『高い窓』訳文雑感〜フィリップ・マーロウのイメージをめぐって

二十世紀を代表する指揮者で、カラヤンの前のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者だったフルトヴェングラー演奏家を再現芸術家と位置づけ、そのいちばん大切な行為を、楽譜の裏にある創作者の意図を見抜くことにあるとした。これにならえば文学の世界での翻訳者はまさしく再現芸術家と呼ぶにふさわしい。
近年、村上春樹が楽譜に相当するレイモンド・チャンドラーの原著を日本語に移し替えて「演奏」「再現」してくれていて、わたしは毎度たのしみにしている。『ロング・グッドバイ』にはじまる村上訳チャンドラーの長篇小説はいま『高い窓』までで五つを数える。
これまでの清水俊二訳に村上訳がくわわり、『高い窓』に限っては田中小実昌訳もある。こうなると読み比べの誘惑には抗しきれない。

『高い窓』でフィリップ・マーロウは裕福な老女エリザベス・マードックからブラッシャー・ダブリーンという珍しい金貨が盗まれたとその行方を探るよう依頼を受ける。そのあと、老女の秘書マール・デイヴィスとのやりとりがつづく。まずは村上訳。

〈「そういうタフガイぶった物言いはやめた方がいいわ、ミスター・マーロウ、とにかく私に向かっては」
「私はタフなんかじゃない。ただ、雄々しいだけだよ」
「私は雄々しい男の方があまり好きではないようです」〉

おなじ箇所の清水俊二訳。
〈「タフガイのまねはなさらない方がよろしいんじゃありません、マーロウさん?とにかく、私にはね」「私はタフガイじゃない。おとなのつもりなんだがね」
「おとなをひけらかす男はあまり好きじゃないわ」〉

つぎは田中小実昌訳。
〈「あまりタフぶらないほうがいいんじゃないかしら、マーロウさん。すくなくとも、わたしにはそんな態度をしてもだめですわ。」
「ぼくはべつにタフじゃない。ただ、少し男性的なだけだ」
「きっと、わたしは、男性的な方はきらいなんでしょう」〉

ここでマーロウ探偵はめずらしく自分のイメージについて言及しているー”I’m not tough, I said, ”just virile.”。
訳文は「雄々しい」「おとなのつもり」「少し男性的」と三者三様で、フルトヴェングラーの言葉を借りると、楽譜の裏にある創作者の意図を見抜く、その見抜き方が興味深い。
virileは男らしい、力強い、男性的といった意味だから三者のなかでは田中小実昌訳が素直な訳文で、英文和訳問題の解答としてはこれがよい。それはともかく、この会話でマーロウは「タフ」あるいは「タフガイ」に代わる自己のイメージを語る。読者にもマーロウのイメージはあるから、おのずと訳者が提供するマーロウの自己イメージと読者が抱いてきたマーロウのイメージの齟齬の問題が発生する。
読み較べてわたしが違和感を持つのが村上訳の「雄々しい」で、これには長年親しんだ清水俊二訳『プレイバック』にある「しっかりしていなかったら、生きていられない。優しくなれなかったら、生きている資格がない」というマーロウ像が心に刻みつけられていて受け容れにくくしている。
読者が自身の好みや作中の人物像について確認検討する機会をもたらしてくれるのも新訳の効用でありたのしみのひとつである。