粕谷一希『戦後思潮』を読む

ことしの憲法記念日に安倍首相は自民党総裁として改憲派の集会にビデオメッセージを寄せ、憲法を改正し二0二0年に施行をめざす意向を表明し、改正項目のひとつとして憲法九条を挙げ「一項、二項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込むという考え方は国民的な議論に価する」と述べた。
国会においては改憲勢力憲法改正の発議に必要な三分の二を超えたと報じられている。
日本国憲法は戦後という時代の所産である。その具体的な意味は橘川俊忠『終わりなき戦後を問う』(明石書店)によく示されていて、著者は、第一次世界大戦までの戦争の清算は領土や植民地の譲渡や賠償金の支払いによったが、思想、イデオロギーの戦争である第二次世界大戦清算の仕方が違っており、勝者は敗者に国の仕組みを変えさせ、敗戦国は戦勝国の原理に基づく政治体制を受け入れなければならなかったと論じている。すなわち戦勝国はみずからの体制原理を敗戦国に受け入れさせる、換言すれば憲法の書きかえを求めたのである。
日本は「国体」を存続させると自分を納得させてアメリカ合衆国の原理に基づく政治体制を受け入れた。無条件降伏であり、その結果として憲法を書きかえた、もしくは書きかえさせられた。いっぽう体制原理を受容させられなかったソ連は領土の獲得で我慢するほかなく、日本国憲法北方領土問題とは裏腹の関係にある。余談だが、仮に第二次世界大戦清算が日本のソビエト体制原理の受容となっていたら領土問題は北方ではなく南方になっていただろうし、社会主義の日本は東ドイツ以上にソ連に忠実な国家となり、青年将校たちは有用な人材となっていただろう。
日本国憲法がどのように変わるのか、変わらないのかの予測はつかないが、上に述べたように第二次世界大戦終結の結果として誕生した憲法を変えたいと考える議員が多くなった国会の構成に則していえば歴史の見直しを含む新しい時代を迎えつつあると考えてよいのだろう。時代はどのように変化しようとしているのかといった疑問と二0一四年に亡くなった粕谷一希を追悼する気持から『戦後思潮 知識人たちの肖像』(日本経済新聞社、二00八年藤原書店復刊)を読んだ。

元版が刊行された一九八一年は戦後七十年のほぼ中間点に当たる。敗戦から三十五年経った時点での思潮〜誰が、何を、どのように論じてきたか〜を探った日本経済新聞連載のコラムの集成である。
たとえば坂本義和高坂正堯の二人の国際政治学者を論じた章で、著者は、坂本が戦後日本の非武装中立の平和主義を理論づけながらわが国の進路を論じたのに対し、高坂は国際政治の権力政治の現実から出発したとしたうえで二人を対比し「リベラル左派と右派はもはやそれほど差はない。より大きな左右の狂気に対して柔軟な対応と協力が今日ほど望まれることはないのである」と結論づけた。
それから三十数年経った現在の「左右の狂気」のありようと、自国を自国だけで防衛することがきわめて困難というかほぼ不可能となっている状況がリベラル左派の一部と右派との合流を促して憲法改正の潮流を強くしているのかもしれない。それとも過去の戦争の影は薄れ、敗戦と日本国憲法とを結ぶきずなは弱まり「過去の戦争も憲法の条文もバーチャルリアリティとして再生・消費され、それを自然に受け入れる国民が大勢となった」(高村薫『作家的覚書』岩波新書)状況が生まれているのだろうか。
「左右の狂気」の貌が大きく変化したなかで安倍内閣憲法解釈を変更し、集団的自衛権を可とした。高村薫さんの言う生命の重さ、戦争の悲惨に思いを致さない戦争のバーチャルリアリティ化現象なのかもしれない。だとしても反対を唱えるだけで済むことがらではない。それだけ国際政治と防衛は複雑でむつかしい状況にある。歴史的にも第二次大戦前に集団的自衛権に即した行動がとられていればチェコスロバキアポーランドなどヨーロッパの小国の運命はずいぶん違ったものになっていただろう。
平和維持のために辛抱強くヒトラーと協議を続けて最後はヒトラーに騙され、所期の目的とは反対の結果をもたらしたイギリス首相チェンバーレンについてチャーチルは「自らの支えとしていた人間と事実についての誤算と誤断の長い連続」だったと述べた(『第二次世界大戦』)。意図と結果との関連は皮肉であり、ときに憂鬱である。集団的自衛権も例外ではなく「誤算と誤断」のリスクの回避は保証の限りではない。いずれにせよ国民の生命にかかることがらであり、条文を変更するかどうかは別にして、この問題だけでも深まりのある憲法論議は不可欠だと思う。
こうして「左右の狂気」を取り出して見るとずいぶんと時代は変わったと考えながらも、他方おなじ人間の営みだから現在に通ずる問題は多いとの感も強い。たとえば議会制民主主義について粕谷は福田恒存を論じた箇所で「対話と論争を豊かに発展させるためには、成熟した作法と演技に対する積極的趣向がなければならず、それを支える観客が存在しなければならない」と述べている。ここからいまの国会を眺めてみても、およそ対話と論争の豊かな発展やそのための成熟した作法と演技といったものは見えないし感じられない。ゴリ押しと反対一本槍は「対話と論争」ではなく「柔軟な対応と協力」からはほど遠い。
戦後三十五年の時点で粕谷がいだいた世界と日本についての認識は、ソ連のアフガン侵攻により世界の状況は一挙に険悪で緊張に満ちたものとなり、そのなかで日本は経済大国を実現したものの全容には無自覚で、正確な自画像を持たないためにどうふるまってよいのか迷いがある、というものだった。そうして京極純一の書名を借りた「『文明の作法』の秋」という連載の結びでは「さまざまな試行錯誤の後に、今日の成熟社会にあって、まさに『文明の作法』を身につける秋がきているのである」と述べた。
いま「成熟社会」は格差と少子高齢化の大波をかぶり、明日の姿は不安に揺れ、一歩誤ると迷いは蛮勇にとって代わられる勢いにあり、「『文明の作法』を身につける秋」どころか、文明の相違をふまえた「作法」ではなく文明間の衝突が世界を蔽う。