「アウシュヴィッツの生還者」

社会人になって二年目、おなじ職場に学徒出陣で応召された方がいて、いつもいつもあの戦争について考えているのではないけれど八月だけはそれまで読んでいる本は中断してでも戦争についての本を読み、考えるようにしているとおっしゃっていました。一九七0年代前半のことです。

その方と職場をごいっしょしたのはその年限りでしたがわたしには忘れられない会話で、ただし見習わなくてはいけないと思いながら、実践できたり、できなかったりが続いています。ことしは大岡昇平『レイテ戦記』を考えていましたが、いま読んでいるレイモンド・チャンドラーロス・マクドナルドのハードボイルドから離れられず、ならば本に代えて映画でと「アウシュビッツの生還者」を選択したのがわたしの八月十五日で、偶然ではありましたが素晴らしい作品と出会えた一日となりました。

クリストファー・ブラウニング『増補 普通の人びと: ホロコーストと第101警察予備大隊 』(谷喬夫訳、ちくま学芸文庫)にこんな蛮行が紹介されています。第二次世界大戦時のポーランド、ゲットーを警備するドイツ兵たちはしばしば時計の針をわざと進め、ポーランド人が通行禁止時刻を守らなかったとして逮捕したり鞭打ったりしていて、かれらはゲットーの内でユダヤ人を、外でポーランド人を「虐待して楽しんでいた」のです。戦争は兵士を狂気の娯楽に駆り立て、それを極度にいびつなものにする。

アウシュヴィッツの生還者」で描かれたユダヤ人どうしのボクシング(精確にはボクシングの名を冠せた殺し合い、レフェリーなし、多くはグラブなし)はその証でした。ナチスの幹部はボクサーをみずからの所有物としてリングに立たせ、勝てば誇示して次戦に備え、負ければ殺す。そしてリングを囲む兵士たちは賭けと殺戮に興じていました。

麻生太郎氏の放言に「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」というのがあります。

わたしは、スクリーンのナチスの姿を見て、かれらの多くも家族思いの人だったであろうに、戦争は「ある日気づいたら」ふつうの市民を蛮行に駆り立て、「だれも気づかない」うち戦地での娯楽を極度に残虐なものにするのを痛感しました。

この映画は生還者ハリー・ハフトの実話をもとにした作品です。

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ハリー・ハフトは同胞とのボクシングに勝ち続けたことで生き延び、戦後アメリカに渡りボクサーを続けました。もちろんゲットーでの体験はユダヤ人社会からの排斥に繋がりかねず、とても他言できることではありません。しかしハリーは兄の制止を振り切って自身の体験を新聞記者アンダーソン(ピーター・サースガード)の求めに応じて語ります。生き別れになった恋人レアが記事を読んで名乗り出てくれる可能性に一縷の希望を抱いていたのです。それでも彼女の消息はつかめず、それでハリーは格上のボクサーを相手とする試合で話題を呼ぼうとしますが期待は叶わず、やがて痛打連打を浴びてリング上で倒れる日を迎えます。それはレアの捜索の断念にほかなりませんでした。

そうしてハリーはレアを捜すなかで知り合ったユダヤ人捜索事務所に勤めるミリアム(ミッキー・クリープス)と結婚して家庭をもち、青果店を開き、二人の子供が誕生します。ミリアムは職掌上、ハリーの事情を知るただひとりの女性でした。

ようやくつかんだ家庭の幸福、でも新しい環境は収容所での体験を忘れさせてくれるものではなく、収容所での体験はトラウマとして残り、ハリーはしばしば悪夢にうなされていました。その姿を不思議に感じている息子にハリーは一度だけどうしてなのかを語ります。「お父さんは強制収容所にいた」と。それは子供たちにも聞かせたくなかった言葉でした。のちにこのときの話をもとに息子アラン・スコット・ハフトが父の半生をつづり、これが映画の原作となりました。

ボクサーを引退した十四年後、アンダーソン記者がハリーを訪れ、一枚のメモを手渡します。そこには生き別れになった恋人レアの所在が記されていました。ここからさきの記述は控えておくべきでしょう。

この映画はゲットーでの体験をモノクロ画面とし、戦後の生活はカラーで描かれます。双方を交叉させるうちハリーの過酷な日々が観客にも忘れがたい記憶として迫ってきます。また戦後のカラー映像はハリーの哀切感が秘められているようで胸が締め付けられる風景となっています。「グッドモーニング・ベトナム」「レインマン」のバリー・レヴィンソン監督八十一歳の長いキャリアのなかで培われたまごころのこもった力業として讃えたい。

収容所のシーンでは痛ましい囚人役として体重を二十八キロ落とし、戦後のシーンでは元の体重に戻してプロのボクサー役として撮影に臨んだベン・フォスターの演技も讃えられるべきものですが、それよりも圧倒されたというのが実感でした。

(八月十五日 新宿武蔵野館