新コロ漫筆~On Liberty

さきごろ国民民主党立憲民主党がそれぞれ連合と締結した政策協定のなかに「左右の全体主義を排し」との文言があり、これについて国民民主党玉木雄一郎代表が「共産主義共産党のことだ」と発言したところ、日本共産党がこれに反発し、小池晃書記局長が撤回するよう求めたという出来事があった。 

現在の日本共産党全体主義の政党とは思わないが、これまでのところ共産主義が左の全体主義であることは明らかで、日本共産党のいう共産主義だけは特別であるとの主張はご自由だが説得は難しいだろう。共産主義を「人間が判断する材料は過去の経験しかない」(京極順一『文明の作法』)立場からみて、左の全体主義とするのは妥当な判断である。

かたや右の全体主義を代表するのにファシズムがある。

ヒトラーは平和を心から願っています。外国の方は、彼の誠意を信じようとしません。でもわたしは、彼がフランスと友好的な関係を結ぼうとしていると確信しています」

「確かに行進やら教練やらがやたらとありますが、これは戦争とはなんの関係もありません。ドイツ人はあれが好きなんです」

ふたつの発言はいずれもドイツにあってナチスの動向を詳細に報じたアメリカ人ジャーナリスト、ウィリアム・シャイラー『ベルリン日記 1934-40』にある。シャイラーのインタビューに応じた穏やかなヒトラー支持者の発言からは、 ヒトラーの熱烈な信奉者ほどには目の曇りのない人々であっても目の前の現実を認識することがどれほど難しかったかがよくわかる。

ここでも「過去の経験」の検証は重要で、このこと抜きにヒトラーは平和を心から願っていたのだからと、いまなおナチス党やファッショ党を名乗っている党派を全体主義ではないとするのは無理がある。共産主義においても同様である。

東京オリンピックの聖火最終ランナーを務めた大坂なおみだが、某誌水着特集の表紙に登場した彼女に、著名な米国のコメンテーターが「内気でうつ状態なのに、水着姿は披露する」とSNSで突っ込み、大坂側は反論したとの記事を読み、わたしのなかで一瞬、大坂とわが党の共産主義全体主義ではないと訴える日本共産党の姿が重なった。いずれも独特、個性的で、わたしには理解が難しい内気・うつ状態共産主義である。

附言しておくと、わたしはこの国の全体主義への傾きと危険は左より右にあると考えているから、玉木氏が左の全体主義を云々するのであれば、右のほうにも言及があってしかるべきで、氏の発言はバランスを欠いている。

 

七月八日、東京都への四回目の緊急事態宣言発出が決まった際の会見で、西村康稔新型コロナ対策担当大臣は、酒の提供停止要請を拒む飲食店の情報を金融機関に流し、順守を働きかけてもらう、と語った。加えて酒類販売事業者にたいし、酒の提供要請に従わない飲食店には、酒類の取引を停止するよう呼びかけた通知文を流して、こちらにはコロナ対策室のほか国税庁酒税課も名を連ねていた。

どちらも酒販業者から猛烈な抗議を浴び、野党はもとより自民党からも不満が噴出して撤回されたのであったが、自由民主を冠した党の総裁が首相の任にある内閣も自由主義経済を否定する動きをしかねないのだからあまり政党名にこだわるのはどうかなとも思うが、左右の全体主義の問題はおろそかにはできない。

ナチスが躍進していたころ日本ではそれと軌を一にするように、もはや古典的な自由主義の時代ではない、新しいステージに突入しなければならないと「近代の超克」が喧伝された。今回の酒の提供をめぐる動きはいわば「近代の超克」というべきもので、人類のもつ最高の叡智のひとつ古典的自由主義を軽視否定しようとする試みは要注意である。

もうひとつ。

立憲民主党本多平直衆院議員が党のワーキングチームの会合で「五十代が十四歳と恋愛し、同意があった場合に罰せられるのはおかしい」と発言して党の内外から批判され議員辞職した。これが党の方針を踏まえず公衆に訴えたのであれば処分は当然だった。しかし発言の場が特定のプロジェクトについて詳細にわたる討議が期待されるワーキングチームであったことを考慮すると、処分は党内での自由闊達な議論の封殺を意味する。たとえば妊娠した際の対応方針について検討する必要はなかったのだろうか。

本多議員の問題でわたしはこの党は方針を打ち出す過程の討議討論の場であっても一定のコードに沿った発言をしないと処分される怖い党と知った。党の立場からして謬論や極論であってもそれらを含む多様な意見、考え方を材料に討議し、方針を定めていくのがワーキングチームの役割であるだろう。そこで不都合な意見を口にしたからと処分するなんてとんでもない暴挙で、国民民主党の玉木代表はこの件をも全体主義の芽として指摘すべきである。

西村康稔経済再生担当大臣が発した「酒類提供停止に応じない飲食店との取引停止」と、党内論議で一定のコードに沿わない発言をした議員を処分した立憲民主党、二つの事案の根にあるのはおなじで、経済的自由主義の圧迫と、党における自由な議論の封殺はともに自由主義のあり方に関わる問題だ。

あえて比較して悪質、タチの悪いのは党内論議の封殺のほうだ。「酒類提供停止に応じない飲食店との取引停止」は多くの人々が反対の声を上げ、政府に撤回させた。それは言論の自由があればこそ可能だった。他方、立憲民主党の行為は声を上げること自体を否定する要素を孕んでいる。悪質、タチが悪いとする所以である。