「上海バンスキング」 南里文雄を聴いた!

佐々木康監督「蛍の光」と「純情二重奏」をみた。いずれも初見で、前者は昭和十三年、後者は翌十四年の松竹作品。

蛍の光」は女学校の生徒に高杉早苗高峰三枝子、先生に桑野通子というキャスト、女性映画の松竹の面目躍如である。わずかなシーンながら女学校の卒業式で先生役の桑野通子の袴を着けた正装姿が凛として素敵でした。本作について太田和彦が『シネマ大吟醸』(小学館文庫)に「美しいお姉さま先生と、永遠の友情を守った親友に見守られ死んでゆくラストシーンは美女三人の顔をたっぷり写し、紅涙に恍惚となる。/突然下品だけれど、戦前の美しき乙女の世界に夢を抱くオトーサンにおすすめである」と書いている。わたしはそんなオトーサンではないつもりだけれど。

蛍の光」で先生と親友に見守られて亡くなったのは高峰三枝子。「純情二重奏」はその高峰三枝子の主演で、歌う映画スターが誕生した作品だった。ストーリーはわがふるさとの土佐弁でいう「あやかしい」(馬鹿馬鹿しい、あほらしいの意)ものなのだが戦前の美しき乙女の世界に夢を抱くオトーサンではなくても若き日の高峰三枝子に魅せられ、霧島昇とのデュエットも魅力で、大いに満足した。

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そして本作の大ヒットで佐々木康監督は歌謡映画のヒットメーカーとしての地位を確立した。戦後は「そよかぜ」を撮り、主題歌「リンゴの唄」が大ヒットした。また「純情二重奏」の高峰三枝子を主演にした歌謡映画「懐しのブルース」「別れのタンゴ」「思い出のボレロ」「情熱のルムバ」がいずれもヒットした。ストーリーのわざとらしさなどなんのその、難しいことはいわず主題歌に似合いの大衆メロドラマをせっせと撮った。ご都合主義を云々されるプログラムピクチャーだが、なにパリで別れた男女が偶然にモロッコカサブランカの酒場で再会する作品だってあるのだ。

一九五二年松竹から東映に移籍した佐々木康は市川右太衛門の「旗本退屈男」や美空ひばりの時代劇歌謡映画に力を発揮、その後、映画界の斜陽とともに東映テレビに異動となり「銭形平次」などでテレビ界を盛り上げた。松竹でいえばこういう人がいたから小津安二郎清水宏も時間をかけたよい仕事ができたわけだ。

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英文法の本に、人称代名詞を並列するときは二人称→三人称→一人称の順序が慣用的に決まっているとあり、たとえばYou,She and I といった具合。定型の語順では紅茶と受け皿、塩と胡椒、紙と鉛筆などは日本語とおなじだが父母はmother and father、白黒はblack and white、そういえば紳士淑女はladies and gentlemen で父母のばあいと同様に女性が先に来る。レディファーストの習慣が作用しているのだろう。

「貴女と夜と音楽と」You and The Night and The Music は映画「バンドワゴン」でも使われた大好きなスタンダードナンバーだがこの並列の仕方はどんなふうに決まったのだろう?英文法も奥が深い。

先ごろ「カサブランカ」の脚本を読み、ついでコナン・ドイルシャーロック・ホームズ・シリーズの原文にあたってみたが、なかなか難しくて、以前に学習用にリライトしたホームズを買っていたのを思い出し、さっそく『 シャーロック・ホームズの冒険』を読み、いま『 シャーロック・ホームズの回想』に取り組んでいる。英語で読むミステリーはシャーロック・ホームズフィリップ・マーロウを目標としていて、しかしこんなにもたついていてはフィリップ・マーロウに到達できるのかしら。

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英語の勉強で、シャーロック・ホームズのリライトされたテキストを読んでいて、よい機会だから、映像やゲームなどにも視野を広げてホームズ作品の全体像を見ておきたいと北原尚彦『初歩からのシャーロック・ホームズ』(中公新書クラレ)を一読した。結果は大成功。わたしの目論見は十分に叶えられた!資料集としても使える。

シャーロック・ホームズ光文社文庫版、日暮雅通の個人全訳で読んでいて、さきごろ深町眞理子訳、創元推理文庫のWEB版を購入してホームズのテキストの通読に参照している。リライトされたテキストが終われば深町訳の全作品を読むこととしている。ただしわたしは広く浅くキョロキョロ眺めながらのタイプつまりこだわりと深掘りは苦手なのでシャーロッキアンにはなれそうにない。

