「春の序曲」

わが国ではじめて日本語字幕を付けて上映されたトーキー作品はマレーネ・ディートリッヒゲーリー・クーパーが共演した「モロッコ」でした。一九三一年のことで、米国では前年一九三0年に公開されています。

一九三六年、主役の二人はふたたび「真珠の頸飾」で共演しました。ここでディートリヒはフランスの宝石商から高価な真珠の首飾りを盗んだ女賊でスペインに入国しようとしますが税関の検査が厳しく、やむなく盗品を見知らぬ男の背広のポケットに入れてしまいます。この騒動に巻き込まれたのはアメリカから休暇でヨーロッパにやって来ていたクーパーで、ひょんなことからはじまった女泥棒と堅気の社会人とのラブ・コメディです。

驚いたのはスタッフにエルンスト・ルビッチ(1892-1947)の名前を見たことで、監督のフランク・ボーゼイギと共同プロデューサーを務めています。ルビッチ監督の映画を追いかけてきたわたしとしてはプロデューサー作品は思いもよらない盲点でした。さっそくフィルモグラフィーで調べてみるとルビッチがプロデュースしたのはこの「真珠の頸飾」だけで、未知の鉱脈への期待は幻に終わりました。

監督のフランク・ボーゼイギ(1893-1961)はわたしには名前を聞いたことがあるような、ないような存在でしたが、ルビッチを媒介としてようやく意識するようになりました。なんといってもルビッチと共同プロデュサーを務めた唯一の人ですから。

フィルモグラフィーを見て、「第七天国」( 第一回アカデミー賞監督賞)「戦場よさらば」「歴史は夜作られる」が同監督の作品と知りました。いずれも単体では観ていたけれど、おなじ監督の作品として繋がっていなかったのは不明を愧じるほかありません。

よい機会だから Amazon prime Videoの魅惑のモノクロ作品群でボーゼイギ作品を検索してみたところ「真珠の頸飾」や「歴史は夜作られる」とともに「春の序曲」がありました。長年名前を知るのみだった「春の序曲」も同監督作品だったとは!

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「春の序曲」のアメリカでの公開は一九四三年十一月でしたが、日本では敗戦からおよそ半年後の一九四六年二月二十八日に封切られました。

 戦前最後のアメリカ映画は開戦の年の十月に公開された「スミス都へ行く」でした。それから四年あまり、戦後はじめてアメリカから輸入された二本の映画のうちのひとつが「春の序曲」でした。(もうひとつは グリア・ガースン主演「キューリー夫人」)

歌手志望の田舎娘が著名な作曲家の家で執事を務める兄を頼ってニューヨークにやって来る、そこから才能を見出され、愛を知る、といった明朗な音楽劇で、しかも主役は一九三七年に公開され大ヒットした「オーケストラの少女」のディアナ・ダービンです。戦前の映画ファンは「春の序曲」でディアナ・ダービンと再会して、ようやく暗い谷間をくぐり抜けたと実感したのではないでしょうか。

ところで HIS BATTLER'S SISTER 、彼の執事の妹という原題を「春の序曲」としたのはなんだかよくできたマジックのようです。戦後初のアメリカ映画の選定にはGHQが関わっていましたから、戦後の明るい輝きを演出する意図はあったに違いありません。それを「春の序曲」としたのは GHQの知恵者、それとも配給元であるセントラル映画社の才覚だったのでしょうか。

*戦前最後に公開されたアメリカ映画「スミス都へ行く」については本ブログ、以下の記事を参照してみてください。

https://nmh470530.hatenablog.com/entry/20110108/1294442400