「カサブランカ」はじめての吹替版

七月一日。一回目のワクチンを接種した。あらかじめ配布された問診票の項目に、質問がある方はチェックをしておくようにとあったからチェックを入れたところ、接種をまえに医師が、質問があるんですね、というので、今晩は晩酌してよろしいでしょうかと訊くと、カックンと来ていた。大切なことなのに。ありがたいことに適度に飲むのはOKとのお答えだった。

無事に終わった一回目の接種だが、じつは副反応が気になって何回か腰が引けた。

国立精神・神経医療研究センターの大久保亮室長は「特に若い世代では、SNSなどの根拠のない情報で接種しないと決めるケースがみられる。厚生労働省のホームページなどで正しい情報を確認して、改めて考えてほしい」と話している。その厚労省のホームページの「正しい情報」でも接種のはじまった二月から六月十八日までに356人の方が亡くなっている。(七月二日時点で556人、八月四日時点で919人)

偶然が作用しているとしても接種のあと数日間でこんなに多くの方が亡くなるなんて思ってもみなかった。

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カサブランカ」を鑑賞したのは十回ひょっとするとそれ以上かもしれないが、このほどはじめて日本語吹替版をみて、ラストの飛行場、リックとイルザの別れのシーンでの「君の瞳に乾杯」に涙ぐみそうになった。字幕版ではここまでうるうるとならなかったのに。声優の力量はともかくとして、目から入る字幕よりも耳から入るせりふの力が強いのだろうか。

昔気質の映画ファンなので吹替版なんて見向きもしなかったが、字幕版も吹替版もともに楽しめばよいと思うようになった。人間ができたのでしょう、とだれもいってくれないから自分でつぶやいてみた。それにNetflixAmazon Prime Videoで吹替版に接する機会が増えた事情もある。往年の名画を吹替版で鑑賞する新たな楽しみができた。

いまはどうか知らないが、かつては映画評論家の多くは吹替版には重きを置かなかった。なかで瀬戸川猛資(1948-1999)は吹替版が好みで、字幕に較べ情報量が多いのを重視していた。本はできるだけ持たないと決めて手放してしまったが氏の編集した双葉十三郎の大著『ぼくの採点表』にはずいぶんお世話になった。

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七月七日現在東京はまん延防止等重点措置のもとにあり、酒類の提供や施設内への持込を行う場合は、同一のグループの入店:二人以内、酒類提供の時間:十一時から十九時までの間、利用者の滞在時間:九十分以内、客は大声での会話や笑い声はいけないとされている。

これほどの規制を受けるなら外出を自粛して自分の家で飲むのがよほどましで、たしかに理屈としてはその通りだが、ひと月に数度はなじみの飲み屋さんに足が向く。理屈だけで人生を送っているわけではないのである。

永井荷風「浅瀬」(『新橋夜話』所収)で登場人物のひとりが「一体吾々は何の為に、良心と戦つてまで悪い場所へ行つて、良からぬ行ひをしようと云ふのか。その欲する処は、厳格な社会、清潔な家庭に於いて敢てし得ざる事を敢てしたい為めぢやないですか。それがどうでせう(中略)何処の料理屋へ行こうが待合へ行こうが、夜の十二時を打てば大きな笑い声も出来ない。それ位なら自分の家にいた方が余程自由です」。

なんだか読みようによっては緊急事態宣言のもと外出自粛を説得している内容であるが、みんなが「厳格な社会、清潔な家庭に於いて敢てし得ざる事を敢てしたい為め」に遊びに出るとしたところはさすが荷風先生らしい。

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自分がオリンピックやパラリンピックの選手とか大会の利害関係者だったとしたら別の選択をするかもしれないが、わたしは東京在住の高齢者としてできるだけ感染症は避けたいというのが基本的立場だから、オリパラのリスクは取ってほしくないと考えている。置かれた立場や職業、生活環境により考え方は異なる。そこのところを調整し、多数が納得のいく方針を定めるのが政治の重要な業務である。

