夏季鍛錬余話

シャーロック・ホームズの冒険』で「ボヘミアの醜聞」につづく第二話「赤毛組合」の事件を解決したホームズは、退屈しのぎになったといささか満足したのもつかのま「おやおや、その退屈が早くもぶりかえしてきたぞ!思うにぼくの一生というものは、平々凡々たる生きかたからのがれようとする闘いの、そのはてしなき連続じゃないのかな。その闘いでぼくを助けてくれるのが、こうしたささやかな事件なのさ」とワトソン博士に語った。(深町眞理子訳、創元推理文庫

博士はホームズを人々の恩人と讃え、ホームズ氏も多少はお役に立ったと謙遜しても、氏にとって犯罪との闘いは平々凡々たる生きかたからのがれようとするもの、いわば退屈しのぎである。

暇と退屈に甘んじてじっとしているなんてとてもできないホームズは犯罪捜査に乗り出す。ワトソン博士はホームズに随行して犯罪捜査=退屈しのぎを語り、読者はそれを読んで退屈しのぎをする。まことに贅沢でほほえましい光景で、このような光景が見られるのは教育が普及し、経済的、時間的にゆとりのある人々が増えた結果にほかならない。ちなみに作者コナン・ドイルが医療に従事するかたわら、副業で小説を執筆し、ホームズ・シリーズの第一作である『緋色の研究』を発表したのは一八八四年のことだった。

『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫)で著者國分功一郎は「資本主義の全面展開によって、少なくとも先進国の人々は裕福になった。そして暇を得た。だが、暇を得た人々は、その暇をどう使ってよいのか分からない。何が楽しいのか分からない。自分の好きなことが何なのか分からない」、そこに資本主義がつけ込む、文化産業が利益を上げるのに都合のよい楽しみを提供する。この諸事業のひとつにミステリーがあった。こうしてシャーロック・ホームズと現代のインターネットとはつながっている。

どのような娯楽であってもそれが定着するには資本主義の展開ばかりでなく社会の気風が大きく関係する。たとえばここに 福永武彦中村真一郎丸谷才一『深夜の散歩』という本がある。海外のミステリーをたのしく論じ、批評と評判記を兼ねた本書が刊行されたのは一九六三年だったが、当時この名著は一度も重版にならなかった。

十五年後、一九七八年に「決定版」の冠をかぶせて再刊された際、丸谷才一はあとがきに「十五年前の日本人はまだ遊ぶことに慣れてゐない、大まじめな国民で、それゆえ社会派推理小説などといふ大義名分のある娯楽読物に夢中になつたのだが、ああいふ調子の時代には、われわれの『深夜の散歩』はどうもぴつたりしなかつた」と書いた。

日本の社会に海外のミステリーという娯楽が定着するには社会の気風がずいぶん関係していた事情がうかがわれる。丸谷才一がいうように『日本外史』と『明治天皇御集』以外の印刷物には関心がない、「世界」と「アカハタ」以外の定期刊行物は読まないといった社会風土で娯楽は窮屈であり、大義名分を必要とした。

そうしたところへ登場したのが松本清張だった。 一九五八年『点と線』『眼の壁』がベストセラーとなり、社会派推理小説がブームとなった。そこにある社会の実相や矛盾、権力の悪事などは読者の社会勉強となり、退屈しのぎに小説を読むという居心地の悪さを大いに和らげてくれた。それはわたしが勤務していたお役所で、夏季特別休暇では格好が悪いから夏季鍛錬と呼んでいたのと軌を一にしていた。