都心猛暑日過去最多

クエンティン・タランティーノ『その昔、ハリウッドで』(文藝春秋)を読んでいる。映画のノヴェライゼーションとのことだが、スクリーンにはなかった映画談義がどどーんとぶち込まれていて、楽しさ満載、ずいぶんとお得感がある。田口俊樹氏の訳筆も大いに作用して作者のキラキラした才能を感じているうちにグイグイと頁が進む。

ところで本書のカヴァーに著者と訳者田口俊樹氏の紹介があり、後者に驚いた。なんと訳書のトップにレイモンド・チャンドラー『長い別れ』とあるではないか。調べてみると昨年四月に上梓されている。不覚にもこれまで知らず、チャンドラーのファンであるわたしにとっては事件である。ようやく創元推理文庫でもThe Long Goodbyeが刊行された。引き続きチャンドラー作品の刊行を期待したい。むかし、創元推理文庫には双葉十三郎訳『大いなる眠り』と清水俊二訳『かわいい女』それに稲葉明雄訳の短篇全集がはいっていた。『長い別れ』をKindleで読むこととしてネット店舗を見ていると稲葉明雄訳の短篇全集全四巻があり、たちどころに購入した。年金生活者としては大散財の不覚だった。

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七月三十一日の東京都心は36.1度と八日連続で35度以上の猛暑日となり、これで七月の都心の猛暑日は過去最多の計十三日となった。引き続き八月も熱中症の危険のなかでの生活が続いている。それでも夕刻には晩酌が待っていると思うと心ときめくけれど、そうでなければ生きる意欲さえ減退しそうだ。ならば一日おきの晩酌を毎日にすればよいのだが、連チャンはいけないとの観念が刷り込まれていて踏ん切りがつかない。それに酒はマラソンによくないだろうし。

お父さんの酒量だったらこの時期、毎日飲んでもよいのでは、と子供がいってくれたが、わたしには、連チャンはいけないという刷り込みが強力に作用する。いずれにしても日暮に酒が待ってくれていないと精神がなんとかなりそうという状態はすでに依存症状態にほかならない。夏が終わるとマシにはなるかな。

レイモンド・チャンドラー『長い別れ』(田口俊樹訳、創元推理文庫)でマーロウ探偵が、アルコール依存か依存でないかには大きなちがいがある、時々飲みすぎることがあるという程度なら、その人間は飲んでも素面のときと変わらない、依存症となると文字どおり人が変わる。何をしでかすか予測できなくなる、と語っていた。猛暑でビールが待ってくれていない日は、わたしも人が変わりそうだ。

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YouTubeを遊歩していると高橋真梨子の歌うザ・ピーナッツのメドレーがあり、「恋のフーガ」「可愛い花」「ウナセラディ東京」などいずれも絶品の十分余り、歌唱力抜群の歌手のカヴァーを聴くうちに毎日曜の夕方六時、シャボン玉ホリデーザ・ピーナッツ の姿が浮かび、懐かしくて胸が熱くなった。ネットには「高齢者のYouTube利用率、ついに9割へ!深刻なテレビ離れの一方で、YouTubeが愛される本当のワケ」といった記事があり、高橋真梨子の歌うザ・ピーナッツを視聴していると、なるほどなという気持になる。そのいっぽうで若い人たちテレビ離れなんだとか。

わたしは小さいときから美空ひばりのファンで、カラオケの初期、彼女の歌をうたいたいと思いながらも天に唾吐く行為のような気がして避けていた。 なにしろ神様なのだから。ザ・ピーナッツも好きだったなあ。神様よりも親しみがあり、こちらはカラオケでしっかり歌ったものだった。YouTubeには思い出と感傷がいっぱい詰まっている。

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さきごろ民間軍事会社ワグネルの創設者プリゴジンプーチンへの反乱を企てたというニュースを見ていて、そもそも民間軍事会社( PMSC=Private Military and Security Company) なるものは国際社会で市民権を持つ存在なのだろうかと疑問に思った。 Company などと称しているが、あれはロシアという国家が公認した私設軍事暴力集団にほかならず、報道ではそうした意味合いを持たせるべきなのではないか、たとえば「ロシア公認の暴力集団、いわゆる民間軍事会社」といったふうに。そもそもカタギの存在ではないのである。

