喫茶店の片隅で

茶店で読書に倦んだときは毎度イヤフォーンを取り出し音楽を聴く。お気に入りの曲を繰り返したり別のヴァージョンで聴きたいほうで、今夕は戦前、川畑文子がコロンビアで吹き込んだ「ひとりぼっち」と「泣かせて頂戴」に何度か耳を傾けた。

この二曲の訳詩は森岩雄によるものだ。以前に、のちの東宝の社長は若き日にこんな仕事もしていたのかとその著『私の藝界遍歴』で確認したところ、まちがいなくこの人だった。同書には川畑文子の写真とともに関係したレコードでは「泣かせて頂戴」が一番気に入っているとある。
さらにもう一曲チェリー・ミヤノ「シュッド・アイ(街からの手紙)」を繰り返した。「上海バンスキング」で吉田日出子も歌った曲だ。
ヴォーカルとともに間奏部分でのテイチク・ジャズ・オーケストラによるプレイぶりがとても愉しくて、心が浮き立つ。わずかに聴く戦前のディスクのうち、わたしのなかでは歌伴奏におけるスイングの代表格となっている。編曲は杉原泰蔵。
先に挙げた川畑文子の二曲もバックの伴奏がとてもよく、『ニッポン・スウィングタイム』の著者毛利眞人さんは「川畑文子の最良のヴォーカルのひとつ」であるとともにバックの演奏が「ブルーな空気を見事に再現」と評している。
同氏は間奏部分におけるパーソネルのプレイにこそ戦前日本ジャズの魅力があると力説している。戦前のジャズ系ヴォーカルのディスクでもミュージシャンの歌伴演奏については自分なりに注意してきたつもりだが、視聴の方法論としての意識はなかった。その点で『ニッポン・スウィングタイム』の主張は傾聴に値する。
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川上弘美さんの書評集『大好きな本』を読んだ。なかに須賀敦子『遠い朝の本たち』の書評があり、須賀さんの「戦争がすぐそこまで来ていた時代に、(中原)淳一は、この世が現実だけでないという事実を、あのやせっぽちの少女たちを描くことで語りつづけていた」という言葉が引かれていた。
須賀敦子の「戦争がすぐそこまで来ていた時代に、(中原)淳一は、この世が現実だけでないという事実」云々という言葉にかつて灰田勝彦が歌ってヒットした「鈴懸の径」もこんなふうに受け取られていたのではないかしらと思った。こちらは昭和十七年のヒットだから戦争の真っ最中のことだった。
近代日本の歌曲のなかで「鈴懸の径」はわたしのワン・オブ・ベストの一曲だ。同格に「水色のワルツ」があってどちらも三拍子だ。このリズムが奏でる抒情に弱いのかもしれないな。

先日読んだ毛利眞人『ニッポン・スゥイングタイム』には戦時下のジャズのサバイバルの一環として「松前追分」「八木節」「草津節」等の民謡を「軽音楽化」したことが記述されている。戦後、林伊佐緒が歌ってヒットした「真室川ブギ」もこの流れにあるだろう。そのさらに延長線上には民謡ではなく歌謡曲を「軽音楽化」した鈴木章治「鈴懸の径」があると理解してよいのではないか。といったしだいで「真室川ブギ」と「鈴懸の径」とが突然リンクしてしまった。
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成瀬巳喜男監督「晩菊」をDVDで見直した。本作は林芙美子の同名の短篇と「水仙」「白鷺」の三作品を原作としている。たまたま「晩菊」を収めた短篇集があったので手にしてみた。

