陸 沈

古代ローマの詩人オウィディウスは「よく隠れる者はよく生きる」といったそうだ。

アレキサンドラ・アンドリューズ『匿名作家は二人もいらない』(大谷瑠璃子訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)のなかで匿名のベストセラー作家、モード・ディクソンが、作家になることを夢見るフローレンス・ダロウに「ベネ・ウィクシト、ベネ・クィ・ラトゥイト」「ラテン語よ。オウィディウスの言葉。意味は、"よく隠れる者はよく生きる"」と語るくだりで知った。詩人はアウグストゥス帝の命により黒海に面した僻地に追放され、そこで歿したから、うえの言葉はそのことと関係しているのかもしれない。

「よく隠れる者はよく生きる」。

若いときから隠居趣味のあったわたしとしては心に響きます、この言葉。いまは趣味ではなくほんとの隠居だからなおさらだ。

中国に「陸沈(luchenリクチン)」という言葉がある。典拠や用例が示されていないのが残念だけれど漢和辞典の『新漢語林』には、陸にしずむの意で、俗人と一緒に住み、表面は俗人と変わらぬ生活をしている隠者をいう、また、昔を知って今を知らず、時代遅れで世俗に疎いことといった語釈がある。

ただしわたしは隠者と俗人といった格差は無視して、時代おくれで世俗に従わず、街を隠れ里にして地味に、そして滋味豊かなたのしみに生きるという語感を懐いている。

ついでながら中国語辞書『中日大辞典』と『現代漢語大詞典』には、陸地の陥没、国家の滅亡、隠退するとあるばかりで、本家の中国では陸沈にそっけない。

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ときどき都築響一の写真集『TOKYO STYLE』(京都書院版)を眺めながらまったりとした時間を過ごす。撮られているのは九十年代はじめの東京の若者たちの部屋で、人は誰も写っていないけれど部屋を通して人とその生活が見えてくる。貧しい若者たちの狭くて乱雑な空間からはそれなりに気持よい暮らしが伝わってくる。ただし戦前の歌謡曲にある、狭いながらもたのしいわが家とは様相を異にしていて、なんといえばいいのか世紀末あるいは近未来風なたたずまいを帯びた快適さといった感じ、そしてここにも陸沈がある。

都築響一は書いている、「もしかしたら世界一のスピードで動いていると思われている東京の只中で、小さな部屋を借り、どうしても必要な分だけ働いて、あとは本を読んだり絵を描いたり、音楽を聴いて静かな毎日を過ごしている人々がずいぶんいるという事実は、心地よい驚きでもある。東京もまだ捨てたもんじゃないと思うのは、こんな人たちに出会うときなのだ」と。

いうまでもなく「こんな人たち」はカネとモノをより高く、より多くという高度成長の夢の逆側にいる。そこにあるのは少数の好きな人とわずかなお気に入りのモノに囲まれたつつましい暮らしだ。ただし執着はないからたとえ人とモノに恵まれなくてもやっていける。支えてくれるのは柔軟な個人主義で、これは陸沈また『方丈記』や『徒然草』の伝統に通じている。