褥中で観た「自転車泥棒」や「FOSSE」のこと

お正月のニュースで、港区の愛宕神社が今年から楽天Edyによるお賽銭奉納に対応したのを知った。賽銭箱ならぬ「さい銭端末」だそうだ。愛宕神社がある港区は楽天創業の地で、三木谷社長の申し出で試験的に導入したという。わたしのような硬直した老骨からみると、なかなか柔軟な発想だ。
医療費のカード払いができる病院があらわれたときもニュースになったが、これはカード社会の必然の流れと思ったものだが、お賽銭とはねえ、いや恐れ入りました。賛否でいえば小生賛成だ。ネット上で初詣、お賽銭、記帳をして、当の神社仏閣には都合のつくとき行けばよい。
おもしろい発想といえば、先日のNHKクローズアップ現代、「二枚目の名刺」で、企業の若い人たちの中に社業とは別に新たなものを産み出そうとする動きがあり、障碍者、健常者を問わず利用に便利な車椅子状のマイカーや格安四万円でできる義手などが紹介されていた。新たな市場の創出にもよい刺激になるだろう。
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年明け早々の風邪で体調思わしくなく、外出は止して自宅で「自転車泥棒」を観た。この映画や「嘆きの天使」「ミリオンダラー・ベイビー」といった救いのない作品はどうしても敬遠しがちで、「ミリオンダラー・ベイビー」を観たあと金をもらっても観たくなかったと言った知り合いがいるが、映画の出来具合とは別にその気持はわかる。イタリア・マイブームがあればこその「自転車泥棒」再見である。

イタリアン・ネオリアリズムを代表する「自転車泥棒」(1948年)には歴史地区ではないローマがふんだんに撮影されていて、第二次大戦直後のこの都市の風景が見られる。食料品の露店は今も昔に変わりはなくても、自転車を解体してパーツで売っている露店はこの時代ならではの映像だろう。
この映画の日本での公開はわたしが生まれた1950年で、おそらく当時の観客には現実のみじめさよりも厳しい生活をする者どうしの共感が大きかっただろう。
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文藝春秋も時代の流れに抗しがたく、次号より新仮名になるといふニュース・・・ああ新仮名人生!俺に出来るかしら。」『古川ロッパ昭和日記』昭和三十二年七月十六日の記事より。これによると文春は現代仮名遣いが公定されてからも十年余り歴史的仮名遣いによる記述を容認していたようだ。それなりに頑張っていたんだなあ。
太平洋戦争を挟んで歴史的仮名遣いから現代仮名遣いに変わったものだから現象的には戦争に敗れて仮名遣いが変わったように見える。本当は戦前から準備されていたから戦争との因果関係はないのだが、それでも戦時中に仮名遣いをいじったりしてまじめに戦っていたのか、戦争に負けてどうして仮名遣いを変えなきゃならんのだとは言いたい。
美しい国だとか戦後的価値観からの脱却を謳う新しい歴史教科書だとか伝統重視の掛け声は高いが歴史的仮名遣いへの復古の声は聞こえて来ない。国会では憲法を改めたい議員が多数輩出して改憲問題が喧しいのに根本にある言語の問題は忘れられているようだ。日本国憲法歴史的仮名遣いで書かれているから整合性からすれば改憲が成ったとして新しい文言は歴史的仮名遣いになるだろう。改憲論議は旧かな復古を議論するよい機会ではないか。    
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引きつづき風邪と過労気味で外出は控え、自宅で「FOSSE」を鑑賞。このDVDはときどき晩酌をしながら観ているけれど一気通貫は久しぶりだ。撮影された劇場の記載はないが、一瞬映った外観から判断して1975年に「シカゴ」が初演されたブロードウェイのアンバサダー劇場でまちがいないと思う。昨年観た「シカゴ」の舞台もこの劇場だった。

