わたしがはじめて「格子なき牢獄」をみたのはNHK教育テレビ「世界名画劇場」での放送だった。おそらく一九七七年一月に遠藤周作がゲスト出演したときの番組だったと思われるが、遠藤周作と吉田喜重が対談していた記憶はまったくないからあるいは別の日の放送だったかもしれない。
そのときは戦前に一世を風靡した映画を鑑賞できた満足感は残ったがとくにコリンヌ・リュシェールに関心はもたなかった。ところがなにかの折に彼女がナチスに協力した女優だったという情報に接して心に留めるようになった。以前から日中戦争下で日本に協力した漢奸と呼ばれる人たち、とりわけ魯迅の弟の周作人への関心が微妙に影響していた。
それはともかくとして、ここで「格子なき牢獄」のあらすじを紹介しておこう。
作品の舞台は感化院。着任した院長イヴォンヌ(アニー・デュコー )は徳で以て不良少女を善導しようとの意志の持ち主だ。ある日、彼女が院でもとくに反抗的な少女ネリー(コリンヌ・リュシェール)に外出の用向きを頼んだのも信頼を示すためだった。
周囲はネリーの帰院を危ぶみ、疑ったが、彼女は逃げたりはせず、これを機にネリーは自分に信頼を寄せてくれた院長にだんだんと心を開いてゆく。
まもなく院にイヴォンヌの恋人ギー(ロジェ・デュシェーヌ)が医師として赴任する。ネリーはギーに恋心をいだくようになる。それを知ったイヴォンヌは気の毒な娘をいたわってやるようギーに頼む。やがてギーのほうもネリーに心を寄せる。イヴォンヌは自身の恋を断念してネリーとギーを祝福するのだった。
ギーが登場してからの筋の運びは古めかしいけれど、なによりもコリンヌ・リュシェールとアニー・デュコーのふたりの美人女優の共演が魅力で、とりわけ日本ではコリンヌが評判を呼んだ。
一九三八年と三九年に彼女は「格子なき牢獄」のほかにアニー・デュコーと共演した「美しき争ひ」、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』を原作とした「最後の曲がり角」、「第三の接吻」に出演した。
一九八八年に週刊文春がおこなった「わが青春のベスト・アイドル150」のアンケートで、コリンヌは海外女優部門第三位となっていて、戦中派、昭和ひとけた世代にとって彼女がどのような存在であったかをよく示している。すべては「格子なき牢獄」の鮮烈な輝きだったとして過言ではない。そして彼女は第二次世界大戦前の日本で信じられないほどの眩しい光を放った最後の外国人女優で、一瞬の輝きのあとは戦争により消息は絶たれた。
第二次大戦後報じられた戦中、戦後のコリンヌの生活は惨憺たるものだったのは先にみたとおりだ。もっとも獄中死亡説からアルジェでの娼婦説までいろいろな情報があって、ほんとのところどうだったのかは不明だった。
明らかにしたのは鈴木明『コリンヌはなぜ死んだか』であり、管見するかぎり日本語の文献としてはもっとも充実した評伝であり、あるいは彼女への関心の薄れたフランスでもこれほどの著作はないかもしれない。