ホームズまみれの日々

語学学習用にリライトされたシャーロック・ホームズ短篇のアンソロジーを終えたので、いよいよコナン・ドイルの原文に進んだ。とはいえ一人立ちはまだ難しくまずは柴田元幸西村義樹森田修の先生方による『シャーロック・ホームズで学ぶ英文法』に取り組んでいる。本書には『シャーロック・ホームズの冒険』収載「 青いざくろ石の冒険 」の原文がそのまま収められている。

当然ながらわたしにとってシャーロック・ホームズの原文は易しくはない。それでも読み進めるうちにすこしはコナン・ドイルの調子に慣れたかなと思うときがあって、挫けずにラストまで行き着こうという気になる。まさに蝸牛のあゆみにほかならない。

「人間は仕事が出来る間が花だ、と言うが、寧ろ、したい仕事を、皆してしまって、天気なら天気で日向ぼっこをし、雨が降っていれば小料理屋の隅で雨の音に耳を澄ますとか、家に閉じ篭って読書に耽るとかする境涯こそ、人生の花と呼んでいい時期なのではないだろうか」(吉田健一)。そしてわたしはホームズを読んでいる。

           □

一九五0年代から六0年代なかばにかけてアメリカではスィート・ミュージックが全盛期にあり、ストリングス・オーケストラにブラスやリズムセクションを加えて主にジャズのスタンダードナンバーを演奏していた。バンドリーダーでいえばジャッキー・グリースン(映画「ハスラー」でポール・ニューマンの仇役ミネソタ・ファッツを演じていた)やポール・ウェストン、レイ・アンソニー、ゴードン・ジェンキンスといった人たちがいた。

いつだったかジャズ評論家の寺島靖国氏がジャズの垢落としにはこの種の音楽がいちばんで、ジャズファンの回春剤だと述べていたが、回春剤など必要ない方も甘く、ゴージャスでくつろぎのある心地よい世界へと案内してくれますのでぜひ一聴してみてください。

先日YouTubeMusicというストリームサービスを契約したのでスィート・ミュージックの楽団をいくつか検索したところいやはや大変な数の音源があって、びっくりした。いくつか聴いているうちに弦が郷愁に啜り泣いているようで切なくなったり、 幻視のなかに白い肩の見えるストラップ付きのドレスで踊る美女が浮かんだりした。

(まえにジャッキー・グリースンというコラムを書いていますのでよければ参照してみてください。https://nmh470530.hatenablog.com/entry/20120110/1326145638

           □

「東北、北海道はいざ知らず、夏の日本は熱帯である、とつくづく思う。温度だけ、湿度だけをとって論ずれば、もっと凄いところは世界にいくらでもあるけれど、温度と湿度両方の組み合わせにおいて、世界一流の熱帯地方といってよいであろう」。(奥本大三郎『書斎のナチュラリスト岩波新書

『書斎のナチュラリスト』は一九九七年に刊行されていて、いまの日本の夏の熱帯度は当時より高くなっているはずだから温帯という名に胡座をかいた安心感は禁物である。小学生のとき、四方を海で囲まれている日本は気候が温和な温帯に属していてと教えられた。そうだとしても夏については防災、健康面をはじめとしてさまざまな配慮が必要だ。

水原秋櫻子編『俳句歳時記』(講談社文庫)の編者序文は一九七八年に書かれていて、ここには「熱帯夜」という季語はなく、当時はまだ「熱帯夜」は広く用いられていなかったと察せられる。それから四十年、二0一八年刊『合本俳句歳時記第五版』(角川書店)にはしっかり「熱帯夜」がある。

  「身籠りて心臓二つ熱帯夜 西山ゆりこ」

温度と湿度両方の組み合わせにおいて、世界一流の熱帯地方である日本の東京で、昨日七月九日の日曜日はわたしにはとりわけ厳しかった。午前中十数キロを走り、昼食後NHKEテレで囲碁をみて、まだ大相撲の幕内取組まで時間がある。そこで映画をみようと「暖流」をチョイスした。一九三九年、松竹、吉村公三郎監督作品。およそ十年ぶりの再見で、これなら確実に心地よく時間を過ごすことができる。輝くお嬢様役の高峰三枝子、庶民的な魅力にあふれた水戸光子。その水戸光子佐分利信に愛を告白する。当時、女からの告白は新鮮な驚きだったのではないかな。

この作品は戦前の心模様を含むモダニズムを活写している。それにチャイコフスキーショパンが彩りを添えているのも嬉しい。わたしが「暖流」を知ったのは、一九七四年(昭和四十九年)にルバング島から帰還した小野田寛郎少尉が結婚したい女性のタイプはと訊かれ、この映画の「水戸光子みたいな人」と答えたときだった。

           □

七月十一日、戸籍上は男性だが、女性と性自認する性同一性障害経済産業省職員に対するトイレの使用制限をめぐる訴訟で最高裁第三小法廷が国の対応を違法とする判断を示した。原告職員は職場で「女性」として十分認知されていたが、いっぽうで女性用トイレを使う他の女性職員に対する「配慮」もあった。