「FOSSE」は「スゥイート・チャリティ」「キャバレー」「オール・ザット・ジャズ」「シカゴ」等ボブ・フォッシーが手がけたミュージカルのアンソロジー。よい舞台を撮っておいてくれたものだ。小林信彦『映画が目にしみる』に1991年「FOSSE」の渋谷オーチャードホールでの来日公演のことが書かれていて「ゴージャスな気分にひたれる。そのあとは高級レストランか酒ーという気分」「本物に触れたという実感」とある。残念ながら当方DVDの鑑賞だが、いつの日か舞台に接したいと願っている。
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不調により出遅れたがようやく映画館へ出遊。シネマヴェーラ渋谷で「ヒズ・ガール・フライデー」と「幌馬車」を観た。前者のケーリー・グラントは優雅な物腰のいっぽうで、未練ながら別れた女房の結婚相手を何度も凹ますことをやってのける。騙しはできても騙されずといったタフを備える。つまりジェントルかつタフ。そこでレイモンド・チャンドラーがマーロウ探偵のイメージに近い役者としてケーリー・グラントを挙げていたのを思い出した。対する艶やかな美しさのロザリンド・ラッセルもタックルをかますなど大活躍。似た者夫婦のスクリューボールコメディだ。
この年末年始は、話題のミステリー『冬のフロスト』『遮断地区』と過去作品から『極大射程』の三作を読み、いずれも満足だった。『極大射程』はシリーズ第一作だそうだが、後続はどうなんだろう。朴訥で不器用なところのあるFBI捜査官ニック・メンフィスに心を寄せる同僚の女性が主人公のスワガーと対比して「ボブ・リー・スワガーの得意技は窮地を脱することかもしれないけれど、あなたの得意技は誠意よ」と言う。いいセリフだねえ。
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吉田健一が昭和三十三年に中日新聞に連載したコラムの一編「愚連隊」に、ちかごろ東京でも愚連隊がのしてきて、むかしはこんなことはなかったような気がすると「圓タクの運ちやん」(原文のまま)に言うと、そりゃそうですよ、昔は皆、軍隊に入りましたからという返事が返ってきたとある。
先年、援助交際が社会問題となったとき、昔の高校生はこんな振る舞いはしなかったと語る方がいて、ある識者が、そりゃそうですよ、売春するような人は高校へ進学しなかったんですからと応じていた。あれは初等中等教育普及の証であり徒花だったのか。
初中教育普及と高校進学率向上の代償が援助交際だとすれば、吉田健一がコラムで採り上げた愚連隊は平和の代償であろう。ある時期、ソ連や中国には愚連隊や暴力団は存在しないとそのユートピアぶりが喧伝された。そのぶん国家の振るう暴力は増幅されていたのである。
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塩野七生レパントの海戦』を読んだ。レパントの海戦は、ビザンチン帝国が滅んだあと、西欧の軍隊がオスマン帝国に勝利した大戦として知られるが、本書によれば、トルコの学校の教科書にはこの海戦についての記述はないという。塩野本の刊行は平成のはじめだが、いまもトルコの教科書は同様なんだろうか。
歴史教科書といえば、先日、伊藤博文ハルビン駅構内で襲撃、殺害した安重根の記念館がハルビンで電撃開館したというニュースがあった。中韓の政治的思惑があってのことだろうが、それとは別に安重根が韓国では抗日義士であり、当時の日本の法体系では暗殺者だったのは今さら論議するまでもなかろう。
安重根の評価が日中韓で異なるのは当然で、八月十五日が一方では敗戦の日であり、他方では戦勝記念日なのだから、そこへ到る道筋や人物の評価は国により異なるのは当然で、大事なのは、国の政治的意図とは別に自由に研究や意見が発表できる社会のあり方だと思う。トルコではレパントの海戦の研究はされているのだろうか。
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六本木ヒルズの映画館で「ウルフ・オブ・ウォールストリート」を観た。原作はジョーダン・ベルフォート『ウォール街狂乱日記 ー「狼」と呼ばれた私のヤバすぎる人生』。

破天荒な男のバブリーな日々が赤裸々に、破天荒に描かれた映画をはじめはリアリズムふうに観て、証券詐欺、資金洗浄、ドラッグ、乱交パーティ等の反社会的行為の連発が何故におもしろいのかなどとと思ったが、まもなくそれではこの作品はたのしめないと気づいた。「仁義なき戦い」を公序良俗の立場から観るようなことをしていたわけだ。「ウルフ・オブ・ウォールストリート」には公序良俗お呼びでないのだ。
リアリズムは論外にしてコメディというか大人の漫画として観てようやくおもしろさ、たのしさを体感できた。それにしてもとちゅうで見方というかハンドルさばきを変えるなど、古くさい感性と硬直した精神の持ち主(わたしのこと)はこれだから困る。「仁義なき戦い」が公開された当時、キネマ旬報ベストテンの投票で、社会の安寧や秩序を考えると、この作品に票を入れる気になれないと述べている識者がいて、なんと旧弊なことを言うのだろうと思ったが、四十年経ってみると自分が「ウルフ・オブ・ウォールストリート」をそんなふうに観ていたのである。
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森喜朗元総理大臣が講演の中で「あの娘、大事なときには必ず転ぶんですよね」「負けるとわかっている団体戦に何も浅田選手を出して恥をかかせることはなかった」と放言したのを知った。不愉快極まるニュースだ。
あってはならないことだが、しかし国難、戦争に遭ったとき、国家のリーダーは国民を励まし、勇気づける人間性、知性といった資質が求められる。元首相の浅田真央選手をめぐる発言を知りあらためてそう思った。ことはスポーツに止まらない。どういった釈明をするかはともかく、あの御仁はそうした資質を決定的に欠いている。
十年ほど前だったか、元首相はラグビーのオーストラリアのナショナルチームワラビーズが来日した際、表敬訪問した選手たちに、日本は百年かかってもあなたたちには勝てない云々と言った。ワラビーズと戦う日本代表選手のことなど考慮の外なのだ。競技人気の関係からか今回のような大きな扱いの報道ではなかったがそのときも空いた口がふさがらなかった。
政治学京極純一先生が説くように、口に出して言わなくてもわかるはず、茶の間で番茶をすすり、黙って顔を見合せて、心が通い合う、小津安二郎描くところの夫婦の境地、俺は断然あれに限る、などという明治調は今日もはや通用しない。妻への愛情、オリンピックの論評、議会政治いずれも「申しがら」の芸で立つ。