若いころから隠居志向の強かったわたしは古稀を過ぎてますます暇と退屈が愛おしい。しかし世のなかには退屈になると、不安で気が狂いそうになる人もいる。退屈すなわち他人から相手にされない、そうして失脚の予兆としか考えられない政治家をその典型としておこう。プーチンプリゴジンといった輩は退屈を忌み嫌うどころか、戦争それなしには生きていることの意味がないと考える人たちである。

ナポレオンの功罪、評価はともかく、あの人の熱狂情念の対象は、戦争それ自体であり、ロシア遠征に理由はなかったと鹿島茂氏が『ナポレオン フーシェ タレーラン』(講談社学術文庫)で述べていた。 プーチンプリゴジンらの熱狂情念の対象の一環としての 民間軍事会社 が徒花となるよう願うばかりだ。

(八月二十四日プリゴジン所有の航空機が墜落し、同機の乗客名簿にプリゴジンの名前があるとの報道があり、その後ロシア当局が追認した。プーチン政権による粛清とみて間違いないだろう。)

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八月八日自民党麻生太郎副総裁は訪問先の台湾で講演し、台湾有事を念頭に「お金をかけて防衛力を持っているだけではだめで、いざとなったら台湾防衛のために(防衛力を)使う」と述べ、「日本、台湾、米国をはじめとした有志国は強い抑止力を機能させる覚悟が求められている。戦う覚悟だ」と強調した。

麻生氏といえば「(日本人の平均寿命が延びたのは) いいことじゃないですか。素晴らしいことですよ。いかにも年寄りが悪いみたいなことを言っている変なのがいっぱいいるけど間違ってますよ。子どもを生まなかったほうが問題なんだから」「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」などとトンデモ発言、問題発言を繰り返してきた御仁だが、今回の台湾有事をめぐる発言には大いに共感した。首相である自民党総裁の発言はそれなりの政治判断を要するから副総裁の発言はそこのところをよくカバーした、時宜に叶うものだった。野党も立憲民主党が無理なら日本維新の会や国民民主党が率先して同様のメッセージを発してしかるべきだ。わたしは強すぎる与党については危惧するが、これでは野党は見劣りするばかりだ。

麻生発言について中国報道官は「断固反対し、強く非難する。厳正な申し入れをした」そのうえで、日本側が歴史を深く反省し云々と、いつもの歴史問題を持ち出してきた。わたしは日中戦争については深甚なる反省をしなければならないと考えているけれど、現下の台湾有事問題については日中戦争の絡む要素はない。

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江川泰一郎『英文法解説』(金子書房)を曲がりなりに練習問題も解いて、読み終えた。ほんとは曲がってちゃいけないんだけど。それにしても七十歳を過ぎておよそ五百五十頁の英語の文法書を読もうとは、ついこのあいだまで考えられなかった。英会話は当初から断念していて、そのぶん気楽だが、とはいえ少し欲が出てきている。

大学では中国語と文化大革命当時の中国の政治がもっぱらで、中文のはじめてのテキストが『毛主席語録』、そこから『毛沢東選集』「人民日報」「紅旗」など、さらには玉石混淆の香港情報にも手を伸ばし、二十代で二度訪中した。はじめは周恩来歿後の一九七六年三月で毛沢東はまだご存命だった。

文学では胡耀邦総書記のもとでの改革開放のころの諸作品、いわゆる文革の傷痕文学や劉賓雁のルポルタージュをよく読んだ。しかしいま言論の自由のない国の文学への関心は薄れ、読みたい作品も見当たらない。そこで半世紀ぶりに英語を学び直そうという気になった。レイモンド・チャンドラーが楽しみだ。

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社会人になって二年目、おなじ職場に学徒出陣で応召された方がいて、いつもいつもあの戦争について考えているのではないけれどせめて八月だけは戦争についての本を読み、考えるようにしているとおっしゃっていた。一九七0年代前半のことで、その方と職場をごいっしょしたのはその年限りだったがわたしには忘れられない会話で、ただし見習わなくてはいけないと思いながら、実践できたり、できなかったりが続いている。ことしは大岡昇平『レイテ戦記』を考えていたが、いま読んでいるレイモンド・チャンドラーから離れられず、ならば本に代えて映画でと「アウシュビッツの生還者」を選択したのがわたしの八月十五日で、偶然ではあったが素晴らしい作品と出会えた。

