半世紀ぶりの神宮球場

運転免許証の更新通知が来たので自主返納し、運転経歴証明書を取得した。マイナンバーカードや旅券は持ち歩きたくないので、これからは更新なしのこの証明書がIDの保証となる。退職後すぐマイカーは処分したので、この十余年やむなく子供の車を借りたとき以外は運転していないが、これで完全に無縁の人となった。

免許証には昭和四十六年四月二十日取得とある。もともと車の運転に関心はなく、母にせっつかれないと自動車教習所へ行くことはなかった。免許証を持たない母は父に加えて息子も車が運転できるといろいろ便利で都合がよく、親孝行で取得したようなものだが、就職してからは役に立ちありがたかった。

公共交通機関の不便な地方在住だったからあるくか自転車で通勤できる職場を願ったが叶えられたのは在職期間のおよそ五割、二十年ほどだった。事故のことを想像するだけでも車はいやで、石橋を叩いても渡りたくはなかったけれど現実はそうもいかない。もちろん家族サービスもしましたよ。 

フランスの諺「酒のない一日は、太陽の照らぬ一日!」、車のない一日もよいぞ。

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茶店で本を読み、音楽を聴き、そのあと映画を観て、それから晩酌というのが映画館へ行く日の通例で、喫茶店、映画、お酒の三つを組み合わせたささやかな仕合せである。三という数字で思い浮かぶのは、三種の神器、三幅対、三楽、朝寝朝酒朝風呂といったところか。「三つといふ数はどういふ訳か、我々人間にとって魅力があるやうで」という吉田健一は食べること、飲むことに「大嘘をついて、書く楽み」を加えている。四の五の言っていてはいけないのである。

映画をまえにウィルキー・コリンズ『夢の女・恐怖のベッド他六篇』(中島賢二訳岩波文庫)を読んでいると所収の「盗まれた手紙」に「私は暖炉の火に当たりながら、燻製鰊を肴にしてジンのお湯割りを一杯やり、かなり幸せな気分になることができた」とあった。いずれ試してみよう。

本を読みながら聴いたスコット・ハミルトン、ハリー・アレンの二つのテナーによるアルバム「Swing Brothers 」に「Love Light 」という曲があり、はて、こんなスタンダードナンバーあったかなと思っていると「見上げてごらん夜の星を」だった。日本の名曲がこんなふうに取り上げられるのはうれしい。

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トルストイ戦争と平和』(工藤精一郎訳、新潮文庫)を読み終えた。ただし「エピローグ第二部」は史論のような記述で、しかもよく理解できず飛ばし読みに終わった。はじめは名前がややこしく、登場人物の関係もよくわからず、戸惑ってしまったが物語の骨格がはっきりしてからはわりと順調に読めた。

この作品の大きな魅力は、ひとつにロストフ伯爵家とボルコンスキイ公爵家という両貴族の家庭の歴史と、貴族社会の生活のあらゆる面を詳細に描いたことで、いわばこれをミクロとして、マクロがロシアの対ナポレオン戦争である。双方を絡み合わせながら十九世紀はじめの歴史とロシア社会が描かれる。

偉大、立派、優れた実証力、とてつもない知識をもつトルストイだ。でもこれからも親しむかと問われれば『アンナ・カレーニナ』のほかはいまのところ食指が動かない。それよりも『戦争と平和』の逆側すなわちナポレオンのロシア遠征前後のフランスの動向を見てみたい。ジョセフ・フーシェタレーランなどの曲者がいてたのしみだ。

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ナポレオン軍のモスクワ進撃!トルストイは「戦争がはじまった、すなわち、人間の理性と人間のすべての本性に反する事件が起ったのである。数百万の人々がたがいに数かぎりない悪逆、欺瞞、背信、窃盗、紙幣の偽造と行使、略奪、放火、虐殺など、世界じゅうの裁判所の記録が何百年かかっても集めきれないほどの犯罪を犯し合い、しかもこの時代に、それを犯した人々は、それを犯罪と思わなかったのである」と書いた。そのときナポレオンは「余は戦争を望まないし、望んだこともない。だが、戦争を強いられてきた」と語った。独裁者には欺瞞がよく似合う、その典型である。

そしてトルストイはナポレオンについてこう述べた。

「自分のためには何ものも悪と思わぬばかりか、それに不可解な超自然的な意味をあたえて、自分のあらゆる犯罪を誇りとする、あの栄光と偉大の理想、──この男とそれを取巻く人々の指導原理となるべきこの理想が、広大なアフリカで培われる。彼のやることはすべて図にあたる。ペストも彼にとりつかない。残忍な捕虜虐殺も彼の罪にはならない。僚友たちを困苦の中に放置し、アフリカを引上げた、児戯に類するような浅慮な、理由のない、卑怯な行動も、彼の功績となり、またしても敵艦隊は彼を見逃す。数々の犯罪の成功によってすっかりのぼせ上がり、自分の役に対する下ごしらえができて、何の目的もなくパリにもどってくると、あたかも、一年まえには彼を破滅させるかもしれなかった共和政府の腐敗が、極限にまで達していて、党派色のない新鮮な彼の存在が、いまは彼の声価を高めるばかりである。彼は何のプランも持たないし、すべてを恐れている。だが、各党派が彼に働きかけ、その陣営にひきこもうとする。彼一人が、イタリアとエジプトで培った栄光と偉大の理想と、自尊の狂気と、犯罪の暴慢と、噓の迫真力をもつ彼だけが、これからおこなわれようとすることを正当化することができる」

