十年目の三一一に小沢信男氏を悼む

元禄十一年(一六九八年)八月、隅田川に長さ百十間(約二百メートル)の大橋が架けられ、永代橋と名付けられた。場所は深川の渡しがあったところでいまの橋よりも百メートルほど上流にあった。

「つく田島つくづく月をながむればかたぶく秋の長きよのはし」(大田南畝

このめでたい名前をもつ橋が、文化四年八月十九日(西洋暦では一八0七年九月二十日)徳川十一代将軍家斉のとき崩落し、大事故となった。

当日は富岡八幡宮の十二年ぶりの大祭に大勢が繰り出した。このとき公方様の御座船が永代橋をくぐるので橋はいったん通行止になった。船が橋の下を通り過ぎ、東西の橋詰が同時に解禁されるとあまたの人たちが橋上でかち合い、その圧力で橋の中ほどが崩れ落ち、あとから押し寄せてきた人たちも落下し千四百余名が落命した。

この出来事で「長きよのはし」と讃えた太田南畝は「永代とかけたる橋は落ちにけりきょうは祭礼あすは葬礼」と詠まなければならなかった。

永井荷風大田南畝年譜」によるとこの日(荷風は八月十五日と誤記している)南畝は船に乗り間部河岸(まなべがし、現中央区日本橋浜町一丁目)まで来たとき橋の落ちたのを知った。

東日本大震災が起きたのはそれから二百年あまりのちの二0一一年三月十一日。

永代橋崩落と福島原発事故を見据え、小沢信男は『俳句世がたり』(岩波新書)に「そうか。永代とは、安全神話のたぐいであったのか。してみれば、この地震列島に原発を五十四基も、交付金をばらまいて建てならべ、あげくに福島原発が崩壊して、家郷を追われた人々が十四万人。蜀山人の嘆きが、百倍にもなってこんにちに届くようです」と卓見を述べた。

こうして太田南畝と小沢信男の嘆きは時空を超えてリンクしたのだった。

 

先日、小沢信男氏の訃報に接した。三月三日、享年九十三。

よく谷中にあるご自宅の前をジョギングするがお見かけしたことはない。まえから気になっている作家だがほんのわずかしか読んでいない。ただし名コラム集『俳句世がたり』は韋編三絶とはいわないけれどしばしば頁を繰っている。これからも本書を開く機会は多いだろう。そしてはやく他の著作にも親しみたい。

 

 

 

 

 

 

 

新コロ漫筆~「行蔵は我に存す」

反共タカ派ニクソン大統領はベトナム戦争に終止符を打ち、中国と国交を結び、消費税反対だった村山富市首相は税率引き上げを認め、東京オリンピックパラリンピック組織委員会会長森喜朗氏はわが国を神の国と讃える超のつく国威発揚論者だが二月三日の日本オリンピック委員会JOC)臨時評議委員会での女性差別発言により「東京五輪会長の国家的な性差別主義の恥」( 英紙フィナンシャル・タイムズ)といった批判を受けずいぶんと国の評判を落とした。いずれもときに政治家は自身の信念とは真逆のことをしたり、結果をもたらしたりする事例である。

その発言は「女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。誰か一人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。(中略)発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困ると言っていて、誰が言ったかは言いませんけど、そんなこともあります」「私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、七人くらいおられますが、みんなわきまえておられます。みんな競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです」といったもので国威はともかく気分感情は大いに発揚したとおぼしい。

まさか与太話をするために会議に出席されたのではあるまい。だからわたしは発言は自身の持論を述べたと理解している。

ところが一夜明けると謝罪、撤回してしまった。ほんとにそれでよかったのか。ひょっとして発言への批判にわけがわからず閉口しながら謝罪会見に臨まれたのかもしれない。いずれにせよ安易な謝罪、撤回、世論への迎合より自身の考え方や発言についてより詳しく説明することが大事だったと思う。ファシズム共産主義の国家とは違いそれが出来るのが自由主義国家の優れたところだ。

これまで経験し、考え、信じてきたことを一夜明けて撤回するなど粉飾としか見えず、わずかな時間の反省などしょせん大したものではない。しかも後日の辞任表明では「私どもとしては、あくまでオリンピック、パラリンピックを開催するという強い方針で、今、準備を進めていた矢先でありまして、そういう中で会長である私が余計なことを申し上げたのか、まあこれは解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思いますけれども。まあ女性蔑視だと、そう言われまして」とまで述べているのである。