ホームズ関連の映像作品では主だった映画やジェレミー・ブレットのTVドラマは見ているが、ベネディクト・カンバーバッチマーティン・フリーマンの「SHERLOCK/シャーロック」はストーリーを追うのに難渋して途中で断念している。北原氏の激賞する本シリーズはあらためてシーズン1から再チャレンジしよう。

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サンデー毎日」と「週刊朝日」が相次いで創刊されたのは大正十一年(1922年)だった。これら新聞社系週刊誌にたいし、さいしょの出版社系週刊誌「週刊新潮」が世に出たのは昭和三十一年(1956年)で、図らずも寿屋、現サントリーの「洋酒天国」もこの年に創刊されている。ちなみに「週刊文春」と「週刊現代」の初刊は昭和三十四年だった。

昭和三十年代の老舗新聞社系週刊誌と新興の出版社系週刊誌との競合について小玉武は『評伝 開高健』に「知的エンターテインメントの多彩な展開と、さらに報道力と企画力の競争があって、ジャーナリズムの世界は湧き立っていた」と述べている。「洋酒天国」に関わった自身の体験も踏まえた記述である。

そうしたジャーナリズムの一翼を担った「週刊朝日」がこの五月末で「休刊」、事実上の終刊となる。いま公表印刷部数は約七万部。「沸き立っていた」ころ、扇谷正造編集長のもと百万部を達成したことを振り返ると終刊はやむをえないのか、それでも「サンデー毎日」は三万部でなおがんばっているのにとも思う。あるいは報道力と企画力で遅れをとったために読者から愛想を尽かされたのか。たしかに数週間にわたり「大学合格者ランキング」に多くの頁を割いているようでは生き抜けないだろう。

せっかく「洋酒天国」の名前を出したので本誌にあったある酒豪の話をしておきたい。

「戦後サントリーをストレートでがぶ飲みし、一日一本、一年に四百四十五本も飲んだことがある。一日に一本なら三百六十五本のはずが何故四百四十五本だったか(中略)百本近い超過の分は、来客などで思わず調子の出た名残りだということに気がついた訳だ」(東郷青児ウイスキー、マッカリ」、「洋酒天国」五十八号 、昭和三十八年七月三十日所収) 

東郷青児(1897~1978)の飲みっぷりは凄いというほかない。この洋画家はよほどウイスキーと相性のよい身体と体力の持主だったのだろう。 

そうして「洋酒天国」五十八号当時の東郷青児の飲みっぷりはといえば「今はもっぱらハイボールにして飲んでいるから、実量はぐんと減ったはずだが、銀座に出れば、稀代の梯子酒をやるから、一夜二十杯は下らないだろう。まったくもっておはずかしい次第である」のだから、呆れ、憧れるほかない。

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先日読んだウィルキー・コリンズ『夢の女・恐怖のベッド他六篇』(中島賢二訳、岩波文庫)所収の「盗まれた手紙」に「私は暖炉の火に当たりながら、燻製鰊を肴にしてジンのお湯割りを一杯やり、かなり幸せな気分になることができた」と書かれていた。はじめて知るジンのお湯割りで、いずれ試してみようと思ったとたんアーサー・コナン・ドイル『緋色の研究』で夜間巡回の巡査が「わたしはぶらぶら歩いていきながら、これはまあここだけの話ですが、こんな晩には四ペンスのジン・ホットでも一杯ひっかけられたら、なんともたまらんだろうなあ、なんて考えてた、その矢先に……」と口にしていた。

『緋色の研究』( 深町眞理子訳、創元推理文庫) の註によると、ジンホットはお湯割りのジンで一杯四ペンスだった。夜泣き蕎麦ならぬ夜泣きジンがあったのだろうか。霧深いロンドン、ホームズや切り裂きジャックの十九世紀末犯罪都市ロンドンでお湯割りジンはどんなふうに売られていたのか、物売りの声ってあったのだろうか。

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もうひとつ、ホームズを読んでのおぼえがき。

「"仕事からの気分転換は、最良の休憩である"って、これはわが国の偉大な政治家のひとりが言ってたことだけどね。実際そのとおりさ」と『四人の署名』(深町眞理子訳)のなかでシャーロック・ホームズが語っていて、文中の政治家について、註には、典拠不明ながらグラッドストンとあった。