ナポレオンの功罪は別として、トルストイのナポレオン論はまさしく現代のプーチンに通ずる。あらためて慧眼の持主というのは凄いものだと思う。コナン・ドイル『緋色の研究』で、作者はホームズに「人生の書」というエッセイを書かせている。なかで曰く、観察力に富む人間ならば、日常生活の途上で出くわすあらゆる事象を正確かつ組織的に観察することで多くを学びうる。ただ一滴の水から論理家は大西洋やナイアガラ瀑布の存在しうることを推論できる、と。

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ウィルキー・コリンズの短篇集『夢の女・恐怖のベッド』(中島賢二訳、岩波文庫)を読了。T・S・エリオットはコリンズ(1824-89)の『月長石』を「最も早く書かれた、最も長い、最も優れた推理小説」と評した。並立する長篇『白衣の女』も見事な作品で、これほどのストーリーテラーの短篇が期待に背くはずはなく、やはり結果は期待した通りだった。

なかの一篇。「黒い小屋」の若い娘は父親が石工で、その日、仕事で泊まりがけで町へ出かける。たまたま郷紳の夫妻が訪ねて来て、町でお金を使わないようにと一日だけ彼女に預ける。そこへ石工のハンチク二人が父を訪ねて来るが、彼女はきょうは不在と言ってしまう。おまけに預かった財布は二人の目に止まってしまった。仕事の材料の石の関係で、家は丘の上にぽつんと建っている。不安になった娘は戸締りをして、さらに閂をするなど補強をした。夜になると案の定、二人組は財布とめぼしいものを奪いにやって来た。入口のドアが壊れにくいと見るや、裏に廻る、そうして煙突から石が投げ込まれる。

B級ホラーの味覚ここにあり。

もうひとつ「家族の秘密」。医師と主婦の夫妻には一男一女がいて夫には医師の弟がいるが、頭の働きが鈍く、外見もまずく、経営する病院は破綻した。医師としての技倆は十分だったので、兄は弟を住まわせ、医師としてこき使う。

その間、息子の「私」は健康を害し叔母に預けられる。そうした折り、「私」に姉の首に腫瘍ができて亡くなったと訃報が届く。それ以上の説明はなかった。くわえて父の弟の叔父が失踪し行方不明だという。こちらもまったく説明なし。長じて「私」はなんとか事実を知りたいと努めたが両親も叔母も亡くなり真相にはたどり着けないがやがて謎解きがはじまる。

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先ごろ刊行された佐々木徹編訳『英国古典推理小説集』(岩波文庫)は一八四0年代から六0年台にかけ発表されたイギリスの揺籃期推理小説のアンソロジーで、本書にもコリンズの「誰がゼビディーを殺したか」が収められていて、ファンとしては重畳、重畳。

本書の解説で佐々木徹氏はコリンズに寄せて、彼はさまざまな「謎」を含む入り組んだプロットを作り上げる技に秀でていた、そのさまざまな「謎」のひとつに犯人が誰かがあり、『月長石』で用いられ成功した、ただしこの「謎」がいちばんおもしろいものだとは考えていなかった、と述べていて、そこはポーも同様だった。本人たちの意識はミステリーの「夜明け前」にあったようだ。ちなみにコナン・ドイルもいちばん書きたかったのは英国の騎士道を扱った歴史小説だった。

なおこのアンソロジーで三分の一余りを占めるのがチャールズ・フィーリクス「ノッティング・ヒルの謎」で、いまふうにいえばクスリ、保険金詐欺、それに伝奇テイストを絡めていてワクワクしながら読んだ。多数の書簡や証言による構成はコリンズの影響を受けていて、ファンとしては嬉しい。編訳者はコリンズの『月長石』に先行する英国最初の長篇推理小説の可能性を指摘している。

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風と共に去りぬ』『モンテ・クリスト伯』『戦争と平和』と大を付けたくなる長篇小説を連続して読んだ。こんな読書体験はこれまでなかった。前二作品に比べると『戦争と平和』はエンターテイメント性が希薄なぶんいささか疲れた。すると反動からかショートショートを読みたくなった。

コラムが大好きで、その嗜好からすればもっともっとショートショートを読んでいてもおかしくないのに、多少読んだのは星新一都筑道夫のおふたり、それもずいぶん昔のことになる。

それで星新一『どこかの事件』を手にしたところ、調子よく、軽快でうれしくなった。読みながら、ここにあるいくつかを落語に脚色すればおもしろいに違いない、落語のネタの大鉱脈ではないかと感じた。権利関係など問題がクリアできたならどなたか試みてほしい。

