「モロッコ、彼女たちの朝」

日本ではじめて公開されるモロッコ発の長編劇映画と聞いてさっそく駆けつけました。

あのリックとイルザの物語はすべてセットで撮影されていますが、舞台となったカサブランカがわたしにとって映画の聖地であることに変わりはありません。それに二0一四年にモロッコを旅行していてあらためて街並みや生活風景が見られるのも楽しみでした。

迷路のような旧市街の路地には入口のドアを除いて白い壁に覆われた白い家(カサブランカ)が建ち並び、ここを臨月のお腹を抱えたサミア(ニスリン・エラディ)が仕事と居場所を求めて訪ね歩いています。モロッコを旅したときは宗教のしばりは比較的ゆるい印象でしたが、ほんとのところはよくわかりません。いずれにしても未婚の母となると「逮捕を免れているだけの犯罪者」とされ、そのため彼女は美容師の仕事も住居も失ってしまいました。

そんなサミアを見かねて一晩だけ泊めてあげるという奇特なパン屋の女主人(「灼熱の魂」のルブナ・アザバル)がいて、これが一夜とはならず、サミアはこの家で出産をすることになります。

パン屋さんはアブラという母と小学生の娘ワルダと二人暮らし。アブラがもつ心の傷が妊婦と通じているだろうと推し図られますが、この時点ではどうして父親がいないのかは明らかにされません。その事情はやがて知らされるのですが、いっぽうサミアの妊娠をめぐる事情はほとんど不明のままです。

本作は長編デビュー作となるマリヤム・トゥザニ監督が、過去に家族で世話をした未婚の妊婦の想い出がもとになっているそうですが、登場人物のプライベートなことがらは必要最小限に止め、夫のいない母親と、父親のいないその娘、そして未婚の妊婦を配して、女性と、社会と宗教のありかたに焦点を絞り、そのことで枝葉を切り落とし、テーマの明確な女性映画となったと思いました。ちなみに本作は二0一九年のアカデミー賞で女性監督初のモロッコ代表作品に選ばれています。つまりモロッコでこの映画の公開は禁止されていない、ここにも、宗教のしばりの比較的ゆるいモロッコを感じます。

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女主人と娘、身を寄せる妊婦の共同生活はやがて出産の日を迎えますが、そこには「逮捕を免れているだけの犯罪者」の子供となる赤ちゃんをどうすればよいかの問題が待ち構えています。サミアが育てるならば赤ちゃんの将来は犯罪者の子にほかなりません。それよりも子供が欲しい家庭の養子とするほうが子供にはしあわせなのではないか。彼女もいつまでもパン屋さんで世話になるわけにはいかず、妊娠出産をなかったことにしておくほうが生きていきやすいかもしれない。思いつめる彼女の姿はともに生活するアブラはもとより、女性への社会的圧力を体感する手前にある子供のワルダにとっても他人事ではなくなっています。

特筆しておきたいのはこうした問題が具体的な生活の描写が重ねられるなかで語られる、その語り口がこの映画の大きな魅力となっていることです。アブラのパンづくりを手伝うサミア、アブラひとりでは手が回らなかったモロッコ伝統のパンケーキ「ルジザ」をつくり、それをワルダに丁寧に教えるサミア、パンを焼く窯が壊れたときのアブラの対処ぶりといった食の風景、カセットテープで聴くモロッコの音楽とそれに合わせた踊りの風景(家庭での音楽はCDではなくラジカセが一般的なようです)、窓は洗剤スプレーをシュッシュとかけて拭いていますが洗濯機はなくて洗濯板でごしごし洗っているなどのもろもろの生活風景が散りばめられた「絵になる」シーンを通して彼女たちの心の風景が見えてきます。

(八月十七日TOHOシネマズシャンテ)