「September Song」

ことし二0一七年八月の東京は月はじめから半月以上にわたり曇り一時雨といった天気が続いた。猛暑はどこへ行ったのやら、ずいぶんと日照時間の少ないまま九月になった。
異例の夏だったけれど九月を迎える気分に変わりはなく、いつものように「セプテンバー・ソング」を聴き、また久しぶりにこの曲を主題歌とする映画「旅愁」(原題September Affair)をみて「人生の秋」を観賞した。

Oh, it’s a long, long while from May to December
But the days grow short when you reach September
When the autumn weather turns the leaves to flame
One hasn’t got time for the waiting game
Oh, the days dwindle down to a precious few
September, November・・・・・・
五月から十二月まではたっぷり時間はあると思っていた
でも九月になると一日、一日が短くなっていく
秋が来て、木々の葉が紅く染まるころには
もう待つに時なしの状態だ
残された日々はわずか
九月そして十一月・・・・・・


といったふうに季節の移ろいと人生の季節とを重ねた「九月の歌」だ。一年十二か月を人生にたとえると九月はたそがれどき。かけがえのない日々はまたたくうちに過ぎ去る、九月から十一月へと。
わたしは十月生まれだが、ここでは九月のつぎは十一月だ。秋の太陽がつるべ落としのように早く沈んでしまうのとおなじで、人生のたそがれどきの時間の流れも早く十月は半端な月でしかない。
ナット・キング・コールやジョニー・ハートマンのヴォーカルでこの曲を知ったのは二十代それとも三十台だったか。いずれにせよ、しみじみとした味わいと人生の秋の抒情にひたりながらメロディと歌詞をなぞり、ときに口ずさんだ。といっても人生のたそがれどきは歌の世界のはなしであり、わが身に及ぶものではなかった。
ところがいつのころからかこの歌が他人事ではなくなり、体感の度合はだんだんと増し、まだまだ先とおもっているうちに人生の九月はめぐってきた。
この先も、九月になればきまってこの曲を聴くだろう。人生の十二月の晦日が近づくとともに切実は深刻となるのかそれとも達観に至るのかは経験したことのないことがらだから、おたのしみはこれからだというほかない。
そうしてうえの歌詞は「わずかに残された日々はあなたといっしょに過ごしたい/貴重な日々はあなたのために捧げたい」と続く。

*「セプテンバー・ソング」
作詞:マクスウエル・アンダーソン
作曲:クルト・ワイル