「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」

すこし前のこと、ある酒席でSMAPの解散のことが話題になり、小生、その歌の一つも知らず、聞いたこともないと口にしたところ、某民放のディレクターから「そんな人は日本で野町さんだけでしょうね」とのお言葉を頂戴した。山口百恵が引退したあたりから以降の新しい歌は数えるほどしか知らないから、感性の古くさいのは自覚している。
そんなわたしにも年端の行かないころの忘れ難い音楽体験がある。
ひとつは美空ひばり体験で、亡母が、春日八郎の「お富さん」を流す宣伝カーには見向きもしなかったのに、美空ひばりの歌だとあわてて車を追いかけていたと語っていた。母の口調は息子の女好きの性分をからかっているようであったが、それは違っていて幼心にそれだけ美空ひばりは魅力的だったのである。だから後年カラオケが出回るようになってもしばらくは天に唾を吐くような行いではないかといった気がして彼女のオリジナル曲は歌わなかったし、歌えなかった。(念のため申し上げておくと、もちろん女性は好きですよ、人並みにはね。)
そしてもうひとつが美空ひばり体験の数年あとにラジオで聴いた「鈴懸の径」体験だ。小学校の高学年だったとおぼえている。鈴木章治とリズムエースにベニー・グッドマン・オーケストラのピーナッツ・ハッコーが加わったクラリネット二重奏による歴史的名盤にいたく感動した。もちろんスウィング・ジャズインプロビゼーションなどは理解の外だったが、二管のクラリネットの名状しがたい音の絡み、美しいメロディの演奏はファンタジーか魔術のようだった。音や楽器の組合せに不思議や興味を覚えたはじめての体験だった。

前置きが長くなったけれど、音と音の絡みや楽器の組合せという点で先日観た「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」は素晴らしいドキュメンタリー作品だった。
世界的チェリストヨーヨー・マが二000年に企画発足させた「シルクロード・アンサンブル」に中国、イラン、シリア、トルコなどからミュージシャンたちが集った。シリア(トルコだったかな)からやって来たクラリネット奏者が民族音楽を演奏していたが、クラリネットのほかはケマンチェ、中国琵琶(ピパ)、尺八、バグパイプなどこれまで西洋クラシック音楽の範疇には含まれない楽器群であった。
チェロやバイオリンとシルクロードにゆかりのある国のミュージシャンたちが奏でる民族楽器とを組み合わせたセッション、演奏シーンがふんだんに撮られていて、輝きを放っていた。そして自身を語るかれらの話は貴重である。両親が子供だけは政治の災厄から守り音楽活動をさせたいと海外へ行かせてくれたという過去を持つ人がいる。母国を離れて活動を余儀なくされた人もいる。それぞれがキャリアを積み上げて来た過程には民族の歴史と文化、現実の政治が投影されている。
こうしたなかでヨーヨー・マを核として、音楽の創造が志向され、アンサンブルが図られ、そして人間のハーモニーが紡がれる。異なる事情を背負ったプロのミュージシャンたちはお手軽な調和は拒否する。もちろん反撥も生じる。それらを含みながら、これまでにない人と人との関係、音と楽器の組合せが立ち上がる。音楽の行方は世界のありようを左右する。
(三月六日Bunkamuraルシネマ)