一八六0年にウィルキー・コリンズ『白衣の女』が出版されると、たちまち大ブームを巻き起こし、書店に行列ができた。ときの大蔵大臣グラッドストーンは友人とのオペラ鑑賞をすっぽかしてまで読みふけったという。 "仕事からの気分転換は、最良の休憩である"とはこのときの体験ではないかと想像した。

ウィルキー・コリンズコナン・ドイルを読んでいるものだから図書館にあったヴィクトリア時代の裁判記録や探偵小説から見た分厚い社会史の本を借りてきたが、いまはホームズ作品に傾注すべきだと判断、それにコナン・ドイルのホームズシリーズを終えるとドイル以外のホームズ作品、つまりパスティーシュやパロディを読もうと思っているので、今は裁判記録や社会史まで手が伸びない。

《書窗懶眠「学問は尻からぬける蛍かな」蕪村》

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はじめて開高健を読んだのは酒と料理をめぐるエッセイだった。ついでベトナムを旅したのを機にベトナム戦争をめぐる著書を読んだ。いま小玉武『評伝 開高健』(ちくま文庫)を読んでいてようやくこの作家の全体像が浮かんできつつある。

本書は作品世界への優れた案内書であるとともに作家の生涯をくっきりと示してくれる。「開高健は複眼を持っていた。過去を洞察し、現代に問いを発し、未来を見通した。さらに稀に見る八面六臂の活躍を、生涯にわたり、世界に向けて実行しつづけた行動の人であり、鬼才の持ち主だった」。

本文庫の解説で柏木隆雄氏は小玉武を自分の評伝の著者としたのは開高健の幸福という。同感である。

評伝とは批評をまじえながら書かれたある人物の伝記(広辞苑)なのだが、しかし本書第七章「「女」たちのロンドー『夏の闇』」はミステリー的興奮に誘ってあまりあるといって著者に失礼にはあたるまい。『夏の闇』の「女」のモデルについての考証、文献史料と聞き書きによる追求は歴史学の醍醐味をも感じさせてくれる。

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上海バンスキング」の舞台とおなじ時代を生きたことはわたしの人生のしあわせのひとつである。オンシアター自由劇場による初演は一九七九年、わたしがはじめて接したのは再演だったが、それからこれまでのところ唯一追っかけをした芝居となった。たぶん生涯でただひとつとなるだろう。

ところで作者の斎藤憐は戯曲の執筆にあたりトランペッターの南里文雄を笹野高史演じた主人公バクマツのモデルとした。 上海に渡り当時の最先端のジャズを学び、サンフランシスコ行きの大型客船や大連のダンスホールでバンドマンとして活躍した姿はまさに「上海バンスキング」だった。

この芝居が大ヒットしたのを機にかつて上海でジャズを演奏していたミュージシャンが脚光を浴び、吉田日出子とレコーディングをしたこともあった。ただし南里文雄は一九七五年に亡くなっていた。

といったことを書きながら、じつはわたし、ディック・ミネの「ダイナ」や淡谷のり子の「別れのブルース」などの歌伴は別にして、南里文雄、またその率いるホット・ペッパーズのレコード、CDとは無縁のままだった。廃盤になって目に留まらなかったのか、探索の熱意が足りなかったのか。ところが先日ネットに二枚のLPをあげてくださった方がいて、ようやく一聴に及んだ。とりわけスタジオでのラストレコーディングとなった「フェアウェル」は素晴らしく、小躍りしたくなるほどハッピーな気分にさせていただきました。

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No amount of study seems to improve him.(どんなに勉強しても、彼は進歩しないようだ) 。

英語の受験参考書にあった無生物主語の例文で、こういうのを読むと低学力は心にグサっと来るねえ。ABC順に並んだ単語集でabandonのところへ来たようなものか。

シャーロック・ホームズが「じゅうぶんな材料もないのに、ただ頭だけ使ってみても、エンジンを空ぶかしするようなものだからね。そのうち、酷使された機械のほうがだめになって、空中分解しちまうのがおちさ」といっていた。ボキャブラリー、文法の知識ともに乏しいわたしは空ぶかししているのかもしれない。

続けてホームズはこの空ぶかし状態への処方箋を提案する。「そうさ、まずは海辺の空気、日の光、そして忍耐心だよ、ワトスン――ほかのものはみんな、あとからついてくる」、と。そうだ、わたしも縮んでいてはいけない、そろそろ海外へも出かけなくてはという気になった。