「暖流」

北条秀司の戯曲「王将」が伊藤大輔監督ではじめて映画化されたときの坂田三吉役はバンツマこと阪東妻三郎だった。三吉を、困窮にあえぎながらも、将棋やるんなら日本一の将棋指しになんなはれと支え励ました女房の小春は水戸光子が演じた。
彼女は溝口健二監督「雨月物語」では貧農の藤兵衛(小沢栄太郎)の女房阿浜の役で、亭主に捨てられ白首姿の遊女に身を落とす。
いまはない雑誌「ノーサイド」の二度にわたる特集を再編集して単行本化した日本映画女優名鑑『キネマの美女』(文藝春秋)で水戸光子を担当した田中眞澄は「戦後の彼女は色気が乏しいまま老けて、普通のオバサン顔」になってしまい、でなきゃ年増役で木暮実千代にあそこまで独走されることもなかっただろう、汚れ役を熱演するのがせめてもの彼女の行く道だったと評した。「王将」の小春、「雨月物語」」の阿浜いずれも汚れ役であり、こうして田中によると水戸光子は「日本映画の汚れッちまった悲しみ」である。
それで思い出したが、教員の勤務評定問題を背景とする山本薩夫監督「人間の壁」では間借りさせている独身教師に発情する未亡人役で、ワン・シーンだけ出ていた。よくいえば客演格なのだろうが、これほどとってつけたような役柄、場面もめずらしい。この映画、イデオロギー臭は鼻につくが、語り口はうまくて「二十四の瞳」の延長戦のような趣があり、香川京子の小学校の先生がよく似合っていた。せめて水戸光子には香川の年長の同僚役ぐらい振ってやれよと思ったものだ。
私生活では一九四五年に寅さんの初代おいちゃんの森川信と結婚したが翌年離婚している。
亡くなったのは一九八一年、六十二歳だった。
戦後の水戸光子について知っている二、三のことがらはこんなところだ。
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「日本映画の汚れッちまった悲しみ」。それもこれも、もとはといえば一九三九年(昭和十四年)の松竹映画「暖流」ゆえである。この作品で彼女は、知的な令嬢役の高峰三枝子か、つつましく、けなげな水戸光子かと人気を二分して、若い人を熱狂させた。

