2019読書はじめ

「今年はと思ふことなきにしもあらず」。

一八九六年(明治二十九年)の年初に詠まれた子規の句で、この年、かれは脊椎カリエスと診断されたから結果的に腹をくくらなければならなくなった年の年頭の所感となった。そのなかで翌明治三十年には雑誌「ホトトギス」を創刊、また明治三十五年九月十九日の命日直前まで病に臥せつつ、死に臨んだ自身の肉体と精神を客観視し、写生した人生記録を綴った。『病床六尺』『仰臥漫録』などいずれも貴重な遺産である。

ことしわたしは六十九歳を迎えるから子規の享年三十四の二倍を生きた。気構えだけでも「今年はと思ふことなきにしもあらず」を見習いたいけれど、すでにそうした気概は遠い。

だいぶん前から頭脳を鍛えてもたいしたことはないと見極めをつけ、およそ半世紀、いつかは読みたいと念じてきたジェームズ・ジョイスユリシーズ』とマルセル・プルースト失われた時を求めて』もご縁がなかったと納得して手放した。教養主義にとらわれ過ぎていた反省もあった。

そのいっぽうで身体については老骨に鞭打ちながらすこしでも鍛えたいと願っているから、せめてこれを「今年はと思ふこと」としよう。

さいわい昔から長距離を走るのが好きでときどきはレースに参加している。それなのに実用技術書を別にすれば村上春樹の走ることについてのエッセイを除くと、マラソンや駅伝をとりあげた小説やエッセイを手にすることはなかった。実際の走りばかりで本には目が行かず、探してみようという気さえなかった。

ところが昨年末に、足袋製造会社がそれまでの技術力を活かしてランニングシューズの開発に邁進する池井戸潤陸王』を、ついで、早稲田大学で中村清監督のもと二度箱根駅伝を走り、いまは国際金融や企業活動をめぐる作品を多く発表している黒木亮という作家がいることを知り、その自伝小説『冬の喝采』(講談社文庫)をたちまちのうちに読み終えた。駅伝、長距離走を、またあのころの早稲田の競争部を語ることのできる格好の作家がここにいたのだ。

ちなみに黒木氏、本名金山雅之選手は一九七九年の第五十五回箱根駅伝で三区のランナーとして二区の瀬古選手から襷を受け取り、トップを維持したまま四区のランナーにつないだ。

作者は中村監督を「自尊心が強く、思い込みが激しく、粘着質で、自己顕示欲が強く、敵が多い老人」という広く行き渡ったイメージ通りの人物としたうえで「自分は、二年九カ月間、この常識外れの老人に翻弄された。容赦のない言葉にずいぶん傷つけられもしたが、箱根駅伝で終始首位を走り、二十キロで北海道新記録を作るという、想像すらしていなかった場所に自分を引き上げ、『努力は無限の力を引き出す』という言葉を体験させてくれた」と語っている。

奇矯な人物とうわさに聞くばかりだった中村清監督の人物像だが、本書でようやく輪郭がつかめた。低迷していた早稲田の駅伝は一種の劇薬的存在の指導者のもとでよみがえったのである。

陸王』『冬の喝采』の流れを継いでことしの読書は三浦しをん『風が強く吹いている』からスタートした。こちらは『冬の喝采』とは異なるファンタジー風味のあるフィクションだ。

部員十人、それもほとんどが陸上競技未経験者の寛政大学駅伝チームが予選を突破し、箱根駅伝の舞台に立った。ファンタジーとする所以だが、作家の想像力は取材その他を通じて得た長距離を走ることについての認識と組み合わされ、作中人物の思いとして表現される。

「個人で出走するレースだとしても、駅伝だとしても、走りにおける強さの本質は変わらない。/苦しくてもまえに進む力。自分との戦いに挑みつづける勇気。目に見える記録ではなく、自分の限界をさらに超えていくための粘り」

「走るからには、やはり勝たなければならないのだ。だが、勝利の形はさまざまだ。なにも、参加者のなかで一番いいタイムを出すことばかりが勝ちではない。生きるうえでの勝利の形など、どこにも明確に用意されていないのと同じように」といったふうに。こうした思いは『冬の喝采』とときに響き合う。

『風が強く吹いている』は文庫本でおよそ六百五十頁、あと七十頁余りのところで主人公で寛政大のエースランナー蔵原走(かける)が八区のキングくんから襷を受け取り戸塚中継所を走り去った。

そしてわが書架には堂場瞬一『チーム』『神の領域 検事・城田南』、桂望実Run! Run! Run!』、安東能明『強奪箱根駅伝』、生島淳箱根駅伝ナイン・ストーリーズ』『箱根駅伝 勝利の名言』が控えている。

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