「行蔵は我に存す。毀誉は人の主張、我に与らず我に関せずと存じ候」(自身の行いは自らの信念によるものである。貶したり褒めたりは人の勝手であり、私は関与しない)。

福沢諭吉が元幕臣でありながら明治政府に出仕した勝海舟榎本武揚に批判を加えた「痩せ我慢の説」に対する勝海舟の返事で、森氏はこれを体現できる貴重な機会を逸したのを氏のために悔やむ。真意や詳しい説明をうかがっても氏の所説には賛成できないとしても信念に殉じる姿勢には共感を覚えたかもしれない。説には反対しても節は讃えたかもしれない。

結果は「行蔵は我に存す」を示さぬまま森氏は「政治家としての経験を生かした最後のご奉公として今までやってきた」会長職を辞任した。巨視的には新型コロナに翻弄され屈してしまった。

山縣有朋が亡くなった際、石橋湛山は「死もまた社会奉仕」という評論を書いた。個人の死の悲しみとは別に、社会に新陳代謝は不可欠、との趣旨だ。森氏には、会長の交代、新陳代謝もまたご奉公であると言葉を贈りたい。

 

附記

はじめて聞く名前だったが、ロンドンブーツの田村淳という方が、森会長が聖火ランナーの密集対策について言及した際に「有名人は田んぼ(の沿道)を走ったらいいんじゃないか」などと発言したのに反発し「聖火ランナーを辞退させていただこうと思っております。正式ルートできちんと事務所を通じて事務局の方には伝えました」と表明した。えらいもんだなぁ、『たった一人の反乱』(丸谷才一の小説)じゃないかと目を見張った。たった一人の強さ!いずれ芸も見てみたい。

新コロ漫筆〜余録

ことし二0二一年一月十八日に召集された通常国会では新型コロナ感染症対策とともに総務省の幹部職員と、利害関係者にあたる東北新社に勤める菅首相の長男たちとの会席が大きな問題となっていて、放送事業の許認可権を持つ総務省にたいし、東北新社側が接待攻勢をおこなっていた実態の一端が文春砲で明るみにされた結果、行政が歪められた可能性が取りざたされている。

新コロ漫筆は表題通りコロナ関連以外には触れないつもりだったが、せっかくおなじ国会で論議を呼んでいるもうひとつの問題に言及しないのは、ひとこと言いたい症候群の身にはあまりにもったいない。余録とした所以である。

想像ではあるけれど、首相の息子からのお誘いを利害関係者だからと断れば親父に睨まれて人事で報復されるかもしれず、応じれば応じたで文春砲に睨まれ、週刊誌で報道され処分を受ける、総務省のお役人たちには難儀なことである。

ずいぶん昔となったがわたしは平成四年(一九九二年)四月から七年間お役所に勤めた。現在はどうかわからないが、その当時いやだったのは宴席の多いことで、企業や団体(念のため利害関係者ではないと言い添えておきます)とのつきあい、退職者を含む業界ネットワークに組み込まれたさまざまな会、知り合いならともかく、付き合いはなく名前と顔を知るだけの方の表彰、叙勲の祝賀など、またエライさんには盃に手を添えて差し出さねばならず、そんなことを含め辟易してしまい、それまでは別に宴会を嫌いではなかったが一気にいやになった。

仕事がらみの宴会は日本酒がもっぱらなので盃のやりとりは避けられず、宴会がいやになるとともに日本酒もいやになってしまった。 退職して十年、いまも日本酒嫌いは身に沁みて、これからも一生口にすることはないだろう。

そうして役所の周りにはいろんな手合がいて、クレーマーにしてバーを経営する御仁など、電話対応からはじまって瑕疵でもないのに手落ちだと強弁し、それをネタにしては、手打ちを自身の店でおこなうのであった。

一度その経営するバーに行ったときのこと、はじめは行かないつもりであったが、同行するという他の課の職員がやってきて、夜中に無言の電話がかかってきたりするぞなどと脅された。妻子に迷惑をかけてはならず、闘う家長はこれで厭戦に転んだ。

