上田昭夫氏の訃報

シネマヴェーラ渋谷で「アイアン・ホース」と「オーケストラの少女」を観た。前者はジョン・フォードが最も好きな作品だったそうで、一八六0年代におけるアメリカ横断鉄道敷設の困難を描いたサイレント映画。名のみ知る作品の初見で、迫力ある映像と詩情を堪能した。横断鉄道の次は黒船だったわけだ。

「オーケストラの少女」はディアナ・ダービンと失業した音楽家集団の夢の物語。ストコフスキーフィラデルフィア交響楽団の出演したことでも知られている。一九三七年当時東京の封切館は二本立ての常識を破り、これ一本の興業としたが連日満員の大当たりだったと双葉十三郎が回想している。中島京子『小さなおうち』でこの映画が話題になる場面がある。
「オーケストラの少女」の二年後一九三九年「格子なき牢獄」が公開されコリンヌ・リュシェールが大人気となり、河上徹太郎は、その思春期の色気は、ディアナ・ダービンダニエル・ダリューの如き濁ったものとは類が違うという激しい論調、いくら何でも引き合いに出された「オーケストラの少女」が気の毒でしょう。
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図書館で「週刊朝日」七月二十四日号を手にしたところ「ボケてたまるか」、「老いることいやですか?」、「高校野球100年昭和からの遺言」、「美を見て死ね」「シリーズ第三の人生最後はみんなおひとりさま」といった記事がならんでいた。ほかにも田原総一郎「安倍政権への遺言」や「誰もが知りたい老後のこと」といったコマーシャル記事があり、じじばば相手の記事の氾濫である。
この現象は高齢者に加え若い人も老後への関心が高い、「週刊朝日」の読者年齢が高い、また戦後民主主義「正義の味方」ふうな言説が若い層にはあまり受けず、高齢者には受容されやすいということかと考えた。
四十年近く働いて、まあ、まじめにお堅く、貧乏したと思っていたら、退職してもう一段下流の貧乏があると知った。収入が現職時の何分の一ほどになったのだから当然なのだが対応方法を考えてこなかったのは迂闊の極みで、週刊誌にはこんなふつつかな老人の生活切り詰め策についても教えていただきたいな。
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フィルムセンターでの山口淑子(李香蘭)追悼の諸作品のなかから「萬世流芳」を観た。一九四二年の阿片戦争百周年を期して企画された二時間半に及ぶ大作で、意味は「気高さはとこしえに」といったところか。
茶店で本を読み上映の三時前に着く予定が狂ってしまい四十分前に着いた。早すぎたかなと思ったところ女優の人気と作品の珍しさによるものだろう早くも百人ほどの方が並んでいてびっくり。

長谷川一夫と共演した「蘇州夜曲」や「熱砂の誓ひ」は観ているものの、いずれも東宝の製作であり、中国の映画会社が製作した作品での李香蘭は「萬世流芳」が初めてでよい機会となった。ここで李香蘭は阿片窟で、阿片の害を説き、阿片を止める飴を売る歌をうたう。ソプラノの歌唱が見事だ。
一九四一年二月十一日「歌ふ李香蘭」の公演に駆けつけたファンが会場の日劇を七回り半にもわたり取り巻いた。四方田犬彦李香蘭原節子』によると、彼女はこの時点で中国人のあいだでそれほど知られた存在ではなかったが翌年の「萬世流芳」により一躍中国全土で有名になった。
のちに山口淑子として北朝鮮を訪問した折りに金日成がこの映画を吉林で観たと語っている。
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七月二十三日上田昭夫氏が六十二歳の若さで亡くなった。死因はアミロイドという蛋白が全身の臓器の細胞外に沈着するアミロイドーシスという難病だった。訃報に接したのは同日正午まえで、その日はずっと心落ち着かない一日となった。
わたしは慶応出身ではないが、学生数や学部の構成から他のラグビー強豪校に比して選手の獲得は難渋している印象があり、慶応がビッグゲームを制したときは心から「魂のラグビー」を讃え、祝福してきた。

慶應トヨタ自工、そして日本代表チームのスクラムハーフとして活躍し、指導者としては二度にわたり監督として母校を率いた上田昭夫は一九八五年度大学選手権での明治との双方優勝につぐトヨタ自動車との日本選手権で日本一に、一九九九年度関東学院との大学選手権で大学日本一に輝いた。前者のときはまだトヨタの社員で(このあと退社しフジテレビへ)この日だけは背広から社員章を外して国立競技場に臨んだと伝えられている。また後者は慶応ラグビー部創部百周年にあたっていた。この人にはドラマもついてまわっていたと見える。
在職中は職場で座る時間が長かったからよくそのブログを拝見した(職務でラグビーに関係していたのであしからず、為念)。仲がよかったのだろう早稲田OBの「炎のタックルマン」故石塚武生氏の大食いをからかったり、慶応の高校生の内部試合でレフェリーとして笛を吹いたといった記事が昨日のことのように思い出された。
それにしても感動をもたらしてくれたラグビーの名将、名選手がどうしてこれほど早く逝くのか。木本建治(1996年56歳)、洞口孝治(1999年45歳)、宿沢広朗(2006年55歳)、石塚武生(2009年57歳)、戸嶋秀夫(2014年59歳)、早稲田、トヨタ自工でウイングとして活躍した金指敦彦(没年、享年の調べがつかなかった)も四十代だったと記憶する、そして上田昭夫
追悼記事を追ううちにスポーツジャーナリスト大友信彦氏のブログに「天国ラグビー部、どれだけ選手を欲しがるんだよ!と悪態をつきたくなります。もう十分だろ、これ以上補強しないでくれ!」とあるのを読み、目頭が熱くなった。
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イマジカBSビリー・ワイルダー監督「お熱い夜をあなたに」を観た。およそ二十年ぶりの再会だ。舞台はナポリ湾に浮かぶ島イスキア、ローマ帝国の時代から保養地として知られているところで、当地でのロケが嬉しい。旅をしているうちにイタリアのとりこになるなんて、前に観たときは思いもよらなかった。
米国からイタリアに来たワークホリックジャック・レモンとホテルの支配人との会話。「昼休みが一時から四時までだって!?」「チキンサンドとコーラの昼食とは違い当地ではスパゲティをゆっくりと食べワインを飲み女を愛します」「夜はどうするんだい」「女房を愛します」。
父のバカンス先イスキア島での訃報を聞いたジャック・レモンは父が毎年そこで一夏を英国の婦人と共に過ごしていたが、一緒に乗った自動車が事故に遭い、亡くなったと知る。十年にわたる関係だった。
「秘書や客室乗務員など年に十人の女と遊ぶのは良いけれど、一人の女と十年続けるのは問題が……」。