都心での森林浴 

クリストファー・ランドン『日時計』(丸谷才一訳)を再読した。去年末、創元推理文庫復刊フェアのなかにあるのを知り、買っておいたもので、むかし訳者の名前に惹かれて読み、はや三十年以上が経つ。内容はすっかり忘れていたが、読み進むうちに思い出される箇所もあった。
丸谷才一をはじめて読んだのは一九八0年代のはじめ、作品は『笹まくら』だった。同書は一九六六年の刊行だからずいぶんと遅ればせの出会いだったが、この読書体験はわたしが多少なりとも日本と世界の文学に興味を抱く契機となった。そうして丸谷氏の著作をかたっぱしから読むなかに『日時計』があった。
本書の最大の魅力は川出正樹氏の解説にあるように「私立探偵小説とアクション活劇とを巧みに融合させた、テンポの良い筋運びと爽やかな後味が心地よい英国冒険活劇のエッセンスを堪能できる」ところで、一読爽快、ハッピーな気分にしてくれるこの作品はもと植草甚一監修『クライム・クラブ』の一冊として刊行されていて、植草甚一丸谷才一を結ぶ記念となっている。
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DVDで「カンカン」を観た。一八九六年のパリ。カンカンが猥褻とされ禁止処分を喰らう。そこで女店主(シャーリー・マクレーン)と知恵者の弁護士(フランク・シナトラ)とが一計を案じて復活を企てる。これに酸いも甘いもかみ分ける訳知りの判事(モーリス・シュヴァリエ)と新任の堅物判事(ルイ・ジュールダン)が絡む。ショービジネスをめぐって繰り広げる駆け引きと恋のさや当てがたのしい。

むかし観たときも感じたことだが、百三十分余りは長過ぎで十分から十五分短くしてテンポをよくすればもっと素敵なミュージカル映画になっていただろう。ウォルター・ラング監督は律儀な人ではあるが、才気に繋がる律儀ではない。とはいっても「アイ・ラヴ・パリ」をはじめとするコール・ポーターの楽曲はミュージカルファンには堪えられない。『イージー・トゥ・リメンバー』でウィリアム・ジンサーはコール・ポーターのテーマを「物質的快楽に飽きた上流社会の人々の世界を歌で表現すること」と述べていて、「カンカン」はそこにぴたりと嵌る。
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明治神宮御苑に花菖蒲を見にゆく。
御苑の花菖蒲は、明治二十六年(一八九三年)、明治天皇昭憲皇太后のために植えられたもので、六月末は見納めに近かったけれど、散策とあわせて午後のひとときをたのしませていただいた。
まずは花菖蒲を見て、清正井(きよまさのいど)の湧水で手を洗う。なんだか心の埃を払ったような気分だ。加藤清正みずからが掘ったと伝えられる、都会ではめずらしいこの湧水の井戸は四季を通じて水温十五度前後と一定していて、毎分六十リットルの水量がある。

社殿にお参りしたあとは苑内を散歩。広々とした芝生に座り、新宿代々木方面の高層ビル群を見ていると、ニューヨークのセントラルパークにいるような錯覚に襲われる。

しばし休憩の後は木洩れ日を浴びながら雑木林のなかをあるいた。都会の真ん中にこんな癒しの空間があるのは不思議な感さえするのだった。
御苑を出て表参道から青山通りへとあるき、通りに面したお店に入りビールで乾杯!

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昔の歳時記を開くと七月の初めの項に隅田川岸水泳場開きのことが出ている。水練は近世初期から行われ、浅草材木町の河岸に小屋を設けて、幕府は旗本に稽古させたというから歴史は古い。それぞれの水泳場は流派が管轄するようになっていて、笹沼流、永田流、向井流、神伝流などの名が見えている。
その一つ、神伝流(といってもどのような泳法だったかはわからないけれど)を習い覚えたのが荷風永井荘吉だった。遊泳術をマスターした荘吉少年は、浜町河岸から上流は向島下流は佃のあたりまで泳いで行き、疲れると石垣の上に這い上がって川端を歩き廻っていたと随筆「夏の町」に書いている。
「自分は今日になっても大川のどの辺が最も浅くどの辺が最も深く、そして上汐下汐の潮流がどの辺において最も急激であるかを、もし質問する人でもあったら一々明細に説明することの出来る」と荷風は自負している。
荷風隅田川から江戸文学へ行き、セーヌ川隅田川の面影を見た。
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先日「クローズアップ現代」が音楽界と音楽配信の問題を採りあげていて興味深かった。CDの売り上げが激減した、好きな曲だけの購入が可能となった、定額で聴き放題ができるようになった、当然ミュージシャンの収入も減ったといった現象と問題の所在がよくわかった。若年層では音楽著作権の感覚を持たない人も多いらしい。
むかし、新聞に「モー娘」とあったので「もーむすめ」と読んだところ、子供に「もーむす」と読むとたしなめられた。AKB48という名前は知っていても歌は聴いたことがない。山口百恵が引退したあたり以降、知る新曲は数えるほどしかない。疎外感はなくはないが、新曲を追うカネを必要としない喜びを多とする。
CDをPCやiPhoneに移して聴くのにくわえ、YouTube音楽配信アプリで聴くことも多くなった。便利であり、アップして下さった方には大いに感謝している。ジャズのスタンダードナンバー、懐メロが中心で、新曲を求めないので齷齪することもなく年金老人は大満足である。
いま気に入っているのがYouTubeにある藤圭子の一九七0年渋谷公会堂でのライブ録音で、彼女のヒット曲はおなじみだが、ここでは「リンゴの歌」(一抹の哀愁漂う不思議な味)「啼くな小鳩よ」「銀座カンカン娘」など戦後のヒット曲をカヴァーしていて貴重そしてじつにいい味わいなのだ。なかで白眉は「カスバの女」で、ここにそのYouTubeを載せてクリックすれば聴けるようにしたいけれど老生そのやり方がわからない。
カスバの女」は上手に、きれいに歌っても、下手に凄んでもダメで、パリからチュニス、モロッコに流れて行く女のザラついた荒涼感と哀愁が肝だ。その点でわたしはこれまでオリジナルのエト邦枝とちあきなおみのカヴァーを愛聴してきたが、先般これに藤圭子が加わった。藤圭子には同曲のスタジオ録音盤もあるがこのライブ盤には敵わない。
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晩酌はウィスキー。違いのわかる男ではないのでムードで飲む。たとえば村上春樹スコットランド紀行を読むと、そこにシングルモルトの銘柄のいくつかが並んでいて、そのなかから二三を飲んでみる、ムードで飲むとはそんな意味だ。はじめはもっぱらスコッチだったが、あれこれ飲むうちに違和感のあったバーボンも好きになった。
本や映画にあるウイスキーの銘柄に親しむのはたのしく、いま読んでいる太田和彦編『今宵もウイスキー』(新潮文庫)所収の黒澤和子「ウイスキー命ー黒澤明の食卓」によると黒澤さんはホワイトホース一辺倒だったとか。黒澤明は八十を過ぎても興にのれば一本の八分目は飲んだ、最晩年でも一日水割り三杯、それも息を引き取る前日まで。「ウイスキー業界に表彰してもらいたいほどの飲みっぷり」とは娘和子さんの弁。わが酒量は遠く及ばないが、せめて細く長くおつきあいを願いたい。今宵はホワイトホースを飲みながら藤圭子を聴こう。