後日、当のよその課の職員は出先機関長を集めた会議で、クレーマーには毅然とした対応を!と鉄面皮に語っていた。ここからうかがうに、首相の息子と盃を酌み交わしていた総務省の幹部たちも会議の冒頭のあいさつなどでは、すべて職員は、公務員倫理を保持し、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、職務の遂行にあたっては全力を挙げてこれに専念しなければならない、などとおっしゃっておられるだろう。

以上、菅首相の息子と総務省の高級官僚との会食をめぐる報道から、わが身の不名誉なことを含めあれこれを思い出したしだいである。

行政と宴会についてまがりなりに観察してきたわたしとしては、利害関係者か否かは問わず、仕事に酒、料理をからめるのをやめよと声を大にして言いたい。

「コロナは来るな」「久松不在」

二0一九年のクリスマスストーリーとしてアガサ・クリスティポアロのクリスマス』を読んだが、それでは収まらず、つづいて「クリスマス・プディングの冒険」を手にした。以前にも読んだことのあるウェルメイドな短篇小説で、「名探偵ポワロ」では「盗まれたロイヤル・ルビー」と改題され劇化されている。「刑事フォイル」のアンソニーホロヴィッツが脚本を担当しており、こちらも優れものだ。

そのあと、前日にiPhoneの機種変更をしたものだから新旧の引継ぎをしなければならず、まずはLINEの引き継ぎをしておくのがよいと聞いてパンフレットを読みなんとかこなした。つぎにアプリを点検したところ、変更した機種に入っていないアプリがけっこうありインストールしてはIDやパスワードを打ち込んでいるうちにうるさくて投げ出したくなった。

「わしはLINEの引き継ぎは絶対できない。店でやってくれ」「店ではできないことになっています」「いくら説明書を読んでもできない」といったやり取りのあげく、お店に引き継ぎをしてもらった高齢者がいたと、たまたま行き合わせた息子が話していた。地方のお店でお客さんが少なかったからよかったが多いと混乱しただろうな。

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外向きについた人の目は他人を見るにはまことに便利で、とりわけ政治家や上司のアラや欠点には義憤、正義も作用して視線は厳しい精査へと向かう。反対に、自身の内へ向かう視線を鍛えるにはナルシシズムも作用するから相当の努力、修練を必要とする。内省や自己反省が得意という人は稀である。そこで自己反省の不足を少しでも改善するために『論語』は「人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか」と毎日三度の自己省察を薦めている。

いっぽうで三省を説く儒者には硬直したイメージがつきまとう。あまり反省をしていると硬直したつまらない人生観に行き着くのだろうか。ならば多様さと柔軟さを具えた反省のあり方を思ったのだが、そこから先のイメージが湧かない。

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わたしの二0二0年は古稀を迎えたのと、緊急事態宣言に伴う自粛の年で、自粛ははじめ不安であったが歳末になって振り返ると金はないが時間はたっぷりある老後をゆるやかに過ごした。

さいわい新型コロナ感染症禍のなかにあって新年を迎えることができ、一月二日、ことしの映画はじめとして「バンド・ワゴン」をみた。NHKBSPが年末年始にかけミュージカル映画の名作を連続放送したなかの一本で、毎度のことながらフレッド・アステアの名人芸を堪能し、シド・チャリシーの美しさに見惚れた。

好きな女優さんを三人あげるのは難しいけれど、映画と女優の組み合わせベストスリーとなると「カサブランカ」のイングリッド・バーグマン、「東京物語」の原節子、そして「バンド・ワゴン」のシド・チャリシー、これに「シカゴ」のキャサリン・ゼタ・ジョーンズがつづく。

映画のあとはことしの聴きはじめで「世界は日の出を待っている」をチョイスした。一九八0年ベニー・グッドマンテディ・ウィルソンとともに来日したときの日本武道館におけるコンサートの映像で、ゲンを担ぐというのではないが願いと思いを込めて聴いたあと英語の歌詞を口ずさんだ。「世界は日の出を待っている、薔薇は露を帯びて・・・」

そして寝床で開いた斎藤茂吉の歌集に「くれなゐの獅子のかうべを持つ童子もんどり打ちてあはれなるかも」一首があった。獅子舞はお正月の縁起物のひとつで、角兵衛獅子またの名を越後獅子がよく知られている。そこでふと角兵衛獅子が越後獅子と呼ばれるのはどうしてだろうと思った。