八月だけは戦争についての本を読み、考えるようにしていると語る人のいっぽうにはいつまでも戦争体験にこだわらなくてもよいとする人がいる。

 開高健が「才覚の人 西鶴」というエッセイに「大阪人のなかには自分でもその衝動の根源がどこにあるのかわからないくらい深い衝動に駆られる傾向がある。在野精神、反骨、批評精神、痛酷な冷徹、それに徹しなければならないので他人がそれに徹することを許す寛容、精力、好奇心、発明欲、探検精神、官能の開発と洞察」と書いていた。

発祥の地、大阪での選挙の勢いを全国展開しようとしている日本維新の会に、開高健が述べた大阪人気質は何ほどか作用しているのだろうか、わたしのような半分以上世間から降りた者でも関心はある。イデオロギーや政策選択はさほど自民党と変わりないと思うが、なぜ維新の会なのか、政治学の方面ではどんなふうな分析がされているのだろう。

独断的な印象で申し訳ないが、維新の会の支持者には戦後も八十年近くなり、戦争体験などきれいさっぱりさようならした方が多い気がする。新しい奔流と考えているので、けして批判しているつもりはない。あの戦争にいつまでもは拘泥しないというのもひとつの見識である。

しかしながらわたしは戦争の翳を帯びた世代でビルマ(現ミャンマー)帰りの父の肺に残って固まっていたはずの大砲の破片が動き出して大手術に及んだり、マラリアが再発し母の指示で布団の上から父を押さえたり、ラジオでは尋ね人の時間というのを聞いたりと、いずれも思い出すとて忘らりょかである。

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クエンティン・タランティーノ『その昔、ハリウッドで』(文藝春秋)を読み終えた。カヴァーにある訳者田口俊樹氏の紹介欄で、同氏訳レイモンド・チャンドラー『長い別れ』が刊行されているのを知り弾みがついて、わたしにはめずらしい一日およそ百頁のペースだった。

引き続き『長い別れ』に取りかかった。同作品はこれまで清水俊二訳『長いお別れ』を二度、村上春樹訳『ロンググッドバイ』を二度読んで、今回は五度目となる。先年英語の学び直しをはじめていて、今回は原書The Long Goodbye を傍に置いての読書となる。もちろんわたしの学力でチャンドラーの原文は難しいのは承知しているけれど、訳書を読みながらすこしでも原文の雰囲気を味わえれば嬉しい。

同書は数年前、Amazonのセールで買ってあった。英語の学び直しなど考えてもいなかったころだが、ファンとしては持っていたかったし、微かにいつかは役に立つよう期待もした。人間、購書でもときに背伸びをしてみるものだ。

フィリップ・マーロウとテリー・レノックスがヴィクターの店のカウンターの隅でギムレットを飲んでいる。「酒のほうは?」とマーロウが訊くと「ものすごくエレガントにやっている」と相手が応える。いい雰囲気だ。レノックスはまた「ぼくは金持ちなんだぜ。なのにどうして幸福まで望まなきゃならない?」と口にするのだが作者は、つまり一人称で語るマーロウはその声をbitterness in his voice と表現している。苦々しいテリーの声だ。

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八月十九日。この季節10km以上走るのは週一度土曜日の朝、15〜6kmを限度と決めていて、今朝は16km走ったところ、これまで経験したことのない疲れに襲われた。水分は補給できるものの、米飯、おかずの朝食は食べる気にならず、ジョギングのあと一時間半ほどして食べたが完食できなかった。これまでの人生で食欲がなく完食できなかった事態は思い出せない。あったとしても子供のころ何回かあったくらいだろう。

時分どきになったので昼食を取ろうとしたが欲しいのは水分だけで食事には至らず、ようやく午後二時半にバーガーとミニラーメンを食べた。このかん身体は熱をもったままで、熱中症が心配でエアコンはつけっぱなし、水シャワーを何度も浴び、水、炭酸水、スポーツドリンクを飲むうちなんとか落ち着いてきたので、夜はなじみの居酒屋さんでひとときを過ごした。

こんな状態では読書はできない。そこで「ザ・グローリー〜輝かしき復讐〜」(Netflix、全16エピソード)のうち10エピソードまで観ていたので、続きを視聴し15エピソードに達した。ラストが楽しみだ。この傑作韓流TVドラマがなければわたしの体調の回復はもっと遅れていたのではないかな。

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八月二十一日。Amazon prime Videoのコマーシャルで知った「悪魔は誰だ」が面白そうなので視聴した。予感通りの優れた韓流ミステリーで、公開は二0一三年、これほどの作品を見逃していたなんてと不明を愧じた。十五年前に起きた誘拐事件は、誘拐された子供が遺体で発見されるという悲劇的な結末、しかも犯人は不明で、とうとう時効を迎えた。その直後同様の手口による誘拐事件が出来した。