トイレとジェンダーの問題についてはじめて最高裁が判断を示したわけだが裁判官からは「不特定多数が利用する公共施設のトイレなどを想定した判断ではない」「そうした問題は、機会を改めて議論されるべきだ」との指摘もあった。

当方が論じられる問題ではないが、気になるので手許の『OALD』(オックスフォード現代英英辞典)を引いてみた。イギリスの一般家庭ではtoilet 、lavatory 、俗語としてloo 、とくに階下にある場合はcloakroom が用いられる。公共の場所ではtoilets,Gents、toilets,LadiesほかにWCやPublic。米国の一般家庭ではbathroom 、公共の場所はrestroom、ladies’room、women’s room、men’s room といったふうにトイレにもお国の事情があるけれど、性同一性障害の方に対してどのような対応をしているのか、ジェンダーレスのトイレはどれほど普及しているのかといった問題は辞書からはうかがえなかった。

           □

創元推理文庫シャーロック・ホームズ・シリーズ 、五十六の短篇と四篇の長篇を読み終えた。通読したのは二度目で、まえは日暮雅通訳、光文社文庫版、今回は深町眞理子訳。さらに英語の勉強で語学教材用にリライトされた短篇を十数篇と、コナン・ドイルの原文「青いざくろ石の冒険」を読み、加えてジェレミー・ブレットがホームズを演じたTVドラマ「シャーロック・ホームズの冒険」も相当数二度目、三度目と見直し、それにベネディクト・カンバーバッチマーティン・フリーマンSHERLOCK(シャーロック)」もシーズン1〜3を鑑賞した。まさしくホームズまみれといってよい日々であった。

このあとホームズ作品のパスティーシュ(作風の模倣を意味するフランス語)やパロディにも手を伸ばすつもりで、とりあえずはアンソニーホロヴィッツ『絹の家』『モリアーティ』、北原尚彦『シャーロック・ホームズの蒐集』、五十嵐貴久シャーロック・ホームズと賢者の石』を揃えた。語学教材ではなくもっともっとコナン・ドイルの原文にも取り組みたい。さあそうなると、岡本綺堂がホームズを読むうちに生み出した『半七捕物帳』ももう一度読んでみたくなった。これはなかなか忙しいぞ。

           □

ある人が、源氏物語の文章が難しくて、と嘆くと安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将にして歌人だった木下長嘯子が、ただ慣れよと語ったという。真夏の日に急に家に入ったときには、何もかも真っ暗で戸惑うでしょうけれど、じっとしているとあの器、この調度と自然に分かるようになってきます、源氏の文章もその通りなのです、とも。森銑三『びいどろ障子』にある逸話で、源氏物語とおなじく英語も慣れよなのかな。

先日コナン・ドイル「青いざくろ石の冒険」を苦労して読み、読解力の不足を痛感した。そこでもっと読解力を高めなくてはいけないと伊藤和夫『英文解釈教室』(定評ある受験参考書だそうだ)をぽつぽつと眺めている。木下長嘯子の言に従うなら、受験参考書よりコナン・ドイルの原文に慣れなければならないのだが、着手した限りは最後まで行き着かなければなるまい。

それはともかく以下は伊藤先生の参考書にあった味わい深い例文の大意。

「人間の適応性は驚くばかりで、高山でも、極寒の荒地でも、熱帯のジャングルでも、荒涼たる砂漠でもそこに住みついて生活していくことができる。個々には大洋の深海や大気圏の上層部にまで達している。ただ、人間に対するときだけは別である」

第二次世界大戦時のポーランドでの話。ゲットーを警備するドイツ兵たちはしばしば時計の針をわざと進め、ポーランド人が通行禁止時刻を守らなかったとして逮捕したり鞭打ったりして楽しんでいた。かれらはゲットーの内でユダヤ人を、外ではポーランド人を虐待していた。家ではベットを可愛がるドイツ兵も、人間に対するときだけは別だった。

いまでこそ毛沢東の発動した大躍進政策人民公社がもたらした被害は甚大であったと知られているが、リアルタイムでは毀誉褒貶さまざまで、これについて開高健が「古今東西 、あらゆる 〝天災 〟にはかならず 〝人災 〟が加わって被害が増幅されるのが鉄則だから 、どんな 〝人災 〟があったのかを知りたいと思うのだけれど 、何も知らされなかった 」と情報不足を嘆いていた。極端な社会への適応は宇宙旅行より困難だ。

           □

YouTubeMusicの所有する膨大な音源がに驚いている。こちらが知らなかっただけかもしれないがびっくりである。

チャーリー・クリスチャン(1916~1942)を擁したベニー・グッドマンのスモールコンボが好きでよく聴く。クリスチャンは若くして没したジャズ・ギタリストだからベニー・グッドマンと共演したディスクはほぼ聴いていると思っていたところストリームサービスで検索してみるとチャーリー・クリスチャンのディスク、あるわあるわでびっくり。そんなことも知らなかったのかといわれそうだけれど、グッドマン+クリスチャンのコンボのライブ録音があるなんて思いもよらなかった。ラジオ放送の録音かプライベート録音だろう、音質は悪いがそんなことはいっていられない。このコンボにはヴァイヴのライオネル・ハンプトンも参加していて、例のイー、イーという唸り声がレコード録音のときよりも大きいようだ。録音を前提としていない演奏のためだろう。

