『深夜の散歩 ミステリの愉しみ』に導かれて

昨二0一九年十月に創元推理文庫から福永武彦中村真一郎丸谷才一『深夜の散歩 ミステリの愉しみ』が刊行された。書誌については後回しにして今回の創元推理文庫版は三人の著者のこれまで未収録だったミステリについてのエッセイや丸谷才一さんが収録しなかった雑誌連載分が収められていて、うれしいプレゼントとなっている。

本書についてはこのブログ二0一一年四月七日付「『深夜の散歩』のおもいで」として話題にしているが、最新版『深夜の散歩』を読んだのを機に二三書き足したいことがあり、思い切って記事を削除し、以下のとおり改稿した。

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ミステリを読みはじめたのは一九七0年代の後半、二十代半ばで結婚してからだからだいぶん晩稲のほうだ。それまでは松本清張の作品をいくつか読んだくらいで推理小説のことなどまったく念頭になかった。その頃のわたしは、文学といえば魯迅であり、いちばん意識していたのは学生のとき勉強していた文化大革命の動向であった。

推理小説というものは、歴とした娯楽品で、そして娯楽品に対する批評や鑑賞の専門家が何人も現れたというのは、それだけそのジャンルが成熟した証拠である」。

『深夜の散歩』の一篇、中村真一郎「アイソラの街で」の初出は「EQMM」(「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン日本版」の略)一九六0年五月号で、ここにはミステリがだんだんと普及していた頃の雰囲気がよく示されている。

これに先立つ二年前「EQMM」一九五八年四月号に福永武彦が「小説家が自分のうちに批評家の分身をもつか、タブーを物ともしない優秀な専門批評家が現れるか、この二つがなければ、我が国の探偵小説界の前途は洋々たりとは言えないように思われるけれど、どうだろう」と苦言を呈している。

両者を読み較べると一九五0年代後半から六十年代初めにかけてミステリの世界における批評が市民権を確立しつつあることがわかる。なお中村はミステリ批評、鑑賞の専門家として植草甚一中田耕治の名前をあげている。しっかりした鑑賞や批評のないところに進歩や発展はなく、その後のミステリの世界のありようはご同慶にたえないが、わたしはまだ推理小説、ミステリを軽視する風潮のなかにあった。

「一九六三年八月」の記載のある「元版『深夜の散歩』のあとがき」に丸谷才一は本書に縁のない人として「『日本外史』と『明治天皇御集』以外の印刷物には関心がないような人」「『世界』と『アカハタ』以外の定期刊行物は読まない人」をあげていてミステリの読者となる以前のわたしはあきらかに後者に属するタイプだった。

ところが結婚して妻にミステリを読んでみたらと勧められ、アガサ・クリスティーアクロイド殺し』を手渡され、結末で呆気にとられたのを機にこの世界の虜となった。なにしろ純情だったから驚きは大きく、そのなかで出会ったのが『深夜の散歩』だった。一九七八年のことで、同年に講談社が刊行していて、昨年亡くなった和田誠さんが装幀を担当していた。

海外ミステリをめぐる上質でしゃれたエッセイ集またブックガイドとして、この分野での古典的名著と評して過言ではない。面白くてためになる教科書なんて形容矛盾もいいところだが、本書は稀有な例外で、海外のことはわからないけれど管見する限りわが国でこれに匹敵する海外ミステリの教科書はないのではないか。

本書に導かれて、わたしは三人の著者があげるミステリをマーカーで塗っては、ハヤカワ文庫、創元推理文庫など各社の文庫目録で収められているかどうかを確認した。アガサ・クリスティー『ゼロ時間へ』はハヤカワ文庫、アントニィ・バークリイ『毒入りチョコレート』は創元推理文庫といった具合に、そうして書店で見かけるとすぐに買った。懐かしい日々だ。ついでながらミステリを耽読するうちにわたしの硬直の度合も低くなっていたようで、それとともに中国と毛沢東についての見方も変わった。

クリスティーもクイーンもクロフツも何はさておき本書が採り上げている作品に手を伸ばした。とりわけレイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説やエリック・アンブラーのスパイ小説は振り返ると仕合わせな読書体験だった。こうして自身の好みが確認できたわたしはエスピオナージュとハードボイルドに進路を取った。

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 先に書いたようにわたしがはじめて接した『深夜の散歩』は一九七八年の講談社版だった。これには元版があり、一九六三年にハヤカワ・ライブラリの一冊として刊行されている。講談社版には元版以降に書かれた三人の著者のミステリについてのエッセイがそれぞれ数編収録されていて、「決定版」と冠が付けられている。それをさらに補充したのが今回の創元推理文庫版である。

「決定版」があるからといって元版が不要とはならない。さいわいなことに十年ほどまえに神保町にある小宮山書店の三冊五百円のワゴンセールで元版を見つけ、古本屋の均一本をあさるよろこびにつつまれて購入した。一九六三年十一月三十一日付け再版で、ハヤカワ・ポケットミステリとおなじ版型だ。

その日、神保町の喫茶店に坐って獲得物を愛撫してやっているうちに裏表紙の内側に「上野文庫」のラベルが貼ってあるのに気付いた。上野広小路にある和菓子のうさぎ屋の隣にあった小体な古本屋さんだ。

落語、漫才、色物等の芸能関連や好色随筆、犯罪ものなど個性的な品揃えが独特の雰囲気を生んでいた。とりわけ店主の好みなのだろう落語関連本は充実していて廉価の落語CDやレコードも置かれてあった。中公文庫の野口冨士男『私のなかの東京』と『わが荷風』、桂三木助「芝浜」のCDはここで買ったのをおぼえている。

上野駅から広小路にあるき、通りの向かい側から見るとシャッターが閉まっていて、上野文庫はお休みかと残念な気持になったことが二三回あった。広小路を渡り店の前まで行けばもっと早く閉店を知ったのかもしれない。そのうち店主が亡くなったと仄聞し、店はお休みではなく閉店したと知った。ネットで調べてみたところ店主の中川道弘さんは二00三年に亡くなっていた。角田光代岡崎武志『古本道場』(ポプラ社)で岡崎武志さんはここを「大人の駄菓子屋のような店といっていい」と評しているが至言であろう。

ハヤカワ・ライブラリの『深夜の散歩』をさいしょに買った人はきっとフットワークの軽い、洗練されたセンスの方だっただろうな。日本人がまだ遊ぶことに慣れていない、大まじめで、それゆえ社会派推理小説などという大義名分のある娯楽読物に夢中になっていた(丸谷才一)時代に海外ミステリを楽しんでいた方を讃えよう。

そこから上野文庫の棚を経て神保町の小宮山書店のワゴンセールに収まるまでの半世紀にちかい時間をこの本はどのような漂流を重ねたのだろう。『深夜の散歩』との長い付き合いに感謝しながら深夜にそんなことを思っている。