七つ八つからせいぜい十二くらいまでの子供が角兵衛親方の打つ太鼓の音にあわせ、もんどり打ったり、逆立ちして歩いてみせる。獅子の子供の多くは越後つまり新潟県の出だというが、どうして越後は獅子に扮した子供をたくさん輩出したのか。いまも新潟県出身の体操選手は多いのだろうか。まさかね。

ちなみに大好きな美空ひばりの「越後獅子の歌」は昭和二十六年公開の松竹映画『とんぼ返り道中』の主題歌である。

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退職して十年、毎年一度は海外旅行に行っていたのが昨年で途絶えた。気軽に旅行ができるようになればいま一度イタリアへ行きたいなと思いながらツンドクのなかから辻邦生『春の戴冠』(新潮社版)を手にした。ルネサンス期のイタリアを舞台とする小説と知るだけだったが、頁を開いてボッチチェリの友人による画家の回想と知れた。今年の読書はじめである。同書は上下巻合わせると九百頁あまり、二段組活字の詰まった大長篇だがこれまで辻作品に挫折したことはなく、今回も同様であってほしい。

画家をめぐる本は堀田善衛ゴヤ』以来で、詩集と絵画はいちばん似合わないというか苦手の極みだが、それだけ憧れは強い。『ゴヤ』のときとおなじく、よい機会だからとネットにあったボッチチェリの廉価版画集を買ってこれからの読書に備えた。

週刊文春」年末年始号 に載る橘玲「高齢者こそ冒険しよう」に「老後問題というのは、老後が長すぎるという問題なのだから、長く働いて老後を短くすれば問題そのものが消滅する」とあった。わたしは働いて老いの時間を過ごす気はなく「老後が長すぎる」としても貧乏しながらそれを甘受する。老後が長すぎるのは素敵なことじゃないかと長い長い小説『春の戴冠』を読んでいる。

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一月十日。昨日はことしはじめて10キロレース(ヴァーチャル)を走った。成績は0:58:37、386/746。なんとかキロ五分台で走れているが、やがて六分台になるのかと思うといささか落ち込んでしまう。四分台から五分台に落ちたときは寝込んでしまうほどショックだったのが、いまは六分台を心配している。

その昔、他人が書いた本を読むだけではますます馬鹿になりそうで、下手でよいから自分も何か書いてみたいと、ときにエッセイを書くようになった。

読書の意欲はいまも旺盛だが、書く意欲はどんどん減退していて、健康状態が現状のままだとしても後期高齢者になるころには書く意欲は完全蒸発しているかもしれない。もっとも「ものいわぬは腹ふくるるわざなり」も困るなあ。

それはともかく、書く意欲とちがい長距離を走る意欲の衰えないのはうれしい。

何か勘違いしていたのだ。わたしという馬鹿につける薬はないのに、ちょいとものを書いて、その度合をコントロールしようなどと思っていたのだから。

パソコンをまえにして原稿を書くなど無理はせず、面白い小説や映画、TVドラマ、素敵な音楽にどっぷり浸かった晩年でよい、そんな思いへの傾斜が現在進行中である。

昨日の高校ラグビー選手権決勝と明日の大学ラグビー選手権決勝に挟まれたきょうの午後は気だるく、ふと思いついてウディ・アレンが映画で用いた懐かしいジャズを集めたコンピレーションのディスクを聴いたところ、ノスタルジックな思いとともに心が持ち直し、晩酌のひとときにたどり着いたのだった。

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晦日から年始にかけての「村上RADIO」(東京FM)で、村上春樹さんが「コロナは来るな」というてコピーを作ったと語っていた。そういえば『半七捕物帳』の岡本綺堂が、明治二十三年にインフルエンザが大流行したとき「久松不在」とのお祓いを玄関に貼ってある家々があったと書いていた。お染久松は大坂油屋の娘お染と丁稚久松の心中を描いた芝居で知られるカップルで、「久松不在」を換言すると「お染は来るな」で、お染久松のお染を感染症に見立てていたわけだ。