チャーリー・クリスチャンは昼間はグッドマンと仕事、夜はニューヨークのクラブでジャム・セッションの日々を送り、一九四二年三月二日結核で他界、享年二十五だった。

           □

手許のメモに、日中温度28℃、湿度70%を超えたら冷房を入れることと書いてある。

7月19日午前11:40、部屋の温度31、4°、湿度71%である。さて午後はエアコンをかけて過ごすか、それとも喫茶店で食事と読書をして、そのあと映画とするか。とにかく晩酌の時間までたどり着かなければならない。

と、まあ老爺は思案の末に自宅のエアコンのお世話になるのは晩酌タイムとして、日比谷へ出かけることとした。映画は「Pearl パール」。ノーマークだったが「週刊文春」で高評価だったので知った。とくにホラーのファンじゃないのでどうしようか迷っていたところ高い温度と湿度に後押しされた。

第一次世界大戦を背景に、孤立した家族の農場で、厳しい母の監視のもと、病気の父の世話をする娘パールがシリアルキラーとして成長?してゆく物語。何よりもサービス精神に徹した語り口がよく、妄想と狂気が増幅し乱反射する映像も魅力、パール役のミア・ゴスの演技は受賞に値する。

           □

上野公園は紫陽花が終わり、蓮の花の季節を迎えている。

f:id:nmh470530:20230801142410j:image

蓮は仏教とのかかわりの強い、ありがたい花で、花が終わると花托が成長し蜂の巣のような形になることからハチスの名もある。蜂須の由来は今回歳時記を読んではじめて知った。

「蓮咲くあたりの風もかほりあひて心の水を澄ます池かな 定家」

『合本俳句歳時記 第五版』(角川学芸出版)に「蓮見」「蓮見舟」の季語があった。蓮は、夜明けに開き始める。暗いうちに起きて、その開き始めの蓮を見にゆくことを蓮見といい、そのために仕立てた舟を蓮見舟と呼んだ。ひょっとして昔は不忍池にも蓮見舟が浮かんでいたのかもしれない。

また水原秋櫻子『俳句歳時記 』には「不忍池の蓮はかつて東京の名物であった。蓮が開くとき音がするとかしないとかと、暁の池畔をさまよう人が多かった。蓮玉庵という蕎麦屋や蓮見寿司などの名も江戸のころからの名で、蓮見の客を呼んだものらしいが、今はやや小さくなった池が紅白の蓮の花を咲かせている」とあった。

「舳にしづむ花をあなやと蓮見舟 皆吉爽雨」

「蓮見舟蓮にうもれて巡りけり 松岡きよ 」

「蓮見舟蓮をへだててすれ違ふ  岡崎桂子」

           □

奥本大三郎『書斎のナチュラリスト』(1997年)に、宮沢りえ貴花田と婚約をしたころ、時の総理大臣で同姓だった人が「りえさんにあやかりたい」と語ったほどだったのに、それが急転直下、婚約を解消したり、テレビドラマの役を途中で降りたりしてだんだん悪くいわれるようになったとあった。

宮沢首相が宮沢りえの人気にあやかりたいといったのは知らなかった。いまずいぶん支持率を下げている岸田首相だが、あやかりたい人っているのかな。ところで宮沢りえ貴花田の婚約発表は一九九二年十一月二十七日だからおよそ三十年が経つ。往時茫茫、その後の二人の人生の軌跡はけっこう見応えがある。

宮沢りえが「たそがれ清兵衛」で高い評価を得たのが二00二年。婚約発表、そして解消、暗転、本格的女優として復帰、このかん十年。往時茫茫となるにはこれくらいの年月が必要なのだろうか。不倫疑惑報道に伴いことし六月中旬より芸能活動を休止している広末涼子もいずれ往時茫茫となるだろうが、さてどれほどの年月が必要なのだろう。

           □

YouTubeMusicで越路吹雪のミュージックビデオを見て、聴いて、次も「コーちゃん」と期待していたのに、似た曲とかオススメの動画が出て、このまま越路吹雪を流してくれればよかったのにと思ったがどうすればよいかわからず、そのままにしておいたところ西田佐知子の「故郷のように」が流れた。彼女の歌では、わたしは「アカシアの雨がやむとき」が苦手で、推しはこの「故郷のように」と「エリカの花散るとき」である。「故郷のように」(永六輔作詞、中村八大作曲)はNHKのバラエティ番組「夢であいましょう」の今月の一曲で発表された作品。リアルタイムで視聴したわたしは、なんだか軍歌とおぼしい勇ましいメロディなのに「故郷のように」とはと、奇異に感じたもので、そこが奇妙な味の魅力となっている。

それにしても越路吹雪のあとに西田佐知子をオススメで揃えてくるとはいいところを衝いてくるもんだなあ。YouTubeMusicの優秀を証するものではあるが、あまり時間を取られるのもなんだから「さっちん」の「コーヒールンバ」が終わったところでパソコンをオフにした。