太平洋戦争終結からフィリピンのルバング島で三十年近くジャングル潜行したあとようやく帰国を果たした小野田寛郎元陸軍少尉は、インタビューで好きな女性のタイプはとの質問に、水戸光子さんのような人と答えている。小野田さんの脳裡には「暖流」の水戸光子の記憶があったはずだ。
当時二十八歳の吉村公三郎監督は、はじめ看護婦の石渡ぎん役には田中絹代三宅邦子を起用したいと城戸四郎に申し出たが、佐分利信高峰三枝子のスターを二人も使ってその上なにを贅沢をいう、水戸光子でやれと一喝された。泣く泣く従ったが、結果は吉村の出世作となり、水戸光子はスターダムに上った。
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ことしの夏、話に聞くその「暖流」をようやく観る機会を得た。百二十四分の総集編で、オリジナルは二部作百八十分だったが残されていない。原作は朝日新聞に連載された岸田国士の同名の小説。ついでながら岸田の長女は作家の岸田衿子、次女は女優の岸田今日子、俳優の岸田森は甥にあたる。
結論からいえば、噂に違わぬ名作であり、なによりも高峰三枝子水戸光子の魅力が存分に引き出されていて、なるほど当時の若者の人気を二分したんだとよくわかった。
経営難にある志摩病院の院長が病に倒れ経営立て直しを頼りにならない息子(斉藤達雄)ではなく、むかし世話した青年で実業界にいる日疋祐三(佐分利信)に託す。病院の令嬢、志摩啓子(高峰)には出世を意識して笹島医師(徳大寺伸)が近づいている。
日疋は佐分利信がしばしば演じる茫洋として愛想のない、けれど重みは感じさせる男で、対照的なのが笹島だ。
着任早々に日疋は信頼の置けそうな看護婦の石渡ぎん(水戸)に病院の内情を探らせ報告させる。
やがて院長は亡くなるが、日疋は病院経営を軌道に乗せるとともに、啓子母娘が生活できるよう図らった。そうしたなか啓子もぎんも日疋に恋愛感情を抱くようになっていた。
小学校で同級生だった二人はいま、ぎんが啓子を「お嬢様」と呼ぶ関係にある。言葉遣い、服装、しぐさを対照させながら日疋をめぐる微妙なやりとりと心理描写が素晴らしい。
経営問題が一段落したあと日疋は思い切って啓子にプロポーズするがふられてしまう。啓子には、ぎんのために身を退こうとの決意と日疋に伴侶としてふさわしいのはぎんだという判断があった。
一九三0年代の東京を甦らせた吉田健一の小説『東京の昔』に「日本は階級でなくて身分の国である。そしてその身分は寧ろ人間一人一人の生活の仕方であつてそれを知らなくて自分勝手に何かするのは他人の生活を乱すことになる」とある。「身分の国」とは、明治維新以降のゴタゴタがなんとか落ち着いたところで生まれた良くも悪くも安定して調和のとれた人間関係とそれぞれにふさわしい生活様式を指すと考えられる。この意味で啓子は日疋とは身分が違っており、伴侶としてはぎんが似合いと考えたのではないか。
啓子への失恋のあと、ぎんに言い寄られた日疋は彼女の一途さがいとおしく「人間、落ち着くところに落ち着くもんだ」といって、あっさりと彼女との結婚を承諾する。日疋は啓子のいる「身分の国」への参入を謝絶され、もともと同類だったぎんと「落ち着くところに落ち着」いたのである。
戦前の映画にはめずらしい女からの告白のシーン、ここでのぎんの日疋に対する、ひたむきで切ない女心の表現には小野田さんならずとも参ってしまいます。
ぎんとのことを啓子母娘に報告したあとで日疋と啓子は砂浜を散歩する。日疋に知られないようにそっと泪をぬぐう啓子の姿がまたなまめかしく、いとおしい。
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満州事変が起きたのが一九三一年(昭和六年)、盧溝橋事件が三七年だから、この映画の一九三九年は当時でいう日支事変下にあり、日本はすでに本格的な戦争状態にあった。同年にはノモンハンで日ソ両国の軍事衝突事件があり、前年には国家総動員法が公布されている。
「暖流」はこうした世相のなかで製作された。にもかかわらず、スクリーンでは軍事色は完全に遮断されて微塵も感じられない。戦前の東京とその近郊の風景が美しい。ここにも人気を呼んだ一因があったのだろう。それが逆説的な意味での戦争映画だったとしても。
ちょうど軍国歌謡の喧しいなかでおよそ異質な灰田勝彦の「鈴懸の径」がヒットしたのと似ている。
山の手ふうのモダンな啓子と下町的伝統色の濃いぎん。モダンと伝統の成分の多寡はあっても、二人はともに自分の意志をしっかり持った近代的で知的な女性で、立ち居振る舞いを含め凛としている。戦前の美学を目の当たりにしたような気がした。
田中眞澄は、はじめに挙げた一文で、小野田陸軍少尉がジャングルにいた空白の三十年は、水戸光子にとって「暖流」の彼女から遠ざかって行く三十年だったと述べている。そう書かなければならないほど彼女はきらめいていた。
水戸光子よ、安らかに。一閃の輝きを寿ぎ、讃えよう。(八月六日神保町シアター


附記
「暖流」は増村保造監督による一九五七年のリメイク版(日疋祐三:根上淳、石渡ぎん:左幸子、志摩啓子:野添ひとみ)が、NHK・BSの山田洋次監督が選ぶ日本映画百選に入っていて、年明け一月十一日に放送される予定です。せっかくだからオリジナル版も放映してほしいな。そういえば先日の「君の名は」は第一部だけの放送だった。山田監督百選の時間帯でなくてよいから、きちんと落とし前はつけなくてはいけない。細やかなサービスがあれば視聴料だって払い甲斐があろうというものでしょう。