「コロナは来るな」の願いをよそにGoToトラベルを強行し、自分は連日の会食に参加し、国民には「五人以上の会食はだめ」とのたまう総理総裁のもと自民党のエライさんたちは会食が報道されると、一律に禁止したものではないとか感染対策してあるから問題はないと開き直る。 それほど会食をしたければ官邸に仕出し弁当を取ってやればよい。

宮腰光寛元沖縄北方担当大臣にいたっては、富山市内で三十人が参加する懇親会に出席し、飲酒して転倒し救急搬送された。ケジメをつけなければならない事案に対して自民党総裁が注意や譴責を行なったとかの話は聞かない。自分が会食を繰り返しているのでそうもできないのだろう。新型コロナの緊張はどこ吹く風、党内はユルフン状態らしい。

どうあっても会食したければ他人に自粛は言うな!

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第三十三代米国大統領トルーマンの政権下でディーン・アチソン国務長官の発言が政治問題化し、長官は大統領に謝罪した。そのとき大統領は「ディーン、どうせ撃たれるなら、背中からじゃなくて真正面から撃たれろ」といった。覚悟のよさが窺われる「ちょっといい話」だ。

おなじく「男を駄目にするものが三つある。権力と金と女だ。わたしは権力を欲しがったことはないし、金を手にしたことはないし、我が人生におけるただひとりの女は、いまこの瞬間わたしの家にいる」。時代の付いた発言ではあるがお人柄が知れる。

いずれもデイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ1』(峯村利哉訳、ちくま文庫)にみえていて、著者によると内省的な性分ではないトルーマンにとって、政治とは全力を尽くすか否かだった、いったんポーカーの卓に座ったら、配られた手札の中で、最善のプレーを尽くせば、夜もぐっすりと眠れると語っていた。

いまわが国の国会の先生方に寝不足が多くなっているとは聞かないから、会食の酒も手伝ってみなさん最善のプレーを尽くしてぐっすり眠っていらっしゃるのだろう。

トルーマンについてはマッカーシズム、狂気の赤狩りを黙認した人物としてあまりよい印象はなかったが本書を通じて人間的な面での魅力を知った。

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年末に菅首相は手洗い、マスク、感染症対策を徹底し、静かな年末年始をお過ごしいただきたい、と国民に訴え、また、外国からの新規入国を停止する措置について「先手先手で対応するために指示した」と語った。

年が明けて、一月八日からの東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県への緊急事態宣言発令をめぐって、緊急事態がひと月で収まらなかった場合はとの問いかけに「仮定の話にはお答えできない」と口にするのみだった。

答弁は差し控える、お答えできないは毎度のことで、一国のリーダーの姿としては情けないし、真摯な対話のないところによい知慧は浮かぶまい。

それにしても「先手先手」を指示するならば、いろんな場合を考えた対応策が必要だから「仮定の話にはお答えできない」はないだろう。図らずもまったく先を読んでいないことを露呈した格好だ。

先を読むとしても上手くいくことだけを予想している、天気予報でいえば晴れマークの場合しか念頭にないから、雨、嵐への備えはない。GoToトラベルにしても、感染状況に影響するエビデンスはなく、これで経済活性化の一助になるとしか思っていなかっただろう。

「多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない」(ユリウス・カエサル

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できるだけ外出は控えているが床屋はそうもいかず、散髪をしてもらったあとスターバックスに座り、ふとお客さんたちを眺めると若者、中年ばかりで、どうやらわたしが最高齢であった。そのうち外出老人を専門に取り締まる自警グループが活動をはじめるかもしれないと苦笑。

帰宅してたまたまテレビを見ると相変わらず国会では審議中に寝ている議員が散見された。「最善のプレーを尽くせば、夜もぐっすりと眠れる」うえに昼間もよく眠っていらっしゃる先生方である。

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昨秋七十歳になったのを機に『荷風全集』の再読をはじめた。荷風ファン×東京在住下層年金生活者としてありがたいのはアメリカとフランスへの西遊を別にすると作品の舞台となる地は東京に限られ、多くが簡単に訪れることができ、荷風文学の地誌に親しむことができる。国内旅行は京都、大阪、長崎、それと戦時中に疎開した岡山や敗戦直後の東京への帰還が叶わなかったときの熱海くらいのものだ。

