ビリー・ホリディのこと〜「キャロル」の余話の二

ビリー・ホリディは人種差別、麻薬、アルコール依存性などとの壮絶な戦いを余儀なくされた。その生涯は自伝「奇妙な果実」に詳しい。けれど、そうした彼女の人生のイメージは少しばかり増幅され過ぎた感がありはしないだろうか。
ジャズに親しむようになっても、なんとなくビリー・ホリディは敬して遠ざけていた。ジャズ・ジャーナリズムも彼女の喜怒哀楽の怒と哀を強調していて、彼女の歌からは人生の苦労が迫って来るような気がして、色気と美形のジャズボーカルにすり寄った。
ビリー・ホリディを積極的に聴くようになったのはようやく五十を過ぎたころだったろうか。彼女の喜怒哀楽をトータルに捉えたいと思った。怒と哀だけではやっていられない、喜と楽もあっての人生なのだ。誰しも怒と哀は避けられないけれど、喜と楽がそれをやわらげてくれる、耐える気持にさせてくれる。
映画「キャロル」でテレーズがキャロルにプレゼントしたアルバム「ビリー・ホリディ+テディ・ウィルソン」には喜と楽の表情の彼女がいて心がなごむ。所収の「月光のいたずら」や「ミスブラウン・トゥ・ユー」などからは彼女の歌うよろこびが伝わってくる。ビリー・ホリディのこうした面はもっと強調されてよい。

映画でいえばたしかに「東京物語」は見事な作品だ。けれどこれを観るときはこちらもそれなりの心構えを要する。その点ではおなじ小津作品でも「秋日和」や「彼岸花」はくつろいだ気分で楽しめる。同様のことがビリー・ホリディの「奇妙な果実」と「月光のいたずら」や「ミスブラウン・トゥ・ユー」などについても言える。
たとえば「月光のいたずら」。テディ・ウィルソンの軽快で粒だったピアノとスイング感あふれるベニー・グッドマンクラリネットに乗ってビリー・ホリディは歌う。
「月の光がいたずらしてあなたは恋のとりこ、有頂天で何もかも手につかない、愛しているわ、あせらないで、光が照らしてくれるまで、キスしてあげるから」
夏目漱石は『文学論』で多くのイギリス人は殆ど自然に対して何らの風情を認めていない、留学中に雪見に人を誘うと笑ってあしらわれたし、月は憐れ深いものだと説くと驚かれたこともあったと述べている。英米の違いはあるけれど「月光のいたずら」のビリー・ホリディは微笑みながら、やんわりと漱石先生の所説をたしなめているようである。