櫻井よしこ氏との対談で安倍前首相はオリパラに反対している人は反日的といった旨の発言をなさったそうだ。説明や説得は抜きにした硬直したイデオロギーと、敵と味方の二分法という単純な発想しか持たない政治家の発言に驚きはなかったが、反日的は特定の外国を指す言葉と思っていたところ、かつての非国民をいう現代用語でもあると勉強させていただいた。

作家の平野啓一郎氏が安倍発言を念頭において、トーマス・マンボン大学との往復書簡」(1937年)の一節をTwitterに紹介していた。

「小生は彼ら(ナチス)に反対する旨を表明したことによって、なんと国家を、ドイツを侮辱したことになるのだそうです!彼らは、自分たちとドイツ国家を混同するという、信じられないような図太さを持っているのです!」

それにしても新型コロナに感染しないようにしたい、自分を守りたい、その点でオリパラは危ないといっただけで反日や非国民とされてはたまったものじゃない。 嫌な世の中になったものであるが、世間には、オリパラに反対している高齢者は甘ったれた連中と考えている人は多いかもしれない。無職渡世の下流年金生活者は肩身狭く暮らして、屈辱を忍んでおれ、というわけだ。

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四年に一度結成されるブリティッシュ&アイリッシュライオンズ(イングランドウェールズスコットランドアイルランドラグビー協会の連合チーム)が南アに遠征していて、七月七日に行われた三試合目となる南アのクラブチーム、シャークスとの試合を録画観戦しようとしたところ、キックオフが一時間遅れとなっていた。シャークスとの対戦を前にB&Iライオンズ側に陽性者一名と濃厚接触者数名が出て、メンバーを大幅に入れ替えるために取られた措置だった。

十日にはB&Iライオンズと南アのクラブチーム、ブルズが対戦する予定だが、こんどはブルズ側に陽性者が出て対戦取りやめとなり、八日現在対戦相手は未定となっている。Jスポーツ中継の解説者大西将太郎氏は「暗雲立ち込める事態だがなんとかテストマッチ三試合までこぎつけてほしい」と語っていた。

四年に一度開催されるラグビー界の一大イベントは完全無観客をはじめ感染症対策に多大の努力がされていると聞いている。しかしそれでも「暗雲たちこめる」事態となっている。

東京五輪を前に日本ではあまり報道されていないようだが、揣摩憶測はやめておこう。

いずれにせよこれ以上選手陽性者が出ませんように。

(八月七日シリーズは終了。テストマッチは南アの二勝一敗だった)

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数日前からG社のウォッチで計測するジョギングのタイムが悪く、アシックスのアプリを併用して走ったところG社のほうの走行距離が150メートル短かった。翌日はナイキのアプリを用いたところ200メートル短い。当然1キロあたりのタイムもよくない。長く使うとGPSも精度が悪くなるのかと首を傾げながらアップルのウォッチと交換した。

ところがこれとスマートフォンとを同期するのにまたまたひと苦労だった。

機種交換で経済的ダメージを被り、情報リテラシーの乏しさから戸惑い、難渋してため息をついたが、それを厭わないのは正確に距離とタイムを測り、少しでもよいタイムでフィニッシュしたい気持にほかならないと自分で自分を褒めてやった。

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新型コロナ禍のなか、月に一度行われている10キロヴァーチャルマラソンに参加している。ここ三回は56:16、283/846、57:25、321/774そして七月は56:39 、305/1265だった。やっとのこと5分代の後半でフィニッシュできているが……いま一番怖い数字は申すまでもなく6である。

今月のレースは完走者を対象に十月の東京マラソン参加権の抽選が行われる。海外からの一般参加が不可となったことによる補充抽選で、東京都民枠、一般枠ともに落選だったので朗報を期待している。

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IOCコーツ調整委員長は緊急事態宣言であっても五輪は開催すると言い放った。来日したバッハ会長は日本国民には都道府県をまたいだ移動は自粛が要請されているにもかかわらず広島へ、コーツ氏は長崎へ出かけた。こうした国民感情を逆撫でする発言、行動に対し日本政府や大会組織委員会がなんらかの対応をとったとの報道はない。どうしてなんだろう?

