映画弁士塚


浅草寺境内にある映画弁士塚。往年の名弁士の名を連ね記念とするもので、活字を通してわたしが知る名前では徳川夢声西村楽天山野一郎大辻司郎松田春翠といった人たちがいる。
建立されたのは一九五八年(昭和三十三年)十一月十八日。新東宝社長で自身も弁士だった大蔵貢を建設者とし、賛助として当時の松竹城戸四郎、東宝清水雅、大映永田雅一東映大川博、日活堀久作の各社長が名を列ねている。大蔵貢は自社の高倉みゆきとのスキャンダルでの「女優を妾にしたのではなく、妾を女優にしたのだ」という名・迷言で知られる。「湯の町エレジー」の近江俊郎実弟
内田魯庵が淡島椿岳を回想した文章のなかで「浅草は今では活動写真が軒を並べてイルミネーションを輝かし、地震で全滅しても忽ち復興」と書いた浅草の映画館だったが、二0一二年十月二十一日、浅草名画座、浅草新劇場、浅草中映劇場が閉館となり、いまここに映画館はない。