荷風が若き日を回想しながら、礫川つまり小石川を散歩した際の随筆に「礫川徜徉記」がある。過日久しぶりに読み、ゆかりの場所を散策した。

根津神社裏門坂を上がって本郷通りへ出て白山に向かい、白山神社にごあいさつして近くの蓮久寺を訪れ荷風の友人で、唖唖と号した井上精一の墓に参った。井上唖唖が歿したのは大正十二年七月十一日、享年四十四、破滅型の文士は酒で命を縮めた。「礫川徜徉記」は大正十三年に発表されていて、荷風が訪れたときはまだ一周忌を迎えていなかった。

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「門に入るに離離たる古松の下に寺の男の落葉掃きゐたれば」といった光景は過去のものとなっているが「世に竹馬の交をよろこべるものは多かるべしといへども、子とわれとの如く終生よく無頼の行動を共にしたのは稀なるべし」と語った友人は「井上家之墓」に眠っていて墓碑銘に「俗名精一」と刻まれている。

よい機会だから荷風「十日の菊」にある唖々のことばをしるしておこう。

「此の頃の若い女はざつと雨が降つてくるのを見ても、あらしもよひの天気だとは言はない。低気圧だとか、暴風雨だとか言ふよ。道をきくと、車夫のくせに、四辻の事を十字街だのと言ふよ。ちよいと向のお稲荷様なんていふ事は知らないんだ。御話にやならない。大工や植木屋で、仕事をしたことを全部完成ですと言つた奴があるよ。銭勘定は会計、受取は請求といふのだつたな」云々。

井上唖唖の墓参のあと、もうひとりおなじ白山の本念寺にある蜀山人太田南畝の墓を訪れた。

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大正三年八月「文章世界」臨時増刊に載る「趣味と好尚」というアンケート「好きな歴史上の人物は?」に荷風は「大田南畝」と回答している。

その人間的魅力については「葷斎漫筆」に、儒学に造詣深く、狂歌稗史をつくる奇才あるものの名声に恋恋としない、古今の典礼故実に通じながら博識を誇らしげにしない、芸妓娼妓の巷に出入りしても酒色に溺れない、心が広くときに人の意表に出ることはあっても謙譲の徳を失わない、これらが人をして南畝を尊敬、また慕わせると説いた。

ちなみに上のアンケートでは「一番幸福に思ふことは?」に「訪問記者の来らぬ日」、「一番不幸に思ふ事は?」に「銭のないこと」と答えている。

その十年後、荷風は「礫川徜徉記」に「われ小石川白山のあたりを過る時は、必本念寺に入りて北山南畝両儒の墓を弔ひ、また南畝が後裔にしてわれらが友たりし南岳の墓に香華を手向くるを常となせり」と書いた。

 

 

新コロ漫筆~「必ずやる」

新型コロナウイルスの第三波が猛威をふるうなか、七月二十三日から予定されている東京オリンピックパラリンピックの開催をめぐる議論が熱を帯びてきた。世論調査では国民の八割以上が中止もしくは再延期の意向だから風当たりが強くなってきたといってよいだろう。

こうしたなか菅首相は「人類がコロナウィルスに勝利した証として東京オリンピックを開催する」、自民党二階幹事長は「東京オリ・パラを開催して、スポーツ振興を図ることは国民の健康にもつながる。『開催しない』という考えを聞いてみたいくらいだ」と語り、二月二日には東京オリンピックパラリンピック組織委員会森喜朗(前)会長が自民党本部での会合で、今夏の開催について「私たちはコロナがどういう形であろうと必ずやる」「一番大きな問題は世論とコロナ」「やるか、やらないか、という議論ではなく、どうやるか」と明言した。菅、二階、森、お三方の揃い踏みで、賛成はしかねるけれど覚悟のほどはよくわかった。

賛成しかねるというのは菅首相、二階幹事長、森会長が感染状況、世論の動向を踏まえたうえで、最低限こういう条件下であれば実施できると結論したプロセスがわからない不安から来ている。天気予報でいえば晴れマーク頼みで、曇り、雨、嵐のときどうするかがまったく見えず、ユリウス・カエサルがいったように「見たいと欲する現実しか見ていない」としか思われない。