やりたい放題、言いたい放題のバッハ会長やコーツ調整委員長。国民感情を無視してまでそれを肯定していると映る政府や組織委員会。ふと思った。日本側はIOCに何かの弱みを握られている、首根っこを捕まえられている事情があるのかもしれない。

IOCが握る日本側の弱み、となると東京五輪招致をめぐる多額のカネの問題が浮かぶ。フランスの警察が日本側による贈収賄容疑で捜査に入ったのを機に当時の竹田恒和JOC会長が事実上辞任に追い込まれたのは記憶に新しい。日本側は否定しているけれど、IOCはそれを覆す材料は持っているような気がした。

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緊急事態宣言の発出にあわせて西村康稔経済再生担当大臣が発したとされる(じっさいは内閣一体となって行ったことが検証されている) 酒の提供停止要請を拒む飲食店の情報を金融機関に流し、順守を働きかけてもらう措置や酒類販売事業者に対し、酒の提供要請に従わない飲食店には、酒類の取引を停止するようにといった呼びかけは、巨視的にみれば新型コロナを機に古典的な自由主義を否定しようとする表れで、撤回と謝罪はあったが自由主義の否定や軽視の傾向はこれからも続くと思われる。

永井荷風「散柳窓夕栄」は諸事倹約の徹底を図る天保の改革のもとであえぐ戯作者や書肆の姿を描いた小説で、なかに戯作者たちがお茶屋に入ったところ、店は謝罪をするばかりの場面がある。

「それじゃ姐さん、酒も肴も出来ねえと云いなさるんだね」

「出来ない何のと申す訳ではございませんが、旦那。実は大変な事になりましたのでございます。」

その大変とは、奉行所の見廻りが時節ちがいの走り物を料理に使っていないかと店の隅々まで検める、次には町方の役人と僧侶がいっしょになってお茶屋へ奉公する女中たちは三か月のうちに親元へ戻せ、そうでない場合は隠れ売女として吉原の女郎とするというわけで実質営業ができなくなっている。

ここのところを読んで思わず「 旦那。実は大変な事になりましたのでございます。西村とかいうお奉行が酒肴を出す店には金を回すなと両替商や質屋に命じたのでございますよ」「阿漕な奴だな」とのセリフが浮かんだ。

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七月二十二日に二回目の接種(ファイザー)をした。テレビにはわたしと同世代とおぼしき高齢者が、これでひと安心とか、肩の荷が下りましたと笑顔でおっしゃっている姿が映っていて、自分もあんなにハッピーになれたらよいのにと思わないでもないが接種後の死亡者の数を知るとそんな気になれない。不安や危惧を覚えながら接種した方もいるはずだがその声はテレビに反映されない。

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十月十七日開催予定の東京マラソンの参加権を得た。海外からの一般参加者がいなくなったためにだいぶん出場しやすくなっているようだ。出走できるのはうれしいけれど、感染状況によっては延期や中止もあるかもしれない。落選したといっては嘆き、当選したらこんどは開催できるのかと心配する。難儀なことである。

スポーツではラグビーが好きで、オールブラックスニュージーランド)vsスプリングボクス(南ア)のテストマッチを家族四人でニュージーランドオークランドに出かけて観戦したこともあったが、無職渡世となってからはお誘いがあれば秩父宮ラグビー場へごいっしょさせていただく程度でテレビ観戦をもっぱらとしている。何事も安上がりで満足するのは下流年金生活者の流儀である。

観戦するにしてもむやみに興奮する者ではない。ラグビーが好きで一貫して応援するチームはあるが熱狂的ではなく、ファナティックなファンの姿については理解できない。対象への思い入れが足りないのかもしれないけれど、幸か不幸かそれが自分のメンタリティというものだろう。それよりも自分が身体を動かし、それなりの満足を得たいのだから世話はない。欲望を抑え、安上がりに生きていけるよう育ててくれた両親に感謝である。

