ラジオ・デイズ

ラジオ・デイズは甘く、切なく、なつかしい日々である。疑う人はウディ・アレンの同名の映画を見よ!
なんて気張る必要はさらさらないのだが、誰か故郷を思わざる、幼い頃のあの夢この夢にはつい力が入ってしまうのだった。
六十年安保の国会議事堂を取り巻くデモ隊の声と東京六大学野球早慶六連戦の実況をラジオで聴いた記憶はある。だけどその先となるとこの媒体の思い出はあまりないから、だんだんとつきあいは稀薄になっていったのだろう。睡眠重視タイプなので若者のあいだでもてはやされた深夜放送もあまり聴いていない。
だから十歳までがわたしのラジオの日々だった。ラジオ・デイズの音楽で忘れがたいのは「鈴懸の径」と「小さな花」のふたつの曲だ。


さいしょに聴いたのがいつかは記憶にないけれど、はじめての出会いでこの二曲はわが胸の底にある音楽の小箱に感傷をしのばせてしまったようで、それからは聴くたびにセンチメンタルな感情が小箱から歩み出てわたしの胸をかきむしる。
「鈴懸の径」のほうは鈴木章治とリズム・エースに、ベニー・グッドマン・オーケストラの一員として来日中だったピーナッツ・ハッコーが参加した名演の誉れ高いレコードだったのではなかったか。記録によると一九五七年の録音で、鈴木章治とピーナッツ・ハッコーのクラリネットの二重奏は、おなじ楽器で音と音が組み合わされて、こんなに魅惑的な音楽になるんだなあ、と子供心に感じさせた。
「小さな花」は誰の演奏だったか。ピーナッツ・ハッコーのクラリネットでもよく知られているから、あるいはかれのヴァージョンだったかもしれない。



ふたつともに甘美で洗練され、それでいて調子がよくて、スイング・ジャズというジャンルに分類されると知った。だからともにアメリカの音楽と思い込んでいた。「小さな花」は「可愛い花」と改題されてザ・ピーナッツのヒット曲となった。日本語の歌詞(訳詞音羽たかし)で歌ったからじつは日本の曲だったんだと錯覚したが、こちらはシドニー・ベシエというジャズマンの作曲で、原題はフランス語 Petite Fleur。
「鈴懸の径」は昭和十七年に灰田勝彦の歌でヒットした。作詞は佐伯孝夫、作曲は灰田の兄有紀彦、いずれも年経ての知識である。しっとりとして、哀調を帯びた名曲だが、この歌謡曲をジャズに変身させたのは鈴木章治の慧眼というほかない。
十代の終わり頃からジャズと接する機会が多くなった。若者の常で前衛的なモダン・ジャズを志向していると、どうしてもスイング・ジャズが古くさく見えてくる。いまはもうそんな気取りは取っ払ってラジオ・デイズとおなじ素直な気持ちで音楽を聴けるようになった。誰もいわないのでそっと申し上げる、すこしは人間ができたのではないか、な。ジャンルに関係なく、いいものはいい。「鈴懸の径」も「小さな花」もあいかわらずわたしを甘く、切なく、なつかしい気持にする。雀百まで・・・・・・ということなのだろう。

鈴木章治は一九九五年に六十三歳で亡くなったからライヴの演奏に接したのは六本木のバードランドで一度、旅先の関西でフルートの神崎愛とのジョイントコンサートで一度の二度で終わった。かれも「小さな花」を吹き込んでいて、わが愛聴ヴァージョンとなっている。ラジオ・デイズの輝きがよく似合う、唄心の豊かなクラリネット奏者だった。