丸谷才一『腹を抱へる』『膝を打つ』を読む

丸谷才一全集』全十二巻(文藝春秋)は小説と文芸評論を主に編纂されていて、残念なことにユーモアエッセイや対談、翻訳は収められていない。ただし文春は生前、著者と全集刊行について相談していて、巻立ての都合でユーモアエッセイと対談を収録できないが文庫版で傑作選として刊行しますと約束ができており、それが『丸谷才一エッセイ傑作選1 腹を抱へる』『同2膝を打つ』として実を結んだ。
『腹を抱へる』のオビに「大笑いしながら人間と文明を知る」とある。丸谷才一における文芸評論とユーモアエッセイに本質的な違いはない。あえて区分すれば人間と文明を知るための工夫として、評論と共通する学問にくわえ「大笑い」を採り入れるかどうか、そしてもうひとつは文体の相違である。
この文体については著者自身が「わたしだつて、たとへば本式の評論類では、『だ、である』だけで書く。『です、ます』をまぜる度胸はない。まぜるのは随筆とか講演体の評論とか、わりに砕けた調子のときだけですね」と述べている。(『膝を打つ』所収「日本語相談」より)
『腹を抱へる』には昭和十五年鶴岡中学三年生のとき、鶴岡市銃後奉公会が戦地の兵士の慰問のために編纂した「郷土だより」に掲載された「郷土ニュース」という文章が収められている。これを読んで、丸谷才一という作家が十代半ばにしてはや「わりに砕けた調子」を身に着けていたことに驚いた。旧制中学三年生にしてのちの作家の文体の特質がくっきりと表れている。
「郷土だより・・・と言つたところで、むづかしい四角ばつた方のニュースは、他の方々がなさると思ひますから、肩のこらない、私相応の奴をやります」なんてのちの丸谷さんそっくりで「わりに砕けた調子」は天性のものだったとおぼしい。
わたしはこれまで小説や評論を書くうちに余滴として誕生したのがユーモアエッセイというふうにとらえていたけれど、そうではなくはじめにユーモアエッセイを書く資質があり、小説、評論はのちの努力の賜物だったのだ。
「郷土ニュース」は『腹を抱へる』の解説を担当した鹿島茂氏が詳しく解読しているので関心のある向きはそちらに当たられたい。それにしても戦地に送る文章にアイスキャンデーを話題にして「定価はやはり一銭ですが、残念な事に大きさは元の三分の二、いや五分の三位です」と世相を示したうえで「第一アイスキヤンデーなんてものの話は、我が勇壮武烈なる将兵に送るに、相応しからざるものかも知れません。別の方の話をやります」というふうに転調する具合はとても十四歳の旧制中学生のものとは思えない。

といったところで、わたしも丸谷さんに倣い、ここで転調して二冊の文庫本を大笑いして読みながら知らずしらずのうちに人間と文明について勉強した成果の一端を披露してみます。
司馬遼太郎との対談「日本文化史の謎」で丸谷さんは中国の皇帝について、あれは官僚の一番トップだと考えると理解しやすいとする中国文学の前野直彬先生の所説を紹介している。つまり官僚のマネージャーとして役人が賄賂を取ったり悪いことをしていないかを管理監督するのが皇帝というわけだ。ゆえに官僚のマネージャーである皇帝が女にうつつをぬかすとなると職務怠慢の謗りを免れない。玄宗皇帝は楊貴妃とともに春の宵を過ごすようになり、春の宵があまりに短いために日が高くなってから起きるようになり、早朝の執政を止めてしまった。(「春宵苦短日高起、從此君王不早朝 」)
つまり「長恨歌」は一面で職務を抛ってラブロマンスに奔った皇帝の物語であった。
いっぽう丸谷さんは中村勘九郎との対談で『源氏物語』を引き合いにして「日本文学の一番大事な小説の主人公は実は天皇で、その天皇の一番の事業は女を口説くことであった。口説くときはもちろん歌を詠む。それから見ても日本文学で大事なのは天皇の恋歌ということになる」と語っている。そこで見えてくるのは日本と中国の政治文化の違いで、かの国の皇帝は実務のマネジメントに務めなければならず、その眼に、恋をして、和歌に詠み、宮廷人の歌も取り合わせて勅撰集に編む天皇の姿は無責任な怠け者として映った(かも知れない)。そこのところを及ばずながら弁護すれば、万世一系、連綿たる皇統のための天皇の唯一の仕事は後継男子をもうけることにあったから女を口説くのも恋をするのも怠けや道楽ではなかったんですね。
いずれにせよ中国の皇帝のあり方からは立憲君主制天皇機関説は生まれようもなかったのは天皇と対比するとよく理解できる。
官僚のヒエラルキーのトップとしての皇帝は中華人民共和国のトップのありようにも影響を及ぼしているみたいでいまの習近平氏やその前の胡錦濤氏にはそうした雰囲気が漂っている。毛沢東文化大革命で官僚制をぶち壊そうしたのだから特異な例外となるが、そのばあいは周恩来が相当部分を代行していたと考えられる。
話題がいささか「むづかしい四角ばつた方」に振れてしまいました。生々しい政治の話は他の方々がなさると思いますからわたしはここで筆を擱きます。