿南陸相三船敏郎)がいずれとも解釈できる役柄だったのに対し、リメイク版でははっきりと前者の立場に立っている。
どちらの説を採るかで阿南の切腹についての見方も違ってくる。前者であれば敗戦の責任、意図的な閣議の混乱、本土決戦派に対する謝罪の意味合いを帯びる。後者であれば果たされなかった徹底抗戦の思いを秘めた殉国となる。
二つの阿南惟幾像に留意しながら観る二つの「日本のいちばん長い日」に惹かれる。