昭和十九年三月、多くの反対を押し切ってインパール作戦を強行した牟田口司令官は軍需品について増強を要請した連隊長・松木熊吉中佐を「第33師団は、軍の補給が遅れているから前進出来んというのか。インパールに突入すれば、食糧なんかどうにでもなる」と叱責したという。

まさかオリンピックに突入すればコロナはなんとかなると考えてはおられないだろうが「私たちはコロナがどういう形であろうと必ずやる」という言葉から浮かんでくるのはオリンピック・パラリンピックという祭典にまなじりを決し、特攻の覚悟で臨む姿にほかならない。祭典はたのしく催すものじゃないか。

わたしはいま七十歳、お三方はいずれも年上で、新型コロナウイルスを怖れぬ意気軒昂ぶりはたいしたもの、たとえ陽性になっても本懐であろうし、高齢者という不安材料はあるがいざというときはすぐに入院でき、最高最良の治療が受けられる。当方は陽性になっても病床逼迫であれば入院できるかどうかさえわからない身の上であり、いまの世界の感染状況のなか開催となると自衛を図らなければならず、まずは疎開を考えることになるだろう。何よりも「われらの安全と生存を保持」(日本国憲法)することが大切である。

 

新コロ漫筆~「お答えを差し控える」

先日のテレビのニュースの一場面、医療提供体制の不備を謝罪する菅首相に「そんな答弁だから言葉が伝わらないんですよ。そんなメッセージだから国民に危機感が伝わらないんですよ」と蓮舫参議院議員が語気を強めたのに対し首相は「少々失礼じゃないでしょうか」と気色ばんだ。

あのシーンを見た限り、蓮舫議員は気持の高ぶりと声の大きさ、鋭さが比例している方らしく、わたしが連想したのは感情の高揚を絶叫で表現するしかない出来の悪い日本映画だった。誰とは言わぬが予告編でその役者さんを見るたびにいつも叫んでいて気の毒なほどだ。役者が悪いのではなくそうした演出しかできないスタッフの問題で、たとえば二00九年の奇跡的な生還劇として知られるUSエアウェイズ1549便不時着水事故を描いた『ハドソン川の奇跡』を絶叫、怒号大好きな監督で映画化するととんでもない作品になってしまっていただろう。クリント・イーストウッド監督のあの映画で機長役のトム・ハンクス が絶叫するシーンはなく、機長に求められたのは自身の感情をコントロールして乗客を安全に脱出させる方策であり、感情失禁状態でキャンキャン吠えていてはあるべき方策など望むべくもない。話が映画のほうへ寄ってしまったけれど、わたしは感情激昂タイプの質問ぶりが苦手というだけのことだ。

それでも菅首相の口から「失礼」という言葉を引き出したのはよしとしなければならない。念のため申し上げておくと、菅首相のしゃべり方をまずいと思ったことはない。立板に水の如くペラペラしゃべる御仁とか、慇懃無礼、他人を小馬鹿にし巧言令色を掛け合わせたタイプより好感が持てる。むかし大平正芳首相は、口を開けばアー、ウーというので鈍牛と揶揄されたが、かえって愛嬌があると親しまれてもいた。

そのうえで「失礼」を問題にしたい。国会は与野党の議員が討議討論を通じて法律や政策を決定する場であり、議員の背後には国民がいる。蓮舫議員のいう「そんな答弁」であれ別の答弁であれ、首相にとっては言葉と誠意を尽くして議員及び国民の理解を図り、説得する場でもある。そこでの「答弁は差し控える」「お答えできない」の連発は答弁を求める議員はもとよりその背後にいる国民にたいし「失礼」である。

立命館大産業社会学部の桜井啓太准教授が国会答弁で出た「お答えを差し控える」の回数を調べたところ、直近五年は毎年三百を超える「異常事態」になっていて、なかでも安倍政権下の二0一七年~一九年が毎年五百件と突出している。桜井氏はいつからこんなに国会は答えなくても許される場所になったのか?と思い調べたと語っている。(二0二0年十一月六日朝日新聞)そうして安倍内閣官房長官だった菅義偉氏は首相に就任すると、さっそく使い慣れた「お答えを差し控える」を連発しているわけだ。