映画でいえば芸妓のときに恋仲だった杉村春子上原謙の二人が再会する部分にあたる。会いたいという手紙に心躍った杉村だったがいざ対面したところ男は落魄し、そのうえ借金を口にする。男に幻滅した媼はやはりカネだけが支えだとあらためて思う。
杉村春子が演じた姥桜を原作に見ると映画よりもだいぶんなまめかしい。化粧の途中で着物の裾をまくり太股を合わせるとぴっちりとくっつくのを確かめたり、風呂で坐り太股の窪みへ湯をそそぐと湯は太股の溝へじっと溜まるのを見てまだまだ大丈夫だと思ったりする。これらを成瀬監督は捨てている。映画に取り込んだ部分と捨てた部分を眺めていると成瀬と林芙美子の違いが見えてくる。
「人間万事、色と欲」とはいいながら「晩菊」のきん杉村春子)には二つともはむつかしかった。華やいだ恋の季節が終わったのは承知していても、男の手紙に心躍ったかつての芸妓がおぼろげな夢から醒めて取ったのは欲であり、その対比でいえば高峰秀子が演じた「浮雲」のゆき子は色を取った女である。林芙美子は恋愛が終わったあとの男と女の絡みを描かせると凄いなあとあらためて思った。
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永井荷風大正元年九月に結婚し、翌年二月に離婚した斎藤ヨネの、離婚後の消息が秋葉太郎『新考永井荷風』に見えている。それによると彼女は大正十五年に日本橋の医療器具ゴム製品関東総発売元福原商店店主福原七郎と再婚し、昭和二十一年十一月十日疎開先の新潟で亡くなった。行年五十六。
ヨネの再婚先福原商店は医療器具ゴム製品の販売とともに製造にもたずさわっていた。コンドームの製造、販売である。
荷風とヨネの夜の生活で、荷風ははじめからコンドームによる避妊に努めており、当時の観念からすればヨネにはおよそ異様な人であったが、それにしてもヨネはゴムと御縁のある人である。
幸田文が寺島町時代の露伴宅を回想して、ここは小梅の花柳街、玉の井の娼家に近く、よく道にコンドームが落ちており、製造工場もあって、あるとき分けてもらったゴム製品で遊んでいて露伴から大目玉を喰らったと述べている。この工場、ヨネの婚家先である福原商店のものではなかったかとひそかに想像している。
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何か月か前の落語会で桃月庵白酒師匠の「井戸の茶碗」を聴いた。
雨つづきで占い稼業にも出られない千代田ト斉がやむにやまれず仏像を屑屋の清兵衛に買ってもらう。その仏像が細川家の家中高木作左衛門の目にとまり、高木は清兵衛から買い、古ぼけた仏像を磨いているとなかから五十両が出てきた。
仏像は買ったがなかの五十両は買った覚えはないと高木、いったん売ったものだから関係ないと千代田ト斉、双方のあいだで屑屋はおろおろするばかり。そこでト斉の住む長屋の大家が調停を買って出て、高木、ト斉がそれぞれ二十両、清兵衛が十両との案を出す。それでもまだ納得しないト斉に大家は手廻りにある何かの品をあちらに差し上げてください、そうすれば売ったことになるといって、ここでようやくト斉も納得する。
ここまでは通常の運びだが、このあと屑屋の清兵衛さんと千代田ト斉の娘さんが高木作左衛門に金子と茶碗を届け、若い男女が好印象を抱くという演出をしていた。ふつうには高木とト斉の娘が出会う場面はない。
そのあとじつはこの茶碗が大変な逸物とわかり、殿様お買いあげの五百両が下される。最後は仏像のときとおなじく折半する金子に何かを付けることとして、ト斉は信頼するに足る高木に娘を嫁にさしあげたい、高木はこのうえもないしあわせととめでたく大団円となる。
問題はあらかじめ高木とト斉の娘が出会う場面を設けた演出で、白酒師匠は父親の意志だけで相手の顔さえ見ないまま夫婦になるのを避けて、あらかじめ二人を出会わせることで現代風にアレンジしたわけだ。むかしの噺をそこまで現代的な価値観に合わせなければならないのかという点で賛否両論あるだろう。
わたしがこれまで巧みだなあと思ったアレンジに古今亭志ん朝文七元結」がある。

たとえば三遊亭円生文七元結」では身投げをしようとして助けられた文七だが、その助けてくれた御仁に文七の店の主人が礼をしようにもどこの誰だかわからない。主人の質問に、文七は、昨夜お金をくれた人は、娘のお久が吉原の佐野槌という女郎屋へ身を売って五十両の金をこしらえてくれたんだと申しておりましたと答える。佐野槌がわかれば、父親、左官の長兵衛の居所も知れるからポイントとなるところだ。
ここのところ古今亭志ん朝文七元結」では、文七は気が動転して店の名前を覚えておらず、いろいろ問いただしたあげくにやっとのことたしか「さ」がついていたようなという。そこで主人には吉原がどこにあるのか方角の見当もつきませんといっていた番頭が「佐野槌かッ?」。文七手を打って「それです、佐野槌です!」。毎度聴くたびに工夫されたアレンジだなあと膝を打つ。