いっぽうに時効ギリギリまで事件を追う刑事(キム・サンギョン)がいて、彼は時効後も上司に逆らって追求を続ける。他方に誘拐された子供の母親(オム・ジョンファ)が独自に犯人捜しを続けている。新たな誘拐事件を機に二つの執念が絡まり、物語は思わぬ展開をたどる。

「悪魔は誰だ」に続いて高校野球慶應土浦日大の試合をテレビ観戦した。高校野球の試合をプレイボールから勝利校の校歌(慶應は塾歌)斉唱までフルに見たのは二00六年の早稲田実業駒大苫小牧の決勝と引き分け再試合以来である。身内に慶應OBがいるので、準決勝まで勝ち上がってくるとさすがに応援してあげなくてはといった気持になった。試合は二回裏に慶應が1点を挙げて押し気味ながら土浦日大が踏ん張り、追加点を許さない。六回裏にようやく慶應が一点を追加したが、追う側は不気味な迫力があり、緊張の度合は高まった。結果は二対0。よい試合だった。

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八月二十三日。慶應高校と仙台育英の決勝戦をテレビ観戦。百七年ぶりの優勝を引き寄せた慶應、昨年の優勝に引き続き決勝戦に進出した仙台育英、双方の偉業を讃えたい。それに熱中症の危険が云々されているなか、13:50から18:00近くまでNHKのテレビ中継のあいだ暑さは意識になく、まことにありがたかった。エアコンのスイッチを忘れるほど集中できるコンテンツがあれば電力節減にもなるから、メンタル面からの熱中症対策もあってよさそうである。

「此ころの夏のあつさの人心おそろしき世をひとりかもふる 大田南畝

江戸時代にあっても暑さの人心にもたらす影響は大きかったようだ。

試合のあと慶應OB(塾高ではなく大学)の弟に祝意のメールを送ったところ、図らずもきょうその地域の三田会が予定されていてと、ホテル内の会場の写真を添えたレスポンスがあった。百七年ぶりの優勝の日に卒業生の会が予定されていたなんて都合のよい話もあったもんだ。当方はといえばこのあと晩酌して就寝。めずらしくひとときの読書時間のない一日となった。

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昨日の読書時間皆無を引きずってか読書意欲は急速に減退、ときどき起こる読書のスランプに陥った。快調に読み進めていたレイモンド・チャンドラーの短篇集だったが、ここで打ち切って、いま物語を追う気力はまったくない。

「貧乏くじというのは一度引かされると、あとはもう引かされどおしになるものだ。」(Once a patsy,always a patsy.)レイモンド・チャンドラー『長い別れ』。こうはならず早く読書スランプから抜け出られるよう願うばかり。

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過日読んだ鹿島茂『ナポレオン フーシェ タレーラン』(講談社学術文庫)で、ナポレオンの大陸封鎖令とお酒について有益な知見を得た。以下は取り急ぎのメモ。

大陸封鎖令で英仏ともに直面したのは酒と砂糖の輸入停止だった。ワイン栽培に適さないイギリスはワインの輸入が止まり代わりの酒の開発を要した。そこでワインに代わる酒として開発したのは大麦から作るウィスキー、スコッチだった。

他方、西インド諸島からの砂糖が入らなくなったフランスではテンサイ(砂糖ダイコン)から砂糖を作る方法が開発された。しかしナポレオン戦争が終わり砂糖が入ってくるとテンサイはだぶつき新たな利用が必要になった。そこでテンサイを原料とするホワイト・リカーが作られ、これがリキュールに発展した。

大陸封鎖令の期間中、西インド諸島では砂糖が輸出できず、このためサトウキビの搾り汁を蒸留して酒にするラム酒の生産が活発になり、これがフランスからのワイン輸入が途絶えていたアメリカで大人気を博したのだった。

この一連の記述のあと著者は「閑話休題」としていたがわたしにはまことに有益な「閑話」であった。

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八月三十一日。早朝、京成上野駅から成田国際空港へ向かい、十時三十分発ベトナム、ダナン空港行きの航空機に搭乗したのはよかったが、台風の影響のため二時間近く待たされようやく出発した。あらかじめ遅発がわかっていたななら、機内じゃなく空港内で待たせてくれたらよいじゃないかと思わぬではなかったけれど、何はともあれ出発できたのだからありがたいと思わなくてはならない。