「世界名画劇場」

映画がモノクロだった頃の名作がずらりとならぶAmazon prime videoで久しぶりに「運命の饗宴」を観た。

一着の礼服がさまざまな人の手に渡るなかでいろいろなエピソードが生まれる。シャルル・ボワイエリタ・ヘイワースヘンリー・フォンダジンジャー・ロジャースなど豪華キャストによるオムニバス作品は、一九四二年、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督が米国滞在中に製作されていて、日本では一九四六年に公開された。

各界の映画ファンがこよなく愛する映画について語ったエッセイを集成した『私の一本の映画』は一九八二年、キネマ旬報社から刊行されており、なかで和田誠さんがあげていたのがこの作品だった。

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そのころ三十代のはじめだったわたしは、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督作品では「舞踏会の手帖」「望郷」「我等の仲間」などは鑑賞済みだったが「運命の饗宴」は和田さん経由ではじめて知り、早く観たいなあと願ったものだった。

当時NHK教育テレビに欧米の古典的作品を多く放送していた「世界名画劇場」という番組があり、わたしはここで「運命の饗宴」を観たように思っていたが、この原稿を書くに当たって調べてみたところ、この映画の放送はなかった。おそらくどこかのレンタルビデオ店で出会ったのだろう。こうした渋めの映画を置いてくれていたレンタルショップにあらためて感謝しなければならない。

和田誠さんはうえの一文で、「地の果てを行く」「にんじん」「舞踏会の手帖」「望郷」などジュリアン・デュヴィヴィエ作品をたくさん観られたのは新宿にあった日活名画座に負うところが多かったと恩恵を語っている。まもなく和田さんはひとりの観客から、この劇場のポスターを担当することになる。

「世界名画劇場」についてネットで調べてみると一九七六年八月二日から二00三年三月二十三日まで二十七年間にわたり放送されていた。はじめの何回かを抜き書きしてみると「巴里祭」「会議は踊る」「間諜X27」「或る夜の出来事」「舞踏会の手帖」「オーケストラの少女」「格子なき牢獄」「大いなる幻影」といった具合で「世界名画劇場」の名にふさわしいラインナップである。

「運命の饗宴」はレンタルショップのお世話になったけれど、和田誠さんの日活名画座にあたるのがわたしには「世界名画劇場」だった。Eテレなどとチャラチャラした名前ではないころの素敵な番組だった。