日暮里富士見坂


「午後九段を歩む。市ヶ谷見附の彼方に富嶽を望む。病来散策する事稀なれば偶然晩晴の富士を望み得て覚えず杖を停む。」永井荷風断腸亭日乗』大正六年十二月十七日の記事だ。
昭和四十五年刊行の横関英一『江戸の坂 東京の坂』には富士見坂を通称とする坂が十一挙げられ、いまも富士山が望める坂は日暮里と南麻布の富士見坂のふたつだけとあるから、荷風が見た九段の坂からの富士の姿はすでにない。
南麻布のほうは知らないが日暮里の富士見坂からの富嶽眺望はいまも可能だ。何年か前までは富士にかかる左のビルはなくその姿はよりくっきりとしていた。しかも景観を覆う場所にビルの建設が予定されているという。すでに横関英一は富士山を隠すようにビル群が建てば「この数少ない富士見坂も、また名ばかりの富士見坂となってしまうであろう」としたためていた。この憂慮が現実のものになることのないよう関係者の良識に期待したい。