それでもマラソンについてはお金を払ってでも出走したい。できれば海外のレースにも参加したい。かくて世の中はバランスがとれているわけだ。

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 Twitterでときどきやりとりしているハンドルネーム、かつおくんが一読素晴らしい二篇の超短編小説をツイートしてくれていた。

〈社内接種は医務室のナース達が注射担当。その内の1人は以前から人間ドック絡みの生活指導で俺の宿敵のような女(ひと)だが、自分の注射相手の列の中に俺を認めた時にマスクの上の目に冷たい笑みが一瞬浮かんだ「ように見えた」。「久しぶりですねカツオさん」とあっさり痛くなく打ってくれたけど。〉

〈駅へ向かう歩道橋の上で、マスクの上の目元が山本美月に似てるチャリの女性とスレ違いざまに目が合うなとフト気になったらチャックが開いてた。暑さでボケてる。〉

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私は東京在住の高齢者として感染症のリスクはできるだけ少ないのが望ましく、オリパラ開催には反対だった。いまはバブルの中で完結して害が及ばないよう願いながら、種目を選んでテレビ観戦しているけれど、一部に、こうした態度は手のひら返しだとしてよろしくないと批判する向きがあるそうで驚いた。

オリパラには反対だけど、最高意思決定機関がこぞって開催に決めたから座標は変わった。その座標でそれなりに楽しむのは悪いこととは思わない。もちろんこれまでの経緯から、オリパラ開催の結果がどうだったかは大会期間中であっても注視しなければならない。五輪が終わればそちら専一となるかもね。

日本共産党宮本顕治が風雪十二年、転向という、いま云うところの、手のひら返しをしなかったのは強固な信念とともに官憲の弾圧に屈しない体力があったからだと思う。信念はあっても体力がないともたない。手のひら返しは絶対いけないと考える人は、おそらく宮本顕治のタイプが好きなんだろうな。

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七月二十五日 山梨県教育委員会幹部らが十二人で昼食付きのゴルフをしていたと報じられていた。参加した幹部は「東京オリンピックが感染対策を徹底して実施されている。対策すれば、同じスポーツのゴルフも開催していいのではと判断した」と釈明した。これは手のひら返しじゃなく、逆手に取るというのかな。

昔、永井荷風は、芸者買いは社会研究の名目を以てすればよい、下手な小説を書いて原稿料を貪りたい向きは人道の為め、正義の為と叫んでおけと教えた。(「偏奇館漫録」)。山梨県教委幹部連中のゴルフは人類が新型コロナに勝った証としての五輪を後押しするためだったとでも言い張ってみたら如何か。

ことわざに云う、神へも物は申しがら。「東京オリンピックが感染対策を徹底して実施されている。対策すれば、同じスポーツのゴルフも開催していいのではと判断した」は申しがらとしては悪くないと思う。教委の先生方は学校の先生を指導する先生で、この人たちも政府の言うこと聞かなくなっているんだ。

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七月三十一日。自民党河村建夫官房長官が「五輪がなかったら国民の不満は我々に向き、我々は厳しい選挙を戦うことになっていた」「五輪での日本選手の活躍は、我々にとって選挙の大きな追い風になる」などと語り、東京五輪強行開催は秋の総選挙に向けての自民党の戦略だったとの認識を示した。自民党の先生方にとって五輪のアスリートたちは弾よけだったわけだ。

世界のアスリートたちを利用する根性はたいしたもので「安全安心」は目くらましにすぎないと知った。何でも見てやろうにたいする何でも利用してやろうで、 海千山千のふるつわものがときにこうしたホンネをこぼすのは政治の勉強になる。

擬制という言葉がある。実質は違うのに、そう見なす、見せかけることをいう。河村氏のアスリート弾よけ論は図らずも自民党が「平和の祭典」を擬制としていることを明らかにした。なぜかミネラルのない偽の塩をきかせまくった料理が浮かんだ。いっぽう野党のオリパラ反対論は人工甘味料に見えなくもない。