ベトナム旅行〜ダナン、フエ、ホイアン

八月三十一日。早朝、京成上野駅から成田国際空港へ向かい、十時三十分発ベトナム、ダナン空港行きの航空機に搭乗したのはよかったが、台風の影響のため二時間近く待たされようやく出発した。あらかじめ遅発がわかっていたななら、機内じゃなく、できればミールクーポンを付けて空港内で待たせてくれたらよいじゃないかと思わぬではなかったけれど、贅沢言ってちゃきりがない、何はともあれ出発できたのだから喜ばしい。

二0一九年十二月にマルタ共和国へ行って以来の海外旅行、そして新型コロナによる行動制限がなくなってはじめての海外旅行である。このかん、パスポートは期限切れとなり、わたしは七十代となった。

ダナンに到着後バスでフエへと向かい、およそ二時間かけて現地時間午後八時ころPilgrimage Villageというホテルに着いた。一見して感じがよく、個性的なホテルのロビーでチエックインのあと同ホテルで宮廷料理をいただいた。

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九月一日。昨夜フエのホテル、ピルグリミッジ ビレッジに着いたのが遅くて散歩の時間はなかったので、今朝は朝食前に散歩しようと外へ出たところ緑の多い、広い場所に立地したとても素敵なホテルで、うれしいおどろきだった。写真は街の公園ではなく、すべてホテル内の施設で、部屋は昔ながらのベトナムの民家にモダンなテイストを加えてロッジとしたもので、よい空間で過ごさせていただいた。リピーターになりたいな。

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フエはハノイから南に約700km、ホーチミン市から北に約1000kmのベトナム中部に位置する古都で、かつてグエン朝の王都として発展し、1802~1945 年にかけては首都が置かれていたため「ベトナムの京都」の異名がある。まずは王宮を見学、続いてティエンムー寺院、ドンパ市場と廻った。写真は王宮跡、といってもベトナム戦争とは無縁ではなく、解放民族戦線(ベトコン)はここに立てこもり、対米軍との戦線の拠点としていた。そのためベトナム戦争後修復した箇所も多いと聞いた。

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昼食後はバスでおよそ三時間半の行程でホイアンに向かった。

ホイアンに着くとすぐに夕食、そのあとは旧市街の繁華街で遊んだ。ここはベトナム中央部に位置する海辺の都市で、運河の巡る名所、その運河ではランタンが燈され、灯籠流しが行われる。わたしも灯籠流しに参加した。それにしてもこの賑わいが年中というからすごい。南北に長い地形のベトナムの旅というと北のハノイや南のホーチミン市が意識されがちだけれど、中部の魅力も大したものだ。

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ANAに勤めていた従妹がFacebookで、二十二年前のベトナム一周旅行でダナンを訪れたときはまだ高級ホテルは一軒しかなくて静かなリゾート地だったが、その後の発展には目を瞠ったと情報を寄せてくれた。この二十年あまりでダナン、フエ、ホイアンなど中部の観光産業はずいぶん発展したわけだ。

 

九月二日。朝食後、ホイアンからバスでミーソンへ出発、距離はおよそ40km。ミーソン聖域(漢字で書くと聖地美山)は古代チャンパ王国の聖なる遺跡のあるところで、一九九九年にユネスコ世界遺産に登録されている。

チャンパ王国(192~1832)は漢帝国の南端に位置し、帝国に属していた地域から独立した王国で、その後の対外関係からヒンドゥー化が進んだ。

ここではミーソンの遺跡とチャム族のアトラクションを見学したが、とくに後者の会場は写真の通りアジア各地で村芝居が行われていたのを思わせる作りで、アジアの民衆の娯楽の場の趣きを感じさせてくれた。

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午後はホイアンに戻り散策。ここは十六世紀末以降、ポルトガル人、オランダ人、中国人、日本人等が来航し国際貿易港として繁栄したところで、鎖国以前には日本人街があり、運河に掛かる橋のひとつはいまも日本橋の名で呼ばれている。ベネチアのリアルト橋とおなじ屋根が付く橋だが修復中で見学も渡ることもできなかったのが残念。橋の向こうは中国人街で福建会館や中国風の商店など中国色がぐんと強くなる。

なおホイアンベトナム戦争で破壊を受けなかったところで昔ながらの街の風景がうれしい。ここではいまも輪タクが走っている。

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九月三日。今回も中国語でいう「走馬看花」の旅で、自由時間は少なかったけれど、さいわいこの日は午前中すべてが自由時間で、ようやくベトナムコーヒーの喫茶店でゆっくりできた。そのあとコンビニで「333(バーバーバー)ビール」を、スーパーでベトナム麺「フォー」をそれぞれ1ダースなどしっかりショッピング。

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昼食後ダナンへ戻り散策。ここは砂浜のビーチとフランス植民地時代に栄えた港の歴史で知られる骨格の大きな海沿いの都市で、五行山、ダナン大聖堂、ドラゴンブリッジなど新旧の名所が散りばめられている。

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ライトアップされたドラゴンブリッジでは何分かおきに色が変わり、地元の人はもちろん多くの観光客で賑わっている。若者たちの大好きなデートスポットだとか。

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九月四日。成田空港着。無事全日程を終了した。

下は五行山に建つ像。新型コロナ感染症治療に従事した医療関係者への感謝の意が込められている。

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