やがて新型コロナワクチンの接種がはじまる。そこまでの段取りや接種後の体調の変化などさまざまな問題が予想されるが、それこそお答えを差し控えられたりすればわたしたちの生命に関わりかねない。

国会で質問する議員、答弁する閣僚、いずれも国民の代表であることを踏まえると、「お答えを差し控える」というその場限りのやり過ごし、討議討論の中抜きが国民の無視につながるのはいうまでもない。

議会はたんに賛否を問う場ではなく、議員の先生方が自由闊達に意見を出し合い、存念を語り合い、討議討論を通じて説得を試み、ときに異なる意見を組み合わせて合意形成を図る場であり、それを可能にするのは言葉のやりとりである。その意味で「議会政治は『申しがら』の芸でたつ」「議会政治は人類文明の花である」。(京極純一『文明の作法』)

お答えを差し控えていては芸は磨かれず、花は咲かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新コロ漫筆~会食

一月八日、政府は東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県を対象に緊急事態宣言を再発令した。 新型コロナ対策のまずさで各社世論調査での内閣支持率は急落していて、 再発令に追い込まれた感は否めない。菅首相はこんなはずはないと思っているかもしれないが、これまでのところ国民の期待外れ、落胆の度合は大きい。

プロ野球の新人たちはスカウトや監督という目利きの審査を経ている。ここではプロがプロを選ぶ仕組みである。政治家の輩出はその反対で、政治を職業としない一般の国民、いわばアマチュアが政治のプロ、職業政治家を選出する。厳しいプロの目を経たドラフト会議一位の選手でさえ当てが外れる事例はままあり、政治家の選出における有権者の目はドラフト会議に較べるとだいぶんゆるいから当て外れは茶飯事レベルとはいわないがそれなりの数はある。

そうはいっても例外を認めたうえで選ばれた方々は政治のプロであり、議院内閣制のもとでは、このプロたちが内閣総理大臣を選ぶ。とりわけ多数党のトップの選出は重要で、期待外れは避けなければならず、与党の先生たちは候補者の政治力や政治家としての経歴、人間性などを参考に首相候補を担ぐことになる。長年官房長官をこなしてきたから首相職も大丈夫だろうといった具合に。

そこから先はプロ野球の新人とおなじ運命が待っている。

トップの補佐役としてそつなく務めた方が後を継いでトップになってみるとそれほどでもなかった、酷いのになると余技か旦那芸クラスだったというのは政界のみならず職業人の世界ではときに見られる現象で、政治学者の故、京極純一先生は名著『文明の作法』で「本業が下手な人の多い世間である」と喝破した。しかも「自分が上手と売りこむ人たちが、ほんとに、上手かどうか。やらせてみなければ、本人にも他人にもわからない」のだから難儀な話である。

菅首相のGoToトラベル推進の選択は感染拡大防止にはよくなかったと思う。しかしわたしはそれ以上にGoTo一時停止を決め、五人以上の会食は避けるよう国民に求めたすぐあと銀座のステーキ店で二階幹事長ら八人で会食したことを重く見る。会食事案はこの人の goかstopか、onかoffかを判断する力を疑わせ、GoTo という政策の修正よりこちらを正すほうがよほど難しいと考えるからだ。

くわえて新型コロナ対策を担当する西村大臣が、五人以上の会食は一律に禁止したものではないと開き直りの釈明をした。以後首相には気をつけていただくよう進言しますとか、料亭等での会食は自粛していただき、必要なら少数で、官邸へ仕出し弁当を取って情報収集していただきますといえば、もっと軽く収まっていた気がするけれど、掟破りのトップに、開き直りの補佐役ではまことに「本業が下手な人の多い世間である」と自分のことは棚に上げたうえで思わざるをえなかった。コロナ禍のいまでなくても、職業としての政治に会食やパーティの比重が高くなるのは望ましくなく、余技とか旦那芸の政治になっては国民が迷惑する。

いま感染が拡大するなか、菅首相も西村大臣も、昨年の緊急事態宣言のときよりも緊張感はゆるんでいる、一層の引き締めが必要だと語っている。言葉としてはその通りではあるが、会食に赴く姿や、一律に禁止したものではないがややもすれば脳裡をよぎる。

ちなみに期待通りの成果が上がらないプロ野球の選手にはファームという調整の場所があるけれど、政界にはないのが厄介である。