江戸の長屋を舞台にした興味深い謎の提出、不思議な体験、余韻を残すオチと結構の整った話……。

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山口瞳『酒呑みの自己弁護』によるとウイスキーを瓶ごと冷やして飲むのはとてもうまい。開高健から教わったそうだ。

丸谷才一のコラム「ハムレット異聞」によると、日本酒を飲んでいてすこし飽きが来て、しかしもうちょっと飲みたいという際にはブランデーがぴったりで「ウィスキーなんかと違って、同質の酔いが持続し、しかも気が変わる」。こちらは吉田健一の教示である。

七十余年の人生でブランデーを飲んだのは十指はおろか五指にも足りないかもしれない。日本酒のあとのブランデー、ちょいと試してみたい気はするけれど日本酒を飲まないのでパスするほかない。やはり長年親しんだ焼酎とウィスキーだな。風邪をひいたときブランデーでうがいをするとよいらしいよ。

以下は自宅でできるカクテルについての覚え書き。ジンをオレンジジュースで割るテキサス・フィズ。熱い番茶にジンを入れたカクテル。 洋酒へ焼栗を入れる。いずれも寿屋(サントリー)が出していた「洋酒天国」(「夜の岩波文庫」の異称があった)より。焼栗は 芹沢光治良巴里夫人』にあるそうで、 開高健の実験報告によると、ぶどう酒は×、ウィスキーは○、ブランデーは◎。

おなじく「洋天」に、「枯葉」のメロディがゾックリ身にしむ今日この頃ともなると、新聞社や放送局などで深夜仕事をする若い連中たちのあいだでは出前のラーメンにトリスを入れて暖をとることが大流行、ラーメンのダシの甘さ、辛さが奇妙にトリスとマッチして、飲み気と食い気が同時に満足できると、なかなか人気がよいのです、とあった。

ついでながらいまもそのお店があるかどうかはわからないが、浅草に精進料理をたべさせる店があり、すべて僧家で使うような雰囲気で仕立てられていた。領収書は木版で位牌の形をしたもののなかに「引導」と印刷してあった。そしてビールが「泡般若」、つまり泡の出る「般若湯」である。

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ヒアリングの練習で「カサブランカ」に挑戦しているがほとんど歯が立たない。たとえばリックの店に偶然やって来たイルザと店のピアニストのサムが挨拶を交わすシーン。

《Hello,Sam》

《Hello,Miss Ilsa. I never expected to see you again.》

姓に付けるMr. Mrs. Miss.がここでは名前に付けられている。奴隷制のなごりで奴隷たちは主人や家族の名前に敬称をつけて呼ぶのが習慣となっていた。こだわりたいところなのでしっかり聴いてみたが「ミス・イルザ」とは聞こえず、あえてカナ書きすれば「ミッサム」といっているみたい。ひょっとすると黒人訛りが作用しているのだろうか。

ジョーク混じりで、アメリカではTはLの音に聞こえる、手紙はレターじゃなくてレラー、ライト・ア・レターじゃなくてライラ・レラー、ウォーターはワラーといった話がある。 《Hello,Miss Ilsa. 》となるとカナ書きさえ難しい。やれやれ。

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五月二十七日。歌舞伎座。さいわい團菊祭五月大歌舞伎千穐楽のチケットを友人がゲットしてくれた。尾上菊五郎富司純子の孫、寺島しのぶの息子「初代尾上眞秀(おのえまほろ)」十歳の初舞台で、家業とはいえ大したものです。

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明治座市川猿之助公演は自殺をめぐって大変なことになっているだろうが、歌舞伎座は、初代尾上眞秀の初舞台でシャネル製の祝幕が花を添え、ハッピーな雰囲気に包まれていた。

歳をとると顔も名前も知らない作家や芸能人がどんどんと増えてくる。気がつくと知っている人は世を去っている。老いの宿命のなかできょうは尾上眞秀を知ったぞ。

そうそう、猿之助一家の自殺報道はテレビのニュースで知ったが、その直前までわたしは亡くなった市川段四郎の母、つまり猿之助の祖母( 香川照之の祖母でもある)高杉早苗のデビュー作「隣の八重ちゃん」(1934年)を見ていて何だかみょうな気持になった。

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五月二十八日。大相撲は昨日十四日目に横綱照ノ富士が関脇霧馬山に勝ち、四場所連続休場のあと復活優勝を遂げた。残念ながら今場所はチケットの入手ができなかった。横綱には祝意を表し、足は神宮球場へと向かった。

大学四年生のとき、わたしが大学にいるあいだに一度神宮球場東京六大学野球を見たいと、亡父が上京してきて案内した。それからおよそ五十年ぶりの神宮球場で、当時は外野は芝生だったはずだ。

女性のチアリーダーがいなかったそのころを思うと応援席、応援団の雰囲気はずいぶん変わっていた。もちろんよい意味で。その応援席で若い人たちに囲まれ大声で校歌、応援歌を歌った。心が若やいだ気がしてうれしかったなあ。

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観戦のあとはもちろんお酒。適度な暑さと応援がほどよい疲れをもたらしていて、ビールの美味しかったこと!